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2019年の年間占いをやってみました。 日本では元号が変わる年となった2019年ですが、星占い的にも天王星という、約7年ほどの「時代」を象徴する星が星座を移動する、節目的な年と言えます。 更に言えば、木星は射手座に、土星は山羊座に位置しているのですが、この2星の配置は言わば「自宅」です。木星と土星はロングスパンの時間を司る星々なのですが、それらがもっとも純粋な自分で居られる場所にいることで、やはり「時代」というものにある種のリセットが行われるような時間、というイメージがわいてきます。 日々、めまぐるしく流れていく時間に追われ、私たちはなかなか、5年、10年といったロングスパンの時間を「体感」できません。でも、今年は多くの人が不思議と、過去と未来に跨がる長期的な時間の意識を持つのではないかという気がします。時間というものが今この瞬間だけのものでなく、私たちも日々刻々と変化を遂げ、誰もがいつか
お待たせしました、年報です! 相変わらず自分勝手な占いで、誠に申し訳ありません。 上のリンク先で「表示がオカシイ!読めない!」という方は、こちらをお試しください。 もう少し簡単にまとめてほしい! という皆様には、こちらをご覧戴ければと思います。タダです。 もう少し具体的な占いはこちらでお読み頂けます。 2017年のおわりに土星が動き、2018年には天王星も動き出すので、全体にかなりハデで、ロングスパンの雰囲気もある内容になっています。 例年通り、わかりにくい上、ナゼか今年はマンガやゲームの比喩が多く(爆)、書き手の日常推して知るべしでございます(汗) もとい、漫画とゲーム、素晴らしいですよね! 辛い日々をずいぶん助けられました(涙) 木星が蠍座に滞在する2018年、私たちの生命の奥深くからわき上がる、大きな「よろこび」が、テーマの一つとなるのではないかと思います。 美味しいものを食べるよろ
2017年 みずがめ座の空模様。 あちこちで何度も書いていて恥ずかしいのですが 私は児童文学の『ドリトル先生』シリーズが大好きです。 動物語の話せる獣医であり、精力的な博物学者でもあるドリトル先生は 作中、よく旅行に出かけます。 といっても、飛行機に乗ってびゅんと飛んでいく、 というような旅ではありません。 ドリトル先生はまず船をチャーターし、 そこに食料や実験道具を積み込んで、 家族の動物たちを乗せて、旅に出るのです。 目的地も、よく知られた場所ではなく、 病気に困っている動物たちに招かれて行く「秘境」であったり、 遭難してたどり着いた海のど真ん中だったりします。 ドリトル先生は、旅に出るにあたり その目的地を決めるのに、あるゲームをしました。 それは、地図帳をもってきて、自分は目隠しをし、 ランダムにばらばらとめくって、その上にエンピツの先を突き立てて そこがどこだろうと、その場所に向
2017年 さそり座の空模様。 「過去は変えられない」 と信じられています。 でも、実際「過去」ほどに コロコロ変わっていくものもないような気がします。 たとえば「石碑」が建てられるのは その一つの証拠なのかもしれません。 どんなに偉大なことも、 どんなに大きな出来事も、 人間の生きる時間の流れの中では おどろくほどすぐに忘れられてしまいます。 それをよく知っていたからこそ 昔の人々は「石碑」を建てたのだろうと思います。 その石碑も風雨にさらされ、文字が削られて やがて読めなくなり、うちくだかれて 忘れられてしまうことになります。 忘却や記憶違い以外にも 「過去の変化」はあります。 たとえば、私たちは今が望ましい状態だと 「過去に起こったことはみんな、 この望ましい状態に至るための、 必然的な道のりだったのだ」 と考えます。 一方、今が望ましくない状態ならば 「過去に何か原因があったのだ」
