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衆院選
tsukikana.hatenablog.com
明け方、リアルな夢にハッとして目覚めることが増えた。 昔の友人。もうすっかり普段は忘れているくらい、付き合いもなくなって久しい人が、親し気に私のそばにいる。その人の夫君まで登場して、私は、彼らの家庭の問題を一緒に悩んでいたりする。 どうしているだろう。 ふとそう思う人が増えたのは、仕方ない、私の年齢を考えたら当然だろう。長く生きてくればその分、出会った人、離れてしまった人、すごい数にのぼる。 私の身に起こったこと、人と過ごしたこと、そのすべてを覚えていられるはずもない。それなのに、何かの拍子に脳がピックアップして、思いがけない夢を見せたりすることを、面白いなあと思う。 私たちの脳は、実はぜーんぶ記憶しているのかもしれない。それもすごいし、今気にもしてないことをポンッと投げてくるのも不思議。ランダムなの? リアルな夢には愉快なものも、そうでないものもある。 まだ起床時間ではないので、しばらく
娘たちが幼い頃、寝かしつけようとしても「眠れない」と訴えてくることがあった。夏の、寝苦しい夜などは特に。 そんなときは、子守歌よりも効く方法がある。そっと頭を撫で、私はこんなふうにささやいた。 さあ目を閉じて…… 今日はどんな夢を見ようか 綺麗なところへ行く夢はどう? あなたはどこへ行きたいかな? お空を飛んで、遠くまで行こうか 広い広ーいお花畑の上を飛ぶのもいいし…… もっとずっとずっと広ーい海の上を飛んでもいいね ほら、あっちでイルカさんたちが跳ねているよ ねえ、海にもぐっちゃうのはどう? たくさんのおさかなといっしょに遊ぶの 赤い子もいるし、向こうに黄色い子もいるね 海の中、綺麗だねえ お花畑。青い海。風の吹く草原。清らかなせせらぎ。森の中の湖。満天の星空…… 私は思いつく限りの美しい景色を言葉にしてささやき、娘たちにそこで遊ぶ姿を空想してもらう。 すると、そのうちに彼女たちはリラッ
なかなか咲かなかった今年のソメイヨシノ。ようやく咲いたと思ったら、あっという間に満開。そしてなんと、春の嵐に早くも散り始めた。花の命は短いというけれど、ここまでそれを感じる春も珍しい。 昨年は青空をバックにした満開の桜を撮れたけれど、今年は空の色が鈍いものがほとんどで、少し寂しい。それでも、先週末は予報がはずれて晴れ間が広がった。土・日は、どこも花見客で賑わったことだろう。 夫と私も、2日続けてお花見散歩を楽しんだ。1日目は近所の川沿いの緑道をそぞろ歩き、氏神様(と勝手に呼んでいる神社)まで。氏神様の前の通りは見事な桜の並木道で、この季節に歩くととても気持ちがいい。 長く続く桜並木 久しぶりに氏神様に手を合わせた。ひと頃は毎月通っていたのに、母が亡くなってからすっかり足が遠のいてしまった。今年は初詣にも行っていない。無沙汰を詫びて、平穏に暮らせていることに感謝を伝える。 2日目、日曜日。こ
初めて夫の実家に行ったのは、結婚する前年。祖母、父、母、そして同居の兄夫婦とまだ伝い歩きの幼い姪を、彼は私に紹介してくれた。数えれば36年前のことである。 それから何度、あの家を訪ねただろう。お盆やお正月、大型連休。 やがて姪っ子は3人になった。私たちにも娘がふたりでき、家族が集まると毎回、とても賑やかだったのを、昨日のことのように思い出す。 女の子5人はずっと、今に至るまでとても仲が良い。 といっても、それぞれ仕事があり、家庭のある子もいて、もうなかなか会えなくなっている。結婚式、法事のときぐらいかな。大人になって、お正月に集合することもなくなった。それは仕方のないことだろう。 夫の祖母、母、父も鬼籍に入って久しい。昨年の夏が、義父の七回忌だったが、私の娘たちは参列できなかった。 義兄夫婦のところの三女と、うちの次女は年が近く、お互い独身ということもあってよく一緒に遊んでいるが、結婚して
初めてではないのに、初めて来たような気がする・・・ 東京ディズニーランドと東京ディズニーシーに行ってきた。先週の木、金曜日のことである。 楽しかった。夢のようだった。それは間違いない。 ただ、あまりにもたくさんのものを見て、心が動いて、情報が今もって処理できていないというのが正直な感覚で、我ながら実にもったいないと思う。 いったい私は何と何を見て、いくつの、どんなアトラクションに乗ったんだろう。200枚ほど撮った写真をスクロールして見ていっても、よく思い出せないのだ。情けないったら。 それは多分、全部次女に「お任せ」していたからだろうね。「私に任せてついてきてほしい」と言ってもらえたことに甘えて、全てをお願いしてしまった。私と夫は、ひたすらついていくだけ。そんな日が来るとは~。 次女が「ふたりをディズニーに連れて行きたいんだけど」と言ってくれたのは、昨年の秋、一緒に恵那峡までドライブに行っ
