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収録アルバム "Cornerstone"(邦題:コーナーストーン) amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、アメリカのロック・バンド、スティクスが1979年にリリースしたアルバム "Cornerstone"(邦題:コーナーストーン)から、全米No.1ヒットの珠玉のバラード、"Babe"(邦題:ベイブ)をご紹介します。 以前の記事では、1982年リリースの "Paradise Theater"(邦題:パラダイス・シアター)に収録されている全米3位のヒット曲、"The Best Of Times"(邦題:ザ・ベスト・オブ・タイムズ)をご紹介しました。 www.ogirock2519.xyz スティクスは1963年、チャック(Bass)、ジョン(Drums)のパノッツォ兄弟とデニス・デ・ヤング(Vo/Key)が中心となって結成されました。 その後、ジョン・クルリュウスキ(Guitar)
収録アルバム:Orignal Soundtrack Album "Ghostbusters" amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、1984年のレイ・パーカー・ジュニアによるアメリカの大ヒット映画「ゴーストバスターズ」の主題歌 "Ghostbusters"(邦題:ゴーストバスターズ) をご紹介します。 映画「ゴーストバスターズ」は皆さんご存知かと思いますが、4人の男達が幽霊退治に挑むアメリカのSFコメディ映画で、1984年に公開されました。同年の北米興行収入第1位で、日本でも「インディ・ジョーンズ」「ゴジラ」を押さえての同年の興行収入第1位を記録した大ヒット映画です。 1989年には続編の「ゴーストバスターズ2」、2016年にはリブート版「ゴーストバスターズ」が公開されています。 さて、この映画の主題歌を歌うレイ・パーカー・ジュニアについて少しご紹介しましょう。 アメリカのミシ
収録アルバム "Anywhere You Go"(邦題:エニーウェア・ユー・ゴー) amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、アメリカのロック・バンド、アンブロージアのリード・ボーカリスト、デビッド・パックが1985年にリリースしたソロ・アルバム "Anywhere You Go"(邦題:エニーウェア・ユー・ゴー)から、しっとりとした抒情的ナンバーの "That Girl Is Gone"(邦題:ザット・ガール・イズ・ゴーン)をご紹介します。 アンブロージアは、1975年にアルバム "Ambrosia" でデビューしたアメリカのバンドです。 1982年に解散するまでに5枚のアルバムをリリースしており、当初はプログレッシブなロックを演奏していたのですが、徐々にアダルト・コンテンポラリーのソウルフルなAORサウンドを指向するバンドへと変貌していき、"How Much I Feel"(1
収録アルバム "The Best Of The Nolans"(邦題:ザ・ベスト・オブ・ノーランズ) amazonでこのアルバムをチェックする 今回ご紹介するのは、イギリスの姉妹ポップス・グループ、ノーランズの1979年の大ヒット曲、"I'm In The Mood For Dancing"(邦題:ダンシング・シスター)です。 元は、アイルランド出身のノーラン一家(両親と2男6女)が「ザ・シンギング・ノーランズ」と名乗るファミリー・グループとして1972年にデビューしたのが始まりでした。 1974年には両親がグループから離れ、姉妹のうち5人で「ノーラン・シスターズ」として、"But I Do"(邦題:思い出ロンリネス)で再デビューします。 イギリス国内で活動を続けていた「ノーラン・シスターズ」ですが、1979年にリリースしたアルバム "The Nolan Sisters" の収録曲だった
収録アルバム "Nielsen/Pearson & Blind Luck" 今回は、アメリカのロック・デュオ、ニールセン/ピアソンの2枚目のアルバム "Nielsen/Pearson" から全米TOP40のヒット曲、"If You Should Sail"(邦題:イフ・ユー・シュッド・セイル)をご紹介します。 ニールセン/ピアソンは、ギター、ピアノ担当のリード・ニールセンとギター担当のマーク・ピアソンから成るプロジェクトです。 この二人が中心となり、ベースとドラムスを加えた4人編成で "The Neilsen Pearson Band" として1978年にデビューしました。 デビュー・アルバム "The Neilsen Pearson Band" をリリースした後、再びニールセンとピアソンの2人に戻ってしまい、以降はセッション・ミュージシャンのサポートを得て、1980年にセカンド・アルバム
