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アメリカ大統領選
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一緒に暮らしている94歳の母親の衰えが目立ってきました。 今年に入ってから特にで、で記憶障害も出てきました。 今書いているこのブログは二年前の秋に母親のために始めました。 娘の働いている銀座という街を教えたくて、銀座に特化した記事を書いていたのですが、ある程度まとまったら本にしてプレゼントするつもりでした。 ですが半年もたたないうちにコロナの影響で店を畳むことになり、銀座の記事が書けなくなってしまいました。 本にするという計画は宙ぶらりんになり、忘れかけてもいたのですがここに来て完成させたくなりました。 記事が少なくても本にして、母が元気なうちに手渡したい。 はてなブログで製本できることを知りました。 しかしながら製本に不可欠なパソコンがほとんど使えず、これまでもスマホで書いてきたのでまずはパソコンとの格闘から始めなければなりません。 記事のリライトにも時間がかかりそうなので、しばらくの間
今月の半ば頃、銀座へ行こうと決めていました。 資生堂本社ビルを彩るクリスマスイルミネーションを見るためです。 大好きなイルミネーションで毎年楽しみにしていたので、ちょっとだけ見てすぐに戻るつもりでした。 ですが東京のコロナ感染者が日に日に増えて、800人を越した時はさすがに怖くなり、行くのをやめました。 万が一にもウイルスを持ち帰ったら大変なことになります。 コロナ禍で苦戦を強いられている息子にクリスマスプレゼントを送る時、お店の最後のメンバーだった3人の女性にもプレゼントを送りたいと思いました。 品物は、ピエールマルコリーニのチョコレートケーキです。 当店と同じ並びにあったショップのウインドウを、彼女たちがよく覗きこんでいたのを思い出したからです。 ですが、アマゾンに発注する数日前に、職を失った女性たちが配信しているユーチューブ動画を見てしまい、気持ちがぐらつきました。 突然解雇された2
私の母は『ありがとう』をほとんど言いません。 昔からで、誰に対してもです。 そのせいで、 「何かしてもらったらありがとうは基本でしょう? お金がかかるわけじゃないんだからちゃんと言いなさいよ!」 性格がきつめの実妹にことあるごとに怒られていました。 わが息子にも、 「おばあちゃんは将軍様みたいだね」 とからかわれていました。 ただ肩を持つわけではないのですが、ありがとうを言わないからと言って感謝の気持ちがないわけではないのです。 例えば野菜とか魚介を頂戴した時は、 「新鮮ですね」 「おいしくいただきます」 などの、母なりの置き換え言葉で謝意を示します。 私に対しても、 「ごくろうさん」 「お金、使わせたわね」 などのねぎらいの言葉は惜しみません。 それでも普通に『ありがとう』を言って欲しくて母とは随分戦って来ました。 母は、慣れてないから今さら簡単には口に出ないと言い、 「ありがとうを言わ
朝散歩を始めました。 海沿いを往復で30分ほどですが、朝日を浴びながら歩くのは何とも気持ちのいいものです。 今朝は潮風も心地いいので足を延ばして警察署の前まで来ました。 この警察署は運転免許証の住所変更で一度来ましたが、浅田次郎さんの名作とされる短編小説にも登場しています。 裏社会に生きる男が主人公の話ですが、浅田次郎さんはかつてこの町に複数存在した暴力団や、借金にしばられた外国人女性が働かされていた売春宿なども作中で紹介しています。 見に行って来ましたが、描写通りの白い建物が確かに立っていました。 風光明媚で、平和そのもののこの町にヤクザがいてしのぎを削っていたことには驚ろかされます。 暴力団というのはどの地にも巣を張るようで、この4月まで店をやっていた銀座にも組織がありました。 知る人ぞ知る『指定暴力団・××会』の本拠地で、それも当店のはす向かいの所有ビルに事務所を構えていました。 駐
