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歌舞伎界最高の名跡。江戸歌舞伎のボス的存在で特に市川宗家(そうけ)と呼ばれる。荒事芸を創始した初世、「助六由縁江戸桜」を初演した2世、「勧進帳」を初演すると共に"歌舞伎十八番"を制定した7世、最高の人気役者でありながら大阪で謎の自殺を遂げた8世、明治の名優で役者の社会的地位向上を目指した9世、"海老さま"と呼ばれ天性の美貌で多くの女性ファンを魅了した11世など代々名優を輩出している。本姓は堀越で、先祖は甲州市川郷の出だという説もあるが定かではない。成田家、定紋は三升(みます)。 もともとは市川団十郎家の弟子筋にあたる。市川団十郎家に子が無い場合に、当家から養子を迎えた。4世、5世、11世の団十郎も当家の出身である。"鼻高幸四郎"と呼ばれ実悪を得意とした5世、生涯に「勧進帳」の"弁慶"を1600回以上も勤めたという7世、一時期菊田一夫に招かれ山田五十鈴・山本富士子らの女優と一座を組んでいた
「東海道四谷怪談」の面白さの一つに大道具・小道具の仕掛けの工夫があるのですが、今回はそれをご紹介します。この仕掛けは総て名人と言われた大道具師11世長谷川勘兵衛(はせがわかんべえ)(1781−1841)の考案になるものだそうです。 (1)「戸板返し」---- お岩と小仏小平(こぼとけこへい)の死体が表裏に打ち付けられた杉の戸板が、砂村隠亡堀に流れつき、民谷伊右衛門の垂れた釣り糸に掛かります。お岩と小仏小平の役は一人の役者が2役勤めるのが普通ですが、お岩の肉脱した死骸が伊右衛門に怨み事を言います。驚いた伊右衛門が南無阿弥陀仏と念じて戸板を突くと、戸板がバッタリ裏返って小平の死骸が両眼を見開いて「薬を下され」と手を差し出すのです。お岩と小平は同じ役者ですから瞬時に替わる仕掛けがこの「戸板返し」なのです。ギョッとした伊右衛門が斬りつけると、小平の死骸が白骨になって水中へ落ちる仕掛けも見事です。
「かぶきのおはなし」は、私が綴った歌舞伎に関する「よもやまばなし」であり、現代風に言えば166話の「エッセー集」です。この中には、私の長年親しんだ歌舞伎に対する熱き思いが込められています。 執筆を開始したのは、1999年11月からで完成したのが2000年4月です。その後、会社の同僚である斎藤洋子さんが約半年がかりで166コマのイラストを描きあげ、両者をあわせ手作りのホームページとして公開したのが、2001年の2月のことでした。 実物の写真1枚さえない殺風景なホームページですが想像以上に多くの人に読まれ、ほとんど全国から好意的な感想やご意見をいただきました。またある地方テレビ局が僻村に伝わる伝統歌舞伎をテーマとしたドキュメンタリー番組制作にあたり、このホームページが大いに参考になったそうです。 約半年間の公開中断から、本日あらためてここに復活できましたのも、こうした読者の励ましの声があ
春日八郎の「お富さん」が大ヒットしたのが、昭和29年のことだそうですから、もうこの歌謡曲を知っている人は少ないのかもしれません。でも歌詞の中の一部分「----死んだ筈だよお富さん、生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さん、ええさほう、玄冶店」という有名な文句だけは聞いたことがある、という人は結構いらっしゃるのではないかと思います。 実はこの「お富さん」の歌詞は、歌舞伎ファンなら誰でも知っているというほど有名なせりふの一部なのです。「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」源氏店(げんやだな)の場で、切られ与三郎と異名をとる"与三郎(よさぶろう)"がチンピラ仲間の"蝙蝠安(こうもりやす)"に連れられて小銭を強請(ゆすり)に入った妾宅に、かって自分の女だった"お富"が誰かの囲われ者として暮らしているのを見た"与三郎"が"お富"に向かって言うせりふです。 妾宅の造りも歌にある通りの
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