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「三ツ矢サイダーミュージアム」では 無料の工場見学を通して三ツ矢サイダーなどの商品にまつわる さまざまな知識を得ることができます。 見学には ホームページから事前予約が必要です。 まずは10分くらいの映像で 三ツ矢サイダーの歴史からアサヒグループについての紹介です。 平安時代の川西生まれの弓の達人・源満仲が放った鏑矢を 探し当てたのが孫三郎で「三ツ矢」という姓と紋を与えられたこと。 時は流れ1881明治14年 川西市に湧く天然鉱泉を 瓶詰めにし「平野水」として川久保久之が販売し 「三ツ矢伝説」を元に3本の矢羽根を登録商標としたのが 三ツ矢サイダーのはじまりということなど。 当時は御料飲であり高級な飲み物だったのです。 サイダーが大衆化され需要が伸びると 炭酸やガラス容器を供給する企業などは大日本麦酒(株)としてまとまり 大日本麦酒は戦後 朝日麦酒と日本麦酒に2分され 三ツ矢サイダーはアサヒ
日本の伝統的な結婚式に欠かせない能・謡曲「高砂」 「高砂神社」がその発祥ということで訪ねてみました。 神功皇后が国家鎮護を願い 大己貴命を祀ったのが起源という歴史の古い神社です。 高砂神社が高砂牛頭天王とも呼ばれるのは 平安時代に疫病が流行るも 牛頭天王と同一視される素戔嗚尊と その妻・奇稲田姫尊を合祀したところ 疫病が止んだため。 境内の案内図↓ 江戸時代の初期に 池田輝政が神社を移転させ高砂城を建てたらしいのですが 遺構もなく・・・ 続いて姫路城主となった本多忠政が 高砂神社を元の場所へ再建したらしく あちらこちらで「立葵」を入れた瓦^^ こんなところで本多家を感じることができるとは ちょっと感激^^ 2025令和7年で再建400年を迎えるとのことです。 こちらが 各地にある元祖と言うべき「相生の松」↓ ご・・5代目・・??? 本多忠政が植えた3代目の松は霊松殿にあります↓ 松の霊、つ
淡路島にある真言宗 別格本山 本福寺へ行ってきました。 このお寺を有名にしているのは ハスの花が咲くコンクリート製の水盤の下にある本堂。 水盤の中央から階段を降りたところが ご本尊・薬師如来を安置する地下の本堂という なんとも奇抜な設計は 安藤忠雄建築研究所によるもので 1991平成3年の竣工。 初めて写真を見たときから 寺院とかけ離れたつくりに興味を持ち 水御堂という美しい響きにも惹かれて いつか行ってみたいと思っていたのです。 それで ついに時が来た!とはやる気持ちをおさえつつ しかし4月のことで ハスの花には早過ぎることはわかっていましたけど まさか、ね? 水盤の半分が水抜き清掃中だなんて・・・・ 鉢植えがあらわになって見苦しくないですか? だけど せっかく来たんだし おそらく最初で最後かもと思い直して 有料の地下の本堂も拝観してきました。 ご本尊のある内陣は撮影不可で 建物の写真は
徳川家康の出生地である愛知県岡崎市。 岡崎城のある岡崎公園に 2023年の春、お邪魔してきました^^ 大手門は再建で昔とは場所が異なるそうですが くぐると「葵の紋」がお出迎え。 豊臣秀吉の「五三の桐の紋」といえば 桐は鳳凰がとまるという格の高い木であることから もとは天皇家の紋として扱われており 功績のある武家に与えられていた紋章でした。 先人の足利尊氏や織田信長らと同様に 家康にも「菊紋」や「桐紋」を授けようとした朝廷でしたが 家康はこれを丁重に辞退しています。 代わりに 根が広がり繁栄を意味する葵をモチーフにした「葵紋」を 徳川家の家紋に定め 徳川家以外は使用を禁止することに。 いっぽうで「菊紋」は庶民でも使用することを許したため 日用品や和菓子などにあしらわれ大衆化。 その結果 「葵の紋」は「徳川家」と紐付けられ 見れば誰もが驚くようになったとか?知らんけど^^ こちらは 徳川四天王