42歳になる息子がいます。 ひとり息子です。 独身ですが、この先も結婚する気はないそうです。 つきあっている彼女がいますが、この彼女とも結婚しないと言います。 「俺は結婚に向いてないし、彼女をしあわせにする自信もないから」 だそうです。 息子は父親というものを知らずに育ちました。 彼が1才の時に離婚しているからです。 「おとうさんがいなくてごめんね」 息子にはことあるごとに詫びて来ました。 母親の職業を理解出来るようになった頃は、 「おかあさんがホステスでイヤじゃない? いじめられたりしない?」 肩身の狭い思いをしているんじゃないかといつも気がかりでした。 子育てには全力で取り組んだつもりです。 息子は、親の心配をよそにちゃんと育ってくれました。 時々、 息子が結婚しようとしないのは、親である私のせいではないか? と考えることがあります。 父親がいなかったので、 肩車をしてもらったり、キャ
今日も東京に来ています。 築地警察署に『風俗営業許可証』を返納するためです。 5階の生活安全課に行くと30才くらいの若い男性職員が当店に関した書類を用意して待っていてくれました。 それらをめくりながら、 「ずいぶん長いことやってたんですね。何の問題も起こさずに…」 感心したようにつぶやきました。 客とのもめごとや、ホステス同士のケンカなどで警察の世話にならなかったことをほめてくれたのでしょうか? それなら飲食代の金額が気に入らなかった客が警察を呼ぶというゴタゴタが一度だけありましたが、それは記録に残されなかったようです。 「ご苦労様でした」とねぎらってもらって署を出ました。 数日前は消防署に『防火管理者証』を、保健所には廃業届けを添えて『営業許可証』をそれぞれ郵送で返納したので、私がすべき店舗営業に関する手続きはこれで全部終了しました。 肩の荷がおりました。 あとは帰るだけですが、電車の乗
久しぶりに銀座に来ました。 管理会社に店の鍵を返すためです。 店は4月3日をもって閉店しましたが、借主名は今月末まで私になっています。 テナント契約の6ヶ月縛りによるものですが、今日鍵を返して全部が終わります。 担当者との待ち合わせ時間より早く来て店内に入りました。 3ヶ月ぶりくらいでしょうか? 室内は空気がよどんでほこりの匂いがしていました。 中はおおかた片付いていますが、このコロナ禍で次の借り手が見つからなかったので、ルール通り現状回復、つまりはスケルトンにして返さねばなりません。 この作業はありがたいことに管理会社が代行してくれることになりました。 かかった費用は預けてある保証金から差し引かれるのですが、自分でやるとなると業者を探して、打ち合わせや立ち会いなどもあるので大変でした。 それにしても店内のこの造作が取り壊されてなくなってしまうのは残念でなりません。 店の真ん中に立って店内
だいぶ日にちが過ぎましたが、今月の8日はMybirthdayでした。 誕生日がめでたい年齢でもないのですが、母が憶えててくれて、 「これで何か買いなさい」 とタンス預金からこづかいをくれました。 福沢諭吉を2枚ですが、特に欲しい物もなかったのでそのお金で、普段手の届かない高額な牛肉とメロン、バースデーケーキを買いました。 母と二人だけの誕生会の準備をしていると、近くのお寺の奥さんがハマグリを持って来てくれました。 先日、おすそわけしたゴーヤとモロヘイヤのお返しだそうです。 砂は吐かせてあるというので鉄板を熱して並べていると今度は、 「息子が釣って来たんだけど」 と、分団の役員さんがカワハギに似た地魚を持って来てくれました。 少し前、オクラの種を差し上げたのでそのお礼のようです。 お二人とも母の『畑仲間』です。 私の誕生日など知っているわけもなく偶然の差し入れです。 今、母と住んでいるこの家
取引していた酒屋の担当者から電話をもらいました。 仕事が暇でしょうがないのだそうです。 それはそうでしょう。 彼の勤めている酒屋は銀座一帯のバーやクラブなどに酒を卸しているので、これらの店がきびしい今、注文が減るのは当たり前です。 「ママはいい時にやめましたよ。銀座なんて誰も歩いてないし、時短要請が始まったらもうおしまいですよ」 この秋に子供が生まれるという彼は転職も考えているとへこんでいました。 彼が口にした、 『ママはいい時にやめましたよ』というこの言葉、何人にも言われました。 カラオケ屋さんにも税理士にもビルの管理会社にさえもです。 日に日に新型コロナの感染者が増え、先が見えなくなっている今を思えばそれは確かにグッドタイミングだったかもしれません。 しかしながら手放しでは喜んではいません。 引き換えに大事なものを失ったからです。 それは銀座で懇意にしていた二人の『ママ友』です。 閉店
