ねじ式」夜話 権藤 晋 私は、1967年から約5年のあいだ青林堂に在籍し、『ガロ』の編集に携わっていた。 ほかのところでも告白したことだが、私が青林堂への転職を希望したのは、つげ義春という作家にこだわりたかったからだ。私にとって、「沼」「チーコ」「初茸がり」の衝撃は計り知れなかった。しかし、つげ義春はそのあと「古本と少女」や「手錠」の旧作を描きかえるばかりで新作に手をつけなかった。 私は苛立ちをおぼえていた。「沼」や「チーコ」の出現によって、ようやくマンガが表現として耐えうる地平にたどりついたと判断した矢先だったからだ。このままつげ義春が作品を発表しなかったら「沼」や「チーコ」の表現的な価値までが消し飛ぶのではないか、と惧れを感じていた。 私が青林堂に入社して数日後、水木プロダクションにつとめていたつげ義春氏と話す機会があった。 「もうマンガは描かないのですか?」 と私はたずねた。氏は、