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大谷翔平
t49takachan.hatenablog.com
京都 五山送り火の旅 その①(送り火前日:天龍寺ほか) 令和6年(2024年)8月15日~17日 takachan (8月15日) 今年の夏は「京都五山送り火」鑑賞の旅。 メンバーはtakachanの学生時代の同級生一行だ。京都には今まで何度も観光や出張で訪れたことがあるものの「五山送り火」を実際に拝見する機会はなかったのでとても楽しみだ。 「送り火」前日に京都入りし、まずは昼食に京都名物の「湯とうふ」をいただくことに。 京都駅からバスで嵐山の「天龍寺」へ向かう。 バスの車窓から「渡月橋」が見えてきた。お盆ということもあって嵐山は観光客であふれている。インバウンド客の姿も多い。 嵐山 渡月橋 -バス車窓から:手ぶれご容赦- 嵐電 嵐山駅前 お昼をいただくのは「天龍寺」の塔頭の一つ「妙智院」の中にある「西山艸堂(せいざんそうどう)」という「湯とうふ」のお店だ。ここは禅寺ならではの閑静な書院づ
マレーシア旅行記 その⑩(面白 写真編Ⅱ) 平成18年(2006年)8月13日~18日 (記録)令和6年(2024年)9月 takachan ひきつづき本編で紹介できなかった写真を中心に、 テーマ別に編集してみました。 Ⅲお店、商店 最初はクアラ・ルンプール セバン国際空港コンコース内のお店から、 こちらはペナン島パラダイス・サンディ・ビーチリゾートホテル近くの商店です。 -ガラス反射ご容赦- 同じく、こちらは旅行代理店、 ペナン島から、ルーフトップ・カフェです。 ちかくのクリーニング店です、のどかな感じですね。(なぜか日本語) こちらはお店ではありませんが、家を売っていました、、、 こちらはCDショップでしょうか、 -ピンぼけご容赦- ペナン島から、古い商店街です。 トライショーがとまっています クアラ・ルンプールは、チャイナタウンから、 鴨の丸焼き? マレー料理のレストラン、 こちらは
マレーシア旅行記 その⑨(帰国へ、面白 写真編Ⅰ) 平成18年(2006年)8月13日~18日 (記録)令和6年(2024年)9月 takachan (8月18日) モーニングコールで起床、ホテルの朝食バイキングをゆっくりいただく。 朝食コーナーより ホテルロビーの、デコレ-ション 準備中 シースルーEVを、見上げる ヨンさんのピックアップでホテルをチェックアウトし空港へ。 リージェント・ホテル、玄関 途中の、イスラム寺院 セダン国際空港、コンコース CAさんたち ヨンさんと握手してお別れ、帰路につく。 マレーシア航空機 CAさん いい旅でした。また素敵な旅をしよう!! つづいて、面白写真編をご覧ください。本編でご紹介できなかった写真を中心に、編集してみました。 面白写真編 Ⅰ乗り物 まず何といっても、マレーシア名物のトライショー(人力タクシー)から、 ペナン島のホテル・ロビーに飾ってあっ
マレーシア旅行記 その⑧(クアラ・ルンプールⅣ) 平成18年(2006年)8月13日~18日 (記録)令和6年(2024年)9月 takachan (8月17日つづき) ホテルでちょっと休憩したあとは、二人でショート・ジャラン・ジャラン。イスマイル・ホテルまで足をのばしてウィンドウ・ショッピング。 イスマイル・ホテル 同ホテル、催し物案内 同ホテルの、ロビー 宝飾品コーナー -ピンぼけご容赦- クアラ・ルンプール名物のツインタワー・ビルを遠景から撮影。7-11で水分を購入。 ペトロナス・ツインタワービル、遠望 *ペトロナス・ツインタワービル:89階建て、高さ452mで完成当時(1998年)世界一高いビルだった。タワーⅠは日本企業、タワーⅡは韓国企業の施工。真ん中に架かる連絡橋はフランス企業による施工。 主に国営石油会社ペトロナスの本部オフィスビルと して使用されている。映画「エントラップメ
