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買ってよかったもの
zatubunsya.hatenablog.com
私、常日頃から家の鍵をズボンのポケットに突っ込んでいるんですが。 鍵をチェーンに付けて、そのチェーンをベルトにくっつけています。 たまに「そんな中高生がするようなことを……」とか言われます。 スーツの社会人がチェーンを腰に付けていたら違和感バリバリですが、冠婚葬祭以外はずっとラフな私服なのでまだ許されているのではないでしょうか。 いや、許されていると思っているのは自分だけかもしれませんけど。 ファッション的にカッコいいとか、そんな風に思っているわけではないんですよ。 簡単に言うと、一度鍵を落として青くなった経験があるのです。 もう二度とあんな思いはしたくないのです。 我が家の鍵は、普通の鍵とは違って金属製のカードみたいなプレート状になっています。 オートロックもない木造アパートのくせに、なぜかそんなところだけ妙なハイテク感を出してくるのが不思議です。 で、その鍵を、ポイントカードや交通系の
昨日はちょっとしたお仕事で都心の会社に行っていたんですけどね。 夜になって作業も一段落ついたので、帰宅しようと思って駅へ向かったんです。 そうしたら、なんかコスプレしてる人とか、着ぐるみ着てる人とかがちらほら目につきまして。 まあ、そんな日もあるかな、とか呑気に考えていたのですが、途中でようやく気付きました。 10月31日はハロウィンなんですね。 きっと私が目にしたコスプレの人や着ぐるみの人は、渋谷にでも向かうところだったのでしょう。 私は都心にいたと言っても、ルート的に渋谷からは離れていたので、あまりハロウィンモードの人を見かけなかったのかもしれません。 いや、下手に渋谷の近くにいて、巻き込まれるのはそれこそ勘弁、という感じではあるのですが。 家から出て何か楽しむ、ということが本当に苦手なものでして。 夜通し騒ぐより、家で寝ていたい人間です。 あ、別にコスプレして渋谷で夜通し遊ぶ人のこと
私は定期的に通院しているのですが、いつも平日の開院直後の時間に予約を入れてもらっています。 混むのも嫌ですし、先の人の診察が長引いて待たされるというのも嫌なので。 平日の開院直後であれば空いていますし、変に診察が遅くなって後の予定が狂う、ということはまずないので、とても楽なのです。 診察後には薬局で薬をもらうのですが、私は処方箋を渡した後に「〇時に取りに来ます」と告げて近くのドトールコーヒーに出掛けることが多いです。 薬の種類と量がそこそこあるので、下手をすると一時間くらい待たされるので。 それだったら、薬局でボーっとしているよりも、コーヒーを飲みながらパソコンをいじっている方が時間の有効活用になります。 そこで感じるのが、平日午前中のドトールコーヒー、特に喫煙ブースは高齢者が多い、ということです。 出社前と思われるスーツ姿のサラリーマンやOLさんに混じって、20席くらいのブースに7~8人
「この前、某有名居酒屋に入ろうとしたら、女の子だけはダメって言われたんですよ」 先日、高校時代の後輩の女の子と飲んでいたら、居酒屋の話になりました。 なんでも、女の子だけで某居酒屋(居酒屋業界関連では結構名前の知れたお店)に入ろうとしたら断られた、と。 昔はちょこちょこそういうお店を聞いたものですが、いまだにそういうルールを守っているとは、ある意味尊敬もしますが時代錯誤の感も否めません。 「女の子だけって、何人?」 「4人です」 「あー、そりゃ断られるかもしれないな」 男性客中心の居酒屋では、女性のグループ客をあまり好まない傾向があります。 普段男だけで飲んでいるような居酒屋に女性グループがやってくると、調子に乗る男性客というものが必ず現れるからです。 普段は静かに飲んでいるような男性客が妙に浮かれて女の子に話し掛けるような場面、私は結構目撃しています。 まあ、若い女の子と交流を持ちたい、
