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第七回目のゲストは、細野晴臣さんをお迎えしました。 いよいよチャック・レイニーのベース事典に、日本の音楽シーンに欠かせないベーシスト細野晴臣さんが登場いたします。最初に細野さんのキャリアからお伝えいたしますが、日本の音楽業界の歴史とも言える非常に読み応えのある内容になっています。この年表を作成する際、作家で音楽評論家の前田祥丈氏に監修をお願いいたしました。前田氏からは当時の貴重なお話をお聞きすることができ、更に深見のある内容となりました。それでは年表からご覧ください。 プロのベーシストになった頃の細野晴臣さんと、その後のキャリア。 1947年7月9日東京都港区生まれ。幼少時代から家にあった蓄音機で、ジャズ、ポピュラー、童謡など幅広く音楽に親しむ。小学2年生から5年生までピアノを習う。中学1年生の時にギターを買ってもらい習得。その後、アルバイトをしてエレキギターを買い、友達と初めてのバンド「
Vol.05 小原礼さん 『チャック・レイニーの音は、やわらかいゴムまりって感じ。 それとベースのトーンをとても大事にする人だなと思いましたね。』 プロのベーシストになった頃の小原礼さんと、その後のキャリア。 小原礼 1951年11月17日。東京、大田区生まれ。 小原さん:一番最初はピアノ。クラシックピアノで4才くらい。それからギターを。中学に入った時に、林立夫と同級だったのでバンドを始めるんだけど。お互い何もしていなかったし。一番最初にミュージシャンで友達になったのが林立夫で、未だに一緒にやっているしね。で高校になると違う学校だったんだけど茂(鈴木茂)と仲良くなったり、幸宏(高橋幸宏)は1つ下で、立教だった。 僕が中学3年の時、細野さん(細野晴臣)は大学1年で、細野さん主催のアマチュアのリサイタルに呼ばれて行って、演奏したりしてね。もうみんなこの頃からの付き合い。林と知り合ったのが13才
日本で活躍されているベーシストの方々に、チャック・レイニーについてのお話を伺い、ご自身の事は勿論、チャックとの出会いや、その時のエピソード等に触れた話題豊富なコーナーです。普段聞く事が出来ないお話も掲載されております。是非ご一読下さい。
今回から始まる、ベーシスト事典/Bassist Encyclopedia 第一回目のゲストは岡沢章さんをお迎えしました。 ご自身の事、チャック・レイニーの事について話して頂きました。 10/1 @世田谷 プロのベーシストになった頃の岡沢章さんと、その後のキャリア。 1951年3月23日、東京、銀座生まれ。楽器を始めたのは、中学生の頃で、トロンボーンを吹いていた。プロと呼ばれるようになったのは、1968年、17才の時にグループサウンズの「M」に参加した事から。当時、「M」には、ギターに「ゴダイゴ」の浅野孝巳、ドラムに原宿クロコダイルの店長を務める西哲也、後に「イエロー」を結成する垂水孝道・良道兄弟が在籍していた。楽器は、全てバンドの所有だったため、ベースは借り物で、その時は60年代前半の赤いジャズベースを使用していた。 バンドを脱退した後、19才の時にギタリストの松木恒秀の弟子となり、初めて
Posted by admin in ニュースチャック・レイニーが旧知のドラマーのバーナード・パーディーと一緒にアメリカ最大ネットワーク...
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