マレーシア旅行記 その⑦(クアラ・ルンプールⅢ) 平成18年(2006年)8月13日~18日 (記録)令和6年(2024年)9月 takachan (8月17日) 朝もやの、クアラ・ルンプール市内 (ホテルの窓より) リージェント・ホテルの朝食 リージェント・ホテルのリッチな朝食をいただく。 ただ、気分がマレー人化したのかダレ気味だ。こんな時は「ジャラン・ジャラン・コース」が良い。 今日はケリー嬢の案内で村山さんご夫妻と一緒にクアラ・ルンプール市内の街歩きだ。 モノレールのチケットを買う、ケリー嬢(青シャツ姿) リージェント・ホテル近くのブキッ・ビンタン駅からモノレールに乗車。このモノレールは3年前(2003年)の開通とのこと、清潔で快適な乗り心地だ。 KLモノレール (ブキッ・ビンタン駅) きれいな、モノレール車内 チャウ・キット駅で下車、チャウ・キット・マーケットの朝市をのぞく。 チャ
マレーシア旅行記 その⑥(クアラ・ルンプールⅡ) 平成18年(2006年)8月13日~18日 (記録)令和6年(2024年)9月 takachan (8月16日) 今日はマレーシアの首都、クアラ・ルンプールへの 移動日。ケニーさんのピックアップでペナン空港へ。今日は曇りで少し涼しい。 ケニーさんと握手してお別れ、空港内へ。搭乗する マレーシア航空の便はここでも1時間のディレイ。 その間を利用して、空港のショップでお土産物を物色する。息子や、それぞれの実家の父母へ・・・高級バティックなど。 ペナン空港内の、高級バティック店 クアラ・ルンプール行き (マレーシア航空機) ペナン島を、あとにする セダン国際空港へ、着陸態勢 1時間弱のフライトののち、ヤシの林を越えてクアラ・ルンプール・セダン国際空港に到着。ウォンさん(女史、広東出身)の出迎えを受ける。 高速道路をぶっとばしてクアラ・ルンプール市
マレーシア旅行記 その⑤(ペナン島Ⅴ) 平成18年(2006年)8月13日~18日 (記録)令和6年(2024年)9月 takachan (8月15日つづき) 昼食後、高級住宅街をドライブ。フマキラーのマレーシア子会社社長宅ほか、広大な敷地の住宅がならぶ。 どなたかの、大邸宅 芝生のサッカー場 バティック・クラフトにて、バティックの製作工程を見学する。 バティック・クラフト ここのバティックはアセアン・サミットで使用されたとのことで、その写真が誇らしげに飾ってある。二人のバティックを購入、なかなか素敵だ。 バティックの、色付け工程 青のバティック、購入 (包装前にアイロンをかけてくれた:手振れご容赦) *バティックはジャワ更紗(さらさ)の名でも馴染みがあるインドネシア・バティックのこと。ユネスコの世界無形文化遺産にも認定されている。いわゆる「ろうけつ染め」の技法を用い、溶かした蝋(ろう)で
マレーシア旅行記 その④(ペナン島Ⅳ) 平成18年(2006年)8月13日~18日 (記録)令和6年(2024年)8月 takachan (8月15日) 朝もやの、マラッカ海峡 ホテルの朝食をいただき今日は9:00AM出発で、 ジョージタウンへの半日観光からスタート。ジョージタウンにはイギリス統治時代の街並みが残っているという。 SAMさんの案内、今回は我々二人だけのツアーだ。 ドライバーは、SAMさん SONY、日立etcの日系企業の工場が立ち並ぶ。 ジョージタウン中心街のマンション価格はなんと4~5,000万円!!とのこと。 最近マレーシアにはロングステイの日本人が増加しているそうで滞在期間は1~3ヶ月とのこと。 マレー人は総じて働かないが、ムスリムは一夫多妻制でこれは実は大変なのだという (全ての妻に平等に接する必要あり)。 40%のムスリムはイスラム教スンニ派、中国系は25%でこ
マレーシア旅行記 その②(ペナン島Ⅱ) 平成18年(2006年)8月13日~18日 (記録)令和6年(2024年)8月 takachan (8月14日) 9時起床。ベランダに出て朝のマラッカ海峡を眺めながら、深呼吸。 朝のマラッカ海峡 1FのレストランWAVEへ向かう。海の見えるレストランで、朝食バイキング。 朝のレストラン WAVE 黒装束のムスリム女性が目立つ。マレーシアの国教はイスラム教(スンニ派、人口の40%;穏健なイスラム教という)。よってサウジアラビア(スンニ派)からのアラビア人の観光客が多いとのこと。イラン人(ペルシャ人;シーア派)、トルコ人(スンニ派)も来ている。 朝食のバイキング 次いで欧米の白人、東洋人(中国人、日本人、韓国人の順)。新鮮なフルーツが美味しい。売店で水分を 購入して部屋へ戻る。部屋の冷蔵庫は、長期滞在の リゾート客が多いためかなり大きめだ。 一休みしてホ
