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竹田城跡は文化財保護法の規定により指定された国重要文化財(史跡)であり、国民共有の財産です。したがって、竹田城跡を保存し、未来へ継承していくため、以下の行為は絶対にしないでください。 火気の使用(喫煙も含む)構造物(キャンプ用テントなど含む)の設置瓦や石垣の石等遺物の持ち出し石垣等への落書きや、石垣等に登るなどの危険行為ゴミのポイ捨てその他史跡保存に影響を及ぼす行為
フォトギャラリー(竹田城跡) では、竹田城跡の写真を掲載しています。 写真をご利用される際は、下記注意点を守ってください。<利用する際の注意点>1.雑誌やパンフレット、旅行ツアーの募集チラシへ掲載される場合は、下記についてメールで朝来市観光交流課(Eメール kankou@city.asago.hyogo.jp)まで報告お願いします。報告いただきましたら、写真にキャプション「写真提供 吉田利栄」を付けていただくことを条件とし、ご使用いただけます。 1.利用目的 2.利用写真 3.利用者 2.営利目的での無断利用は禁止します。希望される場合は朝来市観光交流課(電話079-672-4003)までお電話でご相談いただきますようお願いします。
中腹駐車場までの登山道は道幅が狭く危険なため、登られる方の安全を確保するべく、竹田城跡への侵入につきまして下記のとおりとなりますのでご協力お願いいたします。 一般車両でお越しの方は、山城の郷までしか入れません。 中腹駐車場へは、徒歩もしくは、天空バス、タクシーをご利用ください。(冬期通行止め期間中は徒歩でのみ入れます) ※南登山道(新町、城南台側)からは車では登れません。 ※駐車場台数: 山城の郷100台
朝来市役所 〒669-5292 兵庫県朝来市和田山町東谷213番地1 電話:079-672-3301(代表) FAX:079-672-4041 開庁時間 月曜日から金曜日の午前8時30分から午後5時15分まで (土、日、祝日および12月29日から翌年1月3日までは除く)
竹田城跡の雲海は毎年秋から春にかけて見ることができます。このうち、晩秋から冬にかけてのものが特に美しいと言われています。 雲海は、円山川から発生する霧によって生ずるものです。昼の間に暖められた空気が夜になると冷やされ、川の水温よりも低くなると、川の水から蒸発霧が発生します。その霧が山の間の低い部分にたまり、標高の高い部分から見ると雲海として見えるということです。 この霧の発生具合は、特に昼間と夜間との温度差が激しいほど良く出ます。日中雲のない晴天ですと、夜間は特に冷え込むのでさらに顕著です。また、霧だけに風がないときほどよく見られます。時間は、日の出前から午前8時頃が見頃ですが、霧の発生状況によっても異なってきます。特に、日の出直後の太陽に光り輝いて黄金色になる雲海は見事です。 竹田城跡から見る雲海では、本丸付近から南千畳を見下ろす角度が、よく写真でも見られるほど印象深いものです。また
この竹田城跡ライブ画像は、5分ごとに最新の画像に自動更新されます ※公開時間は、午前5時から午後5時まで(午後5時以降は午後5時現在の映像となります) 竹田城跡ライブカメラ [2012年9月20日] フォトギャラリー フォトギャラリー(竹田城跡) [2012年9月5日] 第4回朝来市「全国“天空の城・竹田城跡”」フォトコンテスト [2012年9月27日] 第1回 朝来市「全国“天空お城・竹田城跡”」フォトコンテスト 入賞作品 [2012年9月27日] 第2回 朝来市「全国“天空お城・竹田城跡”」フォトコンテスト 入賞作品 [2012年9月27日] 第3回 朝来市「全国“天空お城・竹田城跡”」フォトコンテスト 入賞作品 [2012年9月27日] フォトコンテスト 第4回朝来市「全国“天空の城・竹田城跡”」フォトコンテスト [2012年9月27日] 第1回 朝来市「全国“天空お城・竹田城跡”」
このライブ画像は、5分ごとに最新の画像に自動更新されます。公開時間は、午前5時から午後5時まで(午後5時以降は午後5時現在の映像となります) 気象状況、カメラ設置環境等の理由により、画像が提供できない場合がありますが、ご容赦ください。 早朝で画面が白い場合は、竹田城跡周辺で霧(雲海)が発生していることがあります。
竹田城跡は、天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配され、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれています。JR竹田駅から見上げると石垣の辺りは虎の背中、尾根伝いの山が首や頭にあたります。 標高353.7メートルの山頂に位置する竹田城跡は、嘉吉年間(1441-43年)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、太田垣氏が5代にわたって城主となりましたが、織田信長の命による秀吉の但馬征伐で天正8年(1580年)に落城。最後の城主・赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したと言われます。 縄張りの規模は南北400メートル、東西100メートルにおよび、完存する石垣遺構としては全国屈指のもので、平成18年には日本城郭協会により「日本100名城」に選定されました。自然石を巧みに配置した近江穴太衆による石垣は、400年を経
■このライブ画像は、5分ごとに最新の画像に自動更新されます。 ■公開時間は、午前5時から午後5時まで(午後5時以降は午後5時現在の映像となります)
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天守台は標高353.7メートルの山頂に築かれており、縄張りの規模は南北400メートル、東西100メートル。 完存する石垣遺構としては全国屈指のもので、国史跡に指定されています。 但馬の守護大名、山名宗全が嘉吉年間(1441年〜43年)に此隅山(このすみやま)城の出城として基礎を築いたとされ、山名氏の被官、太田垣氏が5代にわたって城主となりましたが、織田信長の命による秀吉の但馬征伐で天正8年(1580年)に落城。 現在のような豪壮な石垣積みの城郭を築いたのは、最後の城主となった赤松広秀です。 竹田城跡へは自動車道(大型バス不可)2ルートと登山道があります。(付近詳細図) ※別名「虎臥城」・・・竹田城跡は、天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配され、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれています。JR
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