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昨日は、広島で講話させてもらいました。性犯罪捜査に従事する警察官の方々に「被害者からみた性犯罪捜査」というテーマでお話を聞いてもらいました。 私の経験した性被害の話やどうして被害者は嫌と言えないのか、声をあげづらいのか、加害者はどのような人物だったかなどを話しをさせてもらったのですが、80分間と長い時間でしたが皆さまが真剣に耳を最後まで傾けてくださり質問もたくさんしてくださってとても嬉しくこちらが温かい気持ちにさせてもらいました(^ν^) こんなに多くの方が性犯罪について学ぼうとしてくださってること、共通認識としてとらえてくださることが当事者として感謝ですし、2次被害のない世の中に変わっていっていることを肌で感じました。 涙を浮かべながら真剣に聞いてくれる女性や、一つ一つにうなづきながら聞いてくれる若い男性や、時代は良い方向に間違いなく向かってる。 もっともっと多くの方が家庭内で起こる性暴
何年前からだったか、二十歳くらいからか、気がつけばずっと私の経験を本にしようとなんの根拠もなく漠然と思っていました。そんな現実離れした思いが私の中にずっと存在していました。 最初、出版社さんからお話をいただいて丁度、一年かけて書籍発売になりました。 内容は今の私の素直な気持ちと過去の出来事、虐待の心の傷を乗り越えるまでの経緯を中心に書きました。 こちらのブログをまとめた感じになっているかと思います。おそらく読みやすいように仕上がったと思いますので、1人でも多くの人に手に取っていただけると幸いです。 ぜひ若い人たちにも読んでもらいたい。 しんどくなる内容ではありますが、リアルを描きました。良くも悪くも根深い母娘の関係性を見つめ直す機会にもなると思います。親離れ子離れができて一人一人が自立した大人になることの大切さを伝えられたらと思い書き進めました。 昨今、性加害問題に社会の関心が少しずつ受け
『魂の殺人』 〜家庭内・父からの性虐待〜 https://www.tbs.co.jp/TBSDOCS_eigasai/#news ついに映画化になりました!こんなに堂々と性虐待を語れるときが来るなんて! お近くにお住まいの方、ぜひ映画館で見てください。私も3月18日東京の劇場で観てきました。こんな難しいテーマを映画にしてくださった加古監督とスタッフの皆様にお礼を言っても尽くせない思いでいっぱいです。 サバイバーの皆さま、一緒に胸を張り生きましょう!苦しむ子どもを無くすことに努力して参りましょう☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
TBSさんの報道特集に出させていただいてから多くの応援メッセージをいただきました。感謝の気持ちでいっぱいです★大変ありがとうございます♪ このような難しい課題に正面から取り組んでくださった報道特集のスタッフの皆様方々に何よりも感謝いたしておりますm(__)m大変ありがとうございました。 YouTube良かったら見てください! https://youtu.be/qHk-cHQUE7c さまざまなご意見あると思いますが、1人でも多くの方々に関心をもっていただけると嬉しいです。
2月20日(土)17:30〜 TBS報道特集で『家庭内の性虐待』をテーマにした放送があります。 私も少し出させてもらっております。もしお時間よろしければ見ていただけたら嬉しいです。 取り急ぎのお願いになります。よろしくお願いしますm(_ _)m
番組ホームページが公開されました。 さぬきドキっ!「“やめて”と言えなかった。 〜子どもたちの性被害〜」です。 9日金曜の夜7:30からNHK総合です。 https://www.nhk.or.jp/takamatsu/sanukidoki/index.html ちょっとだけ出させてもらいました。 この番組とは全く関係ないのですが、先日、とあるところで公演をさせてもらいました。 当日、始まるまで不安で、途中、泣いてしまって話が進まなくなるんじゃないかとか、恥ずかしくなってうつむいてしまって何を言っているのか相手に伝わらなくなったらどうしよう、など心配で心配で仕方なかった。 それが、自分でも驚くほど顔を上げて胸を張って話ができた。 そう!恥ずかしくないんだよ!私の身に起こった事は恥ずかしい事ではなかったんだ。恥ずかしいのは加害をした方であって私に落度があったわけではない!って。 『堂々と生きて