※スマホからは、こちらのほうが見やすいかもしれません。 おひつじ座 おうし座 ふたご座 かに座 しし座 おとめ座 てんびん座 さそり座 いて座 やぎ座 みずがめ座 うお座 今年も年報出来ました! 相変わらずわかりにくい、自分勝手な自己満足占いですみません。 もう少し具体的な占いはこちらでお読み頂けます。 2016年は何とも大変な1年で、 ずっと安心して体重をかけて寄りかかっていたフェンスや石垣が ボロボロと崩れるような場面が多かったように思います。 柔軟宮のグランドクロス、というイメージが強かったわけですが 2017年は活動宮に星が向かって行く みたいなイメージで、 「崩れる」世界から徐々に「起ち上げる」世界へと シフトしていくのかなあと想像しています。 といっても土星はまだまだ射手座にあって、 天秤座の木星とやりとりしながら 「コミュニケーション」を試み続けて行くのではないか、とも思えま
2017年 ふたご座の空模様。 NHKのテレビ番組で 横尾忠則さんが、小学生に絵を教える という企画があったそうです。 https://www.1101.com/essay/2011-11-09.html 以下は、上の記事に紹介されていることの「又聞き」です(すみません)。 横尾先生はまず、子どもたちに 「好きな絵」を一枚持ってくるように、と指示しました。 横尾先生は、子どもたちが持ってきた絵を 忠実に「模写」させました。 次に、今度は何も見ないで 記憶だけを元に、その絵をもう一度描かせました。 すると、子どもたちは 「絵に変更を加えたい」 と言いだしたのだそうです。 横尾先生はそれを承認し、奨励しました。 すると、子どもたちの絵はどんどん変化して 個性溢れるものになっていったのでした。 これは大変おもしろいことだな、と思いました。 「自由に、好きなように絵を描きなさい」 と言ったとき、
2017年 うお座の空模様。 2017年は魚座の人にとって「ギフト」の年です。 ギフトの特徴は、 「中味を自分で選べない」 ところにあります。 ギフトの中味を決めるのは、あくまで「贈り主」です。 ギフトを贈られたら、 ドキドキしながらリボンや包装を解いて、 そっと中味をとり出して、 贈られたものがなんなのか、 まずはよくよく確かめなければなりません。 そして、自分の生活のなかのどこに「填め込む」か それを考える必要があります。 ギフトの中味によっては、 ギフトに合わせて自分の生活全体を変えることになる というようなケースもないではありません。 たとえば、家屋敷をもらって住む場所が変わる、 というような場合です。 あるいは、生まれたばかりの子猫や子犬を譲り受けても たぶん、生活習慣はがらっと変わることでしょう。 子犬をもらってから、毎日犬の散歩に出るようになり 早寝早起き、運動の習慣がついて
2016年 おひつじ座の空模様。 たとえば。 貴方は今、長い長い階段を 時間をかけてずっと一人でのぼってきたところです。 もう数段先に、 目指していた場所が見えています。 このままのぼっていけば、そのまま その場所にたどり着くでしょう。 これまで階段をのぼりながらずっと 心の中で、目指し続けていた場所です。 ここまでのぼってきてしまったら、もはや 「どう進めばいいか、わからない」 というようなことはありません。 少なくとも、その場所にたどり着いてしまうまでは 一本道です。 そんな場所まで来て、 貴方はふと、足を止めます。 上ばかり見ていた眼差しを、 背後や、足元にうつします。 これまでのぼりつづけてきた階段を下に見下ろし、 手の中や足元、背負ってきたカバンの中を つぶさに見つめたい気持ちになるのです。 これは、感傷ではありません。 センチメンタルな「振り返り」ではありません。 上へ、上へと
