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災害への備え
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2021年03月31日 古賀稔彦追悼『超二流と呼ばれた柔道家』を全文掲載。 ロンドン五輪のときに「ゴング格闘技」誌に発表した『超二流と呼ばれた柔道家』という短編があります。古賀稔彦を追って、最後に背負い投げで古賀を投げる堀越英範を書いた作品ですが、じつはこの作品を出したとき、中学の友人(柔道未経験者)から電話をもらいました。 「あれ読んで思ったのは、堀越がすごいというよりも『テレビでよく見ていた古賀ってこんなに強かったんだ』っていうことなんだ。どんだけ強かったんだよって思って震えがきた」 という言葉でした。 彼は柔道を見るのはせいぜい五輪くらいで、だからこそ、勝ち抜いてテレビに出ている古賀しか知らず、そのライバルたちが文字通り命がけで彼に挑んでいることなど知りませんでした。古賀は五輪うんぬんの前に、あらゆる予選でずっと勝ち続けていたのです。怪物でした。 『超二流と呼ばれた柔道家』という作品
2013年10月21日 原田久仁信先生作画の漫画版「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」「KIMURA」の第0巻プロローグ編と第1巻幼少編が2冊同時に発売されました。 週刊大衆に大河連載として連載中ですが、 原田久仁信先生作画の漫画版「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」「KIMURA」の第0巻プロローグ編と第1巻幼少編が2冊同時に発売されました。 全30巻くらいの大河長編になります。 週刊大衆連載の扉に「男の星座たちに捧げる」と書かれているように、梶原一騎先生の絶筆自伝漫画「男の星座」の続編にあたります。 昭和の怪物たちの競演を原田先生が魂の筆で描きます。 プロローグ編「第0巻」には、ジャイアント馬場やアントニオ猪木らプロレスラーのほか、猪瀬直樹さん(現東京都知事)がジャーナリストの矜持をかけて取材に行く場面など、さまざまな人物が交錯しています。 1954年(昭和29年)、蔵前国
2013年07月25日 【動画】ホイス・グレイシーvs市原海樹。第2回UFC。 先日、ある総合格闘家と夕飯を食べていて驚いたことがある。 彼は僕と同年代なので、さまざま昔の格闘技界の話で盛り上がった。 第1回UFC(当時は日本ではアルティメット大会と呼ばれていた)、第2回UFC。そしてその後も続いたグレイシー時代。 一緒に食べていた彼の弟子たちは、みな、こういう話を知らなかったのである。もちろん洗練された現代のMMA(総合格闘技)の技術が素晴らしいのは確かだが、あのグレイシー柔術が出てきた頃のカオスのような格闘技界の状況を知らないのはもったいないなと思った。 以下は第2回アルティメット大会に出た市原海樹(当時・大道塾空手)の試合である。 この試合は当時すぐにビデオで観たが、そのときはセコンドに大道塾の山田利一郎先生がついているのが見えたけれど、後に松原隆一郎先生や板垣恵介さんと話したときに
2013年03月16日 漫画版『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は「週刊大衆」で4月1日連載開始。原田久仁信先生が渾身の筆で描く「続・男の星座」です。 以前、告知した漫画版の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は4月1日発売号の「週刊大衆」で始まる予定です。 昭和29年12月22日、力道山とのプロレス試合で八百長破りにあってマットに倒れた木村政彦先生の汚名を晴らすために、木村の最強の愛弟子、岩釣兼生が「猪木か馬場と戦わせろ」と迫るシーンから始まります。 以下がそのネーム(下書き)の一部です。 あの作品が原田久仁信先生の「原田節」で、どう漫画として蘇るのか、私自身も楽しみです。 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(Amazonサイト) この作品はただあの原作を劇画化しただけのものではありません。 「プロレススーパースター列伝」で梶原一騎先生と組み、一大ブームを起こした原田先