93歳にもなる母親を泣かせてしまいました。 一週間が過ぎた今も後味が悪く、引きずっています。 原因は不用意な私の物言いでした。 「ねぇ、おかあさん。もしもだけど私がおかあさんの面倒をみれなくなったらどうする? 施設に入る? それとも『和雄』に来てもらう?」 何の悪気もなく発した言葉でしたが、これが母親の琴線に引っ掛かってしまったのでした。 負けん気の強い母は、 「あんたの好きにしたらいいじゃないの! あんたの人生なんだから!」 言い返してこそ来ましたが、その目元は真っ赤に充血してポロポロと涙を落としていました。 「誤解よ、おかあさん! そういう意味で言ったんじゃないから!」 説明してもなだめてもしばらくは泣き止んでくれませんでした。 この時母は、私が母を置いて家を出て行ってしまうと勘違いしたのでした。 見捨てられると思ったそうです。 先月、私は持病の貧血を再発させて丸一日半動けずにいました
このところ、母親はテレビの前に釘付けです。 九州各地に端を発した記録的大雨の被害中継から目が離せないでいるのです。 「白内障が進むわよ」 注意しても聞き入れてくれません。 おとついの朝、食事の支度をしていると、 「通帳を持って来て」 と突然言われました。 「どうするの?」 不思議に思って訊ねると、テレビに映し出されている自衛隊の救助シーンを指差して、 「被災地に寄付するのよ」 と言いました。 「ええっ?!」 我が耳を疑ってしまいました。 この母はこれまでの長い人生でただの一度も寄付をしたことがない女性です。 「大変ね」 「気の毒ね」 と同情は寄せても、 「支援は国の仕事よ」 「寄付はお金持ちがすればいいのよ」 あれこれ言ってお金を出すことはしませんでした。 昨年の9月9日、母と私は今住んでいるこの地で猛烈な台風に遭いました。 『ブルーシート』で有名になった『台風15号』です。 思い返しても
写真は、けさの収穫野菜です。 つるなしインゲンがたくさん穫れました。 写真の彩りに、少し前収穫したにんにくと赤玉ねぎも添えてみました。 この4月から始めた農業ですが、母親に聞いたり、ユーチューブで調べたり、何とかやっています。 作業を終えて部屋に戻ると、銀座のお店のスタッフだったM子からLINEが届いていました。 閉店する時に、 「やめないでくださいよぉ~。コロナなんかすぐ収まりから~」 と大泣きしていた女性です。 店をやめてからもこうしてLINEをくれるのはありがたいのですが、相変わらず時間の節操がありません。 今は朝の5時を過ぎたばかりです。 今までどこぞで飲んでいたのでしょうか? M子は関西出身の28才です。 タレントの足立梨花に似て、顔立ちも可愛いし愛嬌もあるのですが、性格にやや難があります。 空気が読めず、がさつなのです。 ずぼらと言ってもいいかもしれません。 例えばですが、客席
一つ年上の兄がいますが、この兄をねたみそねみながら子供時代を過ごして来ました。 理由は、母親が私の何倍も兄を可愛がったからです。 我が家には物心ついた時から父親がいませんでした。 ですから母の愛情は絶対で、その母の愛情を独り占めにしていた兄は私の敵でした。 大人になって、兄が、 「おまえの店に飲みに行ってもいいか?」 と電話をして来た時、 「公私混同したくないし、スタッフの手前もあるから」 と断りました。 その後に言ってきた時も、 「会員制にしたから」 と断りました。 私なりの兄への復讐でした。 しかしながら兄は可愛がられて育った側なので、私に対して負の感情は持っておらず、 「そうか。それじゃあしかたがないな」 と、おうように受けとめていました。 その兄が、ある時、 「組織は合わない」 と言い出してそれまで勤めていた会社を辞めました。 しばらくのプータロー生活の後、タクシー運転手に転じ、次
店を閉めてから東京を引き払い、東京から140㎞離れた今の地に母親と暮らしています。 ここで母の世話をしながら、家庭菜園を始めました。 先日嬉しいことがありました。 早朝の5時頃、キュウリのつるを支柱にからませていたら、ワンちゃんを連れたおじいさんが通って、 「早くから頑張るね」 と、声をかけてくれました。 コンビニの袋を下げたおばさんも通って、 「トマトはもう『芽かき』をした方がいいよ。栄養が取られてしまうから」 立ち止まって教えてくれました。 お二人ともご近所さんですが、4月に東京から移ったばかりの時は、 「おはようございます」 とあいさつしても完全無視でした。 東京で『3密』そのもののナイトクラブをやっていたわけですから敬遠されても仕方ないとは思いましたがそれでもめげていました。 ひと月半経って、ようやく『村八分』から解除されたようです。 ホッとしています。 畑の作業を終えるとまだ寝て