2016年 てんびん座の空模様。 蝶々はきれいだけれど、蛾は苦手 という人は、少なくないと思います。 同じような形の虫なのですが イメージは明らかにちがいます。 でも、他の文化圏では 蝶も蛾もおなじ言葉で言いあらわし、 イメージにも特に区別がないところもあるのだそうです。 言葉と観念の結びつきは、 そんなふうに、けっこう、あやふやです。 平安時代の物語などを読むと よく、祈祷の話が出てきます。 人が病気になると、 祈祷をして治そうとするのです。 現代的なまなざしで見ると、 有効な医療がないために、 なすすべもなく呪術的な方法にすがるしかなかったのだろう というふうにも見えるのですが、 もしかしたら、病気というものの捉え方自体が まったくちがっていたのかもしれない、 という気もします。 つまり、現代の私たちは、 病気を、身体という物理的なものの異常と考えますが、 昔の人から見ると、病気は「身
2016年 いて座の空模様。 射手座の人は、たいていは友だちや仲間に恵まれていますが、 「一人で行動したい」という気持ちも 胸に秘めているところがあります。 射手座は「狩り」の星座です。 チームで行う狩りもありますが、 やはり、獲物と一対一で向き合い、 誰の手柄なのかハッキリしている、という勝負のほうが スッキリするところがあるのかもしれません。 ですから、2016年は基本的に 「一人で活躍する」ことが求められる と言われても、 特に、怖くなったりはしないだろうと思います。 単独行動の自由という楽しさを 貴方は元々、よく知っている人だからです。 2015年中程から、 射手座の人は「大活躍」の時期に入っています。 大舞台に立って注目され、 褒められたり、かつてとはちがう人間関係を得て、 自分でも、自分自身の可能性に 新しい眼差しを向けるようになっているところではないかと思います。 そんな活躍
2016年 おうし座の空模様。 なにかをかわいがったり、育てたり、 世話を焼いたり、愛したりするとき、 私たちはいったい、 何を得ているのでしょうか。 これを言葉で説明するのは ちょっと難しいようにも思われます。 見返りがほしくてやっていることはもちろん、 「愛」とは呼べないわけなのですが だからといって、 何も得ていないわけでもありません。 むしろ、何かを愛することによって 「人生において望めることのすべてを得た」 と感じる人だって、おそらく、いるはずです。 これは、 「世話をしたり愛したりした対象が、お礼に何かをしてくれた」 ということではありません。 ただ惜しみなく何かを与えるということそれ自体が 私たちに「なにごとか」をもたらすことがあるのですが それが一体どういうものなのか、 それを言葉にすることは、とても難しい ということなんだろうと思います。 たとえば、 私は子どもの頃、犬を
2016年 やぎ座の空模様。 「モンテ・クリスト伯爵」 という小説が私は大好きなのですが 2016年の山羊座の星回りを見ていて、 この作品のことが頭に浮かびました。 船乗りの青年、エドモン・ダンテスは、 仲間の裏切りから無実の罪を着せられて、 投獄されてしまいます。 牢の中で、エドモンは一人の老司祭と出会い、 高い教養を授けてもらった上、 隠された宝の秘密を教えられるのです。 司祭が病死すると、 死体を入れる袋に自分が入れ替わって入り込み、 死体袋は海に投げ込まれて、そのまま脱獄に成功します。 密輸船の船乗りになった彼は虎視眈々と機会を狙って、 やっと、あの宝物の隠された 「モンテ・クリスト島」に上陸するのでした…。 宝は岩でおおわれた洞窟の、 さらに奥深くに隠されていました。 もし、彼が何も知らずに偶然、 この洞窟を見つけたとしたら、 宝に到達することは出来なかったでしょう。 どのように
