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終末医療という言葉がありますが、この「終末」という言葉の明確な定義は存在しないようです。言葉から容易に想像できるように、終末医療とは死にゆく人に提供される医療のこと、そう漠然と捉えるよりほかありません。本項では「死にゆくための医療」と呼ぶことにします。 日本で終末医療といえば、がん患者における緩和ケアを思い浮かべる人も多いと思いますが、人は必ずしもがんで亡くなるわけではありません。これまで、医療の目的は多くの場合で健康の維持、疾患の治癒にありました。しかし、超高齢化社会と変貌を遂げつつある現代日本において、様々な理由で治療が望めない疾患を有する超高齢者、別言すれば、死にゆく人に対して、医療者はどのように向き合えばよいのでしょうか。こうした問い対する示唆は多くはありません。 2017年11月、医学書院から出版された「いのちの終わりにどうかかわるか」という本を読みました。 いのちの終わりにどう
(※スライド資料をざっと文字に書き起こしたので誤字脱字など悪しからず…。) [PPIの有効性] 胃酸分泌は、アセチルコリン、ガストリン、ヒスタミンの3つの刺激によって調節されており、これらの受容体が刺激されることでプロトンポンプが活性化され、胃酸分泌が促進される。したがって、こうした受容体を阻害する薬剤は胃酸分泌を抑制する。 PPI(Proton Pump Inhibitor)は直接プロトンポンプを阻害する薬剤である。そのため、利用可能な胃酸分泌の最も強力な阻害剤であるといわれている。 内視鏡検査で確認された逆流性食道炎既往のある患者175人(オメプラゾールを4~8週投与して治癒した患者)を対象としたランダム化比較試験[1]によれば、寛解はラニチジンにくらべてオメプラゾールで優れていることが示されている。 この研究では被験者を5群(シサプリド10㎎1日3回、ラニジチン150㎎1日2回、オメ
ツイッター等のSNSで話題になっていた人文・思想系の書籍、3冊を読んでみた。このブログでも少し触れたことがあるが、その三冊とは、東浩紀さんの「ゲンロン0」、國分功一郎さんの「中動態の世界」、そして千葉雅也さんの「勉強の哲学」である。 ゲンロン0 観光客の哲学 勉強の哲学 来たるべきバカのために 中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) 本のタイトルだけでは、この3冊はまるでばらばらのテーマを扱っているように思われるだろう。しかし、これらの本で取り扱われている主題はどこかでリンクしている。僕はそのように感じている。 おそらくゲンロン0で語られている「観光客の哲学」の射程はかなり広い。その広大な景色を自分なりの言葉で落とし込むには、もう少し時間が必要な気がしている。そこで本稿では、「勉強の哲学」で語られているラディカルな勉強論、特に同書の前半部分の理論的パースペクティブを中
小説と言うと、純文学や大衆文学のようなものを、文庫本なり単行本なり紙の本でじっくり読むもの、というイメージを持っている方も多いと思います。しかしながら、現在の小説という概念は、10年前のそれと、かなり異なっているよう思います。それはむしろゲームやアニメーションと同じカテゴリに属するエンターテインメントであり、スマートフォン端末を使ってウェブ上で手軽に楽しめるものになりつつあります。こうした動きは「小説家になろう」や「カクヨム」といった小説投稿サイトを実際に使ってみると明らかです。 そんなわけで、僕も小説なるものを書いてみました。 kakuyomu.jp この小説は「機械と心」というテーマを中心課題として取り上げました。本ブログの過去記事 syuichiao.hatenadiary.com で考察した内容について、物語の主人公の視点から、うまく言葉にできたような気もしています。ただ、読み返し
