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円安とは
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そら豆とチーズの三角春巻き。そら豆は下茹でなしの手間いらず! ホクホクの豆とパリッとした春巻きが絶妙の美味しさに 調理時間:20分 主な食材:そら豆、チーズ 材料(6個分) そら豆……12粒 春巻きの皮……2枚 クリームチーズ……30gほど 小麦粉……小さじ1(同量の水で溶く) 塩……少々 こしょう……少々 揚げ油……適量 作り方 1 そら豆をさやから出し、 豆の周囲に包丁で切り目を入れて薄皮をむく。 2 春巻きの皮を縦3等分にする。 3 2に生のそら豆2粒とクリームチーズ(小さじ1ほど)をのせ、塩、こしょうをふる。 4 三角形になるように巻き、巻き終わりに水溶き小麦粉を塗ってとめる。 5 中温に温めた油に4を入れ、全体が色づくまで揚げる。 *そら豆は下茹でなしでも、揚げることでホクホクに仕上がり、豆本来の甘さが引き立ちます。
ブラザー・ローレンスという聖者をご存知でしょうか? 『あるヨギの自叙伝』に、彼のことがほんの少しだけ紹介されています。 「17世紀のキリスト教徒の神秘家であったブラザー・ローレンスは、自分が初めて神の直接認識の境地をかいま見たのは一本の木を眺めているときであったと語っている。人はみな木を見ているが、木を見て木の造り主まで見た人はまれであろう」 たったこれだけの紹介でしたが、私は不思議とこの聖者に惹かれて、彼について調べてみました。 すると、「修道院の調理場や靴修理という身分の低い仕事をしながら、常に神と共にあった」ということが書かれていました。 私はそれを知った時、「私も仕事をしながらどんな時でもヨーガ(神)の境地に留まりたいのだ! 彼がどのような実践をして生涯を送ったのか、もっと知りたい!」と強く感じ、彼の談話と書簡が収められた聖典『敬虔な生涯』をすぐに購入しました。 100ページほどの
スワーミー・ブラフマーナンダはヒマラヤの僧院に行く弟子に向けて次の言葉を送ったそうです。 「心をあの山々のように高く保て」 若き日のブラフマーナンダはサマーディを自然のものとするため、8年間の修行を行ないました。 従者のスボダーナンダは、ブラフマーナンダが肉体を離れてしまうほどのサマーディへの没入を何度も、また何日も目の当たりにしたそうです。 最高境地に向かってその心は高く高く飛翔したブラフマーナンダですが、その過程において「ブラフマチャリヤ(純潔・禁欲)」の徹底した実践を行なっています。 以下、後の弟子たちに説いたその教えを紹介します。 「君たちはいっさいのものを放棄し、自分の生涯を神に担保として差し上げた。しかし、覚えていたまえ、純粋で汚れのない生活をすることはたいそう難しいのだ。君たちはたやすいと思っているかもしれないが、しかし、言っておこう、それはかみそりの刃を渡るほどのことなのだ
千本丸太町 土曜日� 14:00〜16:00 京都アスニー 医療施設(就労支援事業所)でもクラスを行なっています。詳しくはお問い合わせください。 クラス内容 アーサナ(ポーズ):内的効果を高めるための正しいポイントを押さえて実践。呼吸を深く安定したリズムに変化させていきます。 瞑想:瞑想とは何か、座り方、集中方法などの基本から、本格的な瞑想方法まで学べます。 ヨーガの知恵:ストレスに強くなる、ブレない心になるetc… 心の方向性を変える秘訣をお伝えします。 軽やかに、穏やかに「今」を生きるために— ヨーガのポーズを続けていくと、自己治癒力が高まり、体は生命力に満ちてきます。また、ふだんストレスなどで乱れがちな呼吸が落ち着いてくることで、心も動揺することがなくなり、軽やかで平穏な状態が訪れます。 瞑想にはさらに心を大きく変える力があります。心の波が静まり、何にもとらわれるものがなくなったとき