2016年 しし座の空模様。 「好きなものはなんですか?」 と聞かれたときと 「愛しているものはなんですか?」 と聞かれたときとでは 答えは、かなりちがってくるでしょう。 「愛する」といったとき、 すぐに恋人やパートナー、子どもなど 「人」を思い浮かべる向きもあると思いますが、 たとえば 「あの人は音楽をこよなく愛していた」とか 「映画を心から愛している人たちの集まり」など、 人以外のものを深く愛する場合もあります。 「好きなもの」は、嫌いになることも出来ますが 「愛するもの」なら、 自分から切り離すことは難しく思われます。 価値観の相違から別れてしまったカップルであっても、 相手への愛情はずっと残っている場合があります。 憎しみあって分かれた場合ですら、 心のどこかで、 微かな愛情をぬぐい去れないことだってあるのです。 子どもの笑顔を見るのが生きがいです! と言う人もいますが、 子どもが
2016年 かに座の空模様。 先日あるWebサイトで こんな一文を見かけました。 勉強が続かないと悩んでいる人は、 まず、三日分の勉強の計画を立ててみて、 それをあらためて、七日間に割り振りなおしなさい、 というのです。 やろうと思っていることがあっても、 それが三日坊主に終わってしまうのは、 自分が「出来ると思っている」量と、 現実に「出来る」量とが、 ズレているから、なのだそうです。 なるほど、という気がします。 これくらいやれば、頑張っていることになる。 これしかできないのは、頑張っていることにはならない。 私たちは自分自身を省みて、 あるいは、他人と自分を比べて、 自分の「頑張り」を評価します。 ハタから見れば充分以上に頑張っている人が 「自分は怠け者だ」と落ち込んでいる場合もあります。 もっとできるはずなのに、と思いながら 常に目標を達成できないでいる人もいます。 こういう場合は
2016年 みずがめ座の空模様。 自転車で走る時は 手足の力を使います。 自分自身が、動力です。 一方、ヨットで海の上をゆくときは 風の力を使います。 いかだで川を下るなら、 水が流れる力で動きます。 もちろん、水や風の力を自分の望むように使うには、 制御するための力や知恵、道具が必要です。 でも、人間が両腕でオールを漕ぐよりも ずっとスピードが出ますし、 楽に遠くまで行けます。 「自己責任」という言葉が一般的になり、 どんな話も 「自分の問題は自分の力でなんとかすべき」 という結論に至ることが多いようです。 自分の力しか信頼することは出来ない、 他人に頼ることは甘えであり、悪である、 と考える人も、どうやら、少なくないようです。 でも、自分一人で出来ることには自ずと、 限界があります。 更に言えば、人間という存在はそもそも、 風や、水や、火や、動物や、他者の力などを動かすことによって こ
2016年 うお座の空模様。 富士山にのぼった人が帰ってきて、 近所の人にその話をしました。 富士山から見る景色は最高でしたよ、と話すと、 近所の人は、 「うちの物干しは見えましたか?」 と尋ねました。 相手は怪訝な顔をして、 「いや、お宅の物干しは、みえないですねえ」 と答えると、近所の人はこう言いました。 「おかしいなあ、うちの物干しからは、 富士はみえるんですがね」 これは、落語の小話です。 富士山から、江戸の物干しが見えるわけはないのですが、 江戸にいる人からすれば、 自分の家の物干しからは確かに、 富士山のてっぺんが見えるので、 おかしいな、とおもったわけです。 なぜ、こちらからは見えるのに あちらからは見えないのか。 ちょっと考えればすぐに、 それは、もののスケールを無視しているからだよね、 と解ります。 でも、このご近所の人の「感じ方」には、 どこか、「ムリもないなあ」という
おひつじ座 おうし座 ふたご座 かに座 しし座 おとめ座 てんびん座 さそり座 いて座 やぎ座 みずがめ座 うお座 今年もやってみました、2016年の星占いです! 木星・土星・海王星のミュータブルのTスクエアから、 9月を境に木星・冥王星・天王星のカーディナルのTスクエアへと、 雰囲気がバキッとかわるのが2016年の面白さです。 マーブル状に、色々なものが入り交じりつつ変容していく夏までの時間と、 ハッキリと新しい方針を打ち出して「攻める」姿勢に入る秋からの時間、 というふうに、コントラストの強い流れとなっています。 変容から、始動へ。 「迷い」は、一般に敬遠されがちですが、 「迷い」のなかからしか生まれてこない方向性というものもあるんだと思います。 多くの人が2016年、 「迷ったからこそ見つかる道」を見いだすことになるんじゃないかと思います。 相変わらずわかりにくい占いで恐縮ですが 今
