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夏の料理
yuko-a313.hatenadiary.jp
自分が刺されたことについて、考えてしまう。 私が包丁で刺されたことは一体なんだったのかということだ。 私が刺された事件は裁判もなければ、慰謝料も、相手からの謝罪もなく、残ったのは手と胸の傷とPTSD諸症状である。 精神科の主治医からは相手は医療観察法に基づいてしっかり治療されるから安心してくださいと言われた。 元の生活を取り戻すために治療に専念して頑張りましょうと何度もいう。 不本意だが、私の身体はもう特定のシュチュエーションやストレスに弱い風に変わってしまった。 だからそれをうまくカバーするように練習していくしかないのだとわかっている。 (もうくたびれたから、安全な場所でぬくぬく暮らしたいというのが本音だけど、それは次回の話) そういう問題ではないのだ。 人を包丁で刺して人の命の危険に晒すという行為は一体なんなのかということをじっくり考えたいのだ。 人は刺されてよいのか。 私は刺されても
2018年に一人暮らしを始めて、今年から自分のやりたいことをやっていこうと気合を入れて臨んだ2019年でした。 例えば、統計検定にむけて勉強したり、電気通信大学の講座に申し込んだり、自分がやってみたいことに手を伸ばしました。 自活して、自分がやろうと思ったことを実現して、少し自信がついたらいいなと思いました。 ところが6月初旬に私は殺人未遂事件に巻き込まれてしまいました。 包丁で胸部と右手を刺されました。救急車で救急病院へ運ばれました。 救急病院では、麻酔が良く効かない状態で縫合されたり、男性がいる施術室で素っ裸でストレッチャに乗せられて、寝た状態でお尻とストレッチャの間にタライを挟まれてそこに排泄しろって言われたり、思い出したくもない経験をしました。 トイレに行かせてもらえないって屈辱的で、タライの上での排泄を自分の意識で行うって死んだほうがマシじゃないかと感じるくらい恥ずかしかったです
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