サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
中東情勢
sportiva.shueisha.co.jp
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球門田博光が語っていた死生観。晩年15年間100回以上顔を合わせ、最後の通話者でもあったライターが明かす、レジェンドとの会話 プロ野球のキャンプがスタートし、WBC日本代表の話題にも楽しみが詰まる。球春到来を感じる一方で、門田博光の訃報から1週間あまりが過ぎた。私のなかで、球史に偉大な功績を残したスター選手がこの世を去った寂しさとはまた違う、いつも身近にいた人を突然失ったつらさが日毎に増している。 おこがましくも"球界のレジェンド"を、いつからか歳の離れた友人のように感じるようになっていた。あらためて数えてみると、この15年の間に門田と100回以上も顔を合わせ、「ナンバーワン(王貞治氏)を超える選手を育てたい」という夢の話から、打撃の極意、日常のぼやき、病、家族、酒、死生観......さらにはダイヤモンドを掘り当てたいという、門田曰く"アホな話"まで
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球門田博光が回想する村田兆治とのマンガの世界のような真剣勝負。「フォークの握りを見せてから放ってくることもあった」 「病院でテレビ見とったら、兆治の家が燃えてる言うから、なんかいなと思うとったら......元気でやっとると思うとった人間が、まさかや」 村田兆治さんが亡くなり1週間が過ぎた日の午後。ホテルのミーティングルームで会った門田博光は、ずいぶんと疲れているように見えた。自らも病院通いが続き、そこへ同時代を戦ったライバルの突然の訃報。気分が沈んでいることは、その口調からも十分伝わってきた。 「一酸化炭素というのは、ある程度吸ったら意識がなくなるんか? おそらくは苦しまんと逝けたということかいな」 門田も過去にボヤを起こし、気づくのがあと少しでも遅れていれば......という経験をしたことがある。酒を飲みながら趣味の油絵を描いていたところウトウトと
2023.01.12 ブラジル人記者の嘆き。王様ペレの葬儀にセレソンの新旧スター選手たちが背を向けたのはなぜか 生前、ブラジルに大きな贈り物をしてくれたサッカーの王様ペレ。彼の死は少なくとも3つのことを明白にした。ブラジルという国がいかに偉大な功績を残した者に対して薄情か、ブラジルの選手たちがいかに傲慢であるか、そしてブラジル人がいかに彼を愛したか――だ。 まず、何より信じられないのは、ブラジルがペレのために、国として何もしなかったことだ。お隣のアルゼンチンでは、ディエゴ・マラドーナの死後、国葬を開いたのに、ブラジルは、ただ3日間、哀悼の意を示したのみだった。 ペレの棺はサントスのスタジアムに24時間安置され、その後、サントスの町を巡り、墓地へと向かった。だがペレは、サントスだけのスターではない。ブラジル中、南米中、そして世界中のサッカーの王様だ。少なくとも首都のブラジリアで1日、そして彼
2022.12.28 【2022年人気記事】東大理三に現役合格のちインカレ優勝の内山咲良。「誰もやったことがないことをしてみせたい」と励んだ文武両道 2022年はサッカーW杯などさまざまな競技で盛り上がったスポーツ界。スポルティーバではどんな記事が多く読まれたのか。今年、反響の大きかった人気記事を再公開します(2022年1月20日配信)。 ※記事内容は配信日当時のものになります。 ◆ ◆ ◆ 文武両道の裏側 第6回 内山咲良(東京大学) 前編 陸上女子三段跳の内山咲良選手。現在、東京大学医学部6年生 東京大にひとりのジャンパーがいる。内山咲良、現在医学部6年生だ。昨年9月の日本学生陸上競技対校選手権(インカレ)女子三段跳を制した才媛だ。彼女は今、2月の医師国家試験合格と、3度目となる6月の日本選手権出場を見据え、日夜、トレーニングと勉学にいそしんでいる。 神奈川県出身の内山は、筑波大学附属