またまた、マーダヴィーです〜。 本日8月25日、京都の吉祥院天満宮では古くから伝わる六斎念仏という法会があるそうです♪そして25日と言えば天神さんの日ですね!北野天満宮近くにお住まいの方は行ってきましたか〜? さてさて、今年の4月6日に大阪市天王寺区にある西照寺で行なった野外演劇「永遠のブッダ」の映像を公開しました! 毎年4月の第一日曜日に、大阪・一心寺周辺では「なにわ人形芝居フェスティバル」が開催されています。私たちは2011年に初めて参加させて頂いて、今回が2回目の参加となります。お寺や神社などが主催されているフェスティバルなので、お釈迦さま(ブッダ)についてのお話をお芝居にして、皆さんに見て頂きました。 2011年は、ブッダ御自身の誕生〜悟りを啓かれた後のお話を取り上げました。その時の「ブッダの物語」映像も前・後編に分けて、YouTubeで公開していますので、復習兼ねて、ぜひもう一度
京都・大阪を中心とした実クラスのスケジュールです。 *新型コロナウィルスの感染状況を見ながら開講を決定していきます。 受講者の皆様へのご協力のお願い オンラインクラス スケジュール
皆さん、こんにちは 春ですね。この時期、桜が本当に美しいですね。古来、桜の木は花王と称せられ、国花とされて守られていたようです。桜にはいろいろな種類があり、次々と咲き乱れては、私たちの目を楽しませてくれます。そうした後に、儚げに散りゆく桜もまた美しいものですよね。 さて、お知らせです。長らく絶版になっていた「ヨーガの福音」、みんなが待ち望んでいた「ヨーガの福音」が装丁も新たに再版されました。この書は私たちの師である、サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの珠玉の教えが、シュリー・マハーヨーギー自らの手によって抜粋、編集、製作されたものです。この本はコンパクトなサイズになっていて、バッグの中にいつもしのばせておくことができます。なにげなく開いたその一ページが、今のあなたにとって重要なバイブルとなっていくことでしょう。 ヨーガを学び始めた頃、手にした「ヨーガの福音」、そして最初に開
そうしてもたらされた生まれ・寿命・苦楽の経験は、原因の善悪に応じて、喜びや苦悶という結果をもたらす。 善いことをすれば良い結果がもたらされ、悪いことをすれば悪い結果がもたらされる——「善因善果、悪因悪果」といわれる因果応報の真理の教えがあります。そして誰もが、善人は報われ、悪人が罰せられるのは正しいことだと考えるかと思います。 しかし一方で、善人が必ずしも報われるわけではなく、悪人が必ず不幸になるわけでもない現実の姿を目の当たりにしたり、何も悪いことをした覚えがないのに、降って湧いたように不幸がおとずれるような経験もあるのではないでしょうか。 現実は理想のようにはいかず、矛盾に満ちている。悪人こそが良い思いをして、真面目で善良な人、あるいは特に悪人でもないような人が、つらく苦しい思いをする。もし神がこの世界を作ったのならば、どうしてこのような不完全で矛盾に満ちた世界を作ったのか?——それは
煩悩という根源がある限り、蓄積された業の報いとして、生まれや寿命、苦楽の経験がある。 僕はなぜ生まれてきたのか? 隣の○○君ではなく、なぜ僕として生まれてきたのか? 僕が僕ではなく、隣の子として生まれていたとしても何も不思議はないのではないか?——小学生のころ、僕はそんなことに疑問をもっていました。 自分が隣の子供として生活している様子をリアルに想像しながら(例えば、隣のおじさんやおばさんを「お父さん、お母さん」と呼んだり、夜に隣の子として自分が寝ているのを想像しながら)、それにもかかわらず、実際は今の両親の子として生まれ、この身体と結びつき、特定の名前で呼ばれ、それで当たり前のように物事が収まっていることを、不思議な気持ちで見ていることがありました。 なぜ私は私として生まれたのか? 両親の精子と卵子が結合したからというのは、1人の人間が生まれた説明としては正しくても、この私が生まれた理由
←はじめから読む いくつかの瞑想の例 頭頂の数インチ上に蓮の花を思い浮かべ、その花の中心部分は徳であり、茎の部分は智慧であると思いなさい。蓮華にある8つの花びらはヨーギー(ヨーガ行者)が持つ8つの力〔八大神通力〕である。中にある雄しべと雌しべは放棄である。ヨーギーは外面的な力を受け取らなければ、解脱へと向かう。だから8つの蓮の花弁は8つの力ではあるが、その中にある雄しべと雌しべは強烈な放棄の思いであり、そういった力すべての放棄である。蓮の花の中に思い浮かべるのは、金色に輝く存在、全能の者、形なき者である。オームという名であり、言葉で語ることができず、燦然と輝く光に囲まれている。それに瞑想しなさい。 もう1つ別の瞑想がある。ハート(心臓)の中に空間を思い浮かべ、その空間の真ん中に炎が燃えていると考える。その炎はあなた自身の魂であり、炎の内側にはまた別の燦然と輝く光がある。それがあなたの魂の中