今年もあとわずが、1ヶ月を切りました。 一年って本当に早い!!歳をとればとるほど早くなるとよく言いますが本当ですね。これから益々早くなると思えば、私は後何年、健康に子どもたちの迷惑にならずに生きていけるのだろう。あっと言う間にそんな時が来てしまうのか。今が50前だから。。。80歳までの30年間長いようですぐなんだろうな。それまでに何が出来るのだろう。って 先日、12月3日朝日新聞朝刊で シリーズ『子どもへの性暴力』 に私の受けていた虐待などの生い立ちを記載してもらいました。たくさんの励ましのメールありがとうございます。 こちらで公開しているブログを書き始めた頃。本当にビクビクしながら、公開ボタンを押すのに何日も何時間がかかったり。このような内容のブログ、本当は書いちゃいけないの?と思い何度も何度も自問自答を繰り返しました。 親との関係もとても悩みました。私がこうしてブログを書いたり、新聞や
先日、週刊誌『女性自身』さんが私のことをシリーズ人間というコーナーで取り上げてくれました。まぁ、そのことにも自分自身驚きなのですが、その記事がyahoo!ニュースに出てーーー(´⊙ω⊙`)(´⊙ω⊙`)(´⊙ω⊙`) またまたビックリです。 自分の顔がyahoo!ニュースに!わぁー!恥ずかしい!!!!と思う反面、とても他人事のような「知り合いのおばちゃん出てるやん!」というような感覚もあり…。不思議な感じです。 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190729-00010004-jisin-soci yahoo!ニュースって読者がコメントを入れられるんですね。わぁー1700件(゚o゚;;見たいような見たくないようなドキドキした気持ち。そりゃね、いろんな考えの人が世の中にはいて、まだまだ理解されないドラマの中の出来事のように思われていることだか
久々の更新です。 その前に 1週間ほど前、毎日新聞さんに私のことを取り上げていただく機会があり、沢山の応援のメールを頂きました。ありがとうございます。 はてなブログへのコメントも頂いていて、本当に感謝いたしております。ありがとうございます。 公開していいものか(被害の内容も書かれていたりするので)どうか悩んだ結果、公開は控えさせていただきました。 まだお返事を返すことが出来ていない方もいらっしゃるのですが、もし見落としがあればいけないので返事がない場合はすいませんが、もう一度 beso0201@icloud.comにメールを頂けると嬉しく思います。 ここからは今日の気づきです。 私は18歳で香川から大阪に出ました。 当時、付き合っていた彼が一足先に大阪に行っていたのと、私自身、早く父から離れたかったという理由で、仕事は決めず住むところだけを決めて。 その数週間後にレイプ被害にあいました。
我が子から性虐待の被害を告げられると、大抵の母親はパニックになってしまい、冷静な判断が出来なくなり、勇気を出して相談してきた我が子をさらに傷つける発言をしてしまうことが多々あるみたいです。 ましてや加害者が夫(内縁の夫も含む)や我が子(被害者の兄弟)であった場合は相談を受けた母親に冷静な判断を求めるのは、もはや無理なことのような気さえします。 私の母親も、加害者の父親を擁護する返事でした。口止めされ、更に加害者を許すように促されました。 そんな対応が被害者を更に傷つけ、長い間抜け出せない心の闇に追い込むことになります。 被害を告げられたら、まずは専門機関の方々に相談するのが私は一番だと思います。 秘密厳守で聞いてくださる事を忘れないで下さい。外に相談内容が漏れることを恐れる気持ちはすごくわかりますが、そんなことを心配をする気持ちの余裕があるなら、我が子の命の心配をしてあげて下さいね。 相談