あの日 白壁兵舎史料館だけでなく 新発田城も見に行くと告げていれば タクシーの運転手さんから 助言をいただけたかもしれません。 新発田城は 冬季(12月~3月)閉鎖しているのですから。 そんなことも知らずに白壁兵舎史料館の2階窓から 見たことのない景色を喜んで…^^ 復元された三階櫓かぁ^^ 史料館を出たら 少しでも近付けるように 新発田城址公園を歩きに行こう、と思っていたのです。 お城に関する事柄を白壁兵舎で見て あとで照らし合わせようとも考えていました。 ただ史料館での新発田城の紹介は 少し物足りない気がしたので 自分なりに調べたことも簡単に記しておきます。 築城時期は正確には不明としつつも 鎌倉時代1185-1833初期から。 新発田氏が代々 越後の国の守護・上杉家に仕え 新発田城を本拠に 現在の新潟市や三条市あたり一帯を支配していたようです。 上杉謙信の頃には 新発田長敦ながあつが
新潟県新発田市にある「白壁兵舎広報史料館」は 自衛隊の活動状況などに 国民の理解が得られるよう発信しているところ。 史料館では主に この地がかつて新発田城であったこと 兵舎が置かれ国軍の拠点の1つとなり こちらから戦地に出兵していったようすや遺品 現在の新発田駐屯地のことなどが紹介されています。 ちなみに自衛隊の広報館は 収益を目的としていない無料の施設で 陸上自衛隊では 白壁兵舎(新発田市) りっくんランド(朝霞市) 乃木館(善通寺市) …と全国に3か所しかありません。 白壁兵舎は1874明治7年 陸軍 東京鎮台 第8番大隊 分屯営の兵舎として建てられました。 150年近く残る日本最古の木造兵舎で 白漆喰の外壁から白壁兵舎と呼ばれます。 幕末より外交関係のあるフランスの兵制を導入したため 兵舎もフランスにならっています。 しかし日本の棟梁が建てたため 洋風建築の中に日本の城郭建築の技術が
個人的にはよくお世話になっている佐川さん^^ 「祇園佐川急便」 さすが京都!景観に似合う良い看板ですね^^ こちらは朝ごはんのお店↓ 「京のおばんざい」なんてまず選ばないのですが 女子力高い友人の希望につき。 観光客に人気があるらしく 1階はすでに満席だったので 2階へ通されました。 メニューはこんな感じで… ちょっとづつ盛り付けられたのが上品ですね。 「朝・雅ご膳」にしました。 はい、あっさり。 京の台所という錦市場もすぐ近く。 10時前だったからか 開いているお店は少数^^; 鴨川デルタの飛び石↓ まさか亀さんがいたなんて…^^ かわいいから近所の川にも置いてほしい。 気になっていた 上賀茂伝統的建造物群保存地区へ。 せせらぎが素敵♡ もちろん上賀茂神社もお邪魔してきました。 こちらは東山の保存地区。 歩いてたら 魔境への入口みたいなの発見。 魔界じゃなかったみたいです^^ 写真に映え
京都の木屋町通り。 町家が続く一角に佇むこちらは… 高級和栗専門と掲げる「紗織(さをり)」というお店。 人気店のわりに誰もいないと思ったら タッチパネルで順番をとるシステム↓ すでに12番目だったので 時間が来たらスマホにお知らせが届くように設定^^ さらにこのようなご案内も↓ 待ち時間にうっかり飲食などしてはいけませんね^^ いよいよ着席してメニューを確認。 あらかじめ情報を得ていたので驚きませんが 通常のモンブランとはお値段が違いすぎます。 モンブランの紗2600円と絽1800円は 栗の産地が違うだけで大きさは同じだそうです。 ここまできたら せっかくなので高級な「紗」を頼んでみますね。 そしてドリンクもオーダーしないとなので 最近はまってる和紅茶を。300円は良心的だけど 席には モンブランをいただくためのセッティング。 小さい器に ラムネみたいなのが乗っかってるなー?って気にしてな
