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パリ五輪
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日本の国土面積3780万haのうち森林は2505万ha。FAO(国連食料農業機関)のデータによると、日本の森林率は68.5%とされています。つまり、私たちの国土の7割は森なのです。先進国の中ではフィンランドに次いで2番目に森林率が高く、世界でも有数の森林国と言えます。 一口に森と言っても、成立過程や樹種、所有者によっていくつかに区分されています。 まず成立過程で見ると、2505万haの森林のほぼ半分(約1,348万ha)が天然林です。天然林とは自然の力で生まれ育った森林のことで、自然林とも言います。日本の天然林の多くは広葉樹林。日本人の暮らしと共にあった里山や鎮守の森、あまり人が入らない奥山まで、天然林は幅広く分布しています。 一方、人の手が全く入らず一度も伐採されたことのない原生林は、日本でもごく僅かしか残っていません。また、天然林、特に原生林は一次林とも呼ばれ、これらが伐採や火災などに
木を削り取った薄い板のことを「経木」(きょうぎ)といいます。もともとはお経を書き込んでいたというのが名前の由来で、主に食品の包装に使われてきました。今でもお寿司屋さんが仕込んだネタを載せるために氷の上に敷いていたり、お饅頭や肉まんを蒸かすときの底にしたり、納豆を包んだりと、さまざまな使われ方をしています。その経木をつくり続けているのが群馬県桐生市の佐藤経木工場。創業者で今も現場に立つ佐藤徳則さん(大正15年生まれ)は経木の魅力を次のように語ります。 聞き手・文:赤堀 楠雄(林材ライター) 経木にはアカマツを使います。脂分が適度に入っているから色艶がいいし、粘りもあるんですよ。習字の墨はマツの煤からつくるでしょう。マツにはそれくらい脂分があるんです。経木もね、燃やすと黒い油煙が出ますよ。 昔は何でもこれで包んでたんですよ。サンマも味噌も佃煮もね。おにぎりもこれで包めば握ったままの感じでおいし
子どものころ住んでいた茨木や高槻というあたりは住宅街だったので、近くには、せいぜい神社とかお寺の藪くらいしかありませんでした。ほんとの森に出会ったのはフィールドワークしながらアマゾンに行ったり、フィンランドの森を歩いたりしてからです。だから、小さいころの自分にとって身近だったのは森より木ですね。樹木です。そのころ必ず毎日登っていた桜の木がありましたし。木は自分にとって、パートナーみたいな感覚を自然に持てる対象ではありましたね。 フィンランドの先住民が兄弟の契りを結ぶ「わたしの木」と出会うとか、ケルト人は相談相手となるような木を森で見つけるとか、あるいは中国で、自分の気の体質に合ったパートナーの木と向き合って気功をする伝統があるとか、後になってフィールドワークをしながら知ることになります。もちろん、小さいころは、そんなに明確に意識していたわけではありません。 でも、「木の上にいる自分がホント
子どもの時は兵庫県の相生市という港町の山のほうに住んでいて、よく裏山に遊びに行ってはカブトムシやクワガタ、セミ、トンボなんかを捕ってね。昆虫採集が好きでした。セミなんか虫かごがギッシリになるほど、今だったら「こんなに捕ってどうするんだろう」と思うぐらい。いっぱい捕って満足して、戦利品でしたね。 ある時、山に入ってふかふかの腐葉土をバケツに取ってきて、製材所からもらったオガクズと混ぜて水槽に敷き詰めて、カブトムシを飼いました。雄と雌とを入れておくと卵を産んで幼虫が生まれるんだけど、これが面白い。最初の年に立派なカブトムシを捕ってきて投入するでしょ、すると次の年に生まれたやつは成虫になっても少しひ弱で小さいんですよ。で、もう1年するとコガネムシぐらいのサイズになっていて(笑)。これでもカブトムシか!ぐらいに。だんだん小型化するってことが、不思議でしょうがなかった。 森の中の沼のようなところで、
日本の民俗宗教には、八百万(やおよろず)、と言われる程多種多様な神さまがいますが、それは、古代より日本人が山や海や木や岩など、身近な自然物のすべて、森羅万象を信仰の対象としてきたことと関係します。 また、古代の日本では、世界は人々が毎日を暮らす現実世界「ウツシヨ(現世、またはこの世)」と、永遠に変わらない、神や死者の世界「トコヨ(常世・常夜、またはあの世)」で成っていると考えられていました。興味深いことに「トコヨ」「あの世」は山の彼方や、海の彼方などにあるとされていて、大きな自然を「人知を越える境界」として怖れ敬っていた、と想像することができます。 古い日本の神道では、山や森を神が宿ったり降臨したりする場所としてまつってきました。これが山岳信仰です。雄大な山の威容や火山の圧倒的な力などに対する畏怖・畏敬の念や、水源・狩猟の場・鉱山・林業の場として、森林が人間の生活に多くの恵みをもたらしてく
福井県にある鳥浜貝塚からは石斧柄、弓、尖り棒など変化に富んだ木製品が豊富に出土。使われた樹種はスギ、ヤナギ、クリをはじめ30種にものぼり、それぞれの樹種の性格を充分に理解した木材の使い方が既に実践されていたようです。 有史時代に入ると、水田耕作の肥料としても森が使われるようになりました。落ち葉や草木の若芽・若葉を刈り取り、田の中に踏み込んで腐らせる「刈敷」がそれです。風土記には、松脂、榧子(かやのみ)など様々な草木が薬用に使われていたことが記されており、人々の知恵による森活用の幅が広がって来たことがわかります。 その一方で、建築用の木材需要増加や水田開拓のために森林乱伐が進みました。日本書紀によると、天武天皇が、飛鳥川上流の畿内の草木採取と畿内山野の伐木を禁止する勅を発令(676年)。これは、森林伐採禁止令の最古の記録とされています。 平城京、平安京の建設、寺社仏閣の建築ブームなども相まっ
森学ベーシック SDGsと森 SDGsとは? 国内外の「持続可能な森林の管理」や世界規模の取り組み事例など、森の視点からSDGsをご紹介します。
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