収録アルバム "Repeat Offender" 今回は、アメリカのソング・ライター&ボーカリスト、リチャード・マークスのアルバム "Repeat Offender" から全米3位の大ヒット曲、"Angelia" をご紹介します。 リチャード・マークスは1963年にジャズ・ピアニストでありコマーシャル・ソングの作曲家&プロデューサーである父とそのシンガーである母という家庭に産まれました。音楽家としてのDNAを両親から引き継いだリチャードは、その家庭環境もあり、幼少の頃から音楽に関わる生活を送ってきましたが、次第にその才能を開花させ、1981年、18歳の時にライオネル・リッチーに見出されて彼のアルバム制作に参加することにより、プロとしてのミュージシャン活動をスタートしました。 その後、ケニー・ロジャースとの共作により、 ■ What About Me ■ Crazy という2曲の全米No.1
収録アルバム "FORE!" amazonでこのアルバムをチェックする 今回はアメリカのロック・バンド、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの全米NO.1ヒット曲、"The Power Of Love" をご紹介します。 ヒューイ・ルイスは1972年にカントリー・ロック・バンドの「クローバー」に加入し、その音楽での経歴をスタートさせます。 クローバーでは2枚のアルバムをリリースするのですが、1970年代後半にバンドは解散していまいます。その後、メンバーを集めてバンドを結成したりもするのですが、商業的には上手くいかず、長い下積み時代を送ることになります。 1979年には失業中のミュージシャンを集めてバンドを結成し、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとして1980年に念願のデビュー・アルバム "Huey Lewis & The News" をリリースします。 このアルバムはほとんど話題に昇ることはなく、
収録アルバム "The Age Of Plastic"(邦題:ラジオ・スターの悲劇) amazonでこのアルバムをチェックする 今回ご紹介するのは、実力派ミュージシャンによるエレクトリック・ポップ・トリオ、バグルスの1979年のデビュー曲、"Video Killed The Radio Star"(邦題:ラジオ・スターの悲劇)です。 バグルスは、 ■ トレバー・ホーン(ベース) ■ ジェフ・ダウンズ(キーボード) ■ ブルース・ウーリィ(ギター) により、1977年にイギリスで結成されました。 1979年には "Video Killed The Radio Star"(邦題:ラジオ・スターの悲劇)でデビューするのですが、この曲がイギリスを始めとしてヨーロッパ圏の各国で軒並みチャートの1位を記録する大ヒットとなります。 (アメリカではそれほどの人気にはならず、全米40位に留まりましたが。)
収録アルバム "All Dressed Up..." ※amazonに画像がなかったので、楽天より。 今回は、カナダ出身のAOR系シンガー・ソング・ライター、デビッド・ロバーツが1982年にリリースしたデビュー・アルバム "All Dressed Up..." から "All In The Name Of Love" をご紹介します。 デビッド・ロバーツは10代の頃からローカル・バンドでボーカルをとっていましたが、19歳の時にあるコンテストに送ったデモ・テープが最優秀賞に輝き、これが遠因となってレコード会社と契約し、デビューすることになります。 デビュー・アルバムのプロデュースを当時のAORブームの最前線で活躍していたデビッド・フォスターやジェイ・グレイドンに依頼したところ、どちらも多忙を極めていたため、二人の薦めもあってグレッグ・マティソンに依頼することになりました。 このグレッグ・マテ
収録アルバム "No Parole From Rock 'n' Roll" amazonでこのアルバムをチェックする 今回はアメリカのヘビー・メタル・バンド、アルカトラスの1983年のデビュー・アルバム "No Parole From Rock 'n' Roll" から "Hiroshima Mon Amour" をご紹介します。 レインボー、マイケル・シェンカー・グループに在籍していたボーカリスト、グラハム・ボネットが結成した、というよりは、天才ギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンを世に送り出した、というほうがわかりやすいと思われるバンドがアルカトラスです。 マイケル・シェンカー・グループを解雇されたグラハム・ボネットは、オーディションなどでメンバーを集め、1983年にアルカトラスを結成しました。 結成当時のメンバーは、 ■ グラハム・ボネット(ボーカル) ■ イングヴェイ・マルム
