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2010年4月29日のブックマーク (3件)

  • 「不道徳」な星の下に生まれついた私たちへ - ohnosakiko’s blog

    ※タイトルはこっちのコメントのやりとりからヒントを得ました(レタ田さん、ども!) はじめに、前回のエントリで「悪」という言葉を使ったら「何故ポルノが悪なんだ」「善悪で考えること自体がおかしい」といった意見がブコメなどで結構見られたので、再度(再々度)説明する。 引用元記事コメ欄で、ブログ主は「良心」という言葉を使っている。これは彼女の一連の主張の中核にある重要な言葉だ。「良心」を問うからには「善」と「悪」が想定されているはずなので、記事を書くにあたってその論法に乗った。フム、こう考えれば「悪」になるな、あえて「悪」としておくことが次で効いてくるんだな‥‥と読んで下さった人、ありがとう。エントリでなんとか回収を試みます。 この話の行き着く先は、性欲とは何か? 理性ある社会的人間と性欲や性愛との関係はどうなっているのか?という一点に集約されると私は考えている。 ここでは表現規制に賛成か反対か

    「不道徳」な星の下に生まれついた私たちへ - ohnosakiko’s blog
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/04/29
    「良心」の基盤は結局人間の共感能力にあるのでは。社会的に構築されるとしても可能性がないとこには構築不可能。共有はできぬが共通性はある。むろん良心一般は存在せぬし大文字の「良心」はたいていただの代替品
  • とりとめもなく - 素通りできなかった時のために

    とりあえず、何か別のことを最新エントリページにしたいので、書くだけ。 読み返しはするかもしれないが、今回はあまり校正しないつもり。 ・・・・・・・・ 内心の自由は保証されていない云々のエントリを読んだ当初は頓珍漢な感想しか浮かばなかったが、いろいろフォローエントリーなどを読んで、これはかつて交わされた「表現の自由にヒモ」論議に近いところにあるのだな、と思った。 その流れでいけば、内心の自由を声高に主張するという「行為」は、あくまで行為として、批判対象となるだろう。 だがしかし、かつては少なくとも、「儀礼的無関心」は容認されていたのではないか。 今もそれは容認されているのか。 恐らく容認されてはいるのだろうが、そう取らない人がいないかどうかというのは気になるところ。 私の勝手な用語法では、儀礼的無関心を容認するということは、内心の自由を容認するということだ。容認というか、容認するも何もひとつ

    とりとめもなく - 素通りできなかった時のために
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/04/29
    ↓後半は完全同意。前半は「潜在的加害者」が傾向性が強いという意味なら半分同意。しかし「共通性」が全然なければ世界はとうにマッドマックス。アイヒマン実験の意味は外注先があれば良心解除も容易ということでは
  • 『はてなハイク サービス終了のお知らせ』へのコメント

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    『はてなハイク サービス終了のお知らせ』へのコメント
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/04/29
    価値中立とは物指し自体価値なしという意味。人は可能なら善を行い悪は避けるという前提。ただし易きに流れやすいし誘惑もあるので絶えず良心確認の必要あり。善・悪の議論は良心の領域、それを確認しようという話