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パリ五輪
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東北地方太平洋沖地震に見舞われ、岩手県三陸沿岸部の中でも特に甚大な被害を被った大船渡市。報道によると、最大20m以上の高さに及んだとされる津波により街は半壊、死者・行方不明者合わせて500人以上という凄惨な被害を被った。現在も多くの人が避難所生活を余儀なくされ、不安な生活を強いられている。 3月11日午後2時46分。その時間、大船渡高校サッカー部の部員はグラウンドで練習に励んでいた。同校グラウンドは避難場所に指定されており、幸いにも生徒に被害はなかった。 街の形を変え、暮らしを変えたあの震災から約3週間が過ぎようとしている。彼らは今なにを想い、なにを行い、どんな生活を送っているのか。今野貴光監督、主将の岩崎開さん、佐々木龍さん、2年の小松胤智さんの4名に話を聞いた。
かつて“鉄の町”として栄えた釜石市。ここもまたマグニチュード9.0という世界最大級の巨大地震によって凄惨な被害がもたらされた場所のひとつである。市内嬉石町、松原町、平田町の一部、そして魚市場のある浜町から駅にかけては大津波に蹂躙され、建物は崩れ落ち、車が転がる壊滅的な状況だ。メインストリートはいまだ土埃が舞い、歩道はがれきの山。電柱は薙ぎ倒され、民家や店舗は斜めに傾き今にも倒壊しそうな状態。町そのものが破壊されていた。 釜石市は筆者の故郷でもある。昔から慣れ親しんだ風景が変貌、もしくは消滅したのを目の当たりにし、言葉を失った。テレビで観ていたのとは比べ物にならないほどの惨状だった。 それでも人々は前を向く。釜石シーウェイブスで主務を務める仲上太一さんもそのひとりだ。「今はラグビーのことはまったく考えられない。自分たちは釜石ありきのチームなので、まずは釜石の復興が最優先。生活スタイルを少しで
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