焼肉とか焼き鳥とか、シンプルに肉を焼いた料理が好きです。 居酒屋とか焼肉屋とか、お店で食べるのも好きですが、そうも言っていられない時はスーパーに行って安くなっている肉を買って、塩胡椒でシンプルに焼く、と言うか炒めて食べます。 肉だけは寂しいので、長ネギとかピーマンとかをお供に。 もやしを多めに入れて、火が通ったところで溶き卵を流し込んでガーッと掻き混ぜると、さらに豪華な感じがしておつまみにピッタリです。 あ、結局フライパンも買っていないし、炒め物用の油も買っていないので、いまだに普通の煮物用の鍋が活躍しています。 火が通ればなんだっていいんですよ。 私の自炊レベルはまだこんなものです。 人に食べてもらう、みたいな目標があればもう少し凝った料理もするのでしょうが、結局自分のおつまみしか作りませんからね。 凝ったものを作るより、手軽さが重要になってしまうのは否めないところです。 そんな感じで基
USBメモリって、便利ですよね。 小さくて持ち歩きしやすいですし、USBの差込口さえあれば基本的にどんなパソコンでも使えますし。 SDカードとかでもいいんですが、あれは読み取り用のリーダーも一緒に持ち歩かないと不安な面もあるので。 そう考えると、どんなパソコンにも差込口の一つくらいあるUSBメモリの方が便利、と言えましょう。 昔は容量も500MBとかで最大だったのですが、今ではGBどころかTBまで対応しているものもあるようで。 私の言う「昔」とは、もう十数年前の話だったりするのですが、それにしても便利になったものだな、と。 特にデジカメ画像とか動画データとか、昔に比べるとメチャクチャ重くなりましたから。 作業上でそれらを扱う人間としては、小さなUSBメモリにほとんどのものが入ってしまうのですから、楽になったものです。 ただ、私は作業をするときは、USBメモリは使いません。 データの受け渡し
メンタリストDaiGoさんのYouTube動画がフェイクニュースなのではないか、と話題となっているという話を小耳に挟みました。 話題となっているのは「宿題が無意味であることが科学的に証明されている件」というタイトルの動画です。 全国の宿題嫌いの子供たちが、泣いて飛びつきそうなタイトルですね。 メンタリストDaiGoさんの動画は、元ネタとしてさまざまな論文や大学の研究結果などを使用しています。 そのことについては、何の問題もありません。 ちゃんと動画に参考とした論文を表記していますし、単なる思い込みによる自分の主張を垂れ流すよりは、よほど良心的でしょう。 ただ今回は、その論文の解釈が間違っているのではないか、ということで問題となっているようです。 採り上げられた論文は「Does Homework Improve Academic Achievement? A Synthesis of Res
髭を剃るのが嫌いです。 理由は面倒くさいからです。 面接の自己PRでこんなことを言い出したら、間違いなく不合格になると思います。 いや、髭を剃るのが嫌い、までは許されるかもしれません。 そこに、誰も思いつかないような理由を、誰もが「ほほう」と感心するような理由をくっつけることができたら、不合格どころか「君は他人が持っていない思考と発想を持っているね!」と一躍合格候補になるかもしれません。 いや、面接官なんてやったことがないので完全に妄想ですけどね。 しかも別に今回書きたい内容と、この面接の話は完全に関係ない、ただの蛇足でしかありません。 なんでこんな話を書き出したのか、一番不思議に思っているのが私でしょう。 それはともかくとして、髭を剃るのが嫌いなんですよ。 髭って、個人の差はあれ、否応なく生えてくるものじゃないですか。 否応なく生えてくる、ということは、髭が生えている方がむしろ自然な状態