収録アルバム "Toulouse Street" amazonでこのアルバムをチェックする 今回から2回に渡って、アメリカのロック・バンド、ドゥービー・ブラザーズの曲をご紹介したいと思います。 ドゥービー・ブラザーズは、1971年にアルバム "The Doobie Brothers" でデビューします。デビュー当時のバンド構成は、 ■ トム・ジョンストン(ギター、ボーカル) ■ パトリック・シモンズ(ギター、ボーカル) ■ デイブ・ショグレン(ベース) ■ ジョン・ハートマン(ドラムス) という4人編成で、カントリー、フォークの色濃い楽曲や武骨なハード・ロック・サウンドを盛り込んだデビュー・アルバムだったのですが、一般的にはあまり受け入れられませんでした。 デビュー・アルバムのリリース後、バンドに2人目のドラマー、マイケル・ホサックが加入します。ここで、その後のバンドのトレードマークとなる
収録アルバム "In Color"(邦題:蒼ざめたハイウェイ) amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、アメリカのロック・バンド、チープトリックの2枚目のアルバム "In Color"(邦題:蒼ざめたハイウェイ)から "Clock Strikes Ten"(邦題:今夜は帰さない)をご紹介します。 チープトリックは、1977年にアルバム "Cheap Trick" でデビューします。 デビュー当時のメンバーは、 ■ ロビン・ザンダー(ボーカル) ■ トム・ピーターソン(ベース) ■ リック・ニールセン(ギター) ■ バン・E・カルロス(ドラムス) という4人編成で、うちロビンとトムが「若いイケメン」、リックとバン・Eが「変なオッサン」という、到底同じバンドのメンバーとしてはあり得ないような4人組ということで、かなりマスコミにも取り上げられたりしていました。 しかし、本国アメリカでは
収録アルバム "Breathless"(邦題:ブレスレス~百億の夜と千億の夢) amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、イギリスの抒情派プログレッシブ・ロック・バンド、キャメルの6枚目のアルバム "Breathless" から "Echoes" をご紹介します。 以前の記事では、4枚目のアルバム "Moonmadness" から "Lunar Sea" をご紹介しました。 www.ogirock2519.xyz この4枚目のアルバム "Moonmadness" リリース時のメンバーは、 アンドリュー・ラティマー(ギター) ダグ・ファーガスン(ベース) ピーター・バーデンス(キーボード) アンディ・ワード(ドラムス) という構成だったのですが、アルバムのリリース後にベースのダグ・ファーガスンが脱退、新たに元CARAVANのリチャード・シンクレアを加え、さらにゲスト・ミュージシャンと
収録アルバム "She's So Unusual" amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、アメリカの無邪気な歌姫、シンディ・ローパーの1983年のデビュー・アルバム "She's So Unusual" からのファースト・シングルで全米2位の大ヒット曲 "Girls Just Want to Have Fun" をご紹介したいと思います。 1953年にニューヨークで生まれたシンディですが、17歳の時に高校を中退して家を出て、様々な職業を経験してきた苦労人でもあります。 その後、シンガーとしてバンド活動を行うようになり、正式なボーカル・トレーニングも受けて1980年に自らのバンド "Blue Angel" でデビューするのですが、商業的な成功を得ることはできず、バンドもすぐに解散してしまいました。 失意の中で活動を続けていたシンディですが、後に恋人兼マネージャとなるデビッド・ウル
