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パリ五輪
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唐の時代のこと。 杜陵の韋固(いこ)は幼いときに父母を亡くしたので、 つねづね早く結婚したいと思っていたが、 なんど縁談を申し込んでもうまくいかなかった。 あるとき、彼は清河を旅し、途中宋城の南にある宿場町に滞在した。 旅仲間の中に彼に縁談を持ちかける人があって、 相手の女性はかつての清河の司馬(しば)だった潘昉(はんほう)の娘だという。 次の日未明に韋固を、宿場の西にある龍興寺の門前で潘家の人と会わせてくれるという。 韋固は気が急いていたので、翌朝とても早く駆けつけた。 寺の門前に着いたときには、月はまだ天上に高々と懸かっていた。 ふと見ると、一人の老人が階段に腰掛け、大きな袋により掛かって、 月明かりで書物を読んでいた。 韋固も傍らから覗き込んだが、そこに書かれている文字がわからないので、 老人に尋ねてみた。 「ご老体が読んでらっしゃるのは何の書物ですか。 私は小さい時から学問をしてい
孟子(もうし)が幼い頃、彼の家は墓地のすぐ近くにあった。 そのためいつも、葬式ごっこをして遊んでいた。孟子の母は、 「ここはあの子が住むにはふさわしくないところだわ」 そう考えて引っ越すことにした。 移り住んだのは市場の近く。 孟子は商人のまねをして商売ごっこをして遊んだ。 孟子の母は言った。 「ここもあの子が住むにはよくないわ」 再び引っ越して、今度は学校の近くに住んだ。 孟子は、学生がやっている祭礼の儀式や、礼儀作法の真似事をして遊ぶようになった。 「ここならあの子にぴったりね」 孟子の母はここに腰を落着けることにした。 やがて孟子は成長すると、六経を学び、後に儒家を代表する人物となった。 【列女伝・母儀(ぼぎ)・鄒孟軻母(すうノもうかノはは)】 ※葬式ごっこ・・・原文には「踴躍築埋」とある。「踴躍」は踊り上がって悲しみを表す追悼の儀式のこと。「築埋」は穴を掘って埋葬すること。
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