クリスマスが終わると、街は一気に迎春ムードに包まれる。洋風から和風へ。お店のディスプレイも一夜明ければ様変わりだ。ご担当者は大変なことだろう。年の瀬は本当に慌しい。 年内にもう一回行けるかな~、と予定表と睨めっこしていた私だが、クリスマス直前、2泊ではあるが夫とふたり、また清水の家に行くことができた。両親の住んでいた家である。 寒かったけど、頑張った。 果てしないと感じていた遺品整理、今回ようやく“前に進めている”実感を、少しだけど得ることができたのは何よりだ。ビデオテープやDVD、CD、カセットテープ類に手を付けたからだと思う。 断捨離をするとき、何から始めるか順番が大事なのだと、本で読んだことがある。順番、大事なのはその通りだろう。 ただ、自分の家のモノを断捨離するのと、亡くなった親のモノを遺族として処分していくのとでは違うのだ。まだ混乱や喪失感に苦しんでいるときに、できることは限られ
11月も、もう終わろうとしている。 慌しいのは師走、と相場は決まっているのに、今月、なんだかずっとせわしなかった。時間が足りなくて、日々のルーティーンがなかなか回らない。 外歩きが快適な気候になったから、ウォーキングをよくしていたせいかな。 冬物を買いに街に行ったし、次女が泊まりに来て、一緒に紅葉を見に恵那までドライブもしたし。 恵那峡。山の色付きはわずかだったけれど、湖畔の散歩道が素敵だった。 恵那峡の紅葉 それから、習い事の課題制作に勤しんで、ここに随分時間をかけてしまった。それでも他のこともしたくて、合間に小さな作品も仕上げてみたり。 花糸で小さな刺しゅう こう書いていると、全部自分の楽しみのための慌ただしさじゃないか、と苦笑してしまうけど。 早めの大掃除、的なこともやって、筋肉痛にもなった11月。いろいろ頑張ったつもり。ここへきて少々疲れがたまってきたようだ。 長女一家の所へも行っ
私が子どもの頃、家にはミシンがあり、母が時折り踏んでいた。 踏む・・・そう、足踏みミシンなので母はいつも「ミシンを踏む」と言っていたのだ。 昔は洋服が高価だった。子ども服は親戚やご近所からお下がりをいただくのが当たり前、という時代(庶民はね)。洋裁学校を出ている母が、幼かった私や弟の服をよく作ってくれたのも、そんな時代背景があったからだろう。 転勤族の我が家だったが、引っ越したどの家にもあの足踏みミシンの姿があったと記憶する。私が物心ついた頃からある。ということはあのミシン、母はいったいいつ購入したのだろう。安くはなかったはずだけど。「貧乏だったのよ」が母の口癖だったのにね。^^;; 母は、たまに油を注したり、ベルトの調子を見たり、あのミシンを大事にしていた。使っていないときは、機械をテーブル面に反転させてしまい込み、埃をはらってカバーを掛けた。カーテンみたいな生地(ゴブラン織り?)の、フ
風邪をひいた。発熱で寝込むなんて、何十年ぶりだろう。 丸二日間。時間をロスしてしまったようで残念ではあるが、それほど悔しくはない。喉の痛みや頭痛、高熱による関節痛は辛かったけど、たくさん寝られたし良かったじゃん、という思いもある。 それになんといっても、この風邪はあの子たちからもらったものだからね(多分だけど)、いいのいいの。嫌わずバッチリ引き受けようじゃないの、なんて片頬笑んだりもして。 今は、少し咳が残る程度。今日はもう、木曜日か・・・ 先週の土曜日、夫と次女と私は長女一家の家に行き、一泊させてもらった。去年の夏、引っ越し後の手伝いに行ってから、もう1年以上になる。 ✻当時の記事はこちらです↓ tsukikana.hatenablog.com あれから5人家族がどんな風に暮らしを楽しんでいるのかと、想像したりはしていたが、今回一晩泊まり共に過ごすことで、その生活を肌で感じることができた