連載『なんで私がプロ野球選手に!?』 第9回 本間忠・後編 前編:無名の大工見習いだった本間忠はいかにしてヤクルトに入団したのか>> 異色の経歴を辿った野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第9回後編は、大工からプロ入りを果たした本間忠の「決死の高卒4年目」からスタートする。 ストレートは最速148キロに 野田サンダーズの捕手を務める大橋亮は、見違えるような本間忠のボールに目を丸くした。 「ボールの質、スピードがまるっきり変わりました。タテ回転のスピンが効いて、ホップするような球筋なんです。あまりにすばらしくて、ビックリしました」 日本文理高を卒業して4年目。本間は「今年でプロに行けなければ、野球をやめる」と悲壮な覚悟を固めていた。 平日も午後3時には大工の仕事を上がり、母校の日本文理で練習する。反対を押し切って大学を中退した不義理を働いたにもかかわらず、恩師
連載『なんで私がプロ野球選手に!?』 第9回 本間忠・前編 プロ野球は弱肉強食の世界。幼少期から神童ともてはやされたエリートがひしめく厳しい競争社会だが、なかには「なぜ、この選手がプロの世界に入れたのか?」と不思議に思える、異色の経歴を辿った人物がいる。そんな野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第9回に登場するのは、「ドラフト指名された大工」として有名になった本間忠(元ヤクルト)。無名のクラブチーム投手がプロ入りできた背景には、無自覚な大器の才能を信じる理解者や支援者の存在があった。 1999年のドラフトでヤクルトから6位指名を受け、念願のプロ入りを果たした本間忠この記事に関連する写真を見る 悲願の甲子園出場は叶わず「せっかく素質があるのに、もったいないな......」 日本文理に出入りする運動用具店の大橋亮は、何度もため息をついた。その視線の先には、同校エ
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。ABJマークの詳細、ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら。 https://aebs.or.jp/新しいウィンドウで開く 本ホームページに記載の文章・画像・写真などを無断で複製することは法律で禁じられています。全ての著作権は株式会社 集英社に帰属します。 © SHUEISHA Inc. All Rights Reserved.
真中満インタビュー後編 「村上宗隆・三冠王」 打率.318、56本塁打、134打点の成績で、2004年の松中信彦氏以来、18年ぶりの三冠王を達成した東京ヤクルトスワローズの村上宗隆。その村上の今季の活躍について、ヤクルト元監督で野球解説者の真中満氏に振り返ってもらった。技術面・人間性における村上のすごさとは? ヤクルト・村上宗隆(左)と髙津臣吾監督 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る 「僕の監督時代に入団してほしかった(笑)」ーープロ5年目にして、シーズン56号、さらに史上最年少にして、令和初の三冠王となった村上宗隆選手について伺います。この大記録、真中さんはどう見ていますか? 真中満(以下、同) 55号からの1本がなかなか出なかったけど、最後の最後まで気持ちを切らさないでシーズン最終戦の最終打席で打つことができたのはさすがだと思います。何十年間も誰も破れな
webスポルティーバサッカーの記事一覧サッカー代表日本代表元日本代表・名良橋晃が選んだ歴代日本人右サイドバックトップ10。「神出鬼没」「涼しい顔で上下動」「世界に見せたかった」選手たち 元日本代表・名良橋晃インタビュー 前編 後編「名良橋晃が振り返るW杯初出場」を読む>> サッカー日本代表や鹿島アントラーズなどで活躍したレジェンド選手、名良橋晃氏をインタビュー。スポルティーバの数々のサイドバックランキング企画で度々登場してきた名良橋氏本人に、長年プレーした「右サイドバック」限定で歴代日本人のトップ10を選んでもらい、その評価を聞いた。 ◆ ◆ ◆ 名良橋晃氏が選んだ右SBトップ10。鹿島で「2番」を受け継いだ内田篤人氏もランキング入りこの記事に関連する写真を見る 神出鬼没サイドバックの元祖10位 安藤正裕(元清水エスパルスほか) 清水エスパルスでプレーしていた時が一番印象的でした。とにかく