2012年07月28日 SRTとはスーパーローリングサンダーの略。別名「遠藤返し」五輪の舞台で「腹包み」の名で流行。 五輪柔道が始まった。 寝技の面白さを。柔道の寝技は固め技とも言い、抑え込み、絞め技、関節技があります。 カメ(うつぶせになって相手が防御に入っている体勢)を引っ繰り返して抑え込む技術にはたくさんのものがある。 そのなかで最近、国際大会の舞台でも多く使われるようになったSRTという技術がある。 戦前の高専柔道、戦後の七帝柔道では多くの技が開発されたが、この技は京大柔道部の遠藤君が平成3年に開発した新技で、スーパーローリングサンダーの略称。いま国際舞台では「腹包み」との呼ばれるが正式名はあくまでSRT、ないし「遠藤返し」である。 20年前に自分が開発した技が五輪でいま使われるようになって遠藤君も感無量だと思う。 京大柔道部が紹介する動画を。 (YouTubeに直接アクセス) 柔
2012年06月20日 【動画】高専柔道と七帝柔道はなぜ寝技中心なのか。貴重な動画で解説。 高専柔道も七帝柔道も寝技ばかりをやる。 「なぜ?」と知らない人によく聞かれる。 それは立技(投げ技)が危険だからだ。危険というのは、勝つこともあるが、負けることもあるという意味だ。団体戦の中で勝ち星を確実に計算できないのだ。ポカが起きるのだ。 15人の抜き勝負で戦う高専柔道・七帝柔道は、だから自然に寝技中心になっていった。 1人でも負ければ、それを取り返すのは大変なのだ。 高専柔道・七帝柔道では、抜き役と分け役がはっきりと分けられている。 抜き役とは相手を抜きにいく(勝ちにいく)選手、分け役とは相手がどんなに強い選手であろうと命をかけて引き分けにいく選手のことである。 選手たちはチームのために自分を殺し、チームのための役割を果たすために、文字通り命をかける。己の全存在をかける。それは、卒業後も柔道を
2011年09月29日 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」単行本、あす発売です。 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」単行本はあす9月30日に発売になります。 値段は2600円(税別)と少し高いですけれども、辞書並みの厚さの704ページ2段組、原稿用紙1600枚という大長編なのでご理解ください。それに相当する情熱はぎっしり詰まっていると思います。 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか タイトルについて、なぜこんなタイトルなのかとよく聞かれます。 雑誌での連載を読んでいただいた読者の方はもちろん御存じだが、あらためていま、ここに説明したほうがいいと思いました。 このタイトルの元になった、そして私が取材を始めるきっかけになった猪瀬直樹先生の「枯れない『殺意』について」(週刊文春連載コラム「ニュースの考古学」)の全文が、以下です。 「『枯れない殺意』について」全文 猪瀬直樹 (「
2011年07月09日 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が単行本になります。発売は9月です。 「ゴング格闘技」で4年以上の長期にわたり連載させていただいた「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が単行本になります。 新潮社からの発売になります。 9月30日に全国の書店に並びます。 東京だけは9月28日から大きな書店に並びます。 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る ▶格闘技blogの最新情報 ▶柔道blogの最新情報 連載時から読んで頂いた読者はご存じのとおり、とてつもなく長い大河ノンフィクションであり、上下巻ないし上中下巻の分冊にしなければと思っていました。 しかし、そうすると値段が高くなってしまいますので、できるだけ安くするために1冊のかなり分厚い本にまとめてもらいました。 値段は2600円です(税込み2730円)。 原稿の量が1
2010年11月10日 若木竹丸の全盛時写真。 木村政彦先生や大山倍達先生もウェイトを習ったという、日本ボディビル界の祖・若木竹丸の全盛期。 若木竹丸 名著『怪力法並に肉体改造体力増進法』を著したのが1938年。底本となった本を書いたユージン・サンドーの体よりバルクはかなりあると、板垣恵介さんと話したときにも意見が一致した。 師がいないなかで、自分で工夫して試行錯誤しながらこの体を作り上げたのだ。 この若木竹丸が講道館に「殴り込み」をかけた話も有名だ。近くに資料がないので、また紹介したい。 ▶増田俊也公式ブログのトップページに戻る ▶格闘技blogの最新情報 ▶柔道blogの最新情報 「格闘技はどこから来てどこへ行くのか。」カテゴリの最新記事 「柔道」カテゴリの最新記事 ★記事のカテゴリ(クリックするとまとめて読むことができます)▶格闘技はどこから来てどこへ行くのか。▶柔道