昨日、朝から体調があまり優れず。 予定があったので出かけたのですが、出先で動けなくなってしまい、病院に搬送され。 そのまま一日、入院してきました。 まあ、入院と言ってもそんなに大したものではなく、念の為みたいな感じでしたので、帰ろうと思えば帰れたのかもしれませんが。 診てくれた先生が「どうする、一応泊まってくかい?」と田舎のお祖父ちゃんが孫を誘うような感じで提案してきたので、思わず「はい」と言ってしまいました。 よく考えたら無料で泊まれる訳ではないので、今はちょっと後悔しています。 正直、最近ちょっといろいろと無理をし過ぎていたんですよね。 肉体的にも、精神的にも。 もう若くないんだから、昔は平気だった数日ほとんど眠らないとか、やってはいけないということでしょう。 出先で打ち合わせ中だったので、先方の会社にも迷惑を掛けてしまいましたし。 今度菓子折りでも持ってお礼と謝罪に行きます。 あとは
最近、ちょっと細かい作業でかなり忙しく、あまり自分の時間が取れていません。 本日もようやくブログを書く時間を見つけ、せめて日付が変わる前には……という気持ちでキーボードを打っているところです。 いざ自分が「毎日ブログ更新できないかもしれない」という状況に陥ると、ちょっと焦るものです。 以前は「ブログを更新しなければならない」という気持ちを捨てた方がいいのではないか、みたいなことを言っていたのですが。 実際に毎日更新が途切れそうになると、心安らかではいられないものですね。 まあ私の場合、一応「一日一回更新」は続けてはいるものの、一回日付をまたいでしまっているため、完全な一日一回更新はすでに途切れてしまっています。 それでもちょっと気になってしまうのですから、これは「ブログの呪い」とでも言うべきでしょうか。 まあ、そんな絵空事はどうでもいいとして。 なんだかんだ言って、最近はブログの継続には「
私は今までブログの中で、「江戸しぐさ」やら「人工台風」やら「血液クレンジング」やら、さまざまなものを否定的に書いてきました。 しかし、それらを「確信を持って」否定できているのか、と問われれば、必ずしもそうではない、と答えざるを得ません。 なぜならば、肯定派否定派含めた他人の書いた文章を読み、自分なりに理由を考え、思考を積み上げた「自分なりの考え」であるためです。 「江戸しぐさ」について書いた際にTwitter上で私に情報をご教授くださった原田実先生のように、徹底的に材料を集め、分析し、確信を持って自分の意見を言えるほどには、情報の積み上げがまだまだ不足している、と考えています。 これらを肯定する方々の文章を読むと、私以上に専門的な知識を持ち、さまざまな情報を調べて分析している方も少なくありません。 読んでいて、思わず説得されそうになることも多々あります。 まあ、それでも総合的に考えておかし
ここ数日、ネット上で「血液クレンジング」という言葉をよく見かけます。 「効果はない」とか「ニセ医学」とか言われ、ブログなどで体験談などを書いた芸能人が「ニセ医学を拡散するのか!」と責められているようです。 正直、血液クレンジングという言葉を聞いての第一印象は「なんだそれ」という印象しか受けませんでした。 クレンジングという言葉自体、「なんか化粧品とかの宣伝で聞いたことがあるな」というくらいの知識しかないためです。 日常的に化粧をしないアラフォーオヤジとしては、そこは仕方がないと思ってください。 そのため、まず「クレンジング」という言葉の意味を調べてみました。 「汚れを落とすこと。浄化すること。」 「化粧を落とすこと。化粧を落とすクレンジングクリーム、クレンジングローションなどの化粧品の総称。化粧落とし。」 (goo国語辞書より) 調べてみたところで、「なんだそれ」という印象は変わることは特