2016年 おとめ座の空模様。 「自分」は、自分で思うよりもずっと 外から流れ込んでくる色々なもので出来ています。 目や、耳や、鼻や、皮膚や、舌や、 そのほか、もっと様々な形で流れ込んで来るものが 私たちの「自分」を形づくっています。 たとえば、人間関係にちょっと問題が起こっただけでも 私たちの心は、全く違う色合いに変わってしまったりします。 遠く離れた場所でのショッキングなニュースが 頭の中を支配してしまうこともあります。 緑色のカーテンに心が落ち着いたり、 心地良い風に心が和んだりしているのを 自分では、気づかないこともあります。 意識の上で分かることもあれば、 ほとんど意識にのぼらないのに 私たちの内なるものに多大なる影響を与えている、 そんな条件も、たぶん、たくさんあるんだと思います。 自分の中に「入ってくるもの」が 自分をどう変えていくのか、ということについて 私たちは、けっこう
2016年 さそり座の空模様。 「愛」「お金」「将来」 という3つの言葉から たくさんのドラマが思い浮かびます。 「愛さえあれば、お金なんか要らない」 とはほとんど普遍的と言っていいセリフですし、 「愛とお金を天秤にかける」ようなストーリーは いつでも(なぜか)人気があります。 また、「愛」は恋愛に限りません。 「好きなことをやっていきたいけど、 それでは食べていけないかもしれない」 といった苦悩もまた、 多くの人が実際に経験するドラマです。 これも、愛(好きなこと)とお金と将来(食べていくこと) が複雑に絡み合っています。 愛という理想があり、 お金という現実があり、 未来という可能性がある。 2016年の蠍座を巡る星の配置は、 まさにこのとおりです。 愛の部屋に理想の星があり、 お金の部屋に現実の星があり、 将来の部屋に可能性の星があるのです。 さらにもう1つ、 「自分自身」の場所には
2015年 てんびん座の空模様。 未来のことを計画しようとするとき、 私たちは無意識に、 過去を振り返るものではないかと思います。 経験上、それは上手くいくのか。 同じような場面は、過去にあっただろうか。 今まで辿ってきた道のりの中に、 目の前に在る景色と重なる風景を探そうとします。 これは、「心の中」だけで起こることではありません。 たとえば、何かを学ぼうとするとき 私たちはしばしば、その歴史を辿ります。 「どういう成り立ちか」を知ることで、 未来に向かうベクトルを掴むことができるわけです。 人と関わる時も、 相手のことを「もっと知りたい」と思えば その人が過去に経験したことを話してもらいたくなります。 その人が辿ってきた道のりを、 自分でも疑似体験することで その人に近づけた気持ちになれるのです。 人生では、しばしば 向き合うべきテーマを回避したとき、 少し後で、また同じテーマを含んだ
2015年 やぎ座の空模様。 ある若い研究者が、ヨーロッパに留学した際 以前から尊敬していた高名な学者に偶然、知己を得て、 その部屋に招かれました。 その高名な学者はかなり歳を取っており、 あまり外に出ることもなくなっていました。 古いアパートの書斎に閉じこもり、 孤独な生活をしていると聞いていたので 研究者はおそるおそる、彼の自室を訪ねました。 世間から遠ざかった寂しい独り暮らし、 というイメージを描いていた彼は、 書斎を訪ねてみて、その先入観を覆されました。 書斎で彼を出迎えたその学者は、 溢れんばかりの知識と好奇心に満ち、 世の中の動きにも敏感に反応し、 実に生き生きと「生きて」いたのです。 彼の頭には今も新しいアイデアやイメージがこんこんと湧き出ていて そのあたたかな感情と新鮮で豊かな知性に触れ、 若い研究者は、狭い書斎を壮大な宇宙のように感じたのでした。 私たちの精神や感覚、感情
