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【週刊新潮】 大臣が判子を捺さないので、戦後、在日重罪犯の国外追放はゼロ…治安上、死刑執行拒否より問題ではないのか ◇変見自在 帝京大教授 高山正之 ▼怠慢 『台湾人と日本精神』の著者、蔡焜燦氏は陸軍特別志願兵として京都の山奥で敗戦を迎える。 その年の暮れに祖国台湾に帰還するまで、敗戦の混乱についても触れている。 一夜で「戦勝国民」になった氏らには有り余る食べ物が提供された。 氏はそれで焼きお握りを作り「時には京都駅まで」行って飢えた子供達に配った。 ふと見ると「子供たちに海軍の防寒用チョッキを分けている連中がいた。聞くと同じ台湾志願兵だった」 しかし同じ部隊にいた朝鮮人たちは「食糧倉庫や被服倉庫を襲って集団で強奪した」 「意気消沈する日本人を殴って戦勝国民だと威張っていた」 戦勝国民のために日本は特別列車も仕立てた。たとえそれが数人でもまる一車両を用意する。 粗相があると彼ら戦勝国民は駅
6日午前、在日本大韓民国居留民団(民団)は、在日本朝鮮人総聯合(朝鮮総聯)との和解宣言を白紙化すると発表した。民団が明らかにした直接的理由は「ミサイル」だ。 しかし「民団・総聯の和解宣言の白紙撤回」は、6月24日に開かれた民団の臨時中央委員会で決まったものだ。既に事実上白紙化された状態であり、北朝鮮のミサイル発射は公式発表のきっかけになったに過ぎない。それでは5月17日の電撃的な「和解宣言」後、一体どんなことが起きたのだろう。 去る5月17日、民団の河ビョンオク団長は東京の朝鮮総聯本部を突如訪問し、いわゆる「5・17宣言」を発表した。民団と総聯が互いに和解して協力してゆくという内容だった。しかし発表が出るやいなや民団内部の反発が大きかった。事実上「5・17宣言」は、民団の基盤組職を担当している保守的地方組織の同意を得ぬまま出た突然の措置だったからだ。<中略> また、総聯との和解に対する民団
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