愛媛の特別サットサンガの最終日は今治。 ゆるキャラのバリィさんに象徴される今治は、タオルや造船、やきとりが有名なしまなみ海道の町です。 会場の山本さん宅に入ると、ちょっとお年を重ねた方が多いような気が…… それもそのはず、名簿を見ると70代の参加者だけでも10名近く……(驚き!!) でもみなさん、色鮮やかなミッション40周年Tシャツを着て、何だかとても可愛らしい。(←お世辞ではありません。ヨーガ行者は嘘は言いませんから笑) 会場は幾分、和やかな空気感でしたが、サットサンガが始まるとそのムードは一転、皆がヨギさんに集中し、真剣な問答が展開されました。 その内容は、身近な人を亡くした方が多かったため、死に関連した問答が多くありました。 「亡くなった人と、どのように付き合っていったらよいのか?」「お経を唱えるとは?」「来世に修行をもちこしてもいいのか?」 死についての問答は松山でもありましたが、
←はじめから読む そしてこう考えよ! 自分自身の肉体について思い、私の体は強く、健康なのだと考えよ。肉体はあなたが持つ最良の道具である。自分の体は金剛石と同じくらい強固なのだ、私はこの肉体の助けを借りて人生の大海を渡るのだと思いなさい。自由は弱い人には決して到達できない。すべての弱さを棄てよ。自分の体に対して、私の体は強いのだと言い聞かせよ。自分の心に対して、私の心は強いのだと言うのだ。そして、自己に対する限りない信仰と希望を持つのである。(「全集」第1巻146ページ) ⑫へ→
「この人生で、もっとも大切なものは何でしょうか?」 家族や恋人、仕事、お金、または神……その答えは人の数だけあるのかもしれません。 でもたぶん、自分が幸せを感じることが、その答えであるように思います。 生きている限り、人は必ず幸せを求めていると思います。 でも、なぜかその幸せは続かないし、また得られない。 満たされることはなく、結果は苦しむことがほとんどです。 では、どうしてそうなってしまうのでしょうか? 愛媛の特別サットサンガ二日目は、この人生の難問についての問答がありました。 サットサンガ二日目は、昨日に引き続き、松山ヨーガ・サークルで行なわれました。 二日目ということもあり、昨日よりも会場の雰囲気は和らぎ、心地よい集中感がありました。 昨日に続いて2回目の方〜! そんな中、ある男性の方が次の質問されました。 男性「心は道具として使うということなんですけれども、結局僕らは上手く使えてな
欲望を追い求める人のその願いがもし叶うなら、いずれ死ぬはずの人間が求めるものを得て、確かに喜ばしい気持ちにもなる。だが、欲望の対象を求め、欲求を起こした人のその願いが損なわれるなら、まるで矢に当てられたかのように悶え苦しむ。 (雨が降って道に溢れた)蛇の頭を踏まないように、欲望の対象を避ける人が、注意深くこの世での執着を超えるのだ。 田畑、住まい、金塊や、牛馬、奴隷、召使い、それに女や親族というような、さまざまなものを望み、その欲望の対象を人が貪り求めるなら、たいして力がないようなものでもその人を圧倒し、外から流入する煩悩的な業(カルマ)が、その人を押しつぶしてしまう。穴の空いた舟に水が浸入するように、その欲望をきっかけに、苦しみがその人の中に入り込む。 だから人は常に注意して、欲望を避けなければならない。欲望を捨てて、(苦しみの連鎖という輪廻の)激流を渡るべきである。舟から水を汲み出して
こんにちは、マードゥリーです。 烏丸の六角スタジオに続いて、長岡京でももうすぐ体験クラスが始まります!(5/19〜 こちらは全 4回です) 通常のヨーガ・瞑想クラスとどのあたりが違うかというと、行なうアーサナ(ポーズ)自体は変わらないのですが(初めての方はムリのないところから少しずつ行なう数が増えていきます)、毎回学びの時間を設けていて、ヨーガを基本から学べるようなプログラムを考えています。 今回のテーマは、「呼吸が変われば心が変わる!」。鼻呼吸によってどんな内的な効果があるのか? またブレない強い心になるための呼吸法や、集中力を高めるための秘訣などをお伝えします。最終回には呼吸と心の波を静めていく瞑想の基礎も学べます。 最近クラスに来られた方が、仕事のプレッシャーや緊張のストレスがしんどくて、呼吸が浅いのが気になると言われていました。 私もヨーガに出会う前、そんな感じだったなあと思い返し
