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Certificate of Naturalization前回、U.S. Citizenship を取得するまでの手続き等をまとめましたが、今回は「なぜ米国市民権を取ったか」「なぜ日本国籍を放棄したか」についてまとめました。 なぜ米国市民権を取ったか日本の国籍法では原則二重国籍を認められてないので、外国籍の取得と日本国籍の放棄はセットで考えるのが前提です。この制限があるために外国籍の取得を躊躇している日本人は少なくないと思います。あえて分けて考えてみますが、なぜ私は米国籍を取りたいと思ったのでしょうか。 米国移民の最終到達地点H1-b などのビザは layoff などで sponsor を失うと 60日以内に新たな employer が見つからなければ米国での滞在資格を失う、非常に不安定なものです。また米国の Green Card は年間の米国滞在日数が少ないと剥奪される恐れがある条件付き
ご存知の通りアメリカ合衆国は移民の国です。私は2022年8月25日に Santa Clara, California において oath ceremony を受けアメリカ人に帰化しました(naturalization)。以下はそれまでに至るプロセスとその後の諸手続き等において私が経験したことです。 Background私は 2001年から米国企業 sponsored の H1-b visa で米国で働いていましたが、2007年当時勤めていた会社からの sponsored で Green Card を取得しました。通常、企業 sponsored の GC の場合取得から 5年以上経過すれば米国市民権の申請を行うことができます。従って私の場合 2022 年 1月の時点で 14年以上経っていますので、この条件は qualify していました。 2022年 1月 3日 — Application
1993年4月に私は NTTソフトウェア株式会社 (以下: NTTS) で新卒の新入社員として働き始めた。NTTS に決めたのはいろいろ理由があったが、大学 4年の早い時期に何度か会社案内を送ってきて目に留まったのと、地元の会社で実家からとても近く通勤時間がわずか20分で済むこと (大学時代は 2時間かけて通学していたので正直疲弊していた)、それと会社案内に書いてあった「ソフトウェア作りをしないソフトハウス」というスローガン (AI が source code を自動生成するのかも知れない) になんとなく魅力を感じていた (それはすぐに間違いだと気づくのだが) というのが主な理由だった。 入社してすぐ、私は生産支援技術部という部署に配属された。当時 NTTS には大きく5つの部署があり、部署によっては DIPS (Denden Information Processing System)と
Fight for what? Fight for whom? この夏転職した。前職はいろいろあったけど人間関係とか cultural な部分で問題があったわけではないのであまり書くことは無い。今から書くのは 2018年9月まで 1年 2ヶ月勤めた前々職のこと。 辞めた理由はいろいろあったけど、自分が十分に performance を出せなかったという部分はもちろんあった。それはそれとして、かなり早い段階で会社の culture に違和感を感じ、そもそもその team の一員でいることにちっとも誇りが持てなかったというのは大きい。 まず cosmetic なことだけど Slack、社内の communication はほぼ 100% Slack。ただ Slack で皆がやたらと GIF animation を post すること。とにかく engineer は仕事時間の 50% くらいは
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