久しぶりにの更新です。 ここ数ヶ月、目が舞いそうな忙しい日々でした。この春から娘が県外の大学から帰ってきて一年間一緒に生活をするようになり、私が経営している美容室のリニューアルとおそらく私の人生で一番忙しかったかも。 美容室をオープンして15年、今回で2回目のリニューアルです。 やっと美容室もいつもの落ち着きを取り戻し慣れてきました。勝手が違うとムダな動作が多くなり、一日仕事すると以前よりうんと気持ちも体力も消耗してました。後、年齢もあるのかな笑。 48歳になりました。今からまたリニューアルの為の借り入れの返済、頑張らなくっちゃ!!と気が引き締まります。 美容室の方は従業員が私を含め、現在4人。女ばかりの職場です。来週からはもう一人パートの方が加わります。みんなの人生に大きく関わる職場。責任感を持ち、働きやすいお店作りを目指しております。 娘と一緒に暮らし始めた春からの生活は何か新鮮で、女
こんにちは、久しぶりの更新です。 最後に更新したブログ、母親がやっと理解してくれましたー!から一年近くが経とうとしております。 じつはその直後、「あー、、まだまだ全然わかってくれてない!」という出来事がありまして・・・今現在は距離を置いています。 引っ越しして、連絡もほとんど絶っております。出来事については詳しくまた今度書きますね。 でもね、この距離をとることが今の自分にとってとても必要なことだったと痛感してます。毒親から受ける心の支配から解き放されるためには親からは米一粒ももらわない、愛情を求めない、一方的な親の愛(見返りを求める愛)は受け取らない、自立することが本当に必要だったことなのだと気づかされました。 自分の苦しみを長引かせていた一番の原因は私自身が親に依存していたこと。 精神的に依存していました。自分の価値観から作り出した、こうだったらこうするのが当たり前(私の中では性虐待を中
先日、西日本放送の記者さんから、被害者の話を聞きたいと連絡をいただきました。 先日、香川県善通寺市の病院で医師が子供にわいせつ行為をした事件がありました。 matome.naver.jp この事件がきっかけで、幼い子が性的な被害を受けると将来、その被害がどんなにその子を苦しめるか、周囲にSOSを出すことがどんなに難しいのかを専門家の方に話を聞き、また幼い子供たちに向け性被害防止の講演をされている香川県丸亀市にいらっしゃる先生の取材をしていてnewsevery.で特集を組むので被害者の声を聞かせてほしいと連絡をいただきました。 ダブルの嬉しい知らせでした。香川県にそのような講演をしてくださっている先生がいるなんて!(わー♪♪私もぜひ聞きに行きたいー♪) それとニュース番組で被害にあった者に目を向けてくださるなんて。なかなか事件の放送はあってもその後のことにはあまりふれられないことが多い中、
先日、日頃から何かとお世話になっている方が新聞を持ってきてくれました〜^ - ^ そこには嬉しい内容の記事が! 強姦罪を起訴するのに被害者の告訴が必要となる「親告罪」の規定を削除する。法定刑の下限を3年から5年に引き上げる。強姦致死傷罪は5年から6年に、親などの「監護者」が影響力を利用して18歳未満の者に性的な行為をすれば、暴行や脅迫がなくても罰することができる「監護者わいせつ罪」「監護者性交等罪」を新設。強姦罪は女性に限定。改正案は男性も含め性交の類似行為も対象。などの改正案が閣議決定したと書かれていました! 長い間、父親が私にしたことは無理やりでもなかったし、脅されてたわけでもないし、私自身受け入れてた時もあり、父親から見ると同意の上だと思っていたのではないのか、となると私も母親の立場からみると、私は不倫相手になり、犯罪者になるのかとか悶々とした中で生きてきたため、余計に過去の事に
【この記事は母親へ理解を求めていつかは自分を産んでくれた母親なのだから私の痛みをわかってくれるはずと頑張っていた頃に書いたものです。1年近くかけて話し合った結果、私の望む母親像は彼女の中にはありませんでした。残念な事ですが、被害を打ち明けた14歳の時に守ってくれなかった時点でその事は証明されていたのに、私自身が受け入れるのに30年もかかってしまったようです。どうか娘から家族の中に加害者がいる事を打ち明けられた時は全力で娘さんを守ってあげて下さい。どうにか取り繕って家族を続けていけるのではないのかという甘い考えは捨てて下さい。打ち明けた時の周りの大人の対応でその後の被害者の心の回復は大きく変わってきます】 前回の続きです。 昨年12月、幼少期から中学2年まで私が受けた父親による性的虐待を叔父(母親のお兄さん)に打ち明けて以来、母親は一変しました。「私が読んだ『毒となる親』を読んで虐待がどんな