沖縄旅行記 その⑧(番外編Ⅳ:2000年沖縄サミット会場、警備関連事業 サミット本番) 平成11年(1999年)~平成12年(2000年) 記録 令和6年(2024年)8月 takachan いよいよ沖縄サミットの本番がせまる。 7/21~23の会期に先立って、われわれKS社のスタッフはIKチーフのもと1週間前から現地の人数を増員し、センサシステムの最終調整 並びに、点検作業を行う。 沖縄県警の警備スタッフに警視庁からの増援部隊も 加わり、警備の実施訓練が始まった。 会場のブセナリゾート;万国津梁館及びその後背地の担当が沖縄県警+警視庁。 万国津梁館 サミット会場の、東側後背地 サミット期間の数日前より立ち入り禁止となるブセナ岬まわりの海岸線、砂浜を受け持つのは、東北地方の各県警から派遣された警察官たち。沖縄の初夏の暑さの中で、機動隊仕様の重装備での訓練だ。 重装備の、機動隊 その他、晩餐
沖縄旅行記 その⑦(番外編Ⅲ:2000年沖縄サミット会場、警備関連事業 現地敷設) 平成11年(1999年)~平成12年(2000年) 記録 令和6年(2024年)8月 takachan サミット会場がある、ブセナリゾート サミット会場の、万国津梁館(ブセナリゾート内) 同 上(上空から) 平成12年(2000年)6月に入り、いよいよブセナリゾート後背地でのワイヤセンサ敷設工事に着手。土木工事に地元大手ゼネコンのK場組の力を借りながら、敷設完了は6月末。KS社の現地隊長はIK君(icchan)だ。 センサ敷設 位置図(赤いライン2000m) ワイヤサンサ 敷設状況 -ピンボケご容赦- 同 上 同時にセンサの検知反応の実証作業、すなわち本番に備えた「誤動作」の有無の検証に入った。実はこれがたいへんに難航する作業となった。 想定される風雨、枝葉の接触などによる「誤動作」は基本的には発生しないも
沖縄旅行記 その⑥(番外編Ⅱ:2000年沖縄サミット会場、警備関連事業 採用テスト) 平成11年(1999年)~平成12年(2000年) 記録 令和6年(2024年)8月 takachan 平成11年(1999年)8月、沖縄サミット会場 後背地(対象地)の状況を確認するための現地調査が 開始された。 赤いラインが、センサ敷設予定地(2000m) 現地の状況は、想像を超えるジャングル状の傾斜地であった。大きな蚊(*)に備えて蚊取り線香を腰からぶらさげ、万一ハブに遭遇した場合に備えて長めの棒を杖代わりにして、延長2000mの計画想定ラインを踏査した。 *沖縄の蚊🦟は一回り大きくて、刺されると猛烈に痒くあとが腫れて厄介だった。しかも分厚いズボンの上からでもお構いなしに刺してくるという、油断ならない相手なのだ。 次の写真は、右のケモノ道から左側へ「ブッシュ」が拡がる状況。 現地、ブッシュの状況
沖縄旅行記 その⑤(番外編Ⅰ:2000年沖縄サミット会場、警備関連事業 準備作業) 平成11年(1999年)~平成12年(2000年) 記録 令和6年(2024年)7月 takachan それではtakachanが、会社(以下KS社という)の新規事業として携わった「新型センサ」事業の具体的成功事例として、「2000年沖縄サミット」における警備システムのお話をしてみよう。これはまさに「国家プロジェクト」での成功例だ。 沖縄サミット ロゴ 最初にやや専門的になるが、新型センサ(新型人感センサシステム)の二大特長について説明してみよう。 特長その1)従来屋外で使うセンサとしては、既存の赤外線センサなどは「誤動作の多さ」がネックとなっていた。新型センサは屋外でも誤動作が極めて少なく、正確な人体検知が可能だ。例えば降雨、降雪、温度、湿度の変化、電波ノイズや妨害電波による誤動作が極めて少なく、安定動作
沖縄旅行記 その④(沖縄 南部観光、帰京へ) 平成13年(2001年)8月21日~24日 (記録)令和6年(2024年)7月 takachan (8月24日) 朝はスッキリさわやかな目ざめ。 ロワジールホテル、朝のベランダより ホテルの部屋からは那覇港に停泊中の海上保安庁の 巡視船と、那覇空港を飛び立つジェット機を遠望。 海上保安庁の巡視船 タクシーで朝の国際通り経由、日航グランドキャッスル那覇へ。ここより、ドルフィン号 沖縄 南部観光の出発だ。 グランドキャッスルのショップでは人間国宝の作による琉球焼のぐい飲み他を購入。 ドルフィン号 バスは満員御礼状態だ。ガイド嬢は、玉那覇亜起子 さんドライバーは島袋さん。まずは「首里城」へ。 首里城正殿 -ネット検索- *2019年に発生した火災で首里城が焼失したことは、誠に残念。現在、再建作業中。(令和8年(2026年)の復元を目指している) サミ
