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ゲームシナリオには、「矛盾や違和感を潰していく」チェック工程がある。ところが稀に「魔法なんて現実には存在しないですけどね」というレベルで、ジャンルそのものを否定されるチェック体制になることがある。どういうことかというと、「ゲームを遊ばない素人感覚こそ正義」という方針のため。
「ある文章を読んで、書いてあるとおりに理解できる」というのは、特別な才能です。ほとんどの人は、「文章を読んで自分が思ったこと」を、「そう書いてあった」と錯覚します。書かれたことと、読み取ったこと。両者は別のものです。
これは怖いことだけれど。「誰かを変えたい」って欲望は、薄っすらと広く、人々の中にあるのです。弱ってる人に、「影響を与えられそう」って近づいて。でも、根底にあるのは「良くしたい」ではない。「助けたい」ですらない。「自分が人を変えた事実を味わいたい」だけなのです。だから、怖いのです。
自分が居なくなっても、「だいたいのことが出来るように」って思うのが愛情。自分が居なくなったら、「なんにも出来ないように」って仕向けるのが支配。一緒に居て「出来ることが増えてく」のが、相性の良い人。一緒にいるのに「あれは駄目、これは駄目」と出来ないことを増やすのが、合わない人。
誰かに、「こうすればいいよ」と言われた時。それが「批判」に聞こえるなら、ふたりの関係は良好ではなくて。「助言」と思えるなら、ふたりには教えと学びがあって。「意見」として受け止められるなら、ふたりは対等で。言われたことをどう感じるかで、関係性は測れるのですよね。
苦手な作品と出会った時。「自分はこのテのものは苦手らしい」と気づいて距離を置くのが、自己防衛。「こういうものが好きな人もいるんだな」と認めるのが、懐の広さ。「自分を不愉快にした!許せん!」と殴りに行けば、暴力。「みんなが不愉快です!」とみんなを持ち出すのが、正義の味方気取り。
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