これは私の実体験から私個人の考えです。被害者の方はそれぞれ受けた被害も環境も異なりますので、あくまでも参考になればと思い書きたいと思います。 年明けから公開したブログは今から三年前に書き溜めておいたものです。四十六歳になった今、またまたいろんな『気づき』がありました(*´∀`)♪ 一番の気づきは、 私が一番ずっと最後まで許すことができなかったのは父親でもなく母親でもなく、自分だったってこと。決して行為自体は無理矢理ではなかったことから、自分が『嫌だ!!』と叫び、抵抗しなったことが一番許せず、自分を責めて、恥ずかしいふしだらな自分と嫌ってたんですね>_< 過去を一つ一つ思い出し整理することで、私はまだまだ子供で『嫌だ』と叫ばなかったんじゃなく、叫ばないといけないような重大なこととわからなかったのだと気づきました。母親も私も暴力と罵声によって父親に従うことが正しく、当然だと思い込まされていたと
三十二歳 復帰を目指して雇ってもらえる美容室を探していると、以前勤めていた美容室が支店をだすので店長をして欲しい、という話を頂きました。悩んだ末、引き受けさせてもらうことにしました。 一年前に仕事を辞める時、うつ病の影響からお客さんと接するのが怖くなっていたことと、一年間のブランクとで最初は毎日が不安でしたが、そんな気持ちは隠し、とりあえず三年は岩の上にへばりついてでも一生懸命頑張ろうと決めました。 少しづつお店の売り上げもあがっていき、それに比例するように、私は少しづつ自信を取り戻していきました。一年後には以前の自分に戻り、うつ病は完全に治りました。お店を軌道に乗せることができなかったらと思うとゾッとします。この時は本当にお客様に助けていただきました。それに仕事に集中してのめり込めたのも、母親が子ども達の面倒をみてくれたおかげです。子供達が風邪を引いて熱を出した時も、母親はいつも一生懸命
三十歳 子ども達が少し手を離れ上の子が7歳、下の子が5歳のころわたしは恋をしました。メル友募集からメールの交換が始まりました。年下の男の子です。わたしはそのとき三十歳。その男の子は二十歳でした。相手の人はとても十歳も歳下とは思えない落ち着いたメールでした。 たわいも無い日常のことをメールしていくうちに淡い恋心のようなものが芽生えてきました。どちらからともなくメールの内容が次第に恋人同士の会話のようなメールに変わっていきました。毎日、何通もメール交換しました。メールの返信が遅いとき私が相手をなじるような問い詰める文面のメールを2、3通続けて送ったときも相手の返信は怒ることなく 「ごめんね、仕事で返事遅れたよ」 「こっちこそ問い詰めてごめん」 「返事が遅れた俺が悪いんだから謝らなくていいよ」 と私のわがままに腹を立てることなくメールの上のことだけですがその都度私の承認欲求を満たしてくれました。
私は父親に幼稚園から中学まで性虐待を受けていました。子供にとって自分を扶養し、愛情を与えてくれるはずの立場の人から虐待を受けてしまうと、その時ばかりか大人になっても長い間後遺症に苦しむことになります。 私も例外ではなくヒステリック、摂食障害、うつ病、フラッシュバックとPTSDに悩むことになりました。 再生 高校に進学して環境が一変しました。今までの友達は同じ高校には進学せず私は新生活をスタートさせました。 「メソメソしないで前を向いて歩きなさい!」 「悲しい事があっても笑顔でいなさい」と小さな頃から教えてくれていた母親の言葉を思い出しました。 泣き疲れた鏡の中の私はブスがよりブスになっていました。不幸そうな暗い顔。無理矢理笑って見せましたが、その顔は口がへの字のまま引きつったいびつな笑顔でした。周りの人に私の暗い部分を知られないために笑顔の練習をしました。割り箸を横にくわえて口角を上げる練