収録アルバム "Heart Of Mine" amazonでこのアルバムをチェックする 今回ご紹介するのは、アメリカのAORを代表するシンガー、ボビー・コールドウェルの5枚目のアルバム "Heart Of Mine" からタイトル曲の "Heart Of Mine" ですが、他のアルバムからも何曲か合わせてご紹介したいと思います。 ボビー・コールドウェルは1951年にニューヨークのマンハッタンで生まれました。 1978年にアルバム "What You Don't Do For Love" でデビューするのですが、ここからシングル・カットしたアルバム・タイトル曲の "What You Don't Do For Love"(邦題:風のシルエット)が全米9位のヒットとなり、AOR界の新星として一躍脚光を浴びました。 その後、1980年には2枚目のアルバム "Cat In The Hat"、198
収録アルバム "Time" amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、イギリスのロック・バンド "Electric Light Orchestra"(ELO)の9枚目のスタジオ・アルバム"Time" から "Twilight" をご紹介します。 ELOは、1971年にアルバム "Electric Light Orchestra" でデビューしました。デビュー当初、バンドにはストリングス楽器担当(チェロ2名、バイオリン1名)がメンバーとして在籍しており、クラシックの弦楽三重奏の要素を取り入れた独特のサウンドが特徴でした。 1972、1973、1974年と立て続けに3枚のアルバムを発表するのですが、中でも1974年にリリースした4枚目のアルバム "Eldorado" はバンドとして初の全米ゴールドディスクを獲得し、一気にブレイクします。 この頃から、楽曲はフル編成のオーケストラ・サウ
収録アルバム "Rumours"(邦題:噂) amazonでこのアルバムをチェックする 今回ご紹介するのは、イギリスのロック・バンド "Fleetwood Mac" の11枚目のアルバム "Rumours"(邦題:噂)から "The Chain" です。 フリートウッド・マックは、1968年にイギリスでミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーを中心として結成されました。 デビュー当初は泥臭いブルース・ロックを得意としていたバンドだったのですが、 1970年にボブ・ウェルチ、クリスティン・マクヴィー(ジョン・マクヴィーの妻)がメンバーに加わり、サウンド面での主導権をボブ・ウェルチが握るようになると、それまでのブルース色は徐々に薄れていき、ジャズのエッセンスを匂わせる、ポップ・ロック的な楽曲を主体とするバンドに変貌していきます。 優れたアルバムを3枚発表し、ツアーでも多くの観客を集めるなど、
収録アルバム "Sound Of Silence" 今回は少し年代が古くなりますが、1960年代に大活躍したフォークロック・デュオ、サイモン&ガーファンクルを取り上げたいと思います。 とりあえず "The Sound Of Silence" となっていますが、彼らの曲は名曲だらけなので、後半でドドッと紹介しちゃいます。 ニューヨークの小学校時代からの親友だったポール・サイモンとアート・ガーファンクルは、1957年に「トム&ジェリー」というコンビ名で活動を開始し、1964年に「サイモン&ガーファンクル」という名前に改めて、アルバム "Wednesday Morning 3A.M."(邦題:水曜の朝、午前3時)でデビューします。 しかし、このアルバムは全くと言っていいほど売れず、落胆したポールはアメリカ放浪の旅に出て、アートは大学院へと戻ってしまいます。 ところが、プロデューサーのトム・ウィ
収録アルバム "Metallica"(邦題:メタリカ/ブラック・アルバム) amazonでこのアルバムをチェックする 今回ご紹介するのは、ヘヴィ・メタル界の帝王、スラッシュメタル四天王の一角、メタリカの5枚目のアルバム "Metallica" から "Enter Sandman" です。ちょっと新しめの曲になりますが、どうしてもこの曲は取り上げておきたかったので、ご容赦ください。 メタリカは、1983年にアルバム "Kill'em All" にてインディーズ・レーベルからデビューしています。デビュー前には、日本のヘヴィ・メタル・バンド "LOUDNESS" のギタリスト・高崎晃に加入の打診があったらしいですね。 1984年に2枚目のアルバムをリリースした後にメジャー・レーベルと契約し、1986年発表の3枚目のアルバム "Master Of Puppets"(邦題:メタル・マスター)でメジャ
