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メインブログ「森の奥へ」に俳句記事を投稿しました。 www.keystoneforest.net うろこ雲ほどよく力抜けにけり 満ちるよりここで止まれや十三夜 今日出会ひ今日別るるや十三夜 暗き朝湯で顔洗う秋寒や 十三夜といふ夜ありや我の日に 山人(sanjin)👣@飛ぶコタツ
前回の記事(うろこ雲昼の三日月隠したり - 飛ぶコタツ)に掲載した「チェリストの指踊るごと秋のホールで」という句に続けて、何句か演奏会を題材にした句を詠みました。 今回の記事には、その演奏会繋がりの句を4句載せています。 いつもながらのことですが、今回は特に自信ありません。アドバイスいただければうれしいです。 これまでは、主に植物や虫や風景を題材にして俳句を詠んできました(葉っぱものがひょっとしたら一番多いかもしれません…)が、演奏会はとっても難しかったです。 チェロの句も何度も直しました。もっともっと直したいのですが、これ以上どうすればいいのか分かりません。 演奏会の句を詠んでみて一番分からなかったのが、季語をどうやって詠みこめばいいのかということでした。 いろいろ調べましたが、文化祭や運動会は季語なのですが、音楽会や演奏会、発表会、学芸会などは季語ではないようなのです。 演奏会という言
TBS系列のテレビ番組『プレバト』の俳句部門の査定を担当されている夏井いつきさんが、俳句を詠むのに必要なものを三つ挙げられています。 三つのもの。それは、手帳、筆記具、俳号だそうです。 つまりは、それ以外に準備が必要なものなどなくて、誰にでもすぐに俳句は詠めますよ、ということをおっしゃろうとしているんだろうと思います。 一応この三つは用意していました。 三つ目の俳号、遠野山人は俳号のつもりで考えたんじゃなくて、創作をするときのペンネームのつもりでしたが…… 俳句のネタを書き込む手帳は、100均のお店で買ってきたA6版のものです。 筆記具はuniball SigNO 0.28を使っています。硬めの書き味が気に入っています。 手帳は一日に見開き2ページ分くらいを使います。 ページの1行に一句書くのにちょうどくらいのサイズです。 使い始めてから一ヶ月半ほどが過ぎ、ようやく手帳の半分くらいを使いま
Twitterに一日一句投稿している俳句が五句たまれば、ブログにまとめて記事にしようと考えていました。 ですが、このペースでいくと五日に一回ずつブログを更新しないといけないことになってしまいます。 一日一句俳句を詠むのが精一杯のわたしですので、今日までのところ、ブログ更新の方が滞ってしまっています。 既にブログ記事あと2回分くらいの俳句がたまっています。ちょっと頑張ります(^^; 今回は落ち葉を詠んだ句が続きました。 俳句には季語を詠み込むというルールがありますので、一つの季語について考え始めると、いくつか同じ季語を使った俳句を続けて思いつくことがあるみたいです。 ところで、落ち葉は冬の季語です。 ここ数日の冷え込みはすっかり冬の到来を思わせますが、まだまだ10月。これからが秋本番のはずです。 俳句の季語は旧暦によっていますが、旧暦で冬の始まりとされる立冬は、旧暦の日付では9月15日~10
今年の八月の末に作句を始めました。 以来一か月半ほどが過ぎますが、一日一句詠むのに悶々としつつ、創作意欲が薄れるにはまだ至っていません。 俳句を詠むってなかなかに面白いです。 音楽やラジオを聴いたり、スマホを見たりしていた通勤の途中に、今、考えているのは、ただ俳句のことばかりです。 スマホを見る時間は減りました。 イヤホンに流れる音楽は思考を邪魔しない歌詞のない曲に変わりました。 そして、街路樹の葉の色、空の色、雲の形、緑地帯に咲く花、川沿いの小径に生える野草の表情、こうしたものに目が向くようになりました。 駅から職場まで歩く時間が少し長くかかるようになりました。 コスモスを撮る我急かす蜂と蝶 季語は「コスモス」、秋の季語です。 が、念のため歳時記で確認すると、「蜂」と「蝶」も季語でした。 なんと、春の季語です。 どちらも、四季を通して見られますが、蜂も蝶も蜜を吸いにやってきて目につきやす