先日、母方の祖母が亡くなりました。九十八歳でした。十年くらい前からアルツハイマーとなり、最後の一年間は寝たきりでした。 アルツハイマーになる前の祖母は、とても優しい穏やかな人でした。ずっと祖父を愛していると、可愛らしく言葉で伝える素直な人でした。 ゆかりは(子供の頃のわたし)はそんな祖母が大好きで、ゆかりのこともいつも「ゆかりは可愛いなぁ、ゆかりはおりこうさんじゃ」と頭を撫でながら、優しくゆかりを包んでくれていました。ゆかりの存在を肯定してくれる人とでした。 ゆかりはきついお粉の匂いが嫌だと思いながらも、祖母の隣は唯一安心できる場所でした。 祖母はゆかりが幼い頃、半年に一度くらいのペースで家に二、三日、泊まってくれていました。来る日がわかると指折り数えて心待ちにし、来た日は嬉しくって嬉しくって。でも来た瞬間から帰ってしまう日が悲しくって悲しくってどうしようもなかったのを覚えています。 祖母
【この記事は母親へ理解を求めていつかは自分を産んでくれた母親なのだから私の痛みをわかってくれるはずと頑張っていた頃に書いたものです。1年近くかけて話し合った結果、私の望む母親像は彼女の中にはありませんでした。残念な事ですが、被害を打ち明けた14歳の時に守ってくれなかった時点でその事は証明されていたのに、私自身が受け入れるのに30年もかかってしまったようです。どうか娘から家族の中に加害者がいる事を打ち明けられた時は全力で娘さんを守ってあげて下さい。どうにか取り繕って家族を続けていけるのではないのかという甘い考えは捨てて下さい。打ち明けた時の周りの大人の対応でその後の被害者の心の回復は大きく変わってきます】 前回のブログの続きです。 私が父親に受けた性虐待から後の30年間と、母親が過ごしてきた30年間はあまりにも考えの温度差があり、私は困惑しました。 母親に理解してもらうことは、もう私には不可
このブログはノンフィクションです。私と同じ様な被害に遭われた方が読まれるとフラッシュバックする内容があります。ご注意ください。 中学生 中学生になり好きな男の子もできるようになって、少しづつ自我が目覚めてきました。考えることを辞めていた父親との関係に不信感がどんどん募るようになり、勇気を出して友達にそれとなく聞いてみました。友達はすごく驚いた顔をして「今!なんて言った?!」と聞き返され、私もあわてて「なんでもない!じょーだん!」と言ってしまいました。でもその友達の反応で、これはとんでもないことかもしれない、と感じました。 頭ではわかっていても、なかなか嫌だと言うことができませんでした。父親に嫌だと言うことで、自分の居場所がなくなると思いました。きっと母親も知っている。私のことを憎んでいるに違いない、私は一人ぼっちになってしまう、という恐怖になかなか勝つことができませんでした。逃げ出したいの
このブログはノンフィクションです。私と同じ様な被害に遭われた方が読まれるとフラッシュバックする内容があります。ご注意ください。 学童期小学1年〜4年 その頃、父親は私の裸の写真を撮りたがりました。この年齢になると裸になるのが恥ずかしい事だとわかっていたので凄く抵抗しました。声を震わせながら「お願いだから許して下さい」と何度もお願いしました。海の中の岩の上や山の草むらの中でポーズを取らされ写真を撮りました。子供の頃の身体は汚れなく綺麗だから写真に残しておきたいと言っていました。なぜか家に外人の女の子達の裸の写真集が何冊かありました。その写真集の中の女の子のポーズを真似するように指示されました。その写真の中の少女達は爽やかなイメージはなくきついメークをして子供らしいとは言えない異様な雰囲気でした。後から母親に聞いたのですが写真集は書店から父親が買ってきたものだと言っでいました。その頃は子供の裸
私は現在、香川県高松市に住む46歳。高校を卒業後、大阪に出て通信課程を経て美容師免許を取り、少しの休職期間はあったものの現在に至るまでの間、美容室でサロンワークにつかせてもらっております。 二十歳で結婚をしました。二人の子供にも恵まれ、一人目の子供の出産を機に大阪から香川に戻ってきました。三十歳の時離婚してしまい子供達には寂しい思いをさせてしまいましたが、今はもう二人共、成人して長男は県外に就職、長女も県外の大学へ進学しました。四年前からこの先の人生を共に過ごしたいと願うパートナーとの出会いもありました。 今まで周りの人々にいつも助けていただき、今日まで頑張ってくることができたと感謝しています。 私には学生時代からの友達にすら今まで言えなかった過去があります。ずっと言いたかったのですが、とても恥ずかしく惨めで、言いだすことができませんでした。言ってしまうことで友達に気を遣わせてしまい、本当
