敗戦後の歴史的現実において「観念論から唯物論への過渡」を哲学した珠玉の論集。卒論「親鸞に於ける自然法爾の論理」から「民衆に捧げる知識」への若き梅本克己の苦悩と情熱。 滅法面白かった。無論、コムツカシイ哲学議論の十分の一も解っていない。それでも、滅法面白く読めた。『唯物史観と道徳』を読んだときにも感じたのだけれど、梅本克己の書く文章には、ヒリヒリとした切実な何か、がある。 この書における過渡期とは、梅本が唯物論者へと変貌してゆく「過渡」であり、マルクスが自己の思想を完成・成熟させてゆく「過渡」であり、日本が資本主義から共産主義へと“進歩”してゆく過渡でもある。 1937年の卒業論文「親鸞に於ける自然法爾の論理」から、1959年の論考まで、経年順に並べられた各論文を読み進めながら、梅本克己が何に悩み、何を渇望し、何を得、何につまづいたのかが、ボクのようなぼんくらにでもうっすらと感じられる。素晴
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