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ノーベル賞
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(資料)B29・隼墜落事故 B-29墜落 甲斐秀国 ゴーッ。ズガーン。ズババン。 隣県大分の尾平鉱山を見おろす古祖母(五ヶ所では障子岳を古祖母と言う)の九合目あたり、五メートル先も視界のきかない深い霧の中で、ものすごい爆音と銃声が朝の静けさを破った。昭和二十年八月、終戦の日から数日後の午前七時頃の出来事であった。 標高千四百メートルを越える山中は、真夏でも肌寒い。山頂付近の樹齢百年にのびる巨木はなぎ倒され、一面の焼け野原。あたりは機体の破片や四畳半の部屋ほどもある巨大な四つのエンジンが散乱。アメリカ兵十数人の死体。そして何よりも目を奪われたのは、足元に転がっている缶詰めなどの食料であった。低空を飛行中のB-29が山に接触し、そのまま古祖母に激突。近くには着陸できるような場所などなく、後からきた米軍機がパラシュートで付近に救援物資を投下していったのであった。 終戦当時の誰も彼も食料
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