私は幼稚園から中学ニ年まで、実の父親から性虐待をうけていました。 幼稚園の頃は、局部を触られることにくすぐったいから嫌だと思うだけで、それがどんな意味のあることなのか、わからずにいました。本当の意味を知ったのは中学ニ年の頃で、その時にはすでに最後の一線も越えていました。私の初めての相手は父親でした。 みんなしていることだと父親から言われていたことと、いつも怖い父親がその時はやさしいことからこれで良いのだと思っていました。 嫌だけど、しつけだといっていつも怒鳴られ、頭をバシバシ叩かれたりしていたので、このこともそれの延長くらいに思っていました。父親のすること、言うことは絶対の支配下で育った私は仕方ないことだと思っていました。友達は父親のことが嫌いじゃなさそうなので、私も嫌ってはいけないと思って、少しでも好きになれるように努力しました。 母親に父親のことが好きじゃないと、何度も言いましたが「誰
【この記事は母親へ理解を求めていつかは自分を産んでくれた母親なのだから私の痛みをわかってくれるはずと頑張っていた頃に書いたものです。性虐待から乗り越える為の大切な過程としてこの記事を残します。1年近くかけて話し合った結果、私の望む母親像は彼女の中にはありませんでした。残念な事ですが、被害を打ち明けた14歳の時に守ってくれなかった時点でその事は証明されていたのに、私自身が受け入れるのに30年もかかってしまったようです。どうか娘から家族の中に加害者がいる事を打ち明けられた時は全力で娘さんを守ってあげて下さい。どうにか取り繕って家族を続けていけるのではないのかという甘い考えは捨てて下さい。打ち明けた時の周りの大人の対応でその後の被害者の心の回復は大きく変わってきます】 七十一歳になる母親は、徳島県の田舎町に四番目の子として産まれました。 上の三人は男の子で初めての女の子だったので、両親からすごく
【この記事は母親へ理解を求めていつかは自分を産んでくれた母親なのだから私の痛みをわかってくれるはずと頑張っていた頃に書いたものです。1年近くかけて話し合った結果、私の望む母親像は彼女の中にはありませんでした。残念な事ですが、被害を打ち明けた14歳の時に守ってくれなかった時点でその事は証明されていたのに、私自身が受け入れるのに30年もかかってしまったようです。どうか娘から家族の中に加害者がいる事を打ち明けられた時は全力で娘さんを守ってあげて下さい。どうにか取り繕って家族を続けていけるのではないのかという甘い考えは捨てて下さい。打ち明けた時の周りの大人の対応でその後の被害者の心の回復は大きく変わってきます】 前回の記事の続き 昨年12月はじめ頃、仕事からの帰り夜、母親に「私、性虐待を受けて育った事を隠さず公表して、私のような被害者が今後出ないようにする活動をしていきたい。私のような被害者が、現
何十年経っても癒えることのない心の傷 世の中にはタブーとされている近親姦 。誰もが信じ難く目を背けたくなるようなことが、一見普通に見える幸せそうな家庭にもあること、実父親や母親の再婚相手、叔父さんなど近親者による性虐待があるという事実を、一人でも多くの人に知ってもらい、 正しい理解の上で自分の周りにいる子供たちに目を向け、子供からのわずかだけど精一杯の心のサインを見逃さないで欲しい、子供の言うことを信じて疑わず否定せず、性虐待の被害に気づいてもらいたいと願いながら、 自分の過去を、5歳から中学2年まで実の父親から性虐待を受けていたことを公表する決心をしました。 性虐待被害は、ほとんどが家庭という塀の中で表沙汰になることなく固く閉ざされています。 被害者はそのことから何年経っても言い出すことができず、苦しみ続けます。 永遠とも思える暗闇にのみこまれた被害者は、心を殺され、生きることに絶望を感
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