大坂の豊臣方への備えや水害などへの対策として 都市をまるごと移転させた「清須越し」で 徳川家の威信をかけて築城した名古屋城。 天下普請により 豊臣秀吉の重臣であった外様大名たち※20藩ほどが 築城に携わり1612年に完成を見ました。 ※加藤清正、前田利常、黒田長政、細川忠興など 金の鯱を頂に 「尾張名古屋は城でもつ」と謳われ 天下に知られた名城は 家康の9男・義直を藩祖に 明治を迎えるまで 尾張徳川家62万石の居城でした。 1930昭和5年 天守と御殿が完全な形で残るまれな例として 日本の国宝第一号の指定を受け 名古屋空襲がなければ 世界遺産になっていたことと思われます。 主要な建物は失われましたが 戦後は外観が原型どおりの天守閣が復元され 石垣や隅櫓などが残る一帯は国の特別史跡に。 中心となる本丸は 南に表門、東が搦め手、北の不明門の3か所 いずれも2重の門で桝形の虎口になっています。
今年も淡々と語る つまらないブログですが よければ読んでやってください^^ お正月3が日だけで 例年200万人以上を集めるという 名古屋市熱田区の熱田神宮。 皇位継承の証として受け継がれてきた 三種の神器のひとつ・草薙剣を御神体としており その格式の高さがうかがえます。 ここに草薙剣が祀られるようになった経緯を 簡単に記してみると… 八岐大蛇の体内から出た天の叢雲の剣は 天孫降臨によって再び地上に下されました。 伊勢神宮に仕えた倭姫命は 甥の日本武尊に剣を与えています。 日本武尊はその剣でもって東国を平定し 剣は草薙剣と呼ばれるようになりました。 そして剣を宮簀媛みやずひめに預けたまま 伊吹山の神を倒しに行くも 自らは息絶え。 宮簀媛の手元に残された草薙剣を祀るため 創建されたのが熱田神宮で 2000年近く昔のこと。 皇居には 草薙剣の形代がお祀りされているのだそう。 さらに熱田神宮は 天
この話を知ったのは 中学校の音楽の授業で。 歌舞伎「勧進帳」の映像を見たのです。 言葉が理解しにくく 内容がよく分からないものの 先生が補足をしてくれて 生きることの厳しさの中にも 優しさがあるのだと感じました。 時は流れて 舞台となった場所が小松市と知り 実際に訪問してみた次第です。 それは「安宅の関所跡」。 石川県小松市の安宅住吉神社は 海抜15mの二堂山ふたつどうやまの頂に位置します。 源義経を捕えるために 兄の頼朝が安宅の関所を置いたところで 一帯は石川県の史跡です。 時は1187文治3年の春 頼朝から謀反の疑いをかけられたため 都を追われる身となった義経一行。 奥州平泉の藤原氏を頼みの綱に 北陸路をくだることに。 身元を隠すため山伏に変装した義経たちが 安宅までやって来たときのこと。 弁慶は 自分たちは焼失した東大寺を再建させるため 勧進(寄付金集め)を行っているのだと 関所通行
日本三名園とは 水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園のこと。 金沢城の外郭に位置する兼六園は 1676年、加賀藩5代・前田綱紀が 蓮池亭という別荘と周辺の蓮池庭を作庭したのがはじまり。 その後180年間にわたって歴代の城主が 自らの好みのままに手を加え 13代・斉泰なりやすの頃に今日見るような景観となりました。 山や池を配し それらを巡る池泉回遊式というタイプの庭園は 四季折々の景色が楽しめることで知られ 世界中からの観光客を集める金沢観光の鉄板の地。 庭園版国宝ともいえる特別名勝の指定を受けています。 庭園への出入口は全部で7つあり うち「蓮池門口」が前述の蓮池庭のあったあたりで 兼六園の正門とされるようです。 今回は石川門から最も近い「桂坂口」から パンフレットや看板を頼りに見てみます^^ 桂坂口の由来となった桂の木↓ ↓さっそくせせらぎを発見。 源流は霞ヶ池でした↓ これが有名な
尾山神社を抜けて 西側の鼠多門から金沢城公園を歩き 城内最大の河北門二の門から 三の丸広場へ入ったところまで 前回の記事にしました。 今回は 三の丸へ通じるもう一つの門 石川門を外から見たところから。 二重櫓と続櫓を門と渡櫓で連結。 破風の下の石落とし↓ ちょんまげのような京の巻の瓦が かっこよさを際立たせますね^^ 軒下の波打つ漆喰も 仕上げるのは難しそう。 重文の石川門は金沢の街の象徴として 金沢に行ったことがなくても 見たことがあるのではないでしょうか。 1759年の火災で 城のほとんどが消失したものの 石川門は1788年に再建されて以来 その後の火災の影響も受けず現在に至ります。 金沢城の搦手、裏口とはいうものの 兼六園とつながり利用者も多いことから 正門と勘違いしてもおかしくなさそうです。 しかし江戸時代は非常口のような感じで ここから出て敵を背後から攻めたり 密かに脱出するため
