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買ってよかったもの
takiko17.hatenablog.com
今日は飲まないでおこうと思っていたのに、結局また飲んでいる。ビールを飲むと気持ちが軽くなり、音楽を聴きたくなる。それで楽しい気持ちになり、やめようと思ったり思わなかったりする煙草も、ついつい吸ってしまう。苦虫を噛みつぶしたような顔で、煙草の煙を吐き出すおっさんの内心が、近ごろよく分かるようになった。*友人が書いているBerryz工房のファンブログをたまたま、本当にたまたま見つけてしまい、彼が誰にも宣伝することなく独りで書き継いできた文章の量と熱、というよりその事実そのものに、驚き、慄き、笑い、すこしだけ感動する。そこから受けるこの感じをなんだか知っているとかすかに思うところがあった。よくよく考えてみると、ヘンリー・ダーガーに対して感じる気持ちを100倍に薄めたような、ちょうどそんな感じだった。読み続けるので、書き続けてほしいと思う。おかげで「起立!礼!着席!」をまた聴きたいと思うようになっ
池袋のジュンク堂で買った。帰りの電車で読みはじめて、なんともいえない気持ちになった。肝心なことだけ忘れないうちに言っておくと、この本はすごく面白い、めっぽう笑う、買えばいいと思う。あとはずっと余談が続く。*月曜の深夜一時からTBSでやっていた(今もやってる)伊集院光のラジオを十代のころよく聴いていた。いちばんラジオを聴いてたころ、月曜が伊集院、火曜が爆笑問題、水曜がコサキン、木曜がナイナイ、金曜はたしか今田東野の番組が文化放送でやっててそれを聴いてたから、平日は毎晩ラジオを聴いていたことになる。中学の終りぐらいから、だいたい高校の終りまでその生活が続く。そら朝も起きれないし、高校も留年するというものだ。今田東野のはあまりに内容が邪悪でまがまがしくてすぐに聴くのをやめた記憶がある*1。コサキンは初めて聴いたときに本当にまるっきり何を話しているのか理解できなかった。それどころかこの人たちは何を
ぼくは、言葉が現実(世界、ここ、呼吸をしている周りの、そよめきやつめたさや、この全部)と全的に結びつくということは、あり得ないと考える。考えるというか、そのように感じる。よく考えることなのだけど、言葉というのは、あんまり良い道具ではない。正確ではない。使い勝手が悪い。安い。不安定で、不確かで、すぐに消えてなくなる。世界という池から何かを掬うときに、他にもっと網目のこまかい、繊細な動作が可能な道具は、たくさん(でもないかもしれないけれど)あると思う。けれど、言葉を使うのは、言葉という道具に愛着があるからというのと、そのくらいに不正確な道具が性に合っているからで、ほかに理由はない。厳密さに興味がない。誤解やゆるみや間違いも含みこんだ言葉の世界が好きだから、一生懸命、言葉を使いつづけると思う。Berryz工房の「ハピネス」という曲がとても好きなのだけど、聴くたびいつも、「もみじが美しい」という箇
■[flower][memo]女としての我が人生 00:36 3月7日に発売されるBerryz工房の13枚目のシングル、「VERY BEAUTY」があんまり良すぎて、どうにかなってしまいそう。どうにかなる、というのは心の中で思い出して再生して、真冬の路上で涙ぐんでしまう、というようなことだ。じじつ、この文章は、今日の夕方のとても冷たく強い風が吹いているころ、高田馬場をてくてく歩いている最中に、「VERY BEAUTY」を脳内で再生していたら、思いがけず感極まってしまい、その良さをきちんと置き換えられる言葉をいくつも思い浮かべては、検討したり、吹き上がってくるものを抑えたり、吹き上げるがままにしてみたり、そうしているあいだにも脳内の歌声はどんどん大きくなってゆき、結局、駅のそばでたまらずメモ帳を購入し、近くのドトールに入って、その時点でつかまえた言葉の断片を走り書きした、そのメモをいま横に置
