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100poke-ballin.hatenablog.com
すっごい悔しい!でもこれだから面白い! スタートアップ! 昨日、4年前一緒にスタートアップを立ち上げた メンバーの一人のツイートを見つけた。 初期byusに似てるプロダクト見つけた。 と。 byusとは、私が震災に体験したいろんな2011年直後の情報の危うさや、 その後でてきた様々な出来事に付随するテーマ(震災、原発、エネルギー、選挙) をより良く吟味し判断したいという思いから、その時友好関係があった 3人と一緒に立ち上げたサービスです。 立ち上げ後は「世の中の偏見をなくす。」と言うビジョンを掲げて、 事業の立ち上げに取り組んでいました。 立ち上げ当時はこんな感じでした。 世の中で起こった出来事に対して、 ここは賛成できる、ここは反対だと、 ポジショントークをできるサービスです。 そう言った意見を一緒くたにするのではなく、 賛成、反対を並べて見せることで、 双方の意見を知ることができる=偏
師走です。久しぶりにフリーランスにまつわる話を書こうと思います。 2年目も痔がまた再発しかけたり、パートナーに逃げられそうになったりしましたが 無事終わろうとしています。 今年はリモートからの作業(年の初めの方は地元に帰って東京の仕事をしていました)から 始まったのにもかかわらず前年度と比べると割りかし滑り出しも順調で、 お陰様で年末には友人の結婚式を含めて10年ぶりに僕の第2の母国であるニュージーランドに一ヶ月ほど帰ることができました。 そこで、2年目を振り返りながら 苦労したところや、これからのフリーランス動きとして考えていることをまとめてみようと思いました。 年収が増えても(もちろん)安心はできない フリーランスを始めて2年目をサバイブできたということは、ある程度自分を頼ってくれるクライアントベースもいると言うことで 人並みの生活をするには問題なくてホッとしている人もいるかもしれませ
この記事は公開から一年以上経っています。 フリーランスライフに関しては 引き続き記事を書いていますのでこちらも併せてどうぞ。 100poke-ballin.hatenablog.com 100poke-ballin.hatenablog.com 100poke-ballin.hatenablog.com ーーー 東京での生活も、もう8年目になり どこよりも東京での生活が長くなりました。 そして今年は独立して自分で仕事をしてるわけですが 半年とちょっと経った今、感じたことをまとめてみようと思います。 今までの自分の経歴を軽くまとめると、 2年半広告制作会社にてデザイナーとして働く 3ヶ月程デザイン事務所で働く 半年弱広告代理店で働く 10ヶ月ほどソーシャルラーニングのベンチャーでアートディレクターとして働く ウェブサービスを友人と立ち上げ、1年半程アートディレクターとして働く 大体去年の暮れ
ライブから帰ってきて即、これを書く。またほとぼりは冷めない。あんなものを見せられたら...。 こうゆー最高な現場のレポは、殴り書きぐらいが丁度良いんじゃ!!!! でもある程度簡単にまとえめていくと、 ももクロのサクセスストーリー(下克上物語)はコレで完結。その向こうには...。 会場では路上ライブから日本青年館、中野サンプラザから今に至までの道のりをモノノフのみんなと一緒に映像で観た。そしてオレが名前を聞きはじめるようになってから今まで、長く険しくもあっという間に成長していく彼女達の姿をみた。 そして、もうこれ以上望めないくらいに成功している事にも気づいた。 これ以上は今までのストーリーを引っ張って走る事はできない。 それは嘘になっちゃうから。 もうたどり着いてるのに「まだまだ!」というのは単に貪欲に人気者になろうとしてるようになってしまう。彼女達は成長したのだ、強くなったのだ、笑顔を僕達
今までにないパワーで日本中を飲み込んでいく5人の少女達 このブログにはよく、自分自身の中で「この気持ちが、増幅しすぎて溢れ出してしまいそう!」ということを書いている。 今回は僕が人生で初めてはまってしまったアイドル ももいろクローバーZ(旧ももいろクローバー)について書こうと思う。 しかし、彼女達の事を書くその前に、全国のももクロのファンの方に、特にコアなファン、通称モノノフの方達に謝っておかなければいけないことがある。 僕はにわかである。 彼女達が代々木公園で路上ライブをしている時から、 かなこがまだ帽子をかぶりながらパフォーマンスしてたころから、 それから飯田橋に移って活動して、また秋葉原の石丸電気でライブをしていたとき ヤマダ電機全国ツアーや、メジャーデビューの瞬間、 キングレコードへの移籍、K−1でのハーフタイムショー。 初の単独公演だった日本青年館でのももクリ。 全て彼女達が全身
7月8日慶応大学湘南キャンパスにて、Quoraで4人目のデザイナーとして働いている上杉周作くんの講演があった。 2日前ぐらいに@jayjpnがSFC行くってつぶやいていて、前から@haruna26さんのツイートの影響でSFCには興味がすごいあって、ツイッターやりながら講義受けてたりしておもしろいなぁと思ってたんです。なので当日の仕事は時間を空けさせてもらって、いってきました。 どうせなのでメモをまとめるついでにみんなとシェアできれば。と。 暇だったら読んでください。 今、デザイナーが足りない シリコンバレーのでのビジネスの特性上必要とされる。 “技術”と“デザイン”を双方理解しているデザイナーが少ない。 それは、ここ5年間で開発のスピードが劇的に変化したからで、 昔:一ヶ月に一回の更新 今:毎日日々更新している ということでスタートアップ*1を理解したデザイナーがすごい必要になってきた。
3月11日午後2時46分頃……と正確に覚えているわけではないけど、、 その時の前日誕生日だった、母親の携帯に電話を掛けていた。 良く誕生日を忘れてしまう、基本親不孝者なので 「やべっ」と思いながら掛けたのだけど、 本当に電話、かけて良かった。 あれが最後の電話になっていたかも知れなかったし… 話していて、最近の事やこれからの事を話していたら、 少し揺れるオフィス……さらに揺れる。揺れる。 「ゆれてるっ!」って言葉にして言ったのは、 俺と母どちらも同じタイミングだった。 そして、どちらも揺れが大きくなるのを感じ、 「危ない、避難する。」といって電話を切る。 揺れ始めてから時間が経っていたので外には出ずに、デスクの下に。 まったく揺れはおさまらずドンドン大きくなるのを感じて 「あ、これこれ以上続けば、死ぬかも知れない。」と思った。 そういえば、自然と祈ってた。 「神様、一緒にいてください。」
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