加賀百万石の城下町の中心は 浅野川と犀川に挟まれた丘陵地に築かれた金沢城で 現在の金沢城公園。 もとは北陸における真宗の拠点・尾山御坊だったところで 大坂の石山本願寺のごとく 石垣を備えた城塞のような寺院であったようです。 織田信長の命により御坊は攻め落とされ 佐久間盛政が城郭へ改造。 これが 尾山城、のちの金沢城となるのです。 本能寺の変の翌年1583年 織田政権の後継争いである賤ケ岳の戦いで 佐久間盛政は柴田勝家に属し 前田利家も初めは勝家側であったものの 迷った末に勝家を裏切り秀吉側へ。 結果、秀吉が勝利を飾っています。 信長に仕えていたころの利家は 能登の国の領主で 賤ケ岳の戦いから秀吉の信頼を得て 佐久間盛政の旧領地であった北加賀を加増されました。 これまでの領土である能登と越中全土に 46歳のころ北加賀が加えられ 能登の七尾から金沢城へ移るのです。 豊臣政権では 徳川家康と共に
金沢の尾山神社ライトアップ。 この日は遅かったので 目の前の宿泊地でありながら 尾山神社と金沢城公園は諦め… 翌日に早起きすれば 逆算して自由時間を作れそうです^^ ならば朝から行くしかないでしょう♡ 次の日 ホテルの12階からの景色に歓喜^^ 朝ごはん食べにきて良かったー♡ まさか尾山神社の神門が見下ろせるなんて! 後ろの上のほうに見えてるのは 地図で確認すると三十間長屋っぽい。 高低差もある平山城だし どこまで行って戻れば間に合うかな? 時間と雨との戦いを自分に課して いざ参らん^^ ライトアップ無くても 外観そのもののインパクトが強すぎ^^ と、その前に ここが金沢城の西の外郭だったらしい。 一般道と神社の境には 西内惣構にしうちそうがまえの東の石垣がわずかに見られます↓ 神門の案内板も↓ 木造というのが意外ですが 「加賀藩を象徴する戸室石」 という言葉が気になったので調べてみる。
北陸地方のこれからの季節は どんよりとした灰色の空が続くのでしょう。 長い冬のはじまりです。 冷たい雨の降る中 金沢へお邪魔しました。 さむ… さて。 木造家屋に石畳の景観がつややかなこちらは 1820年に加賀藩の政策で 同業者を集中させた町区分を行ったことにはじまる 「ひがし茶屋街」。 金沢城とは浅野川を隔てた外側に位置し 「ひがし廓」と呼ばれたこともあったようです。 お茶屋といってもお茶を売るお店ではなく 酒宴や芸事を楽しむ大人の社交場だったところ。 通りに面して 視線を遮る格子戸と高さのある2階 屋根は切妻で瓦葺という統一された町並み。 江戸時代の名残りが見られるこの一帯は 国の重要伝統的建造物群保存地区。 今も5軒のお茶屋が営業され 芸妓さんも10数名とか。 いずれも 紹介無しでは入れない「一見さんお断り」という方式で 夜のひがし茶屋街は 上流の町人や文人が通ったころのままの格式高
各務原市には 航空自衛隊・岐阜基地があります。 その飛行場は陸軍時代からのもので 各務原は日本最古の空の街なのです。 各務原の街で たくさんの飛行機が造られてきたことを物語る 「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」。 愛称は「空宙博」と書いて「そらはく」となります。 ゲートから建物までは滑走路風のアプローチ。 気分が盛り上がります^^ 野外展示には 戦後初めての国産旅客機・YS-11など↓ リニューアルしてからは初訪問 どんな感じに変わったかなーって 気になっていました^^ まずは各務原が 航空機産業をスタートさせた 記念すべき飛行機「陸軍乙式一型偵察機」から。 なんだか連載みたいになってるけど 川崎造船所(現・川崎重工業)が 第一次世界大戦時の1918大正7年に 仏・サルムソン社から製造権を取得して国産化した、とあります。 飛行機の材料に自然素材というのも 原点を見るようです。 そしてこちら