今年の夏は例年にも増して激烈で、ちょっと外に出るのも勇気がいるほど。被害をもたらした台風7号が去った後も、ベッタリとしたいや~な熱風が吹いている。 そもそも夏が苦手な私、かなり早いうちからもうぐったりで。それはもう、情けないほど。悪魔のような日差しを避け、遮光カーテンを閉めた暗い部屋で、テレビをつけてボーっとする時間が必要だった。 見ているのはYouTube。涼を求めて、森と小鳥の映像を、毎日のように眺めていたのだった。 森は、いいなあ。 小鳥は、いいなあ。 そんな風に現実逃避をしながら、ときどき手帳に落書きをしていた。木とか鳥とか。思いきりデフォルメして。 するとそのうち、なんとなく、それを刺し子で表現してみたら面白いんじゃないか?と思いついた。 連日、体温超えの暑さ。おこもりさんの生活の中で、私になんとか元気をくれていたものは、針と糸だった。そこに、自分でデザインする、という楽しさも加
知らない町を歩くのは面白い。 ただ歩いているだけでも面白いが、気になった脇道に入ってみるのはさらにワクワクする。 こういう、脇に入った細道のことを路地と言い、もっと奥に入り込んだ場所を路地裏と呼ぶらしい。横丁とは、路地が主に民家の間にある小道なのに対し、飲み屋さんなど店舗が並んでいる小道に使われる呼び方のようだ。 細い路地や横丁があると、つい足を踏み入れたくなってしまうのは、私、昔から。迷子になるかもしれないという思いは、不安よりも期待の方が大きかったりする。 鎌倉でも京都でも飛騨高山でも、近場では有松でも、ふと気が向いて横道に入り込んだ。そしてそこで見た景色が、有名観光スポットよりも記憶に刻まれているのは、単に私がアマノジャクだからだろうか。 そう、これまでは、ふと裏路地や横丁に入り込んでいたのだった。しかし、今回は違った。その横丁に迷い込んでみたくて、行く先を選んだのだ。 横浜の異国情
道端に、淡いオレンジ色の花をよく見かけるようになった。 ひなげしの一種の、ナガミヒナゲシ。 毎年、この花を見つけるたびに、あの春の日を思い出す。次女が小学校に入学したばかりの、あの頃。 黄色い帽子に真新しいランドセルの1年生たちは、学校が終わると、途中まで引率の先生に連れられて集団で帰ってくる。最初のうちは、解散場所まで保護者が迎えに行っていたが、やがて自分たちだけで家まで帰るようになった。 大丈夫かな。ちょっと心配しながら家で待っていた私。大きな声で「ただいまー」と帰ってきた次女は、「ママ、これ、どうぞ」」と、小さなポピーを数本、差し出してくれた。それが、ナガミヒナゲシだった。 それから数日の間、次女はこの花を道端で摘んでは持ち帰ってきてくれたと思う。その姿を見たわけではないが、黄色い帽子のヒヨコのような1年生が、道端にしゃがんで花を摘む様子が、私にはありありと目に浮かんだ。新しい環境に
関西に暮らす長女が、先日、一家でこちらに帰省した。といっても、我が家に、ではない。 私の誕生日をみんなで過ごしたい、と言ってくれたのが先月のこと。その気持ちがとても嬉しかったし、私もみんなとゆっくり過ごせたら、と願った。 ただ、ひとつ問題が。 ひとり暮らしをしている次女も加えて、総勢8名となる。本当なら「みんな、おいで~泊まっていきなよ」と言いたいところだが、夫婦ふたりで住んでいるこの3DKにはちょっとキビシイ。泊められるお客さまはマックス3名かなあ。 そこで夫が、我が家からクルマで十数分の場所に、みんなで泊まれる家を探してくれたのだった。旅館ではなくて、民泊施設。一棟貸しの古民家だ。 古民家ではあるけれど、素敵にリノベーションされている。「町家ステイ オリーブとぶどう」という名前も可愛い♡ 問題解決!一気に気分が上がっていった。笑 当日は、買い出し班の長女と次女が、昼前に名古屋の久屋大通
私にとっては「激動だった」と言いたいような2022年が、あと数日で終わる。 いつもの年と同じように今年も暮れていくんだね、と、ちょっと不思議に思いながら、先週後半、また清水に行ってきた。これが年内最後の帰省。 人とのアポイントもあり、早めに済ませておきたい片付けもある。短期間で、諸々用事を済ませようと頑張った。 とにかくちゃちゃっと終わらせ、早く帰りたかった。コンパクトな滞在はいつものことだし、年の瀬、私もそれなりに忙しいので。両親もいない実家に長居は不要、という思いもある。切なくなってくるしね。それに、温暖な静岡だけど、今年は寒い! けれども今回、少しだけお楽しみの時間を持つことができた。 最終日、お昼を食べようと外に出たら、あまりにも富士山が綺麗だったので、もっと眺めの良い場所でその全容を見たいと思った私。富士山は近所の駅からもよく見えるのだけど、タワーマンションが邪魔をしたりして、い