また夜がきた。 陽が落ちてからまた昇るまでの数時間をどうやりすごすか、それともやりすごせないか。迷っている余裕はない。寝る準備を始めないと。 まずは枕だ。 何を詰めるか、何に詰めるか、どんな形にするか、 どちらの方角に向けるか、訊けば丁寧に教えてくれるだろうが、その丁寧さに付きあっている暇はない。そもそも枕などなくても寝られる。 それより布団だ。それほど寒い日でもないから、布だけでいいかもしれない。それならいっそ何もなくてもいいかもしれない。 絶対ないと困るものは屋根だ。 何しろ今夜は激しく流星群が降るという。 寝ている間に流星たちの襲撃を受けたら、ひとたまりもない。 あまりにたくさん落ちてきて、星がひとつもなくなったらどうすればいい。 星明かりが消えてしまったら、夜道に迷う人があとをたたなくなるだろう。 迷った人同士がぶつかっても、相手が誰だか分からなくなる。 ぶつかった相手が人間でなか
僕の実家はYという山村で、H市からバスで2時間くらい揺られて行った所にありました。昔ながらの山を切り拓いてつくった段々畑や、黒や青色の瓦の合間にはまだちらほらと茅葺き屋根の残るそんな小さな村でした。 僕の家はその村の終点のバス停から、まださらに奥へ入った所にありました。近くの山の中腹に古い祠があり、昔を知る人はそれを「やまさま」と呼んでいました。 付近の山は、どれも木々が深く、一年中闇に閉ざされていました。奥へ入るほどにさらに山は険しくなり、人の手が入ったという話は聞いたことがありませんでした。 僕自身も山育ちでしたが、村の奥の山々には滅多に入ったことはありませんでしたし、親たちも、それを固く禁じていました。 ただ一度だけ祖父がまだ存命だった頃に、山へきのこ狩りに連れて行ってもらったことがあり、その途中で偶然「やまさま」の前に迷い出てしまったことがありました。 それはあまりにも突然のことで
六月九日朝、夢を見た。 父の夢だ。 そうだ、今日は父の命日だった。 あの日の午後、危篤の報を受けて駆けつけた病室で、父にはまだ息があった。次々に家族が駆けつけ、みんなが揃ったのを見届けるようにして父は逝った。 夢に出てくる誰もが猫の顔をしていた。 あの日病室にいたドクターもナースも猫の顔をしてそこにいた。顔は猫だが、みんな二本足で立って歩いている。歩くどころか、立ってしゃべってさえいる。 聞こえてくるのは人の声で、都合の良いことに日本語だ。声のトーンや口調で性別さえ分かった。顔は猫でも、それが誰なのかなんとなく見分けることができた。 私が毎夜見る夢に現れるのはみんな猫だ。みんな猫の顔をしている。本当の猫かもしれないが、人か猫かは声を聞けば分かる。本当の猫なら猫の言葉で喋る。 ところで、父のことだ。 今朝の夢の中で父も猫の顔をしていた。茶色と黒の斑の猫だった。同じような模様の猫は何匹もいた
招かれて向かう道で猫と目が会った。 私と猫、どちらも目をそらさない。 そのまましばらく時間が止まった。 どれくらい経ったか、また時間が動き出し、猫は少し後ずさりした。猫が動いたから時間が進み出したのかもしれない。 私はちらりと自分の足元を確認し、そして右足を一歩踏みだした。 その気配を感じたらしく猫はさらに後ずさりした。 猫の目は相変わらず私の目を見ている。私の目も猫の目を見ている。猫は私の目に映った猫自身の目を見ている。猫の目に映った猫自身の目を私も見ている。 それは無限に続く。 私はコマ送りの動きで左足も一歩踏みだした。 猫はもう動かない。猫の背に深い谷があった。 猫は尻尾をピンと立て、背中の毛も逆立てた。 そして頭をゆっくり下げて腰を上げ、前足に重心を移した。目はまだなお真っ直ぐに私を見ている。 上から何か落ちてきた。 私も猫も同時に首をすくめ、目線だけ上に向けた。 それからずっと
たぶん僕の前世は猫で、きっと野良猫で、飼い猫に憧れていた。 飼い猫になりたくて仕方なかった。ぎゅっと抱きしめられたかった。 僕を抱きしめてくれるニンゲンがいつかきっと現れると思って、ニンゲンに近づいていってた。 どこの飼い猫よりも愛想が良くて、きれい好きで、毛並みもきれいなつもりだった。けれどそれは野良猫のわりに、というレベルだったようだ。 結局、僕のおでこを撫でたり、喉をスリスリしてくれたりする飼い主には出会えなかった。 やがて猫の僕は歳老いた。野良猫のまま歳老いた。 自慢だった毛なみが色褪せ、ボロボロと抜けていった。 どこかに隠れないといけない、誰にも見つからないところに行かないといけない、僕は誰かに言われたわけではないけど、そう思った。 隠れる場所は森の奥にある、僕は知っていた。猫はみんな知っていた。 森を探して、その奥にあるふわふわの草むらを探して、ひっそりと夕陽がさすその草むらの
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