毎日のようにお酒を飲んでいる、という話をすると、こう言われることがあります。 「二日酔いとか、大丈夫ですか?」 かなりの頻度で聞かれるのは、お酒を飲む人にとって二日酔いというものが非常に関心の高いものであるためでしょう。 なぜ人々が二日酔いのことをこんなにも気にするのか。 理由は簡単。 二日酔いになったことがある人はおわかりでしょうが、二日酔いというものが非常に辛く、苦痛なものであるためです。 まず吐き気がします。 頭痛がします。 全身を倦怠感が襲います。 軽いものなら気持ち悪いながらも起き上がり、いろいろと活動することくらいはできますが、重いものだと起きることすら難しいレベル。 その日が休日であればまだマシですが、仕事がある日だったりしたら最悪です。 「なぜ自分は昨日、あんなに飲んでしまったのだろう……」と、タイムマシーンに乗って前日の自分を殴りに行きたいくらいに後悔します。 お酒を飲ま
趣味を聞かれた時、「読書」と答えるようにしています。 履歴書にもそう書きました。 もう長いこと、履歴書なんて書いていませんが。 しかし、「趣味は読書」って、なんだかアピールとして弱いですよね。 「誰でも言いそう」とか「とりあえずそう書いておけば波風は立たない」とか、そんな風に思われてしまいそうです。 別に「趣味は読書」と言う人に喧嘩を売るつもりはありませんが。 まあ、趣味を聞かれて「読書」と答えるのは、会話の入り口にたどり着いた程度、という考え方もできるでしょう。 「じゃあ、好きな作家は?」とか「どんなジャンルの本を読むんですか?」とか、そこに続く会話への糸口のようなものです。 ですから、そこまで深く考えることでもないのかもしれません。 ただ、私は好きな作家とかジャンルを聞かれると、ちょっと困ってしまう人間です。 本はもちろん好きなのですが、特定の作家やジャンルに絞りきれないのです。 タイ
昨日は私の一番好きなお酒のお供、「鯖の文化干し」のことを書きました。 そしてその夜、無事に居酒屋にて鯖の文化干しをつまみに黒ホッピーを楽しむことに成功しました。 美味しかったです。 美味しかったのですが。 「そう言えば、なんで文化干しって言うんだろう」 そんな疑問に突然、気付いてしまいました。 ただ単に干しただけならば、「干物」と呼べばいいわけですし。 わざわざ「文化干し」と呼ぶには、何かわけがあるに違いありません。 というわけで、ちょっと調べてみたところ。 「文化干し」とは、東京の水産加工物会社「東京仙印商店」が、それまで新聞紙などで包んでいた魚の干物を透明のセロファンに包んで売ったことが始まり、だそうです。 セロファンで包んだことにより、見た目が美しくなるという効果があり、その包み方が画期的、文化的だということで「文化干し」になった、と。 ほほう、つまり「文化干し」とは、魚の干物の包み
猛威を振るった台風19号、ようやく過ぎ去り、こちらは多少風はあるものの台風一過、という天気でした。 私はすでに日常に戻りつつありますが、各地で水の害が相次いでいる様子。 まだまだ日常に戻った、とは言えない方も多くいらっしゃることと思います。 一日も早くすべての土地が平穏に戻ることを願ってやみません。 そんな中、Twitterを眺めていて時折見られたのが「台風19号は自然災害ではない」という説。 人工的に作られた台風であり、そしてそれを画策したのは安倍首相だ、と。 災害を人工的に起こし、消費税が10%となった事実から国民の目を逸らすための陰謀だ、という話です。 うーん、さすがにそれは論理の飛躍というものだと思うのですがね。 台風によって被害が起これば、日常生活に影響が大きく、経済活動にも悪影響が出ます。 となれば、結局災害によって非難を受けるのは安倍政権であり、むしろ逆効果だと思うのですが。
この週末は台風19号の影響が心配されています。 正直、自分のことよりも、これまでの台風で被害を受けた方々の方が心配になります。 まだ完全復旧に至っていない場所のあるようですし。 さらにそこに大型の台風が来てしまっては、弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂というやつではないですか。 何とか、これまで以上の被害の拡大がないことを祈るしかありません。 私の住む場所は、これまでの台風では被害という被害はありませんでした。 だからと言って油断して良い、というわけではありませんので、一応午前中にスーパーへ出掛けてミネラルウォーターのペットボトルやインスタントラーメンなんかを購入してきました。 そんなに大した量ではありません。。 2リットルのペットボトル1本と、5袋入りの袋麺を1袋。 正直に言って、台風の影響で一時的に断水や停電になったとしても、せいぜい一日もあれば復旧すると考えています。 あくまでも私の住む地