←はじめから読む さあ祈ろう! 心の中でこう繰り返しなさい。 すべてのものが幸せでありますように。 すべてのものが平安でありますように。 すべてのものが至福にありますように。 東と西と北と南にそれを行いなさい。そうすればするほど、あなた自身もいっそう気持ちが晴れやかになるだろう。最終的に、自分を健全にする最も簡単な方法は、他のものたちが健やかであるのを目にすることだと分かるだろう。それを行ってから、神を信じる者は祈るべきである——金のためでなく、健康のためでなく、天国のためでなく、智慧と光を求めて祈りなさい。その他の祈りはどれも利己的なものである。(「全集」第1巻145-146ページ) ⑩へ→
←はじめから読む 瞑想に適した時間 少なくとも毎日2回行わなくてはならない。そして最も良い時間は朝と夕方に向かう時間帯である。夜が過ぎて日中に向かうとき、そして日中から夜に向かうとき、比較的静まった心境がおとずれる。早朝と夕方の早い時間は心が静まる2つの時間帯だ。それらの時間には、体も同じように静まる傾向がある。この自然の状況を利用して、その時間に始めるべきである。実践するまでは物を食べないように習慣づけなさい。そうすれば、空腹というだけで怠惰な気持ちがなくなるだろう。インドでは実践や礼拝を行うまでは決して食べないように子供に教育する。そうすると、やがてそれが自然になるのだ。沐浴をして実践をするまでは空腹を感じないようになるのである。(「全集」第1巻144-145ページ) ⑨へ→
東京で学べる本格的な瞑想教室 →現在、瞑想専科は開催しておりません。 瞑想会については→こちらをご覧ください。 心のとらわれがポロリと落ちる本物の瞑想体験 レクチャーや対話を通して瞑想を実習していけます NEW! 内容|NEW! 日時と会場|料金|講師紹介 瞑想に興味があるけど方法が分からない、心を落ち着かせて集中力を高めたい、ブレない自分の軸を持ちたい……など、瞑想への関心はさまざまです。 このクラスでは、瞑想のための心のコンディション作りから、本格的な瞑想法まで、レクチャーや実習、対話形式の実際的ガイダンスを通して瞑想を学び、1人1人が体感できるように工夫されています。1つのテーマにつき2〜3週をかけていきますので、ゆっくりと確実に進んでいけます。 毎回復習もあり、1回ごとに完結しますので、1回だけの体験もOKです。 瞑想専科 アンケートから このクラスに来ようと思ったきっかけは何です
←はじめから読む 瞑想に必要な条件 火があるところ、あるいは水の中や、枯れ葉が散らばっている地面の上、多くのアリ塚があるところ、野生動物がいたり危険があるところ、四つ角や、騒音がひどいところ、悪人がたくさんいるところでは、ヨーガを行うべきではない。これは特にインドに当てはまることである。体がとてもだるかったり病気の時や、心がみじめで悲しみに満ちている時は行ってはならない。人目に触れず、人が来て邪魔されることがない場所へ行きなさい。汚れた場所を選んではいけません。それよりも美しい場所、美しい自宅の部屋を選びなさい。実践を行う時には、まず古代のすべてのヨーギー(ヨーガ行者)たち、あなた自身のグル(霊性の師)そして神に敬意をもって礼拝してから始めなさい。(「全集」第1巻192ページ) ⑧へ→
昨日2回目の瞑想専科を行いました。 今回も新しく参加された方が3人おられて、食い入るように(とこちらからは見えましたが)真剣に瞑想について話を聞かれ、たくさんの質問もしてくれました。 お一人の方は、Facebookでシェアされていた瞑想専科のチラシを見て、参加することをすぐに決められたそうです。ぱっと見て「センスがいい」と感じられたとのことでした。「誰かデザイナーが入っているようだ」と感じられたそうです。はい!その通りです! マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションのチラシはすべて、プロのデザイナーであったグルバイ(ヨーガをともに行う兄弟姉妹弟子の仲間)、シャチーやマードゥリーがデザインしています。 プロのデザイナーとして活躍していた彼女たちのセンスと腕前も確かですが、プロだからこそ欠けてしまいがちなこと(例えば、業界の常識だとかに振り回されて本質を見失ってしまうこととか?)もヨーギニー(女性の
