坂上田村麻呂が通過したと言われる、国府 – 渋川 – 中之条 – 四万 – 木の根宿 – 浅貝への木の根宿通りの奥州故道・・ 「元慶の乱」(878年)、出羽で起こった乱の鎮静のため上野国の兵の出動経路 などが書かれています。 実際に歩いてみたり地図を辿ってみたりすると、木の根宿古道は、登山が目的のいまの稲包山のルートとは異なり、なるべくアップダウンの少ない、牛馬も通りやすい位置にルートが設定されていたことがわかります。 今回木の根古道を歩いてみて、道のありがたさを身を以て体感しました。 普通の登山道 >> 木の根宿古道 >> ただの笹薮 本当に微かではありますが、残っている道跡を歩くのが、全く何もない笹薮の中を歩くのよりどれだけ楽だったことか、そして整備されている登山道の楽チンさといったら最高でした。 営林署のSさん以外は、木の根宿古道を制覇した人はいないので、次のチャンスには、日向見から