収録アルバム "If That's What It Takes" amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、元ドゥービー・ブラザーズのメンバーでアメリカのシンガー・ソング・ライター、マイケル・マクドナルドの初めてのソロ・アルバムからの大ヒット・ナンバー "I Keep Forgettin'" をご紹介します。 18歳の頃からスタジオ・ミュージシャンとしての活動を開始したマイケルですが、1974年にスティーリー・ダンのツアー・メンバーとして抜擢されたあたりから、徐々に頭角を現し始めます。 1975年には、ジェフ・バクスターの誘いにより、病気のためバンドを離れたトム・ジョンストンの代役として、ドゥービー・ブラザーズに加入します。しかしその活躍は「代役」の枠に留まらず、マイケルの加入により、ドゥービー・ブラザーズは泥臭く野性味溢れるアメリカン・ギター・ロック・バンドから、ソウルフルで都会
収録アルバム "AVARON" amazonでこのアルバムをチェックする 今日ご紹介するのは、ロキシー・ミュージックの数あるアルバムの中でも最高傑作という呼び声の高い "AVALON" の収録曲、"More Than This" です。 ロキシー・ミュージックは、1971年にデビューしたイギリスのロック・バンドです。 そのサウンドは、「ロック」という枠には留まらず、ポップスであったり、ジャズであったり、プログレッシブ・ロックであったり、ニュー・ウェイブであったり、幅広く多彩なジャンルの音楽をミックスさせた独特なもので、その分野においては他の追随を許さない、唯一無二の存在であったと言ってもいいでしょう。 デビュー当初は、メンバーの奇才ブライアン・イーノの音楽性、思想といったものが色濃くバンドのサウンドにも反映されており、先鋭的・前衛的・耽美的といった形容詞がフィットする曲調が多かったのですが
収録アルバム "ORION THE HUNTER" amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、アメリカのロック・バンド "ORION THE HUNTER" のデビュー・アルバムに収録されている "All Those Years" をご紹介します。 1976年にアルバム "BOSTON"(邦題:幻想飛行)でアメリカのロック・シーンに華々しくデビューしたボストンについては以前に書きましたが、そのボストンの初代ギタリストであるバリー・グドローがボストン脱退後に結成したバンドがこのオリオン・ザ・ハンターです。 1984年というと、1978年にボストンが2枚目のアルバム "Don't Look Back" をリリースしてから6年が経過しており、「ボストンの次のアルバムはまだか」とファンが首を長くして待ち焦がれていた時だったので、「ボストンの元ギタリストが作ったバンドのアルバム」というのは非
収録アルバム "PAGES" amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、アメリカのロック・バンド "PAGES" の3枚目のアルバム "PAGES" に収録されている "Midnight Angel" をご紹介します。 ペイジズは、リチャード・ペイジとスティーブ・ジョージの二人が中心となり結成されたバンドで、1978年にアルバム "PAGES" でデビューしました。 AORという大きな括りで語られてしまうことが多いバンドなのですが、実際には、一般的なAORよりもジャズ/フュージョン/ファンク/プログレッシブへのアプローチがより強い、多彩な音楽性を持つバンドです。 その器用貧乏的な部分が災いしたのか、デビュー・アルバム "PAGES"、2ndアルバム "Future Street" はそれほど大きな話題になることもなく、日本ではアルバムの発売さえされませんでした。 レコード会社を移籍
収録アルバム "Chicago16" amazonでこのアルバムをチェックする 今回ご紹介するのは、アメリカの老舗ロック・バンド "CHICAGO" が1982年にリリースした14枚目のスタジオ・アルバム "CHICAGO 16" からの大ヒット・シングル "Hard To Say I'm Sorry"(邦題:素直になれなくて)です。 シカゴは1969年に "The Chicago Transit Authority"(邦題:シカゴの軌跡)でデビューしました。 デビュー当初は「シカゴ・トランジット・オーソリティ」というバンド名でしたが、デビュー・アルバムのリリース後に「シカゴ」に変更しています。 デビュー・アルバムもそこそこ売れたのですが、1970年にリリースした2作目の "ChicagoⅡ" からシングル・カットした "25 or 6 to 4"(邦題:長い夜)が全米1位の大ヒットとな