しばらく前から、腰の左側から太ももの裏にかけて、ぼんやりとした痺れが続いています。 本当にぼんやりとした痺れで、歩けないほどでもありませんが、寝ても立っても消えないので、とにかくなんだか気持ち悪い、という感じです。 歩けないほど痺れがあるのであれば、迷わず病院に行くのですが……「とにかく気持ち悪い」というだけなので病院に行く決心もつかず。 元々、腰痛を持ってはいるので、それが影響しているのかもしれません。 あと、単純に姿勢が悪いのも問題かと。 ちょっとダイエットでもして、身体にかかる負担を軽減するべきですかね。 これが左腕とかだったら、「静まれ、俺の左腕!」とか厨二病的なことを呟いてふざけることもできるのでしょうが……。 「静まれ、俺の左ケツ!」では、様にならないことこの上ありません。 まあ、左腕が痺れていたらそれはそれで問題ではありますが。 こういう時にイマイチ病院に行く気にならないのは
昨日、ネットニュースで見掛けた記事ですが。 「肉食は地球を破壊する行為であり、罪として裁かれるべきである」という主張をしている弁護士の話でした。 イギリスの弁護士、マイケル・マンスフィールドという方の主張であり、正確には「肉食が」ではなく「肉食のための畜産業が」温室効果ガスを大量に排出しているため、自然を破壊する「エコサイド」という罪に問うべきだ、ということのようです。 まあ、肉食のための畜産業がダメと言っているのですから、肉食がダメと言っているのと完全に同じ意味なのですが。 このマイケル・マンスフィールド弁護士は、肉や乳製品の消費をやめることを促す活動「ビーガン・ナウ」を設立している、とのことで。 それを読むと「ああ、ヴィーガンがまた極端な主張を始めたな……」という感想を抱いてしまいます。 もちろん、ヴィーガンにもさまざまな方がいる、ということは承知はしているのですが。 肉や魚を食べない
ちょっと最近、調子が悪いようです。 身体もですが、それに連動して心の方もイマイチな感じです。 まあ、心と身体はどちらか一方だけでは成り立たないわけですから、連動して調子が悪くなることは別に不思議なことではないのですが。 そんな感じだったので外に出る気分にもならず、家の中に籠って撮り貯めてあったTV番組でも消化しようと思ったのですが……ちょっと見る番組を間違えました。 「無縁死」に関する番組だったのですが……見ていて凹むこと凹むこと。 なんだか、やっぱり自分と重ね合わせて考えてしまうんですよね。 「無縁死」というのは、離婚や失業などで社会的な繋がりを失った人、特に高齢者が、人知れずアパートの一室で亡くなってしまうことです。 「孤独死」とも言いますね。 まあ、自分も同じような状況になるのではないか、という想像が高まってしまうわけです。 普段は大して想像力など発揮されないのですが、こういう時に限
2日、JR新宿駅ホームで人身事故が起こりました。 こういう場合、現場は野次馬の視線をシャットダウンするために、ブルーシートで覆われます。 そのブルーシートの中で、駅員さんたちは救出作業をするわけです。 凄惨な現場を他のお客さんに見せないようにするのと同時に、被害に遭った方のプライバシーなどを守るために必要な処置、と言えるでしょう。 当然、2日の事故でも同様の処置が取られたのですが、ブルーシートの隙間からスマホを差し込んで、事故現場を撮影しようとした乗客が複数現れたそうです。 結果、駅員さんが「お客様のモラルに問います。スマホでの撮影はご遠慮ください」というアナウンスをホームに流すことになった、とのこと。 いやいや、本当に驚き呆れる、としか言いようのない話です。 そもそも、事故現場をスマホで撮影して、どうしようと言うのでしょうか。 なにかの記念になる、とでも考えているのでしょうか。 周囲の友