2010年01月16日 朝青龍と高砂親方。管理能力を云々されバッシングされる高砂親方の侠気の話。 朝青龍の行状がどうのこうの言われて久しい。 その際にいつも出てくるのが高砂親方の管理能力である。 4代目朝潮太郎。 自身は大関止まり、対して弟子の朝青龍は横綱まで登りつめた。 朝青龍が問題を起こすと何もできずにおろおろしているというようなイメージをマスコミが植え付け、何やらビシッとしていない男だと思われているようなので、擁護するために、ここで一つエピソードを紹介したい。 昨日書いたブログの元北大応援団長Zの話だ。 私はその話を、まさにその日に聞いたのだ。 酔いつぶれた後輩のRを極寒の雪の上に捨てて酒を飲んだ日だ。 Zは言った。 「増田、朝潮はいい男だぞ」 「おまえ会ったことあるのか」 「夏だ。七帝で名古屋行ったろ。あのとき会ったんだ」 Zは話し続けた。 私たちが4年目の夏、七帝戦は名古屋で行わ
2010年01月19日 藤原喜明の「熊殺し」を大山倍達が激励する映像。格闘技界全体に夢のあった時代。 ウィリー・ウィリアムスの熊殺しを書いた後、何人かから「藤原喜明が熊と戦った映像はないのか」と聞かれた。 そういえばそんなことがあったと思いだした。 海外でやったような記憶がある。 しかし、検索しても映像は出てこない。 出てきたのは大山倍達が激励する動画だけだ。 大山先生は熊とはやってないはずだが、映像のなかでは「熊とも戦った」と断言している。 (ユーチューブに直接アクセス) 藤原vs熊関連の映像はこれしかないが、どうやらテレビ番組で戦ったようだ。 Yahoo!知恵袋にこんな質問と答のやりとりがあった。 ------------------- Q、藤原喜明は本当に熊と戦ったのですか? A、 ID非公開さん 私はTBSの番組内の企画だったと記憶しています。 誰が出ていたか覚えていませんが、バラ
2010年01月06日 石井慧vs吉田秀彦。驚異的な進歩をみせるMMAを正視しようとしない柔道界は危機的な状況にある。 大晦日の吉田秀彦vs石井慧戦。 まずは試合を見て欲しい。 http://www.youtube.com/watch?v=OzK2RnHMmUw (直接ユーチューブへ) この試合を見た柔道関係者はびっくりしたのではないか。 ありえない話だからだ。 もちろん試合内容、試合結果ともにだ。 柔道関係者とはずいぶんこの試合の話題が試合前から出ていた。 みな同じようなことを言った。 「もし吉田が勝ったら、それは八百長だったということだよ」 つまり現役の日本柔道選手権保持者であり金メダリストでもある23歳の石井慧に、柔道を引退して10年も経つ40歳の吉田秀彦が勝つことはありえないということだ。 あたりまえだ。 柔道界において、柔道ルールにおいてさえ、40歳の人間が現役トップ選手として活
2010年01月07日 柔道は総合格闘技として海外に広まり、それがMMAとなっていま逆襲されているのだ。石井慧vs吉田秀彦戦で考える。 前に書いたように、石井慧vs吉田秀彦の試合結果は柔道界にとって衝撃的だったはずだ。 ▼(過去記事1) 驚異的な進歩を見せるMMAを正視しない柔道界は危機的状況にある。 ▼(過去記事2) 吉田秀彦が引退したら柔道界は喜んで迎え入れるべき。 柔道界の今までの常識からいけば、吉田が石井に勝つなどということは1パーセントも考えられないからだ。 それが勝ってしまった。 しかし、現在のMMA(Mixed Martial Arts=日本語でいういわゆる総合格闘技)自体が、もともと100年も前に世界に広まった柔道が、ブラジリアン柔術となり、ヴァーリトゥードとなり、MMAとして競技化されたものなのだから、ある意味、先祖返りした孫(MMA)に、現在進行形で起こっていることがわ
2024年02月22日 続編『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』は3月18日発売。 11年待たせてしまいましたが、『七帝柔道記』(角川書店)の続編『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』は3月18日に発売されます。 これだけ時間が空きながら、ずっと待ってくださっていた角川書店には感謝しかありません。ちなみに『七帝柔道記』時代の初代担当から6人もバトンリレーで担当編集者が引き継がれ、それも全員が体育会出身者をぶつけてきました。今回ついにこのように形になりましたが、担当はもちろん体育会、某大学某運動部のキャプテンをやっていた編集者です。「七帝柔道記の続編の担当がやりたい」と現在の部署にやってきた好漢です。いや、僕の担当者は6人全員が好漢でした。ありがとう! 以下。『七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり』の章立てです。連続最下位の泥沼から抜け出すために、歴代の柔道部員は練習量を増やし続けます。前作
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