論文「薬剤効果の構成的実在論」が地域医療ジャーナルに掲載されました。 cmj.publishers.fm 薬剤効果の構成的実在論は、僕が思索を続けてきた薬剤効果に対する思想的立場であり、実臨床で薬剤効果を考えていくうえでのメタ原理となるものです。この思想的立場から導出されるのは、医療における多元主義であり、そこから「薬剤効果の曖昧性」や「開かれた医療」という概念の構築に取り掛かっています。 地域医療ジャーナルでは既に「開かれた医療とその敵」という連載で、これら概念の実臨床での適用を模索しています。また㈱南山堂さんの薬剤師向け季刊誌「レシピプラス Vol.16 No.1 」に掲載の “臨床疑問のゆくえ”でも薬剤効果の曖昧性という概念を紹介しましたので、ぜひ読んでいただけましたら幸いです。 cmj.publishers.fm cmj.publishers.fm cmj.publishers.f
〔introduction〕 ポリファーマシー(Polypharmacy)と言う概念をうまく日本語で表すことは難しいように思う。ただ一般的には多剤併用と言われているような概念だろう。「Poly~」、つまりたくさんのファーマシーと言うわけだ。 ポリファーマシーと聞いて受けるイメージはどうだろうか。何やらたくさんの薬を服用せねばならない状況は多くの場合であまりイメージが良くないかもしれない。たくさんの病気を抱えて生きている人、そんなイメージもあってとても健康的な状況を想像できない。また薬物相互作用や経済的観点からも良いイメージを描くことは難しいように思う。 ポリファーマシーに抱く信念は自分の意志ではない。ポリファーマシーに関わらず、ある仮説に対する信念形成を自ら意志することは不可能だ。例えば、富士山の頂上に怪しげな施設があって、そこから早朝6時にUFOが出入りしているのだ、と言う信念を自分の意
死にゆく過程。それは生物が生まれてから死に至るまでのすべての期間を指す。生と死。厳密にその境界線を引くことは不可能である。心肺機能が停止しても細胞レベルで言えばミトコンドリアはATPを産生しているかもしれないし、ある種のリボソームではタンパク質が産生されているかもしれない。生命活動は微細なところで心肺機能停止後も続いている。もちろん、それが永遠に続くわけではなく、やがてすべての生命活動、(否、生化学反応と言った方が良いだろうか)は停止する。すべての機能が停止するまでを死と定義するのであれば、僕たちはいったいいつ死ぬのだろうか。細胞一つ一つを確認しない限り、その死を厳密に規定できないのは明らかだろう。 現実には、睫毛反射・対光反射(直接反射、間接反射)の消失、そして心臓の鼓動が停止し、肺に新たな空気が取り込まれることがない状態をもってして僕たちは死ぬ。(ということにする)つまり死は恣意的に決
〔世界の終り?〕 僕は中学時代からギターを始め、高校、大学とずっと音楽をやってきた。大学卒業後はバンド活動こそしなかったものの、Logic Pro、TRITON、Macという機材群とギターで音楽を作っていた時期もあった。[1]そんな経験もあってか、音楽はジャンルにこだわらず、いろいろなものを聞く(つもりだ)。 SEKAI NO OWARIというバンドがある。 sekainoowari.jp ウィキペディアによれば2010年にインディーズデビューし、2011年にメジャーデビューした日本の4人組ロックバンドらしい。最新の音楽に疎いせいか、バンド名こそ知っていたものの、彼らの音楽をまともに聞いたのは、つい先日のことだ。その音楽性も独特なのだが、驚愕したのは歌詞の内容だ。 つい最近知った“セカオワ”について偉そうに語るのもファンの皆様に申し訳ないが、歌詞の内容があまりにも、僕の感性をえぐったので、
第48回日本薬剤師会学術大会、分科会12における僕の講演、「薬剤師のための情報リテラシー~ICTを活用した医薬品情報業務と臨床教育への可能性~」のスライド原稿と当日の話に加筆訂正を加えたものです。大幅な加筆は加えていません。できる限り、当日のお話を再現したつもりです 当日ご来場いただいた皆様、そして座長を務められた、広島県薬剤師会の豊見敦先生、鹿児島県薬剤会の原崎大作先生、共同演者の熊谷信先生、山本雄一郎先生、また企画運営を担当されたすべての関係者の方々、にあらためて感謝申し上げます。 [知識とは情報が生み出す信念である] 皆さんこんにちは。栃木から来ました青島と申します。薬剤師のための情報リテラシー。なにやらとても堅いテーマのタイトルがついています。サブタイトルも長いですね。今日のお話は、簡単に言うと、情報と、学ぶ仕方について、そういったことを取り上げたいと思います。 皆さんも実感されて
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