11月も駆け足で過ぎ去ろうとしている。 清水に事務手続きのために行くなど、あれこれ用事が重なっていた上に、やりたいことがどんどん増えてきていて、なんとも気忙しい。時間が足りない。 それでも「欲」が出てきたのは喜ばしいことで、父が倒れ亡くなった2月からの数か月は、本当に何も意欲が湧かず、何もかもがどうでもいいとすら思えていた。 あの無力感、脱力感から、ゆっくりとだけど抜け出せたのだから、私の心の回復力も捨てたものじゃない、のかな。今もまだときどき、泣いちゃうけどね。 忙しくはあるのだけど、今年の秋は紅葉に何度も心を洗われている。 先月末から今月あたまにかけて、軽井沢で期待以上の紅葉を楽しめた後も、ライトアップの始まった名古屋市熱田区の白鳥庭園で、水鏡に映り込む幻想的な夜の庭を味わった。 夜も美しい白鳥庭園 そして先日は、錦秋に染まる東山公園を歩いてきた。 ちょっと張りきって歩き過ぎて、今また
海と山、どっちが好き? そう聞かれると困ってしまう。無性に海を見たくなるときがあるし、山の空気の中に身を置きたいときもある。 今は山…いや、森、かな。 そういう気分だ。ちょっと前から私、森が恋しくて仕方ない。 ただ、どこの森でもOKというわけではなくて。 全く知らない場所へ行きたいわけでもない。いつかは行ってみたいと思っている憧れの地はあるけれど、今はちょっと、そんな気分でもなく。 好きな森がある、好きな町へ行きたい。 感染状況がある程度、落ち着きをみせ、ようやく旅行に前向きになっても許される雰囲気になってきて、私たち夫婦が旅先に選んだのは、軽井沢だった。次女もタイミングが合い、急な誘いだったにも関わらず、同行したいと言ってくれた。 宿泊先を選んでいる頃、全国旅行支援が始まり、資金的にも助かったりして、幸先の良さに嬉しくなる。まるで導かれているようだ。 軽井沢は7年ぶり。前回は友人たちとの
尼ケ坂、という言葉に反応した。 新聞の地域版で読んだ記事だった。名鉄瀬戸線の清水駅から尼ケ坂駅にかけて、約550メートルの高架下を利用したお洒落な商店街があり、人気スポットになっているという。2019年にオープンした「SAKUMACHI商店街」。 私の脳裏に、尼ケ坂の昔の景色が広がった。坂を上った先の白壁の町も。まるで絵本をめくるように。 長く生きてくると、思い出の町、場所も増えてくるものだが、名古屋の白壁、尼ケ坂界隈も私にとってそのひとつ。数えてみたら、いやだわなんと、半世紀も前の思い出だった! あの辺りが今、どんな風になっているのか、この目で見てみたい。懐かしい町を、歩きたい。 そんな風に思い立ち、夫を誘って基幹バス新出来町線に乗り、「白壁」で降りた。 実は、白壁は二重三重に懐かしい町。大人になって、この地に戻ってきてからは、仕事の取材などで何度も訪れているし、散策もしている。ただ、そ
陽を受けて輝く新緑が美しい。 私の大好きな5月が始まった。 今、ゴールデンウィークの真っ只中。コロナ禍による行動制限のない3年ぶりの大型連休だということで、どこも賑わっている様子だ。 私は……今年も遠くには行かないつもり。混雑は昔から苦手で、不要不急でなければ人込みは避けたいタイプ。それにやっぱり、まだちょっと感染が怖い。 だからこそ、GWになる前の週に、新幹線に乗り清水に行ってきたのだった。 ✻この記事は、前回の記事↓の続きです。 tsukikana.hatenablog.com この前、清水に行ったのは3月の第2週。つまり1か月以上、誰も住んでいない家を放置してしまっていたことになる。4月も慌ただしかったが、3月も忙しかったのだ。塞ぎこんでもいたし。 夜になっても灯りもつけてもらえず、朝になっても雨戸も開けてもらえない。あの家が今、そんな状態にあることに、私は落ち着かない気持ちになる。
柚子ジャム、というものを初めて作った。 先週、父のサポートで清水に行った折、父が庭の木からもいで、持たせてくれたものだ。たくさんあるので、ジャムでも作ろうかな、と思った次第。 12個(約700㌘)をお湯で洗い始めた途端、爽やかな芳香が漂い始める。半分に切り、タネをフォークで除き、果汁をボウルに絞る。もう、家中が柚子の香りに満たされた。 そうそう、取り除いたタネは、煮込むときに使うので(ペクチンを利用してトロミをつける)、捨てずに大事にとっておく。 果汁を絞った後の半割りの柚子から、指で中身を取り出し、皮の内側の白い部分を小さなスプーンでこそぎ取る。白い部分は苦みの元となるそうで、これは捨てるけど、取り出した中身の方は、後で絞るのでとっておく。 こそぎ取るのは、結構大変なのだ。繊維もたくさんあって、なかなかきれいに取り除けない。12個使ったので、×2で24回これをやるわけで、この作業にはとて