■[flower][memo]パラレル佐紀ちゃん 01:01 このところ世界は単一のものではないという考えが濃厚になってきた。感知する世界は人の数だけ存在し、確かな単一の世界などおそらくどこにも存在しない、のではないだろうか。たとえば、全盲の人の生きる世界はいわゆる健常者の住む世界にくらべて欠損した世界であるといえるだろうか?私はまったくそうは思わない。異なる感覚(劣っているのでなく、異なっている)によって感知された世界なのであるから、異なっていて当たり前なのであって、べつに視覚、あるいは聴覚が絶たれているからといって、世界のある部分を「感じられていない」わけではないと思う。健常者は圧倒的なマジョリティだからそれぞれで共通する世界に生きているようにふるまい、またその世界が唯一のものであると考えるきらいがあるが、聾唖の人や全盲の人の住む世界も、この同じ世界の同一平面上に存在している。そしてそ
今年もいよいよ終わるらしいので、書こうと思って書けないこと、うまく書けなくて諦めたこと、書くようなことじゃないからと書かなかったこと、のいくつかを書いて、おしまいにしたい。 *****まずはじめに確認しておかなくてはいけないことは、当たり前すぎるくらい当たり前のことだが、ギャグとユーモアは対立する観念ではない、ということである。それらはむしろ、双子のようによく似ている。でありながら、マナちゃんとカナちゃんのあいだにも、他人にはそれとわからないくらい微妙な差異が(たぶん)存在するように、ギャグとユーモアもまたいくつかの点で、決定的に異なっている。その差異に目をこらすことでなにか、見えてくることがあるのではないか、との思いから、まずはここでは仮に、ギャグとユーモアという二項対立のフレームを採用し、考える。ギャグは数であり、ユーモアは量である。これはたぶん誰にとっても、間違いがないことだろうと思
グループを脱退するそうだ。℃-uteというのはハロプロキッズで構成される、いわばいちばん若手のホープのようなグループで、ついこないだアルバムでデビューした。まさにこれから世に出て行く、というタイミングでの引退で、ぼくは村上さんのことはよく知らないけれど、Berryz工房が好きなんだから、℃-uteもいずれ視界に入ってくるに決まっていて、そのときにはきっと、村上さん可愛いなぁとか言ったり書いたりするに決まっている、と思っていたので、いなくなるのは素直にさびしい。残念でかなしい。脱退の理由は、表向き、学業に専念するため、ということになっていて、それはきっとその通りなのだろうけど、ちょっと前、村上さんが男性と二人で歩いているのを盗撮した写真が、ネット上の掲示板にばらまかれるということがあり、犯人はまだ捕まっていないが、それでまあなんというか、その写真をスキャンダラスだと考える人たちの間で、大騒ぎ
寝る前に篠原ともえのブログを見たら可愛すぎて悪夢を見た。サランラップで全身をくまなく巻かれながら射精し続けるという夢。精液が口元まで上ってきて溺死する恐怖におびえた。広瀬正の『マイナス・ゼロ』が復刊していることを知り、amazonで見てみたら既に売り切れている!しまった、買いそびれたか・・・と後悔していたら、家の近くの小さな本屋にごく普通に置いてあるのを見つけ、あわてて買う。読むのはいつになるか分からない。ケッチャムは相変わらずオモシロい。有無を言わせず読ませる力という点ではキングっぽいのだけど、キングって根本的に馬鹿だとしか思えない感じがあるのに比べると、ケッチャムは底の方にごろっとしたむき出しの知性というか、理性が横たわっているような印象を受ける。なんでこんなにオモシロいのかということは、それでもよくわからないまま、貪るように読み進める。この作家は邦訳が出ているものは全作品読みたい。夏
■[flower][memo]Berryz工房「笑っちゃおうよ BOYFRIEND」 01:22 in おはスタを見たのだけど、まあしかしなんちゅう可愛い女の子たちであろうか!何回か繰り返して見たのに歌詞の内容がまったくアタマに入ってこない。視覚面での衝撃がでかい。赤いワンピースに黒タイツ!清水佐紀さんの優しい黒髪(あの髪型をマネしたい)、須藤さんの農耕民族/草食動物っぽさ、熊井さんのにょきにょきぶり(見下ろされたい)、などが印象ぶかい。くわえて曲自体もあまりに素晴らしいもので(そこまでちゃんと咀嚼してないけど)、“ポニーテール”という単語を歌の中で正しく発語した、世界で初めてのグループなんじゃないだろうか。じゃがたら「タンゴ」における“ハンバーグ”ぐらいの衝撃と鮮度がある。日本のみならず、世界中どこ探しても、他のグループにポニーテール、はあんな風に歌えまい。いまだBerryz工房の、グル
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