沖縄旅行記 その③(沖縄サミット会場へ) 平成13年(2001年)8月21日~24日 (記録)令和6年(2024年)7月 takachan (8月23日) バンケットルームでの美味しい朝食バイキングをいただいて、ホテルロビーでの朝市をのぞいて歩く。 ホテルロビーへ ルームのベランダで潮風に吹かれてくつろぐ・・・、ずっとこうしていたいような気分。 朝のベランダから 海を行くモーター(バナナ)ボートの音、上空遠くからは米軍か自衛隊のヘリの爆音。プールサイドのにぎわい、準備体操をする親子の姿・・・。 沖を行く、バナナボート 各ホテルをまわるシャトルバスを利用して、今日は2000年沖縄サミットの会場となった名護市のブセナリゾートへむかう。1年ぶりの訪問だ。 我々の警備担当エリアはホテルの外周エリアだったため(詳細後述)、実はサミット会場の中を見学するのは初めてだ。(物見遊山の見学は不可だった) 会
沖縄旅行記 その②(沖縄 中北部観光) 平成13年(2001年)8月21日~24日 (記録)令和6年(2024年)7月 takachan (8月22日) 朝はゆっくり起床。ベランダから見下ろすプールと、オレンジ色のスペイン瓦の屋根、白い壁、青い海、 青い空、さわやかな朝だ。朝食は和食をいただく。 ベランダから、朝の景色 和食で、朝食 台風11号はようやく静岡に接近中とか・・・。 ホテル内を散策、なかなか絵になるホテルだ。 ホテル外周部 ホテルロビーの朝市をのぞいてみる。 今日はドルフィン号(バス)の沖縄 中北部観光に 参加する。サトウキビ畑を抜けて国道58号線に入って北上、まずは琉球村へむかう。 元気な沖縄娘の案内で村を回る。 琉球村へ、入村 -手振れご容赦- 琉球村の、古民家 同 上 鮮やかなブーゲンビリアやハイビスカスの赤、黄の 花畑の中に、沖縄の古民家が点在している。元気なおばあたち
カナダ・バンクーバー旅行記 その⑨(面白 写真編Ⅱ) 平成19年(2007年)8月12日~17日 記録:令和6年6月 takachan 引続きまだご披露していない写真を中心に、テーマ別にご紹介しましょう。 Ⅰ人-似顔絵かき 結構似てますね、、、さすが、 こちらの二人は、並んで何を描いているんでしょう? なるほど、トーテムポールですね、、 スタンレー・パークにて Ⅱ人ー地元の方たち 郊外へレジャーに向かう?、二人 屋台でランチを ブックショップにて -ピンボケご容赦- Ⅲ店舗-飲食店 Caffe Artigiano SUSHI ICHIBAN-YA 和食の亀井ロイヤル(2F) SEARS内の、レストラン フェアモント・ホテル近くの、ステーキハウス Ⅳ店舗-衣料品 ガスタウン近くの、カナディアンセーター・ショップ 別名:カウチンセーター *カウチンセーター:カナダ・バンクーバー島(バンクーバー
カナダ・バンクーバー旅行記 その⑦(バンクーバーⅤ) 平成19年(2007年)8月12日~17日 記録:令和6年6月 takachan (8月15日つづき) 昼食後、ふたたびバンクーバー市街を散策して歩く。 HMV、saitohさんのお店「sapporo」によってお土産物の雑貨類をショッピング。 HMV saitohさんのお店「sapporo」 同上、店内の様子 フェアモント・ホテルに一旦もどり、ショッピング・アーケードでアンモライト(アンモナイトが宝石化したもの)のペンダント・トップを、今日は見るだけ。 フェアモント・ホテルの、ロビー 名物ワンちゃんは、二頭(夫婦かな?) 同上、ショッピング・アーケードより ホテルを出て、ロブソン・ストリートを歩く。原宿と代官山を混ぜたようなイメージの通り。 ロブソン・ストリート 通りを走る、トロリーバス 街を行く、若者たち 「ブルー・ルビー」(ここも有