2015年 うお座の空模様。 「デビュー」するような年です。 「デビュー」は、一見、華々しいイメージのある言葉ですが、 フレッシュな輝きを放つ一方で 「まだ確たる実績は無い」 「まだ出来上がってはいない」 「これからポジションのナカミを創り上げていく」 という、不安定さを感じさせる言葉でもあります。 未完成であり、 「これから」という空白に 何かを一生懸命詰め込んでいこうとする 切ないような初々しい気迫をはらんでいます。 この「デビュー」は、勿論、比喩です。 また、今の魚座の人が、何の実績も持っていない と言いたいのではありません。 貴方はすでに大きな実績を上げ、 充分以上に高い評価を得ているだろうと思います。 ですがたとえば、まったく新しい立場に立ったときや、 見知らぬ人を前にしたときは、 そこでの実績や評価は、ゼロからスタートします。 ある地域で成功した後、 別の地域で新しく活動を始め
2015年 ふたご座の空模様。 ある作品を作ろうとしたとき、 たいていは、まず、頭の中で構想を練ります。 素晴らしい作品のイメージが浮かび、 それを元に、いざ、創作に入ります。 しかし、最初にそこにたちあらわれるものは、 頭の中にあったのとは全く別の、 いかにも陳腐で味気ない、ありふれた物にしかなりません。 こんなはずじゃないのに、と少し頑張って見ても ちっともイメージに合うようなものができないので 半分も行かないうちに、 創作をやめてしまいたくなります。 もういいや、とほっぽり出して、 もっと別のことを始めたくなったりします。 でも、そのとき、ふと、思いとどまるのです。 「とにかく、陳腐でもいいから、ひとつ、形にしてみよう」。 こうして出来上がったものが、 新しい世界へ進むための、輝かしい「第一歩」となります。 2015年、双子座の人々は、 苦労して集めてきた粘土で、壺を作りはじめます。
2015年 おひつじ座の空模様。 もしも、ロミオとジュリエットが 行き違うことなく、上手に連絡をとりあい 手を携えて逃げおおせることができたなら どんな生活が待っていたでしょうか。 出会いがあり、恋が生まれたそのあとには 繰り返される「日々」が巡ってきます。 秘密の玉手箱の中に育まれた濃密な心の物語が、 見知らぬ人々の住む世界の、冷たい外気に触れたとき 恋人たちは燃え立つ感情の内側に 新しい、揺るがぬ理想を必要とするはずです。 恋は二人だけのものではなくなり、 閉じた恋の世界は外側に開かれ、 二人のまわりに、新しい「世界」が出来上がったはずです。 2015年の牡羊座の世界では、おそらく 「ロミオとジュリエットが逃げおおせたあとの生活」 を形作るような作業が生じます。 もちろん、牡羊座の人々すべてが 2014年に熱い恋のドラマを体験したわけではないでしょう。 でも、多かれ少なかれ、なにかしら
2015年 おとめ座の空模様。 かつて華やかに栄えていたけれども、 今ではちょっと寂れてしまった商店街に、 あるきっかけを得て突然、 若者達の運営する新しいお店が続々と入ってきたら 最初から商店街にいた人々は、 どんな反応を示すでしょうか。 「活気が出てきてよかった!」と言う人もいれば 「以前と雰囲気が変わってしまっていやだ」という人もいるでしょう。 「この商店街の個性が崩れる」と考える人もいるでしょうし 「そもそも、この商店街の個性とはどうあるべきか」と 問題提起をする人もいるかもしれません。 2015年は、乙女座の人々の住む世界に 「新しいものがどどどっと流入する」 ようなことが起こりそうです。 これまでの乙女座の人々が 「寂れかけた世界に棲んでいた」という意味では勿論、ありません。 今までもちゃんと、豊かで忙しく、 生命力に溢れていたと思うのですが、 そこに、 「まだ見たことのないも
