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1.「尤もありがたきは王妃の殺害」 2.ロシアとの戦い 3.日露戦後──楚人冠、秋水、平民社 4.旅順と京城(漢城) 5.大逆事件・秋水処刑、韓国併合、そして、その先 1.「尤もありがたきは王妃の殺害」 1895(明治28)年11月、夏目金之助(漱石。28歳)は親友の正岡子規に、「近頃の出来事の内尤もありがたきは王妃の殺害」と書き送った(11月13日付書簡)。朝鮮の王妃(閔妃)の殺害をありがたいと評する、恐るべき発言である。 じつは、こうした感想は漱石一人のものではない。この言葉は、彼等が、“女に牛耳られた国が滅びるのは当然だ、政治に容喙し国を傾ける女は成敗されてしかるべきだ”という、当時、新聞メディアの少なくとも一部が煽ろうとしていた言説の中にいたことを意味する。 この言説は、儒教の経典である『書経』や司馬遷の『史記』にその起源をたどれるものである。その昔、殷王朝の紂王を倒そうとした
「御一新」(明治維新)をくぐり抜けて公娼という制度(「公娼制度」、公娼制)が作られていく過程における、近代日本創成期の指導的政治家である大久保利通(初代内務卿)の役割について検討する[1]。 1.農奴解放・奴隷解放・「芸娼妓解放」 2.公娼制の再確立 3.内務卿大久保利通・伊藤博文による公娼制の近代化 4.司法省を抑えて東京警視庁・地方官の管轄へ 5.考察 1.農奴解放・奴隷解放・「芸娼妓解放」 オールコックの『大君の都』 幕末の日本における、人身売買と遊廓等での性売買の慣行(総じて江戸時代の公娼制)は、すでにある程度知られた事実であった。大英帝国の初代駐日公使オールコック(Rutherfort Alcock)が『大君の都』(THE CAPITAL OF THE TYCOON, 1863)で厳しく批判していたからである。日本では「父親が娘に売春させるために売ったり、賃貸ししたりして、しかも
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