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喜田貞吉に関するPledgeCrewのブックマーク (4)

  • 融和資料第一輯 融和促進 (喜田貞吉 著)

    <body> <h1>融和資料第一輯 融和促進 (喜田貞吉 著)</h1> <hr> <p><a href="main.html">解説</a></p> </body>

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/06/23
    大正15年発行の貴重な資料。こういうのが読めるのには感謝/階級運動と水平運動との区別にも触れている。思ったより理論水準も高い。
  • もうひとつの社会/賤民とは何か(喜田貞吉) - 見もの・読みもの日記

    ○喜田貞吉『とは何か』 河出書房新社 2008.3 同じ著者の『被差別とは何か』を読み終えたばかりで、また書を見つけた。前者が2月29日、書が3月30日発行である。オビの広告を見たら、『先住民と差別』という題名のも刊行されていることが分かった。最初の『被差別とは何か』が面白かったので、よしよし、このシリーズ全てに付き合ってみようと決めた。 書は、歴史上「」と扱われた、さまざまな人々(職業)について解説する。前掲書『被差別とは何か』が、おおむねエタの研究だとすれば、書はの研究ということになろう。 古代律令制において、良民とは大御田族(おおみたから)すなわち農民のことであり、とは非「農民」のことだった(決して非「人類」の意味ではない)。主人持ちの家人。葬送儀礼にかかわる。僧形の浮浪民、濫僧(らんぞう)など。とりわけ興味深いのは「放免(ほうべん)考」である。放免した罪人を下級の警吏とし

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  • 取り残された人々/被差別部落とは何か(喜田貞吉) - 見もの・読みもの日記

    ○喜田貞吉『被差別とは何か』 河出書房新社 2008.2 はじめ、題名に似合わない、かわいらしい装丁が目についた。それから著者の名前を見て、目を疑った。奥付を開けたら新刊なので、もう1回驚いた。喜田貞吉(1871-1939)は、広範な分野に足跡を残した個性的な歴史学者だが、今日、その名前を知る者は多くないだろう。私だって、たまたま、文庫化された『小説東京帝国大学』を読んでいなければ、目を留めなかったかも知れない。喜田はこの小説の後半の登場人物で、「南北朝正閏問題」をめぐって理不尽な批判に曝され、職を失うに至る。帝大出の少壮学者の不運に同情していたとき、まるで吸い寄せられるように、書が私の前に現れたのである。 書は、喜田貞吉の個人雑誌『民族と歴史』第2巻第1号「特殊部落研究号」(1919年7月=大正8年)の喜田執筆部分の完全復刻である。冒頭の「特殊の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」が最

    取り残された人々/被差別部落とは何か(喜田貞吉) - 見もの・読みもの日記
  • 喜田貞吉のこと - ものろぎや・そりてえる

    私は高校生の頃、江上波夫に憧れを持っていた。大学に入って考古学の授業を受けたとき、テキストの鈴木公雄『考古学入門』(東京大学出版会、1988年)に、いわゆる騎馬民族説は戦前における喜田貞吉の日鮮同祖論の焼き直しとも言えるという趣旨の一文があって、それ以来喜田の名前が気にかかっていた。 喜田はいわゆる法隆寺再建論争で一方の論陣を張ったほか、国定教科書の編纂にあたっていたとき南北朝並立の記述をしたため右翼から攻撃されて休職に追い込まれたことでも知られる(いわゆる南北朝正閏問題)。歴史記述は公正な立場から行なわねばならないという姿勢がうかがわれるし、もう一つ彼には、歴史学は社会問題の解決に役立たなければならないという熱意もあった。具体的には、被差別部落の問題に歴史学の立場から取り組んだ先駆者とされている。 彼は、日人は混合民族であるという見地に立っていた。大陸系、マレー系、様々な種族が日列島

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