昨日4月11日に瞑想専科の第1回目を行いました。 チラシを見て仕事帰りのスーツ姿で来てくださった方や、以前に大阪の瞑想専科に参加してくださった方、そして普段は新宿や吉祥寺のヨーガ・瞑想クラスに通われていて、東京での初めての瞑想専科に参加された方たちがおられました。 僕は長らく瞑想を行ってきて、もう自分の人生にとって瞑想は当たり前のもの、当然あるはずのものになっています。生活のなかに瞑想があるというよりは、ヨーガと瞑想のなかに人生があるという感じです。 しかし、こうしてこれから瞑想を学びたいという人たちを前にすると、この瞑想というのは決して当たり前のものではなく、その人自身も気づいていない無限の可能性を開く、本当に貴重な鍵なのだと改めて感じます。 瞑想は何の道具も必要とせず、専門的な知識も特別な技能も必要ありません。誰もが普段から行う座るという行為のなかで、誰もがもっている心を使い、そして誰
こんにちは! ミラバイです! お久しぶりです〜。皆さまお元気にされてますか? さて、今年のバクティ・サンガムが京都は3月末から、大阪は先週の4月8日から開始しました!早速ご報告させていただきたいと思います〜。 今年のシリーズは、毎回いろんな聖者を取り上げ、その方にちなんだキールタンを歌っていきます。初回は、ラーマ神を愛した、名もなきある機織りの聖者をご紹介しました。 「彼はとても敬虔な人で、誰からも信用し、愛されていたそうです。いつもは市場で品物を売っていて、人々からの信頼もあつく、お客はすぐにお金を払って彼の売る布を購入していきました。 ある日、機織りが夜更けに礼拝堂に座ってたばこをふかしていると、盗賊たちが前の通りを通りかかりました。盗賊たちは盗品を運ぶ男が欲しかったので、彼を引っ張っていきました。機織りは言われるがまま盗品を頭に乗せて運んでいると、そこに突然警官がやってきたのです!
私は一切を克服した者、一切を知った者、一切の現象に汚されない者である。一切を放棄し、欲望は尽き、自由である。自ら悟ったのであるから、誰を目指したといえようか。 私に師はなく、私に等しい者は見あたらない。神々を含んだ世界において、私に匹敵する者はいない。なぜなら私こそが世の尊者であり、無上の師であるからだ。ただ一人の正しく悟った者、清涼なる者、[煩悩が]消滅した者だからだ。 [外界から]漏れ入った[煩悩的な業(カルマ)]の消滅に達した者たちは、まさしく私と等しい勝利者となる。私はもろもろの悪しきものに勝利した。だから勝利者なのである。 律蔵「マハーヴァッガ」第1章6節8, 9 瞑想の集中ポイント:真実の自信とは悟りの自覚である 今日4月8日は降誕会(ごうたんえ)、ブッダの誕生を祝うお祭りの日である。「花祭り」や「潅仏会(かんぶつえ)」の名前でも親しまれている。幼いブッダが右手で天を指し、左手
←はじめから読む 心はなんと落ち着きのないものか! 心の制御のなんと難しいことか! 心は気がおかしくなった猿になぞらえられてきた。他の猿と同様、生まれながらに落ち着きのない一匹の猿がいた。それだけではまだ不十分だと思ったのか、誰かがその猿にたらふくワインを飲ませると、さらにもっと落ち着きがなくなった。それからサソリが猿を刺した。人がサソリに刺された時のように一日中あたりを跳ね回り、それでかわいそうな猿はこれまでで最悪の状態に陥った。この悲惨な状態に追い討ちをかけて、悪霊がそのなかに入り込んだ。どう表現すればこの猿の抑えがたい落ち着きのなさを言い表せるだろうか? 人の心はその猿のようなものである。生まれながらの性質で常に動き回っている。それで欲望というワインに酔うと混乱をさらに増す。欲望が取り憑いたあとは、他人の成功に嫉妬するサソリのひと刺しがやってくる。それで最後にプライドいう悪霊が心に入
