もう二十数年前の話である。筆者の弟がこともあろうに同業他社に入った。最初は無論、地方支局勤務である。そのころ、地方記者はマイカーで取材に走ることが普通で、待遇のよい社の記者は粋がって、ジープに似た型のマイカーに乗るのが流行だった。弟もその口だった。 「よりによって進駐軍の車で帰ってきよった」 まだ健在だった祖母が顔色を変えて怒ったのは、そのマイカーで弟が里帰りしたときである。温厚で、90代になっても畑仕事をしていた祖母の怒った顔を見たのは、その時が初めてで、そして最後だった。実家は戦前、隣町の温泉地まで他人の農地を踏まずに行ける、といわれた地主だったが、戦後の農地改革ですべて取り上げられ、その時の怒りが再燃したのである。 地主制度が戦前の封建日本をつくっていた-。GHQ(連合国軍総司令部)がそう判断して、地主から二束三文で農地を強制買収し、小作農に分配したのが農地改革である。その買値は、田