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都知事選
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2005年に東京富士大学で開催された日本記号学会第25回大会「〈大学〉はどこへいくのか?」で報告し、その後『新記号学叢書 [セミオトポス] 第3号「溶解する大学」』に書いた文章。 日本記号学会第25回大会「〈大学〉はどこへいくのか?」の準備を進めていた時、何人かの友人たちから、次のような感想を聞いた。「ふーん、記号学会のテーマが〈大学〉ですか‥。面白そうだけど、ちょっと元気が出ないかも。」彼ら彼女らの多くは、人文科学系の学部、あるいは新しく設置された文理融合型の総合的な学部・学科に勤務する教員たちである。国立大学に勤める友人たちは一様に、独立行政法人化以降の学内環境の激変と、その中で人文科学系の研究者がどんどん追い詰められてゆく惨状を嘆き、私立大学に勤務する人たちは少子化の中での生き残り競争の熾烈さを訴える。大学がいろいろな意味で危機に瀕していることは確かでも、そうした厳しい現実の中で語ら
あなたの見ている赤とわたしの見ている赤とは、本当に同じ赤なのか? 哲学入門書などによく紹介されるアポリア(難問)だ。そしてそれは、証明も反証もできない問題であるとされている。もう少し深刻なのになると、「私以外の人間は本当に私と同じような心をもった存在なのか、実は精巧なロボットにすぎないのではないか?」というのがある。世界のなかに確実に存在するのは、この〈私〉の心だけだという立場、いわゆる「独我論(solipsism)」である。議論はここでは省略するが(Thomas Nagel, What Does It All Mean? に、わかりやすく解説されている)、これも合理的に反駁することはできない。 独我論−−ウィトゲンシュタインをはじめとする少数の哲学者たち、そして精神を病む少なからぬ人々にとって、これは生きることの根本的意味にかかわる、きわめて切実な問題である。それに対して大多数の人々にと
映画化もされて有名になった、チェコ出身の作家ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』が文庫になった(千野栄一訳、集英社文庫、1998年11月刊)。 この作品は一言でいうなら、「弱さ」とは何か?という問題をめぐる物語である。 常識的には、「弱さ」とは比較の問題である。10万馬力のアトムに対して、5万馬力のウランちゃんは弱い。それと同じような意味で、動物は人間より弱く、女は男より弱く、日本はアメリカより弱いのだと、ふつう人は考える。 だが「弱さ」とは、本当は能力の比較といった問題ではない。「弱い」存在、その「弱さ」そのものは、実は能力を判定する「公正な」比較の場には、決して姿を現すことがない、何かなのだ。「弱さ」とは、不可視なのである。 動物の能力は人間の設定した基準によって、女の力は男の設定した基準によって、非西欧文化の質は西欧文化の設定した基準によって測られて、はじめてその相対的な
この前に書いた「〈弱さ〉と愛の物語」が、甲南大学の学生を中心とする女子たちから反響があり、感想や質問のメールをたくさんもらったので、調子に乗ってまたクンデラの小説をネタに書いた続編みたいな文。 1月に書いたエッセイ「〈弱さ〉と愛の物語」について、既知のあるいは未知の人たちから、思いがけずていねいな感想や質問を寄せていただいたのは、とてもうれしかった。個別的な質問にはできるかぎり答えたつもりだけれど、いくつかのメールに共通する問いに対しては、もうひとつのエッセイという形で、ここで答えておきたい。その問いの要点は、「では現代に氾濫する恋愛とセックスのオブセッションに対して、あなたはどう考えているのか」というものである。 たしかに、現代日本の消費文化は、恋愛に憑りつかれている。これはあきらかに80年代以降、恋愛が少女マンガや雑誌やテレビドラマなどのマスメディアを通じて、誰もが参加できるゲームのよ
同志社大学 現代芸術論 Ⅱ 後期 月曜5限 新町校舎R208教室 京都精華大学 表現領域特講1(大学院) 後期 火曜2限 大学院演習室2 京都大学 美学特殊講義(学部・大学院共通) 通年 水曜2限 新館1階 第1講義室 京都大学 美学講義(学部) 通年 水曜4限 京都大学大学院文学研究科 新館2階 第3講義室 京都大学 文学部英語B(学部・全学共通科目) 通年 水曜4限 京都大学大学院文学研究科 新館1階 第1講義室 京都市立芸術大学 メディア論2 冬期集中 2011年1月5〜7日 2010年10月20日 カント『判断力批判』の「第1序論」 Ⅳ とⅤ の冒頭を読んでみる。【 】内は、内容を理解するためにかなり思いきった解釈を加えた訳です。より直訳的な解釈については既存の訳文を参照してください。 Ⅳ Von der Erfahrung als einem System für Urteils
更新を簡単にするために、テキストは新しいものからPDF化して別ウィンドウで開くように変更中です(【PDF】という印があるものは作業完了)。それ以外のものはウェブページとして読めますが、リンク等不整合な場合があります。 「生存のエシックス」展覧会評【PDF】 京都新聞 2010年08月14日掲載 人間の〈未来〉としての動物【PDF】 展覧会「美術になった動物たち」における講演 2010年07月31日 メディアにおいて、クリティークとは何か?(未完) 10月10日に東大の福武ホールで開催されたシンポジウムのための覚え書き 2009年10月6日 フレディーの墓前に カフェ・パルルでのトークイベント「フレディーの墓前にて」のための覚え書き 2009年09月12日 何でもないことの幸せ 記号学のシンポジウム「すべての女子は〈腐〉を目指す?」 をふり返って 2008年05月20日 Art on the
以下は、2009年09月12日(土)に名古屋のカフェ・パルルで行われたトークイベント「フレディーの墓前にて」のために準備した覚え書きに、トークでの議論を踏まえて後に加筆したものです。 このトークは、コンピュータ音楽ユニット「フォルマント兄弟(三輪眞弘+佐近田展康)」の近作「フレディーの墓(On Tombeau de Freddie)が、Ars Electronia 2009 デジタル音楽部門 Honorary Mention を受賞したことを記念して行われました。この作品は、ロックグループ「QUEEN」の伝説的なボーカリスト「フレディー・マーキュリー(Freddie Mercury, 1946-1991)」の歌唱の音声的特徴を、サンプリングなどを一切使わずデジタル的に構成することで、誰もが耳に馴染んだ「あの」フレディーの声を持つ「亡霊」を作り出し、それが、二十世紀における社会主義運動の頌歌
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