←はじめから読む 瞑想のための環境 余裕がある人は、この〔瞑想を〕行うためだけの部屋をもつほうが良いだろう。その部屋では眠らず、聖なるものに保ちなさい。入浴して体と心を完全にきれいにするまでは部屋に入ってはいけません。その部屋には常に花を絶やさないように。それがヨーギー(ヨーガ行者)にとって最も好ましい環境である。心地よい絵もよいでしょう。朝晩にお香を焚きなさい。その部屋では口論をせず、怒らず、神聖でない思いをもたないように。あなたと同じ思いをもつ人だけに入ることを許しなさい。そうすれば、次第に聖なる雰囲気が部屋に生まれ、落ち込んでいたり、悲しい気持ちだったり、疑いがあったり、心が乱されている時も、その部屋に入っただけで心は静まるだろう。これが寺院や教会というものの考え方なのである。今でもいくつかの寺院や教会ではそれを確認することができるが、大多数のところでは考え方そのものが失われている。
←はじめから読む 大いなる仕事 ヨーギー(ヨーガ行者)たちによれば、3つの主要な神経の流れがある。1つは彼らがイダーと呼ぶものであり、もう一方はピンガラー、そしてその中間にあるものがスシュムナーだが、それらはすべて脊椎の中にある。イダーとピンガラーは、それぞれ左と右にある神経の集まりである。一方、真ん中のスシュムナーは空洞であり、神経の集まりではない。このスシュムナーは〔煩悩がつまって〕閉じており、一般の人にとっては機能していない。なぜならイダーとピンガラーを通じてのみ人は活動しているからである。これらの神経を通じて継続的に流れが上下に移動し、それぞれ体の異なる器官に走るその他の神経を通じて、体全体に秩序をもたらしている。 私たちがしなければならないことは膨大にあるが、何よりもまず、自分にとって当たり前になってしまっている膨大な量の沈んだ思いを制御しようとしなければならない。悪い行いは明ら
はじめに 自分のやりたいことが何も見つからないことに不安を持つ人は多いかと思います。先輩や大人たちを見て、いろいろな仕事や、教えられた価値観、さまざまなアドバイスについて考えてみても、どうしても「これだ」というものを自分のなかで感じられない…… 自分の希望はどこにあるのか? あるいは自分の人生の目的や理想はどこにあるのか? それを見つけられないことに焦りや不安を感じているかと思います。 最近では盛んに「夢を持て」などと言われます。しかし、どうしたら夢を持てるのか、自分の理想をはっきりとさせることができるのか、誰も教えてはくれません。誰も答えは持っていないように見えます——究極的な答えに到達した人以外は。 この記事の主旨 ブッダは真実の悟りに到達したと言われます。ヨーガは人生の目的は真実を実現することだと教えます。 実は、何もやりたいことが見つからないあなたこそが、今一番正しく物事が見えてい
みなさん、こんにちは。ユクティーです。東北はやっと寒さが和らいで春の気配が感じられるようになりました。私が南相馬に移り住んで3年。今も3年前と同じ病院で看護師として働いています。 この3年間の私の功績??と言えば…この地域の人たちにちょっとだけ関西弁を広めることができたことくらいですかね。なんせ、仙台の人にしても福島の人にしても、私と接して初めて実際に関西弁を聞いたという人ばかりでしたから。福島に来る前は、関西人と東北人は正反対の性質だから合わないとか、嫌がられるから関西弁は絶対しゃべらない方がいいとか、さんざん色々言われましたけど、実際来てみたら…、何でしょう、この歓迎ムード。耳に心地いいとか、わざわざ聞きに来る人もいましたよ。それだから私も周りの期待に応えるべく関西弁を話し続け、結果私は今もこの地域の方言が全く話せません。 たしかマザーテレサは、奉仕活動していたコルカタの人たちが話すベ
←はじめから読む 真理を求めて ヨーガは、どうしたらこのような〔古代のキリストやブッダの経験と同じ〕気づきを得られるかを教える科学である。それを体感して初めて、人は宗教について語る意味がある。なぜ神の名のもとにこれほどまでの混乱があるのか? なぜこれほどまで争いや諍(いさか)いが起こるのか? 他のどんな理由にもまして、神の名のもとで多くの血が流されたのは、人々がその源泉までたどり着くことがなかったからである。先祖たちの風習に知的に同意するだけで満足し、他の人たちにも同じようにすることを望んだのだ。もし魂というものを体感していないなら、どんな権利があって自分に魂があると言えるのだろうか? 神を見ていないなら、神が存在するとどうして言えるのか? もし神がいるなら、私たちは神を見なければならない。魂があるなら、それを確かめなければならない。そうでなければ信じないほうがましだ。偽善者でいるよりは、
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