富山県射水市に 係留保存されている初代・海王丸。 まず「射水いみず」という読み方には ちょっと悩みました。 市のページによれば 「射水」の地名は、古くから書物や地図にその名が記されるなど、長い歴史を持つ由緒ある名前です。 射水市は、富山県を代表する大河である神通川・庄川の間に広がる射水平野の大部分を占めています。射水平野は中小の河川や地下水に恵まれた土地として古くから栄えてきました。古代の人々は、水の湧出をあらわす言葉「イ」・「ミズ」にちなみ、この地を「イミズ」と呼んだと考えられます。 平安時代に完成したとされている地方の豪族などの系図をまとめた書物『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』に、伊弥頭(イミズ)という行政区域を支配した豪族「伊弥頭国造(いみづのくにみやつこ)」がいたと記されています。 また、行政区域としての「射水郡」という地名は、奈良時代を代表する歌人、大伴家持がまとめたとされ
メリケンパークに 華やかさを添える海洋博物館。 帆船と波をイメージしたという 白いパイプの屋根が印象的な建物は お洒落な街・神戸にふさわしく。 エントランスホールには 英国艦船ロドニーの模型がお出迎え。 神戸開港を祝うために集まった 英、米、仏の外国船18隻の1つとあります。 模型のむこうにカワサキワールドがあって 海洋博物館の入館料900円で入れます。 カワサキワールドとは 地球上のあらゆる乗り物の製作を手掛ける 川崎重工業グループの博物館です。 お出かけ先で出会うさまざまなものを 気になって調べたりすると ちょいちょい登場する社名。 ちょっと知るともっと知りたくて やって来ました。 …とはいうものの 2017年のことですが^^; 川崎重工業の初期のロゴといえば 川崎の「川」を図案化したリバーマーク! こちらでは 創業からの歴史を通して 業績を紹介しつつ 実物なども展示しています。 創業
京都鉄道博物館の記事を書こうと 画像を入れて下書き保存して 忘れたまま2022年となりました^^; 展示内容は それほど変わってないと思うので 昨日行ったことにしても分からないくらい?それはない 1200円のチケットを購入して まずは半分屋外となっている 「プロムナード」というエリアから。 ↑右は鉄道記念物・初代新幹線電車。 1964昭和39年に 世界最速200km/h超で 営業運転を実現した0系。 ↓これは車内かな? 座席配列がゆったりしていて 窓も普通車より大きめ。 一角では コロナ禍の現在は分かりませんが お弁当が販売されて たしか車両内で食べることができたような…? 「本館」は完全に屋内になっていて ↑平成8年当時 営業運転を世界最速の300km/hへ塗り替えた 川崎重工業製の500系や 中央は寝台車両もある581形 日立製作所で造られて昭和43年製ですって 右がボンネットもかわい
今となっては 西日本でしか手に入らないカール。 うすあじも好きだし チーズ味も捨てがたいので 両方買いました、大人ですから。 じつは空箱も欲しかったりして^^ 使い道があるか分からないけど とりあえず綺麗に残したい! だから 前に聞いて覚えてた生活の知恵を 初めて活かします! 段ボールからテープを綺麗に剥がすには 「熱」です。 ドライヤーで どれだけ温めれば良いのか謎ですが 失敗したくないので 熱くなるまで温めました。 慎重に 端からテープをめくってみると…? このように けっこう綺麗に取れました↓ そして無事に開封↓ なつかし♡ いくつかおすそ分けしたら 高確率で「あーっ」って笑 空になったかわいい段ボールは 物の少ないわが家では やはり これといって入れるものも無く… どうしましょうと悩んだ末 写真だけ撮って譲りました(気が済んだ人) さて 来年の手帳も発売されるようになって 時の流れ
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