サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ニコニコ動画
utenglishohashi.seesaa.net
あるいは翻訳者の人数は重要だ 最近というか、現在、翻訳中の本において、ジュディス・バトラーのBodies That Matter(1993)が引用されていたので、日本語訳でも確認するために、『問題=物質となる身体』(以分社2021)を購入購入した。 定価(税抜で)4200円。全体がおよそ420頁なので、こういう人文書としては標準的値段設定(つまり1ページ10円)で、安くはないが、高いということはない。 また内容は優れた翻訳で、この難物を(著者自身、難解な本であることを認めている)、ここまで丁寧で明確な日本語に仕上げられたことに対しては、ただただ頭が下がる。今後、長く読まれるべき優れた翻訳だと思う。 だから、こんなことを書いても、この翻訳の価値を少しも下げるものではないし、まただからこそ書かせてもらうのだが、いったい、この翻訳は誰が訳しているのだ。 Amazonで調べたときには、「佐藤嘉幸(
テアトル新宿は、毎回、毎日満席なのだが、他の映画館では満席になることはない。だが夜8時近くの回だったが(終わりは10時)、たくさんの人が入っていて驚いた。 アニメそのものは、ほのぼのとした図柄に、戦争の現実を、さらにいえば戦時下の現実を、庶民それも庶民の女性の視点から見ることによって、類のない戦争(アニメ)映画となった。「のん」の声も、いわゆる声優の発声とは違うのだが、その個性と癖が、声優たちの演技と調和して、印象的な語りを形成していて、声を聴いているだけでも飽きない。 そして初めて見て気づいた印象としては、空襲によって焼野原となった呉軍港と周辺地区に、戦争が終わったあと、その一角に、小さく、韓国の太極旗(だと思うが)が、ひとつだけ掲げられる場面がある。一瞬だが、そのもつ意味は大きいと思う。それは呉軍港にも朝鮮半島から徴用されていた多くの艦国・朝鮮労働者たちがいたこと。彼らも、日本人ととも
久しぶりにBSで吉田類の酒場放浪記をみた。相変わらず、酒を飲んでいない。もちろんテレビ【衛星放送】のレポート番組である。調子にのって取材先の酒場でのみまくっていたら、酔っ払って番組を進行できないので、飲む量は抑えなければいけないと思うのだが、それにしても、まったく飲んでいない。一口も飲んでいない。ちょっとなめる程度であって、利き酒のときですら、人は、もう少し口にふくむだろう。実際、みていていたいたしい。昔は、豪快にのめたのかもしれないが、いまや、いろいろな理由からのめなくなった、あるいはのんではいけない体調となったのだろう。とにかく、豪快に飲んでいるふりをしていても、ばれてしまう。まったく酒を飲めない人間が、酒の味見をするときのように、ほんのちょっとだけ舌の先にのせるだけなのだから。 これは皮肉なことなのか。以前は酒場詩人としてならした男も、病気その他の理由で、酒をのめなくなった。にもかか
大学院の試験の論述問題で、動物文学に関する問題を出したところ(選択問題なので、受験生全員が答える必要はない問題だが)、カフカの『変身』について触れる答案が多かった。 しかし『変身』は、虫にかわるのであって、虫は生物であっても動物ではない。なにを考えているのかと思ったのだが、ただしカフカを選択するのはまちがっていはいない。カフカの作品には動物はよくでてくる。動物寓話もある。人間の言葉を覚えたサルが学会で報告するという話(正確にはそのサルの演説が作品となっている)は有名である。鼠の歌姫とか、モグラの巣穴の話など、あるいは動物文学ではないが『審判』の主人公は「犬のように死んでいく」。カフカにおいて動物は枢要なモチーフである。ただし『変身』の虫はちがう。動物ではなく生物だ。とはいえカフカの『変身』を選んだからといって、それで不合格にはしなかったのだが。 それと同じで、映画『ロブスター』The Lo