カナダ・バンクーバー旅行記 その⑥(バンクーバーⅣ) 平成19年(2007年)8月12日~17日 記録:令和6年6月 takachan (8月15日) さわやかな朝だ。 朝食はパシフィック・センター内のテイク5・カフェで、マフィン&ラテ。となりの席はビジネスマンか。 パシフィック・センター テイク5・カフェ マフィン&ラテ 開店したシアーズに入店、ゆっくり店内をまわる。 シアーズ:フロア案内 化粧品売り場 子供服売り場 家具売り場 続いてホテルのとなりにあるバンクーバー美術館へ。「モネTOダリ展」を開催中。文化的な一日も良いものだ。じっくりと観てまわる。 バンクーバー美術館 モネTOダリ展、開催中 会場は撮影禁止。よってここではネット検索により、モネとダリの作品を紹介してみよう。まず、モネから・・・、 -ネット検索-(以下、同様) つづいて、ダリの作品から・・・、 カナダ人女性画家エミリー
カナダ・バンクーバー旅行記 その⑤(バンクーバーⅢ) 平成19年(2007年)8月12日~17日 記録:令和6年6月 takachan (8月14日つづき) 二階建てトロリーバスで行く目的地のスタンレー・パークは、海に突き出した大きな憩いの森だ。そのスケール感を錯覚して下車位置を間違えて(かなり手前に)降りてしまう。 どちらへ行けば・・・ パーク内で目指すはずの名物「トーテム・ポール」を探して、道行く人に道をたずねながら(英語のお勉強)歩く。おかげで約30分の歩きながらの森林浴をすることが出来た。こうしたハプニングもまあいいものだ。リラックスして行こう・・・。 森の中、・・・ 海岸線に出て、・・・ (遠くの橋は、ライオンズ・ゲート・ブリッジ) 沖に、コンテナ船 日光浴する人たち、・・・ (この右手に目的地が、、) あと500m、、 ようやく到着したトーテム・ポールは、26年ぶりの再会だ。な
カナダ・バンクーバー旅行記 その③(ビクトリアⅡ) 平成19年(2007年)8月12日~17日 記録:令和6年6月 takachan (8月13日つづき) 食事後レストラン近くの教会などを遠めに拝見して、午後からは車でブッチャート・ガーデン(植物園)へ。 地元の、教会 ビクトリア市街地 車で移動 到着したブッチャート・ガーデンは美しく手入れの行き届いた広大な花園、まさに色彩の洪水だ。 広大な花園 池を囲む花園 色彩の洪水 地元の人たちに混じりながら、世界中から来た観光客の一員としてゆったり花々を愛でて歩く。平和の象徴というところだろうか。 木々のむこうに、海が見える 野外ステージ 仰ぎ見る、青空 日本庭園 風の、灯篭 再びフェリーに乗船してバンクーバーへ戻る。 ビクトリアをあとに 甲板でくつろぐ、観光客 瀬畑さんに質問すると、「カナダ料理といわれるものは、実はありません」「しいて言えば、カ
カナダ・バンクーバー旅行記 その②(ビクトリア) 平成19年(2007年)8月12日~17日 記録:令和6年6月 takachan (8月13日) 今日はバンクーバーの隣、ビクトリアへ一日観光だ。 バンクーバー、ビクトリア位置図 バンクーバーの人口 212万人に対し、ビクトリアは 32万人、(いずれも2006年現在) ガイドは瀬畑さん。朝日のまぶしい中、フリーウェイをとばす。カナダではラッシュ時対策でフリーウェイの車線を、朝上り3車線+下り1車線、夕方にはその逆にするという。なるほどとうなずく柔軟な方法だ。 バンクーバーの港へ向かう フリー・ウェイ -手振れご容赦- 港の近く フェリーに乗船。青空のもと、風が涼しく心地よい。 車ごと、フェリーに乗船 出 航 航 路 図 船内の、売店 同、飲食コーナー 対岸(島)の緑 すれ違う、フェリー 海峡を渡ったバンクーバー島の南で下船し、ここよりビクト
カナダ・バンクーバー旅行記 その①(バンクーバーへ) 平成19年(2007年)8月12日~17日 記録:令和6年6月 takachan (8月12日) 今年(2007年)の旅は、家内とカナダ・バンクーバーへの旅だ。バンクーバーは26年前の昭和56年(1981年)に社用でアメリカの都市を回った際、 シアトル経由で立ち寄ったことがありそれ以来ということになる。 成田よりJL18便のジャンボにて9時間のフライト。東南アジアへの旅行と違って、さすがに長いフライトだ。 JL18便(成田空港) 雲海の上(太平洋上) 日付変更線を越えて、バンクーバー空港到着。 バンクーバー空港 同 上、内ラウンジ 時刻は午前11時、天気は曇りで気温は23度。暑い 東京から来ると少し肌寒いなという感じ。滞在期間の17日までは天気は良好との予想。 出迎えてくれた現地ガイドの辻さんの車でバンクーバー市内へ入る。 バンクーバー
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