自炊できるようにしていきたい、そうこのブログに書いたのは、もう一週間も前のことでしょうか。 三日坊主なら、もう二度は諦めていてもおかしくない時期ですが、なんとか自炊チャレンジは継続中です。 もちろん、毎食ではありませんが、条件が整った時には料理に挑戦しています。 条件とは、やる気と、材料と、時間と、料理を作りたいという心と、自炊チャレンジを頑張りたいという気持ちと……いろいろと言い方を変えてみましたが、まあ8割くらいはやる気の問題ですね。 先日は「砂肝と長ネギの塩炒め」を作りました。 鳥の砂肝を一口大に切り、長ネギを細長く切り、塩胡椒で炒める、という以外に説明のしようがないシンプルな料理です。 砂肝の臭みが気になったので、胡椒を多めに入れると臭みがなくなっていい感じでした。 あとは「鶏皮のスープ湯豆腐」とか。 鶏皮を鶏ガラスープで煮て、そのスープの中に豆腐を入れて湯豆腐風にする、という以外
私が居酒屋に行くときに一人であることが多いのは、ただ単にコミュ障だからではありません。 もちろん一人だと気楽だし、本を読みながら酒を飲めるし、で私にとって良いことづくめではあるのですが。 何よりも、一人だと「自分が好きなものを好きなだけ食べられる」というのが嬉しいのです。 他人と一緒だと、注文する料理も相手の好みを考えなければなりませんし、好物だからと独り占めすることもできません。 このような理由で、居酒屋に限らず一人で食事するのが好きなのですが、理由はそれだけでもなかったりします。 自分が何か食べている時、隣から「それ、美味しい?」と聞かれるのが、とても嫌いなのです。 もちろん自分は美味しいと思って食べているわけですが、そもそも私が美味しいと思うものと相手が美味しいと思うものが同じかどうか、知りません。 つまり、私が美味しいと思っていても、相手が美味しいと思うかはわからないのです。 それ
昨日のブログに書いた「水からの伝言」や「江戸しぐさ」といった疑似科学が道徳の教材として使われていた件ですが。 本日、Twitterを通じて、原田実先生から「いまだに小学校で江戸しぐさを教えています」とご教授いただきました。 原田先生と言えばあの「と学会」で「偽史・偽書」の研究家として活動し、数々の著作もお書きになった「偽史」の専門家です。 そんな専門家の方からのご指摘、非常にありがたいと共に、自分の物を調べる力が完全に不足していたことを恥ずかしく思う次第です。 いや、言い訳になりますけれど、ここまで捏造がバレバレになっている以上、もう教材として使われているはずがないだろう、と思い込んでいたのです。 しかし、もう使われていないどころか、いまだに堂々と道徳の教科書に掲載されている始末でした。 しかも、ガッツリ見開き2Pも使って。 いやー、これは酷いですね。 自分の考えが甘かったことを痛感させら
先日、「筆算の横線を定規で引く」ことを絶対とする教師についての感想をブログに書きました。 そこでチラッと思い出したのが、小学校の道徳の時間に「水からの伝言」とか「江戸しぐさ」とかを教えている問題についてです。 もう10年以上前のことになりますので、ご存じない方もいらっしゃるかもしれません。 「水からの伝言」というのは、「水に『ありがとう』などの良い言葉を見せてから凍らせると綺麗な結晶ができて、『ばかやろう』などの悪い言葉を見せると汚い結晶ができる」という理論を紹介した写真集のタイトルです。 当然、こんな理論は科学的ではありません。 水に言葉を見せたからと言って、凍らせた時に結晶の形が影響を受けるわけがありません。 その理論が成り立つとすると、「水に文字を読める機能と、その文字が良いか悪いか判断する機能と、凍る時にそれを記憶しておいて影響を受ける機能」がある、ということになります。 水にそん