元プロレスラーで参院議員も務めた"燃える闘魂"アントニオ猪木さんが、10月1日午前7時40分、心不全のため79歳で亡くなった。 1976年6月26日、モハメド・アリ(右)との試合を終えて握手を交わす猪木さんこの記事に関連する写真を見る 猪木さんは、17歳だった1965年4月に移住先のブラジル・サンパウロで力道山にスカウトされ、日本プロレスに入門した。同年9月30日の台東区体育館での大木金太郎とのデビュー戦から、日本プロレス時代はジャイアント馬場さんとのタッグ「BI砲」で活躍。1971年12月に「会社乗っ取り」を理由に日プロを追放されると、新団体「新日本プロレス」を設立し、1972年3月6日に大田区体育館で旗揚げした。以後、引退した1998年4月4日の東京ドームでのドン・フライ戦まで、数々の歴史的な名勝負を刻み込んだ。 「猪木の常識、世間の非常識」と自身が語っていたように、新日本プロレスでは
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球「もっと目一杯投げろよ」郭泰源に石毛宏典が思っていたこと。どの球種も一級品で「どんな打者でも抑えられた」 石毛宏典が語る黄金時代の西武(4) 郭泰源(かく・たいげん)前編 (連載3:工藤公康はプロ入り拒否→根本陸夫の強行指名で西武へ。「うぬぼれが強い」左腕はいかにエースとなったのか>>) 1980年代から1990年代にかけて黄金時代を築いた西武ライオンズ。同時期に在籍し、11度のリーグ優勝と8度の日本一を達成したチームリーダーの石毛宏典氏が、当時のチームメイトたちを振り返る。 前回の工藤公康に続く4人目は、最速158kmの快速球を投げることから"オリエンタル・エクスプレス"と呼ばれ、117勝を挙げた台湾出身の郭泰源。西武に入団した当初の印象や、真っ直ぐをはじめとした各球種、少し歯がゆかったピッチングスタイルなどについて聞いた。 黄金時代の西武の主力
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球野村克也と落合博満が交流戦中に行なっていた極秘会談「なんでワシと話したがるんや?」「ノムさんしか野球をわかる人いないじゃない」 川崎憲次郎が語る「野村克也と落合博満」(前編) 1989年にプロ入りした川崎憲次郎氏は、2000年までヤクルトでプレーし、2001年にFA権を行使して中日に移籍した。ヤクルト在籍時は、野村克也監督のもと最多勝、沢村賞を獲得するなど黄金期のエースとしてチームを支えた。中日移籍後はケガで苦しんだが、落合博満監督就任1年目の2004年に開幕投手を務め、そしてこの年限りで現役を引退した。川崎氏は野村監督、落合監督の戦略と戦術を知る数少ない選手のひとりである。そんな川崎氏にふたりの共通点、相違点を語ってもらった。 1998年に野村克也監督(写真左)のもと最多勝、沢村賞を獲得した川崎憲次郎氏この記事に関連する写真を見る 守りの野球を目
――どうすればJリーグで、今日(9月18日)のような面白い(攻め合うスリルがある)試合が増えるのでしょう? 「私は日本人指導者が勤勉ですばらしいと思っているし、リスペクトしていますが......」 北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、そう前置きしてから答えている。この日の札幌は、強力な得点力で首位を走る横浜F・マリノスの本拠地に乗り込みながら、主体的なサッカーで攻め合い、0-0と引き分けていた。 「勝つか負けるかのプレッシャーのなか、『相手のよさを消して』という手堅い戦いをする傾向があるかもしれません。負ければクビになるかもしれず、無理もないでしょう。ただ、それでも強気に勝負に挑む姿勢は伝わります。マリノス、川崎(フロンターレ)は個の力も強く、パスワークも洗練されていますが、彼らを相手にした時も、『よさを消し、どうにか点をとる』のではなく、『攻めてトライする』というスタ