昔の話ですが、32才の厄年に『声帯ポリープ』の手術をしました。 カラオケの歌い過ぎが原因だったのですが、この時の声帯ポリープのおかげで学ばせてもらったものがありました。 それは、身障者への関心です。 ポリープの手術をした翌日タクシーで帰ったのですが、運転手さんに行き先を書いた紙を無言で渡したところ、口のきけないろうあ者と勘違いされたようで、 「ちゃんと連れてってあげるから安心して乗ってな」 こわもての顔に反して優しく言ってもらいました。 退院時に、 「3日間は誰とも話さないように。声帯に負担がかかりますから」 と、医師に言われたから声を出さなかったのですが、タクシーを降りた後に寄った銀行でもスーパーでも同じように親切にしてもらいました。 あの頃の私は、 視覚障害者用の黄色いタイルをその意味も知らずに平気で踏みつけていましたし、 住居のエレベーター奥に貼られた大きな鏡が、車椅子の人が降りる時
今日も店の片付けをするために銀座に来ました。 外出自粛は厳守したいものの、この片付けばかりは店を明け渡す期限があるのでやむおえません。 当初は、専門業者に頼むつもりだったのですが、こうしたコロナ騒動の最中、見知らぬ業者との対面や打ち合わせに気が引けてしまい、一人でやることに決めました。 朝の9時に銀座に着いたのですが、テレビでも放映していたように人の姿はまったくありません。 当店舗が入居しているビルは館内の全照明を落としているせいでうす暗く、怖さを感じます。 店は地下一階にあるので、スマホの電灯アプリを照らしながら階段を降りるのですが、不審者が潜んでいないかドキドキします。 鍵を開けて店内に入るとホッとしました。 今日は女性たちが着ていたドレスや靴などを処分します。 ハンガーからドレスを外していると後ろの棚に数冊の単行本が見えました。 手にとってみると全部が東野圭吾さんの本です。 女性の誰
閉店して3日が経ちました。 店の片付けをするために銀座に来ました。 陽の明るい昼過ぎ、店舗の入っているビルに近づくと、入り口に小柄な男性が立っているのが見えました。 逆光でよく見えませんが、こっちを見て笑っているようです。 誰だろうと思いながら近づくと、 「!」 5年前まで、この七丁目界隈でホームレスをしていたおじさんでした。 写真の男性です。 心臓が射ぬかれるほど驚きました! 何故なら、銀座を去るに当たって最後にどうしてもこのおじさんに会いたいと切に願っていたからです。 このおじさんとのいきさつは以前『苦い悔恨』と題した記事に書かせていただきました。 「おじさん…なの? 本当におじさん?」 目の前に立っているのが嘘のようで、おじさんの両腕をつかんでは何度も揺さぶりました。 おじさんは笑いながらうなずいてくれました。 「私のこと、覚えてる?」 これにも、うんうんとうなずいてくれました。 そ
4月3日付けでお店を閉めることにしました。 閉店ということです。 新型コロナウイルスで自粛が求められる中、営業を続けるのは後ろめたく、ウイルスも怖く、葛藤の昨今でした。 閉店せずに、休業して様子を見ても良かったのかもしれませんが、そうしたところで先が見えないのは明らかでした。 3月末日に、管理会社に連絡して店舗の契約解除を申し出ました。 同じ日、女性たちにも話しました。 彼女たちにはわあわあ泣かれてしまいました。 在籍の女性は8名ですが、一番長い女性ですと16年、他も8年だったり7年だったりみんな長くいてくれました。 感謝しかありませんが、彼女たちにしてみれば、店がなくなるさみしさは当然あったでしょうが、これからの生活への不安の方が大きかったと思います。 それぞれ昼間も仕事をしていますが半分は派遣で働いているので派遣切りされないか心配です。 正社員として働いている女性ですらすでに給料ダウン
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