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パリ五輪
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1 「自由」 か、 「民主」 か 1998年の参議院選挙の直前に、 橋本龍太郎前首相夫人が気の利いたコメントを残したと言われている。 「自由党に民主なし、 民主党に自由なし」 というのがそれである。 言外に、 夫が総裁を務める自由民主党は 「自由」 と 「民主」 の両方を備えたバランスの良い政党だという自負がこめられているのであろう。 朝日新聞の 「素粒子」 欄はこれを受けて、 自由民主党には 「自由」 も 「民主」 もないのではないかと揶揄していた。 これらの発言をみて、 なるほどと思った。 だが、 それは個々の政党に対するそれぞれの指摘に納得がいく、 という意味でではない。 「自由 (主義)」 と 「民主 (主義)」 とが必ずしも常に一致するものではないという認識が、 20世紀末の日本人に、 一応は共有されていることが分かったという意味で、 なるほどと思ったのである。 もっとも、 こ
序: 「文明の終焉」 の相互関係 「文明の終焉」 という場合、 少なくとも五つの異なる意味がある。 これまでに文明という呼称のもとに続いてきたものが、 (1)物理的にも現象的にも消滅もしくは衰微する (核戦争、 環境汚染、 資源枯渇など)。 (2)物理的に継続し、 現象的に転換する (価値観のパラダイム変換、 画期的技術革新など)。 (3)現象的に継続し、 物理的担い手が変わる (他種族、 コンピューターなどによる代行的継承)。 (4)物理的または現象的に継続しながらも、 文明と認知されなくなる (遙かに高度な異文明との邂逅など)。 (5)物理的または現象的に継続しながらも、 文明という概念が変質もしくは無効化する (哲学的なパラダイム変換)。 (1)~(3)は実質的終焉、 (4)(5)は名目的終焉と呼ぶことができよう。 本稿では、 比較的現実性のある(1)と(2)の論理関係を考察する。
日本サッカーを初めてワールドカップに導いた岡田武史 (現コンサドーレ札幌=J2リーグ=監督) が顔に似合わない 「信念」 の持ち主であることはあまり知られていない。 サッカー界きってのエコロジストは、 ワールドカップ予選という丁々発止のたたかいの最中にも夢を語り続けた。 <西ドイツでは、 休日に何をして過ごすか。 家族で街のクラブに出掛けて、 子どもはサッカーをして、 親はほかのスポーツをするし、 お祖父さんはそれを見守っている。 そして、 帰りにはクラブのバーでビールを一杯飲んで家路につくわけです。 そこには消費の思想がない。 それが長い目で見れば環境保護につながっていく。 いまの日本はどうか。 遊園地にしても、 デパートにしても、 家族で休日にどこに出掛けるにしろ、 余暇の過ごし方が消費型なんです。 そうした社会を変えるための一助になれば、 というのが監督としてのぼくの支えになっている
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