根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実 連載第37回 証言者・福島良一(3) 根本陸夫はいかにして西武を常勝軍団に導いたのか>> 日本のプロ野球で唯一、「ミスター・ゼネラル・マネージャー」と呼ぶべき人物──。今から31年前、メジャーリーグ評論家の福島良一は、西武球団管理部長の根本陸夫をそう評した。アメリカのゼネラル・マネージャー(GM)を熟知した立場から、常勝西武の影の功労者たる根本以外に、真のGMは日本球界に存在しないと見ていた。 では、その後の日本球界で、根本に匹敵するようなGMは出現したのだろうか。根本への取材経験もある福島によれば、皆無に等しいとのこと。GM以外の肩書きも含め、編成トップのなかでそこまでの実績を残した人物は出ていないという。そこはアメリカとは違って、日本では監督の権限が大きいからなのか──。日米の違いを福島に聞く。 監督経験のあるGMがベストではな
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球坂本勇人が堕落した最大の理由はライバル不在。広岡達朗が巨人首脳陣に「なぜ競争相手をつくらなかった」と憤慨 クライマックス・シリーズ進出どころか、最下位の可能性もある巨人。問題は山積みだが、なかでも喫緊のひとつとして坂本勇人の後継者問題が取りざたされている。 今シーズンの坂本は、まず左内腹斜筋筋損傷で開幕一軍メンバーから外れ、5月1日には右膝内側側副靭帯損傷で1カ月以上の戦線離脱。さらに、7月7日には腰痛により3度目の登録抹消。まさに満身創痍の状態で、満足にプレーできていないのが現状だ。 坂本と言えば、巨人打線のなかでも打力は抜きん出ており、ショートの守備でも安定感はいまだ健在だ。だが33歳という年齢を考えると、選手寿命のためにも守備にかかる負担を考慮していかないといけない。 今年12月で34歳になる巨人・坂本勇人この記事に関連する写真を見る 広岡が
島村誠也●文 text by Shimamura Seiyaphoto by Koike Yoshihiro,Shimamura Seiya 今年も村上宗隆(ヤクルト)が驚異の成長曲線を描いている。7月31日から8月2日にかけて5打席連続本塁打の日本記録を樹立し、8月26日には最年少で通算150号本塁打を達成。9月2日には日本人では松井秀喜以来となるシーズン50号を史上最年少で達成した。2年連続シーズンMVP、そして三冠王も視野に入るなど、圧倒的な活躍を見せている。 9月4日の中日戦で51号本塁打を放ったヤクルト・村上宗隆この記事に関連する写真を見る そんななか、村上のプロ2年目(2019年)の数字を眺めると、このシーズンが今の村上の土台になっていると感じずにはいられない。 2019年/143試合/打率.231/36本塁打/96打点/74四球/184三振/15失策 当時19歳、「将来の4番
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球中日・根尾昂の投手転向に広岡達朗は理解「前の監督は何をやっていたのか。なぜ適性を見極めるのに3年もかかった」 昨年オフ、立浪和義が中日の監督に就任し、なにかと話題を振りまいた。注目されることでチームの活性化にもつながり、新生・中日ドラゴンズが見られると大きく期待が膨らんだ。シーズン当初は勝率5割をキープし、若手の石川昂弥と岡林勇希をレギュラーに抜擢。投手の配置転換も功を奏し、「今年こそは」の期待を抱かせた。 しかし5月下旬に石川が左膝前十字靭帯不全損傷によりシーズン絶望。京田陽太、高橋周平が極度の打撃不振とケガにより二軍降格。投手陣も、セットアッパーの岩嵜翔が移籍後初登板を果たすもわずか4球でアクシデント降板し、ローテーション投手として期待された勝野昌慶は絶不調。気づけばセ・リーグ最下位に甘んじている。 今年6月に野手から投手に転向した中日・根尾昂
