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ドラクエ3
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1997年東京大学思想文化学科卒業後、日系大手メーカー勤務を経て、モニター・カンパニー・インク(現モニター・カンパニー・アジア・パシフィックエルエルシー)入社。 2003年ソネット・エムスリー(現エムスリー)に移り、医薬品マーケティング、調査事業立ち上げなどに従事。 その後、教育関連企業の経営企画、出版社の経営などを経験後、2009年6月よりソネット・エムスリー(現エムスリー)の取締役に就任。 『まず、横井様の今までのご経歴を教えていただけますでしょうか。』 新卒で日系の大手メーカーに就職をし、主にコストコントロールなど、数字の管理を行っていました。入社1年目は地方勤務で、朝は全員のラジオ体操で始まり、4時半の定時には会社をでて、まだ明るい市街を作業服姿でふらふら遊び歩いていました。 その後、仕事のことを徐々に面白いと感じるようになり、帰宅時間が夕方4時半から朝の3時まで遅くなっていった頃
2000年、東京大学法学部を卒業後、ベイン・アンド・カンパニー・ジャパン・インコーポレイテッドに入社。 戦略コンサルタントとして、通信、自動車、ファンドなどのクライアントに対して、成長戦略策定、中長期戦略立案、業務プロセス改善、提携・売却交渉、ビジネスデューデリジェンスなどのプロジェクトに従事。 その後、2008年にワタミ株式会社に転職。社長室 経営戦略担当部長、ワタミフードサービス株式会社 CFOなどを経て、現在は株式会社ワタミファーム取締役副社長としてご活躍中。 『先ずは木村様のご経歴をお聞かせ頂けますか。』 2000年に大学を卒業し、ベイン・アンド・カンパニーに入社しました。大学在学中には、海外では冷戦終結、日本では年功序列の崩壊等々があり、価値観が大きく変わりつつあった頃に就職をしたと言えますね。 『学生時代に山一證券が破綻したかと思います。』 そうですね。その様な背景もあり、最初
1954年東京都生まれ。 東京大学工学部航空工学学科卒業、米国プリンストン大学工学部修士課程修了。 日本国有鉄道(現・JR)、マッキンゼー・ジャパンを経て、89年に現在のワトソンワイアットに入社。93年には同社代表取締役社長に就任。97年に独立しピープルファクターコンサルティングを設立。 2000年から、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授も努め、現在は、慶応義塾大学SFC研究所キャリア・リソース・ラボラトリー上席所員を務める。 おもな著書に「キャリアショック」(ソフトバンククリエイティブ・SB文庫)、「人材マネジメント論」「成果主義」「組織改革」「キャリア論」(以上、東洋経済新報社)、「人材マネジメント革命」「キャリアをつくる9つの習慣」(以上、プレジデント社)、「人が育つ会社をつくる」(日本経済新聞社出版)、「組織マネジメントのプロフェッショナル」(ダイアモンド社)、「いらないヤ
2005年、東京大学大学院 人文社会系研究科を修了後、株式会社コーポレイトディレクションに入社。 同社史上最速でマネージャーに昇格(入社2年半)。 現在は株式会社ディー・エヌ・エーに執行役員として、戦略的視点から人事・組織全般の改革に取り組んでいる。 『新卒でCDIへご入社されていますが、コンサルタントになりたい、と思ったのはどういった動機だったのですか?』 実のところ、就職活動を最初に始めた頃は、「こういう仕事をやりたい」という具体的なビジョンは持っていませんでした。ただ、生意気ながら、「大物になりたい」という漠然とした野心はありましたね。(笑) とはいったものの、どうすれば大物になれるのかなんて当然わからない。ただ、絶対的な必要条件として、「本気で仕事に打ち込む」ということ抜きに大物になることはありえない、というのは確かだと思っていたので、自分が一番打ち込めそうだと感じる仕事を探し始め
ムービンでは経営者・エグゼクティブ層に特化した転職サービスを展開しております。 ビジネスプロフェッショナルとしてご活躍されている20代、30代の方々を中心に ご自身の人材価値を最大限に発揮し、これからの次世代リーダーとして ご活躍いただける新たなステージをコーディネートさせていただきます。
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