もしかすると7、8年くらい前から、実はスマートフォンに興味があったのかもしれない。父の話、である。 あの頃は、両親の住む清水に、年に1度か2度訪れるくらいだったが、行く度に父は、私のスマホをちょっと手に取った。 「買い替える?」 と訊ねれば、苦笑して首を横に振っていたが。 母の、何度かの手術と入院で、あの家にしばらく滞在することもあった。父と一緒にバスに乗って、毎日病院へお見舞いに行っていた、あれは何年前だろう。 バス停の後ろの新聞販売店の軒先に、ツバメが巣を作って出入りしていた。6月くらい、だったのかな。 バスを待ちながら話をしていて、何か、言葉の意味をふたりで思い出そうとしていた。私がおもむろにスマホのマイクに向かって言葉をしゃべり、その意味を即、導き出したとき、父は心底、感心したような顔をして見つめた。私でなく、スマホを。 スマホの画面を、2本の指で拡大したときも、ほっほう!と驚き、
この季節、お花屋さんの前を素通りするのは難しい。選んで買うとなると、ますます難しい。悩むけど、笑みがこぼれる。 SMAPのあの歌のように、 ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね と、お花たち全部まるごと、褒め称えたくなる。 「人生で一番嬉しかったことは何ですか?」 そう聞かれたら、なんて答えようかと考えてみた。いつか読んだ新聞の投稿欄で、そんな話題があったから。 でもこれ、初恋はいつですか?という質問と同じくらい、難しいな。 え?初恋?難しい?と言われるだろうか。 だって、小学生くらいから、クラスの男子の中に「ちょっといいな」くらいに想う 子がいたりするけど、それって恋と呼べるのか?という問題があるし。 私は中1で西城秀樹さんにハートを奪われたが、そういうのを初恋、と言ってしまっていいのかどうなのか、とかね。よくわからない。 ✻でも、HIDEKIは本当に好きだったなあ。今も好
忙しすぎて心が迷子になっていない? そんな風に聞かれたら、どれだけの人がドキッとするだろう。私の場合は忙しすぎではないと思うが、心は迷子になりがちだ。 何をしていても「今って、こんなことをやってていいんだっけ?」「私はどこへ行くのだったかしら」と心細くなり、目的地や道しるべを探したくなる。また、「気持ちが散漫だな」と思い、「軌道修正をしなきゃ」と焦ることが多い。 冒頭のことばは、「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」という映画の予告編字幕で見て、心の端に刺さっていた。 公式サイト tasha-movie.jp ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)さん。1915年8月28日に生まれ、2008年6月18日に92歳で永眠。その絵本のタッチに懐かしさを覚えるのは、私も幼い頃、彼女の本に触れたことがあったからかな。あるいは誰かからのクリスマスカードだったかも。 この映画を観てみたいと思っ
次女が家を出てから2週間になろうとしている。 この秋、7人で暮らし、MAX8人いた日もあった家に今、夫婦ふたり。この落差! 娘のチェストや棚、そして大量の服と靴が消えた。この引越しに乗じて私も少し断捨離。まだ片付けは完全に終わらせていないが、ずいぶん広くなったと感じる。うちってこんなに広かったかしら。 いろいろあって、前の家から引越してきたのが4年前のこと。それから3人で頑張ってきた。本当に仲良く頑張ってきたよねと、思い出せばまた涙が出そうになる。大変だったけど楽しかった。次女のおかげだ。 4年9ヶ月前の長女に続き、私の大切な宝物がまたひとり、手元から巣立っていった。 25歳。決して遅い独立ではない。私は20歳で家を出ている。前からひとり暮らしに憧れていた次女には、「いつでも出て行っていいんだよ」と伝えていた。 自立したいという気持ちは大切だし、応援しようと思ってきた。今だってそう思ってい
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