webスポルティーバ野球の記事一覧MLBMLBイチローが「孤独だった」と振り返った過去。チームメイトに誤解されても「負けるのはあり得ない」と貫いた信念 「言葉とは『何を言うか』ではなく、『誰が言うか』ではないですか」 現役時代のイチローさんがよく言っていた。いま振り返れば、イチローさんのマリナーズでの歩みとは、この発言を自らの行動で実証するためのものだった気がする。どんな状況に置かれても、自分がやるべきことをやろうとした。そしてその毎日の積み重ねは今も続いている。 マリナーズの球団殿堂入りセレモニーに参加したイチロー氏(写真左)と弓子夫人この記事に関連する写真を見る 本気でやらないと伝わらない 引退後から昨年まで、地元シアトルでナイターがある日には、誰よりも早くウォームアップを開始した。それは若手の早出特打で球拾いを手伝い、さらに彼らの室内打撃練習で投手役を務める準備だった。自宅では、暇さ
webスポルティーバサッカーの記事一覧海外サッカー海外サッカーモロッコでも解任されたハリルホジッチに真相を直撃「裏表のある人間は大嫌いだ」。日本代表監督解任劇にも言及 私はヴァヒド・ハリルホジッチのことを選手時代から知っている。扱いにくく、気まぐれで、同時にすばらしい才能の持ち主だった。 ハリルホジッチはモロッコ代表を率い、カタール行きの切符を手にしたものの、またしても本大会直前で代表のベンチから追いやられた。多くの人が、ハリルホジッチは解任されるべきではなかったとも言っているが、こうした処遇は何もこれが初めてではない。 2010年にはコートジボワール代表を南アフリカW杯に導き、2018年には日本代表にロシアW杯出場権をもたらしたが、どちらも大会前にクビを切られている。また反対に、自ら突然、監督の職を辞することも一度ならずあった。リールやディナモ・ザグレブでは、チーム幹部との折り合いが悪く
水道博●文 text by Suido Hirohiphoto by Sankei Visual,Sportiva 日本人選手最多の3021試合に出場し、捕手としてメジャー最多出場を誇るイバン・ロドリゲスの2427試合を上回る2963試合でマスクを被った谷繁元信氏。プロ野球選手として、世界中の誰よりも多くの球を受けてきた名捕手が選んだ「魔球」とは? 通算3021試合に出場し、2963試合でマスクを被った谷繁元信氏この記事に関連する写真を見る カットボールのパイオニア 2002年に中日に移籍した際、川上憲伸の球を受けた時の第一印象は「迫力ある投手だな」ということだ。そんな長身ではないが(180センチ)、角度もあるし、リリースの位置がかなり捕手寄りだった。 なにより憲伸の代名詞は"カットボール"。メジャーを代表するクローザーのマリアノ・リベラ(元ヤンキース)のカットボールを参考に開発したそうだ
牛島和彦インタビュー(前編) 浪商高校(現・大体大浪商)時代は「ドカベン」香川伸行氏とともに甲子園のアイドルとして一世を風靡し、中日入団後は"魔球"と呼ばれたフォークを武器に先発、リリーフとして活躍した牛島和彦氏。投手陣の中心として順風満帆なプロ野球人生を送っていたが、1986年オフに牛島ら4人と落合博満氏による「1対4」の衝撃のトレードが行なわれた。ロッテでもセーブ王、先発としても2ケタ勝利を挙げるなど投手陣を支えたが、ケガにより32歳の若さで現役引退。その後、2005年に横浜(現・横浜DeNA)の監督に就任。わずか2年ながら3年連続最下位のチームをAクラス入りさせるなど手腕を発揮した。そんな波乱に満ちた野球人生を牛島氏に振り返ってもらった。 高校時代は香川伸行氏(写真左)との黄金バッテリーで人気を博した牛島和彦氏この記事に関連する写真を見る 「甲子園のアイドル」だった頃── 浪商高校時
