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ノーベル賞
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紀元二千六百年の行事として、宮崎県では「八紘一宇」の塔を建てることとなり、男女学生は毎日のように下北の現場でモッコの土運びに励みました。 現在の平和の塔です。 東京では有名な写真家だという人が来ました。後日、その写真家が土門拳氏であったことがわかりました。 さっそく写真を撮ることになりました。 各学校入り乱れての作業でしたので、すぐ近くにいた者が、土手の上から下へと並びました。私は上の方です。 立っていると、土の中に足がうまるので、日向乙女の心意気を見せようと、手前にスコップを突っ立てて撮ってもらいました。 安田郁子『モスグリーンの青春』より 【紀元2600年奉祝事業】 宮崎市にある広大な平和台公園。その一角には、御幣を象った巨大な石塔が聳え立っています。 現在は「平和の塔」と呼ばれていますが、正式名称は八紘之基柱(あめつちのもとはしら)。完成したのは、神武天皇即位紀元2600年を迎えた昭
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