2015年 おうし座の空模様。 「おはようございます」と言えば 「おはようございます」と返されます。 「よろしくお願いします」とか 「お邪魔します」「お世話になります」など、 私たちは他者と相対したとき、 あらかじめ取り決められた言葉でコミュニケーションします。 挨拶言葉や礼儀、マナーなどは、 人と人との関わりがスムーズに行くように私たちを守る、 言わば、おまんじゅうの皮のようなものです。 餡を素手で掴んだら、 指がべとべとしますし、形も定まらず、 大変食べにくい状態になります。 その餡が薄いおまんじゅうの皮で包まれていることにより、 扱いやすく、食べやすくなるわけです。 あまりにもあんこが盛りだくさんだと おまんじゅうをそっと掴んだつもりでも、 予期せぬ横っ腹からナカミが「にゅっ」とはみ出てきます。 「はち切れんばかりに元気」 「溢れんばかりの愛情」 「こぼれる笑顔」等々、 本来「中」に
2015年 いて座の空模様。 音楽のライブDVDなどを購入すると、 たいてい「特典映像」がついています。 そこには、客席からはうかがい知ることのできない舞台裏や、 出演者の「素顔」が映し出されていて、 時には、出演者が体調を崩していたこととか、 大きなトラブルを乗り越えてパフォーマンスが成立していたとか そんな意外なストーリーが語られることもあります。 表舞台の、美しく作られた姿からは想像できないエピソードに触れると 私たちはたいてい、その出演者達をもっと好きになります。 舞台の上に立っている人が キラキラしたスポットライトを浴びて、 輝くような笑顔でなにかを演じているとき、 私たちは 「演者は心から楽しんでいるのだ」 と信じます。 でも、その笑顔の裏では、技術的な問題を考えていたり 観客には全くわからないような事を気遣っていたり、 身体の痛みに耐えていたりします。 そうしたことは「特典映
2015年 みずがめ座の空模様。 お見合いや面接の席では、 お互いを評価し合うことになります。 相手とのあいだには距離があって、 心の中には冷厳な天秤が揺れています。 一方、同僚やチームメイト、パートナーであれば、 「評価し合う」ことよりも、 どうサポートするか、どうカバーし合うか、 ということが眼目になります。 そこには「冷厳な天秤」はありません。 あったとしても、その天秤は、 面接やお見合いの席とはちがった目的で用いられます。 2015年、水瓶座の人々は 「評価し、評価される」世界から 一歩外に出ることになります。 人からどう認められるか 人にどう認めさせるか ということは、過去2,3年の中で 貴方にとってとても大事なテーマだっただろうと思うのですが、 2015年はそうした、距離を置いた関わり合いから 抜けだして行くことになるのです。 そして、変わって新しく立つことになるのが、 チーム
2015年 さそり座の空模様。 私たちは、まるごとで一つの「自分」だと感じています。 でも、その一方で、 「欠点」や「長所」といった言い方にもあらわれているように、 いろんな「部分」が集まった集合体として「自分」がある、 と感じてもいます。 たとえば後者のようなイメージで貴方自身を捉えたとき、 2012年頃からのプロセスを通して、 貴方という集合体を構成する「部分」が今、 以前に比べて、格段に増えたのではないでしょうか。 2015年は、蠍座の人にとって 「自分」の価値がわかってくるような時間帯です。 「自分の価値」とは、時給のような「市場価値」のことではなく、 いわば「自信」のようなものです。 それは、前述の 「自分を構成するいくつもの部分」が増えてきて、 さらに、そのうちのどれを育てればいいかがわかる、 ということを意味します。 2015年、蠍座の人は 「自分が何者なのか」を知り、 何を
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