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絵そのものが討論の対象となる、私の絵はそういうものだと思っている アンゼルム・キーファー・インタヴュー by Hitoshi Nagasawa 1999年の世界文化賞にドイツ出身の画家、アンゼルム・キーファーが選ばれた。80年代から90年代にかけて、美術史上最も革新的で、するどい作品を残していたのがキーファーだと思う。僕自身、それ以前から本や雑誌で見て、心酔していたが、1989年に〈フジテレビ・ギャラリー〉で個展を観て、圧倒され、それ以来、現代美術で最も好きな作家と訊かれれば、必ずキーファーの名を挙げ続けた。その後、ゲルハルト・リヒターなどが最も現代的であると評されても、僕はキーファーのほうが好きだった。彼の絵のマチエール、そして題材のなかにドイツ史(とくにナチスから第二次世界大戦前後の)が入り込んでいることも、そのひとつの要因だったかもしれない。 だが、評論家が、単純に彼の絵にナチズムの
流行とは何なのか? その「流行」の現場にたち現れるデザインとは、どこに起源を求めうるものなのか? その「束の間(エフェメラ)の美」の衰退によって次に生まれるものは何なのだろうか? ここ数年の動向で最も印象深かったのは、グラフィック、イラストレーション、タイポグラフィの各分野での様式の急激な変容だった。それは一言でいえば「多層」的な構造から「平面」化へ、実験的手法からコンサーバティヴな整合性への転換であった。 まず、第1回目としてタイポグラフィの流行の変容について見てみることにしよう。それは一部のデザイナーやデザイン分野に限られた思潮ではない。「裏原宿」やサブカル系のお洒落な雑誌からインテリアやファッションなどの一般誌などまで陰に陽に影響を与えているとすれば、これはもうデザイン界の潮流で済む話ではないはずだ。 欧文タイポグラフィについて簡単に説明しておくと、まず現在最も流通し、さまざまな
フランスの大貴族にして赤貧洗うがごとき一生を送った作家ヴィリエ・ド・リラダン伯爵の作品を、生涯にわたって翻訳し続けた斎藤磯雄氏は、その戦前のリラダン全集刊行の辞に次のように書いた。『「愚劣」が叡智を蹂躙し、「下賎」が高貴を凌辱し、「凡庸」が偉大を磔刑に処する暗澹たる世紀にあって……』 まさに現代とはそのようなものであれば、今更「サロン文化」在りし時代に追憶を試みても虚しいだけである。「パチンコ屋は現代のサロンである」などという論が成り立つのであれば、渋谷センター街で座り込む無知蒙昧の輩どもを指して、そこに現代のサロンがあるなどと拡大解釈することも可能になってしまうことだろう。 もっとも西欧のかつてのサロンが、かならずしも高貴と教養を約束していたわけではない。それでも幾ばくかのダンディスム、ギャラントリー、あるいは官能性、そしてときには政治・文化的急進主義が存在し、それこそがサロンの魅力を形
copyright ©1997-2018 papier colle.s.a. All Right Reserved photograph by Nagasawa Hitoshi
●アール・ヌーヴォーに始まる有機的曲線 1960年代のサイケデリック様式のぐにゃぐにゃの文字やイラストのソースとなったのは19世紀末のアール・ヌーヴォーだった。1950年代末から始まる欧米におけるアール・ヌーヴォー再評価とLSDによるアシッド・トリップの結果、あのうねるようなサイケデリック様式は生まれたわけだ。それは20年代のバウハウスのモダニズム運動から、60年代に至るまでずっと続いてきた「近代様式(モダニズム)」の合理性、理性重視の機能主義的美学に対する叛乱だった。 サイケデリックが、その範としたようにアール・ヌーヴォーは、過剰なまでの曲線、曲面が氾濫した美学史上、最も特異といえる様式だった。それ以前の西洋美術史を辿っても、あのような曲線が現れたことはない。18世紀のシノワズリー(中国趣味)が植物 の曲線を応用しても、それは文様としてであって造形としてではなかった。ラファエロやダ・ビン
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