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アメリカ大統領選
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一人と独りは大いに違う これは本当にずっと思っている。 孤独って下手をすれば人から生きる気力を奪ったり、本当ならささいな悩みでも独りで抱え込むことでどんどん大きな悩みに変化していくこともある。 だから鬱がちな人とかもどこかで落ち着けるような人と繋がってれば少しはマシになるのかなと思ったり。 (人じゃなくても良いかも、猫とかね、とりあいず独りと感じないような関係) 友達が多くても孤独を感じてる人もいるよね 表面上は、友達と過ごして繋がってはいるけど。 どこか心の奥で、「なんだか安心できないな」「なんだか孤独」みたいな。 無理に他人と合わせているから起こることなのだろうか。 もしくは自分の価値観と合わないとどこかで感じているのか。 価値観が合わない人といわゆる連れみたいな感じで一緒に過ごしてもおそらく消耗するだけだろうから、そんな場合は一人で過ごした方が気楽だろう。 それに一人でいる方が不意に
大学生の春休みは長い 社会人のお盆とか今年のGWの10連休とかとは比べ物にならない期間 大学生の春休みって2月から4月の1週目まで丸々休みなので長い。 約二か月の休み、ありがたいm(- -)m 大学外のことをやろうにも普段の授業とか課題とかで疲れる自分にとっては、やっと他の事を集中してやれる時期がきた!って感じで ただ大学期間中もエネルギーに満ち溢れてる人達はうまいこと両立してこなすんですけどね。 (活動容量の上限がすくないもんで、まぁ自称前世猫なんで←) とりあいずpythonの残ってる参考書やるのと、ハッキング美しきなんちゃらってやつをまずはやろうかな? そしてブログ関連と他の本も侵略してみたりして、色々やってみようかなと 休みの方が勉強してるじゃん!みたいな状況を目指したい、 まぁゆるく、(笑) 春休み暇? 友達とかと春休みについて話すと割と、 「あー春休み案外やることねぇーなー」
現状が嫌で他の道に行くために結果勤勉になる 「勝負師伝説 哲也」っていう漫画で、主人公が放ったセリフらしい。 「怠惰を求めて勤勉に行き着く」 簡潔にまとめると勤勉とは程遠いギャンブラーでさえその世界で勝つためにはいろいろ勉強していて結果的に勤勉だ!みたいな かなり心に来ましたね。なるほど!自分も何かしら当てはまるぞ!みたいな 例えば、大学通いたくない人がいたとして、 「うわー大学の勉強したくねーーだりー」 「てか大学通いたくない!」 「何か収入得ないと!」 「youtube?ブログ?プログラミング?」 「よしやってみよ!就職なんてしたくないぞ!」 となったとしましょう。 でもyoutuberに仮になるとしたら、「企画を考える力、動画を編集する力、競合の観察及び分析、マーケティング、投稿モロモロの操作、継続力...etc」結構勉強しないとダメですよね。 ブログとかアフィでも、SEOだったり集
二極化が仕事でも進んでいる いやむしろ仕事の二極化のせいで賃金格差とか貧困の格差が広がっているのかも。 人手不足なら給料上げて人来るようにすれば良いじゃん!と思っていたのですが、どうも一筋縄ではいかないらしくて。 今回引用した記事はこちら↓↓ blog.tinect.jp いやーなるほどって思いましたね。 まずまとめると 「無理に給料を上げても会社や元がつぶれるだけ」 「事務職など誰でもできる普通の仕事は人が余っている」 「 専門知識を要する仕事には、それなりの高い給料を出しても求めるレベルの人材が十分集まらず人手不足に陥っている」 「教えられればすぐでき、普通に働いてそれなりの給料をもらえる仕事が減った」 「低賃金肉体労働OR知識労働に従事するかの二極化が、科学の進歩により生まれた」 記事の内容をまとめるとこんな感じですね。 いやー生きるハードルがだんだんと上がってますなー。もう少し科学
この日本において、何だか当たり前とか普通でいるためにすることが多くて、めんどくさいなって思うときがあるのです。 「このご時世大学くらい出なきゃダメよ?」 「これからエーアイの時代だからもっと学ばないと落ちこぼれるわよ?」 「大学に行く?就職する?仕事する?パートナーを見つける?結婚する?車を持つ?マイホームを持つ?子供を作る?子育てをする?立派な親になる?老後のために貯金する?老後までは仕事一筋?それが当たり前?定年後に第二の人生?みんなと一緒に苦労?」 自分より下の子はさらに大変だとも思う。気づけばプログラミングは必修化されグローバルという言葉をよく聞かされ、普通になるために勉強することが増えてる。 やんなきゃだめなの!?え!? 難なく出来る人は良いが... おそらく半分以上は難なくこなすだろう。しかし必ず一定数これが普通じゃない、無理な人がいるはず。もしくはこの普通に疑問を持ち、他の生
そいえば先週くらいに叔父から電話がありまして、 「正月はちゃんと帰ってくるんかーー?」 「カニとか用意しとくよー」 「全然帰ってこないねー」 とのこと。 確かに今や正月の一泊二日しか一年で帰省していない。前会った記憶がうる覚えなくらいに。そして自分もいつの間にか成人し、それに伴って叔父たちの年齢も上がったんだなーって考えると、しんみりしますね。。 「いつまでも元気じゃない」 本当にもういつ死ぬかなんて分からないですからね。定期的に顔は出すべきだなと思ってはいるけど距離が距離なだけに中々行けていない。 でも一年で二日しか会わないとすると。 仮に叔父たちが20年無事に生きたとしても、40日しか会わないって考えると少ないですね。700日中40日と考えると尚更。んーーー。 さすがに正月は顔を出すとは決めてるんですけどね。そこだけはしっかり実行していますね。そしてしっかりと喋る。うん それに死んでか
逃げか挑戦か、の判断ってむずくないですか??まぁたまに自分の理想を語ったら、この「逃げ」という言葉をちょくちょく使われるからこの記事を書くことになったんですけどね。 あと、気にしたらまけ、自分次第ってことは分かってるんですけど、まぁこの思考過程を楽しんでるというか。迷ってる感じを楽しんでたりする自分もいるからこのあやふやな感じで記事にしてみたって気持ちもあるんですけどね。生きてるなぁぁーーみたいな、わら 例えば「自分はあれをやりたいんだ!だから今やってることは違う!やめる!!」みたいな動機があったとして、これに至った経緯を深く見た時、ただ単に今ある現状が嫌なだけで逃げる口実を無意識のうちに探してるだけみたいな。 この場合、本当は今ある現状を突破したいのに、難しいから別の道を探してあたかもやりたい事が見つかったのようにふるまう?これは逃げに近いんじゃないかって思ったりする。 周りとの見え方の
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