収録アルバム "GIUFFRIA" amazonでこのアルバムをチェックする 今回も季節柄ちょっと暑苦しい系のご紹介です。 1984年にアルバム "Giuffria" でデビューしました、ジェフリアの "Call To The Heart" です。 1970年代に活躍した、ややビジュアル系・イケメン・アメリカン・ハードロック・バンド、"ANGEL"。 そのエンジェルにキーボーディストとして参加していたグレッグ・ジェフリアが、エンジェル解散後にメンバーを集めて組んだバンドがジェフリアです。 当初は「エンジェルの再結成」というスタンスで、バンド名も「エンジェル」と名乗っていたのですが、権利の関係でそれが使えないことが判明したため、「ジェフリア」に名前を変えました。 そして、1984年、アルバム "Giuffria" でデビューを飾ります。 このアルバムからは今日ご紹介する "Call To
収録アルバム "The Michael Schenker Group" amazonでこのアルバムをチェックする いやー、暑くなってきましたねー。 夏が近いですね。 ということで、今回は暑っ苦しいハード・ロックでいきましょう。 マイケル・シェンカー率いるマイケル・シェンカー・グループのデビュー・アルバム "The Michael Schenker Group"(邦題:神(帰ってきたフライングアロウ))から "Cry For The Nation" をご紹介します。 マイケル・シェンカーですが、幼少期から兄・ルドルフ・シェンカーの影響でギターを始め、17歳の時にスコーピオンズにリード・ギターとして参加、そのキャリアをスタートしました。 1973年にはリード・ギターを探していたUFOからオファーを受け、加入。UFOには1978年まで在籍し、6枚のアルバムを残しています。 その後、一時的にスコ
収録アルバム "BOSTON"(邦題:幻想飛行) amazonでこのアルバムをチェックする 今回は、アメリカのプログレ・ハード・バンド "BOSTON" が1976年にリリースしたデビュー・アルバム "BOSTON"(邦題:幻想飛行) からトップを飾る "More Than A Feeling" をご紹介します。 アメリカのプロダクト・エンジニア、トム・ショルツが自宅アパートに構築した多重録音可能な音楽スタジオで作成した1本のデモ・テープからすべては始まりました。 このデモ・テープがレコード会社に認められ、ボストンとしてのデビュー・アルバム "BOSTON"がリリースされるのですが、デモ・テープではほとんどの楽器をショルツ自身で演奏していたので、急遽オーディションを行ってメンバーを集め、デモ・テープの演奏をメンバーの演奏で再現する形でレコーディングが行われました。 その音源をショルツが大量
収録アルバム "Ritchie Blackmore's Rainbow"(邦題:銀嶺の覇者) amazonでこのアルバムをチェックする 私が高校生の頃、リアルタイムでディープ・パープルにハマっていました。他のギター小僧と同様に、ストラトキャスターにBOSSのディストーションをつないで、"ハイウェイ・スター"のギター・ソロや、"スモーク・オン・ザ・ウォーター"のイントロを一生懸命コピーしたものです。 ディープ・パープルが解散してしまった後は、メンバー達が新たに結成したバンドを追っかけました。ホワイトスネイクだったり、イアン・ギラン・バンドだったり、そして、今日ご紹介するレインボーだったり。 前フリが長くなりましたが、今日は Ritchie Blackmore's Rainbow の "Man On The Silver Mountain"(邦題:銀嶺の覇者)をご紹介します。 1974年、当時
収録アルバム "Rise" 時には、ゆったりとした時間の流れに身を任せて・・・ ロックというジャンルからはちょっと外れますが、非常に好きな曲なのでご紹介したいと思います。 トランペット奏者のハーブ・アルパートが1979年にリリースしたアルバム "Rise" のタイトル曲、"Rise"です。 ハーブ・アルパートという名前は聞いたことがないという方でも、ニッポン放送のラジオ深夜番組「オール・ナイト・ニッポン」のテーマ曲と言えば、ピンとくる方は多いのではないでしょうか。 あれは、決してラジオ番組のために作られた曲ではなく、ハーブ・アルパートの "Bittersweet Samba"(ビタースィート・サンバ)という曲なんですね。 さて、ハーブ・アルパートですが、1962年からミュージシャンとしての経歴をスタートさせています。"Tijuana Brass"(ティファナ・ブラス)というバンドを率いて、
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