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球村上宗隆と清宮幸太郎との間になぜ決定的な差が生まれたのか。広岡達朗は「選手は入った球団によって野球人生が決まる」 いよいよ佳境を迎えるプロ野球だが、最大の関心事といえば、現在(8月9日現在)ホームラン39本の村上宗隆(ヤクルト)がシーズン本塁打記録(60本)を超せるのか、はたまた三冠王を達成できるのかである。 7月31日の阪神戦(甲子園)から8月2日の中日戦(神宮)にかけて、村上は5打席連続本塁打の日本記録を樹立。それに触発されたのか、8月3日に清宮幸太郎(日本ハム)が12、13号と1試合2本塁打を放った。 村上と清宮は同級生で、互いにプロ5年目の左打者。ヤクルトは2017年のドラフトで清宮を1位で指名するも7球団競合の末に抽選で敗れ、外れ1位として3球団から指名を受けた村上の交渉権を獲得した。 2004年の松中信彦以来となる三冠王を目指すヤクルト
「今、よく(ピッチングの)勉強をするようになって、打者と対戦するのが楽しみ。どう抑えるかっていうのを考えるのが楽しい」 そんな言葉は、ダルビッシュ有の今季の充実ぶりを物語っている。サンディエゴ・パドレスのエース格として先発ローテーションを守るダルビッシュは、8月2日(現地時間。以下同)のコロラド・ロッキーズ戦を終えた時点で10勝4敗、防御率3.30。先発した20試合中、16戦がクオリティスタートと安定した投球を続け、2017年以来となる2ケタ勝利を達成した。 8月2日のロッキーズ戦で10勝目を挙げたダルビッシュこの記事に関連する写真を見る 日本人選手では、投打で活躍する大谷翔平に注目が集まりがちだが、ダルビッシュの投球内容も特筆されて然るべきだ。 7月27日のデトロイト・タイガース戦では7回を2失点に抑えて今季最多の11奪三振。2ケタ奪三振は日米通算で101試合目(NPBで52試合、MLB
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球「球史に残る5人の名投手」をジャッジ歴35年の杉永元審判員が選出。「野球を8イニングに変えた男」がいた 昨年までプロ野球の審判を務めた杉永政信氏。ジャッジ歴35年はNPB史上4位タイの長さである。そんな超ベテラン審判員だった杉永氏に、これまでジャッジしてきたなかで「印象に残っている投手5人」を挙げてもらった。審判員が選ぶ「名投手」の条件とは? 日本人選手初の「100勝・100ホールド・100セーブ」を達成した上原浩治この記事に関連する写真を見る上原浩治(元巨人ほか) 「絶対に抑える」「絶対に勝つ」という観点からすれば、上原浩治投手は本当の意味で最強の投手でした。日本球界唯一の「100勝・100ホールド・100セーブ」を達成したように、先発、中継ぎ、抑えで実力を発揮した稀有な存在です。 9イニング平均与四球率2.00個で抜群のコントロールと言われると
Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由 京都サンガF.C. ピーター・ウタカ インタビュー 後編 前編「ウタカが語る日本とJリーグ」はこちら>> 中編「ウタカが考えるストライカー像」はこちら>> オフのファッショナブルな姿をインスタグラムで公開し、自身のブランドも展開している、京都サンガF.C.のピーター・ウタカ。インタビュー後編では、そのファッションの話や、ミッキーマウスのようなあのお団子ヘアのエピソード、そして将来の展望も聞いた。 ◆ ◆ ◆ お団子ヘアが話題を呼んでいるピーター・ウタカ(右)この記事に関連する写真を見る 自身のブランドを展開「子どもの頃から、身なりには気を使っていたんだ。そのままずっと、ファッションに興味を持ち続けているよ。プロになる前は洋服にお金をかけることができなかったけど、別に高いものだけがいいというわけではないよね。 ファッションは、いろんなものをミッ
Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由 京都サンガF.C. ピーター・ウタカ インタビュー 前編 中編「ウタカが考えるストライカー像」はこちら>> 後編「ウタカのお団子ヘアの秘密」はこちら>> Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、生活をどう感じているのか? 今回は京都サンガF.C.のストライカー、ピーター・ウタカをインタビュー。長く活躍できる秘訣や、日本の印象を聞いた。 ◆ ◆ ◆ 日本のサッカーファンに特別な感情を抱いているピーター・ウタカこの記事に関連する写真を見る 自分の体をプロフェッショナルに扱っている ピーター・ウタカはサンフレッチェ広島に所属していた6年前、J1で19ゴールを挙げて得点王となった。32歳の頃だった。 その4年後には、京都サンガF.C.のエース
webスポルティーバサッカーの記事一覧Jリーグ他Jリーグ長年点をとり続けるピーター・ウタカが考えるストライカー像。「ひらめきを感じ、即興的にプレーする必要がある」 Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由 京都サンガF.C. ピーター・ウタカ インタビュー 中編 前編「ウタカが語る日本とJリーグ」はこちら>> 後編「ウタカのお団子ヘアの秘密」はこちら>> 2015年に初めてJリーグに来て以来、日本での「すばらしい生活」を続けているという京都サンガF.C.のピーター・ウタカ。インタビュー中編では、ストライカーとしてプレーするようになった経緯や、FWとしての彼の考えを聞いた。 ◆ ◆ ◆ プロになる前に、得点力を磨いたというピーター・ウタカこの記事に関連する写真を見る 参考にしたのはブラジルのロナウド「ナイジェリアでは、子どもが生まれて歩くようになったら、すぐにボールを渡されるんだ。僕の
中国代表は、登録メンバー24人中22人を23歳以下の若手選手で固めていた。国内組の日本より、純然たるA代表から遠そうなチームだった。アレクサンドル・ヤンコビッチ監督のサッカーが、こちらの目をひく優れたサッカーをしていたわけではない。日本にとって2-0ないしは3-0に準ずるスコアで勝たなければならない試合だった。 決定的なシュートを外しまくったわけではない。惜しいチャンスと言えるのは、細谷真大が脇坂泰斗の洒落たアウトサイドパスを受けながら、決めきれなかったシーン(後半8分)ぐらいで、0-0は必然性のある順当なスコアと言えた。 中国が健闘したと言うより、日本が勝手にズッコケた試合。もう少し言うならば、森保一監督の監督としての能力に、またしても限界を感じた試合となる。 中国に引き分け、憮然とした表情の日本代表の選手たちこの記事に関連する写真を見る 4-2-3-1の1トップに起用した初代表の細谷は
webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球宮本慎也が選ぶ歴代&現役No.1遊撃手は?「プロレベルに達している選手の3倍ぐらい守備範囲は広かった」 プロ野球において守備の華とも言える遊撃手のポジション。各チームの守備自慢が集うこのポジションで、No.1のディフェンス力を誇る選手は誰なのか? 90年代のヤクルト黄金時代を支え、ゴールデングラブ賞を10回獲得した(遊撃手6回、三塁手4回)名手・宮本慎也氏に、これまで見てきたなかで最も上手いと思った遊撃手、また現役選手で一番上手いと思う遊撃手について語ってもらった。 ゴールデングラブ賞4回の受賞を誇る小坂誠この記事に関連する写真を見る なんであの打球に追いつけるの? 評価というのはその人の好みで変わってくるので、意見は分かれると思うのですが、「うまいな」と感じる遊撃手はたくさんいました。川相昌弘さん(元巨人ほか)は僕が目指したところですし、進藤達哉
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ゴタゴタ続きのACミラン。さらなる戦力ダウンは必至?|集英社のスポーツ総合雑...』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く