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中東情勢
yasosan.hatenablog.com
公明党元書記長の市川雄一氏が昨年12月亡くなった。私は、市川さんが公明新聞の機関紙局長だった時に社会部の記者として仕事をしていた。 私は元々は大学を卒業後は創価学会の本部職員になりたくて面接試験を受けた。当時は政教一致丸出しの時代であったから、公明党は創価学会の政治部のようなもので、面接担当だった学会の飛田経理部長は私を公明党本部の経理部に配属した。 そこで私は長田総務局長のもとでしばらくの間仕事をしたが、なぜか機関紙局に人事異動となった。当時、局長の市川さんは学会の参謀室長という要職にあった。日中は党の仕事をし、夜は学会青年部の最高幹部として青木青年部長や福島男子部長などと青年部の育成に専念しておられた。 参謀室長という役職は戸田会長に仕えた池田大作氏が頂いたもので、学会内部では永遠に空席のものと思われていたのである。その役職を市川氏が池田会長から任命されたのは、全国の参謀の任命を受ける
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