以下の記事が目についた。 「トイレの神様」植村花菜さん、故郷の市制70周年記念しコンサート朝日新聞デジタル1月4日 兵庫県川西市は、市制70周年を迎える今年8月1日、堅苦しい式典をしない代わりに、市出身のシンガー・ソングライター植村花菜さん(41)の記念コンサートを市キセラホールで開く。 来賓あいさつが続く従来の式典よりも、市民が主役で楽しめ、記憶に残るイベントで祝いたいと、若手のプロジェクトチームが発案した。 植村さんは生後3カ月から21歳まで川西市で暮らした。2010年、「トイレの神様」が大ヒット。翌年、市のイメージ向上と文化振興に貢献したとして、市民文化賞が贈られた。 市制70周年では、市民から募った「川西のこんなところが好き」というエピソードを基に、オリジナルソングを制作することも快諾。記念コンサートで初披露するという。【以下略】 それにしても今年の8月1日に行われるイベントに関す
フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作として、見ておかねばならない映画だったが、見終わったすぐの感想は、彼の遺作でなかったら、無理して観なくてもよかった映画かなというものだった。エンドクレジットの際に流れる迫力のある歌声が、一番、強烈に印象に残ったといえばいいすぎか。このどすのきいた強烈な歌声は、まるでトム・ウェイツだと思ったのだが、エンドロールをみていたら、トム・ウェイツの歌だった。昔イギリスにいた頃、夜の一週間の帯で、特定のアーティストのステージの演奏と映像を流すテレビ番組があって、そこでたまたま月曜日から金曜日まで夜の11時30分から12時くらいまで、トム・ウェイツのステージを見たことがある。その甲斐あってか、トム・ウェイツの歌声が頭のなかに刻印された。とはいえ一週間聞かなくても、一度聴いたら忘れることのない声なのだが。 しかし、映画のそのもののよさも、じわじわとにじみでてくるところが
昨日(2013年7月24日)に『モンスターズ・ユニバーシティ』について触れた際、前作の『モンスターズ・インク』はゲイ映画であると語った。なぜ、ゲイ映画なのか。私が、批評理論の授業で配っているプリントの一部を、ここに転載して、その答えを確認しておきたい。 ディズニー&ピクサーのCGアニメ映画『モンスターズ・インク』(2001,日本公開2002年それにしても10年以上も前の映画なのだと、今回あらためて悟った)は、子どもの恐怖の叫び声をエネルギーとして蒐集するモンスターズ提供有限会社に働くサリーとマイクのコンビが、ふとしたきっかけで、モンスターの世界に紛れ込んだ人間の女の子に翻弄されつつ愛情を抱き、やがて彼女を守るうちに、会社内での陰謀をつきとめ、さらに会社を、子どもをおもしろがらせ笑い声をエネルギーとする新会社へと生まれ変わらせるという、心温まるファンタジーである。ここには大人(と想定される)
*2013年7月18日 私がクィア学会を辞めたわけ1 のつづき、 どのような学会でも運営の仕方はだいたい同じだと思うが、日本の制度を参考にすると、国会にあたるのが、会員によって選ばれた評議員会、そして内閣にあたるのが理事会となる。理事は、評議員から選ばれてもいいし、評議員とは別に会員から選んでも、時には部外者から選んでもいい。会長にあたるのは理事長となる。もちろん、法人化しなければ、このような国会と内閣にしなくても、両者を一体化することも可能だし、時には国会をなくして会員全員が参加する総会にしてもいい。クィア学会は、国会(=評議員会)にあたるものをやめて、総会(全員)と、会員から選ばれた幹事会(内閣とか執行部にあたる)とで構成することにしたようだ。法人化していないので、これで充分だということだろうし、また制度的に問題ないかは、相談の上で、決めたことなのだろう。まあ、さまざまなかたちの組合と
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『大橋洋一 Busy Doing Nothing』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く