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知られざる世界の巨匠 ミヒャエル・ハネケ・レトロスペクティブ 「ぴあフィルム・フェスティバル」にて 2001年6月22日〜7月2日 東京・有楽町「東京国際フォーラム」 ミヒャエル・ハネケ Michael HANEKE 1942 年ミュンヘン生まれ。ウィーン大学で哲学、心理学、演劇を学ぶ。卒業後はドイツのテレビ局で脚本家として活躍。1970年にテレビドラマを初監督し、同時に舞台監督としても多くの作品を演出する。監督デビュー作品は『セブンスコンチネント』。ウィーン在住。 偶然だろうか。今年(2001年)のカンヌ映画祭ではミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』がグランプリを取り、最優秀女優賞にイザベル・ユペールが、最優秀男優賞にブノワ・マジメルが、この映画に出演した二人それぞれに与えられた。ミヒャエル・ハネケとはどんな映画を作る人なのか全く分からないまま、そして「巨匠」と言われながらも、日本
私の持論のひとつに「プログレ愛好家を名乗るならば、彼自身も何らかの意味でプログレッシヴな人間でなくてはならない」というものがある。 では、その「プログレッシヴ」とは何ぞや? その定義付けだけは、今日まで、いかなる雑誌・評論・サイトなどにも見られなかった。あったとしても「自己流」で終わるものばかりである。なぜなら、それは決して定義付けできないものであったからだ。 当サイトでは無謀なことに、それを「公的に」定義すべく立ち向かっていく。終わりの見えない戦いだが、いつの日か定義できるであろうそれを追って前進していかんとする次第である。 ……つもりだが、結構プログレじゃない文章が多いのも事実である。 なお、拙サイトに於ける「ジャケット画像ほか」の殆どは「著作権法第32条第1項」に基づき「研究などの資料として」用いています。こちらをご参照ください。
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〔はじめに〕 私が読売新聞に昭和30年に入社し、爾来39年にわたり同社に勤めて参りました。入社するいきさつは、私は旅をすることが大好きで学生の時から就職は旅行、特に外国旅行のできる仕事につきたいと思っていました。最初、当時上映されていた「地中海夫人」という映画の影響もあって船会社をねらい、日本郵船を受験しましたが失敗し、第二志望の読売新聞を受験して入社し、新聞記者を39年勤め、その間36回特派員として海外に参りました。若い頃の希望は十分かなえられたと思います。英語のジャーナリスト(Journalist)は旅(Journey)が語源であるように、旅に縁のある職業ですので旅好きな私には適しており、良かったと思います。 <講演要旨> 〔1〕なぜ横浜に新聞博物館があるのか 横浜球場のすぐ横に新聞博物館(商工会議所跡)が3年前に新聞協会によって建てられた。なかなか立派な建物で
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