昨日(ブログを書くタイミング的にこう書きますが、日曜日のこと)は、久しぶりに雀荘に行って麻雀をする機会がありました。 相手は、焼き鳥屋の「常連仲間&焼き鳥屋の店員さん&常連仲間の後輩&私。 年齢層がバラバラすぎて、一見何の集団だかわからない感じの集まりとなっていました。 常連仲間と飲みながら話していた時に、「麻雀やるんだ、じゃあ今度4人集めるからやりましょう!」という話になって、それが実現した、という感じです。 ちなみに私は特に何もせず、常連仲間からの「メンバー揃ったから29日にやろう!」という連絡を待っていただけです。 こういう時、行動力のある人間がいると助かりますね。 麻雀というのは、4人いないとできないわけですが(3人でやるルールもあると言えばありますが、あまり一般的ではない)、この「4人集める」ということがかなりネックになったりします。 特に社会人になりますと、なかなか休日が合わな
ネットニュースを眺めていて見つけたニュースですが。 「筆算は定規を使わないとバツ?」というものがありました。 夏休みの算数の宿題で、筆算の横線を定規で書かなかったために、担任からすべて書き直しを命じられた、という小学生の話でした。 別にそういうルールが国によって決められた、というわけではなく、その担任教師の「独自ルール」のようです。 ならまだいいか……とも思ったんですが、こんな面倒なことを言う担任に当たった生徒はたまったものではありませんね。 後に担任が変わって、その担任が「定規を使うな」という人だったらどうするのでしょうか。 担任の主義主張に振り回される、子供たちがかわいそうです。 もちろん、日本には数多くの先生がいますし、こういう面倒くさい教師はごく一握りではあると思います。 しかし、一度しかない学校生活が、面倒くさい教師のせいでつまらないものになってしまう、というのは残念ですよね。
思い出してみれば、私の人生で自炊中心で生きていた時代、というものはほとんどありません。 一人暮らしを始めたばかりで、懐にも余裕のなかった大学生時代。 そして、ちょっと料理に興味が出てきて「やってみようか」と思った30代前半。 合わせても5年にも満たないでしょう。 しかも「自炊」と言っても、「肉を買ってきて焼く」とか「適当に買った具材を鍋に入れて煮る」とか、単純作業ばかりであまり凝ったものを作っていたわけではありません。 「とりあえず、口に入ってあまりにも不味くなければいいか」くらいの考えでした。 そのくらいの考え方では当然、自炊も長続きはしないもの。 結局、コンビニ弁当とか、スーパーのお惣菜とか、外食とかが中心となっていってしまいました。 なんだかんだ言って、やはり自炊するより買ってきてしまった方が楽なんですよね。 自分で料理して、食べて、後片付けして……その時間の確保も、簡単ではありませ
昨日、近所の焼き鳥屋にて。 カウンターに座って「黒ホッピー?」「お願いします」のいつもの流れを済ませた後、メニューを見ますと。 「秋刀魚、ようやく入荷しました!」 この文字が目に飛び込んできました。 「そう言えば、秋刀魚出すのいつもより遅かったですね」 「今年は全然取れないらしくてね。ウチみたいな店で出すには、高すぎたんだよ」 魚介メインの店ならまだしも、基本的に焼き鳥屋だから高い秋刀魚は出しづらい、とのこと。 気になってちょっと調べてみたところ、今年は秋刀魚の水揚げ量が例年の一割程度、とのことでした。 それは高くなってしまうはずです。 秋刀魚の塩焼きが680円。 おつまみは高くても500円くらいのこの焼き鳥屋の中では、最高級品です。 まあ、秋刀魚の塩焼きは大好物ですし、今年初の秋刀魚。 ここはちょっと高くても食べておくべきでしょう。 江戸っ子は、女房を質に入れてでも初鰹を食べたという話で
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