サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
衆院選
fukkou-arena.jp
原発震災後、メディアの報道が大きな関心を集めている。福島県内外で避難者の取材をするなかで、国や東電、行政そしてマスメディアに対して、「震災について十分な情報を提供してくれなかった」と疑問をもったという声を何度も聞いた。本来、メディアは住民、読者や視聴者の側に立ち、報道によって十分な情報を提供し、それによって人々のより良い行動の選択へ大きな役割を果たすことを期待される。そのメディアへも不満が募ったことは、今後も起こりうるであろう複合災害や原発事故の報道について大きな宿題を残した。 そこで、原発事故当時、東京電力の記者会見を取材、『検証 東電テレビ会議』(朝日新聞出版、共同執筆)、『ルポ 東京電力 原発危機1カ月』(朝日新書)を上梓した記者の奥山俊宏さんに原発事故と調査報道について聞いた。奥山さんは社会部や特別報道チーム、特別報道部などで調査報道をつづけてきた。東大工学部原子力工学科で原子力を
パソコンひとつあれば、世界中のどこでも見に行けるGoogle Earth。しかしそんなGoogle Earthにも見ることのできない風景があった ―― Google Earthに異なる視点の情報を加えることで、数多くの情報を可視化することができる。東日本大震災ではさまざまな情報が錯綜し、いま、どこで、なにが起きているのかを把握することが非常に困難であった。あのとき、いったいなにが起こっていたのか、そして今後、あふれる情報をどのように活用すればよいのか。震災前よりGoogle Earthを活用し、情報の可視化を行ってきた渡邊英徳氏の講演を掲載します。(構成/シノドス編集部・金子昂) ■異なる視点の相互補完によって見えるもの こんにちは。渡邊英徳と申します。早速ですが本題に入ります。皆さんはGoogle Eearthを実際に使ったことはありますか? Google Earthとは、衛星写真を使っ
福島原子力発電所事故から1年半、福島では未だ多くの地域で稲の作付けが制限され、復興の見通しがたたないまま時間が経過しています。 石井秀樹先生はそのような地域の農業再生を目指し、土壌や水から農作物への放射性物質の移行とその吸収抑制対策について研究されています。またそれを踏まえて、作物の検査体制についても提言をされています。 わからないことが多かったこの放射能問題、1年半でどのようなことが分かってきたのか? 新たな知見を活かして今後福島ではどのような取り組みがなされようとしているのか? また、その取り組みを消費地に住むわたしたちはどのように感じるのでしょうか? 安心できること、不安が残ることどちらもあるでしょう。今福島でできること、できないこと、それを受けてわたしたちが受け入れられること、受け入れられないことを考えていきたいと思います。(日本科学未来館HPより) (構成/シノドス編集部・出口優
仮設住宅で暮らしているある女性が、「近ごろ、毎朝悪夢をみて、汗びっしょりになって起きる」と一言、言ったそうです。わたしは女性の台詞を人づてに聞いて、どきりとしました。 心当たりがあるからです。わたしも、悪夢にうなされるときがあります。それは大抵、何が起きているか把握することすらできぬ「嵐」にあっている最中です。 震災は、平等に人をおそいません。神戸の仮設住宅で、仮設診療所をひらいていた額田勲さんというお医者さんが、こういうことを書いています。 「瓦礫の下敷きになった受難者は、圧倒的に社会的弱者と考えられる人びとであった。『医療の不平等はどうにもならぬが、死はある程度平等だ』と、漠然とその辺のことをごまかしてきた自分にとって、死の不平等を目撃させられたことは強烈な衝撃であった…」 福島で今起こっている事態は、神戸とすこし違う面もあります。すこし、というのは腰の引けた遠慮がちな表現です。「原発
ある日突然難病を発症し、先進国であるはずの日本で「難民化」した自らの姿をリアルに描きながら、医療や福祉制度の深刻な現状を社会的な問題として浮き上がらせた『困ってるひと』(ポプラ社)。著者は福島県出身の作家、大野更紗。同書は、大学院生としてミャンマー(ビルマ)の難民支援活動の研究を志していたなかで、病を発病して支援される側の立場に立ったことで、新たに見えてきた世界を独特のタッチで綴った。 大野は4月25日から、福島県の地元紙・福島民友新聞で「東京からの手紙」(毎月1回最終水曜日に掲載)をスタート、自身のブログでもその内容を紹介している。そんな彼女が5月21日、これまでメディアに語ってこなかったことを話してくれた。福島県出身者として、作家として、事故を起こした原発をどう見ているのだろうか。そしてなぜあえて今、話すのか。(聞き手/構成 藍原寛子) 「原発事故が起きることは、わたしにとっては『とっ
福島の生家の目前には川が流れており、岩魚がとれます。大滝根川は阿武隈川に流れ込む支流で、川幅が狭くて流れが速い川です。急流は阿武隈高地を長い年月をかけて削って谷間を形成し、その谷に這うように集落が点在します。川原に住むのは、水がひきやすいからです。生家の水道は、祖父らが集落の人びとと、手ずからでひきました。 大滝根川では、天然の山女魚や河鹿はとれなくなって久しく、もう一匹もいません。川の生態系を維持するために、漁業組合が年に一度、稚魚を放流しています。釣り人が川で釣りをするには、「釣りのチケット」を漁業組合から買います。いわゆる「鑑札」です。 百姓の勤めの厳しさは、一朝一夕で語れるようなものでもなく、祖父母は文字通り爪を剥ぎながら明け方から日が落ちるまで、土地を耕していました。農地は一旦手入れを放棄してしまうと、ひと夏で雑草が身の丈ほどにもなり、荒れ地に早変わりしてゆくのです。近頃は荒れ地
飯田 復興アリーナでは、専門家やジャーナリスト、市民、そして行政の方々にお話を伺い、記録することで、震災を悲劇に終わらせず、次に起こる大規模な災害に備えていきたいと考えています。そこで本日は、岩手県釜石市副市長の嶋田賢和さんにお話を伺いたいと思います。 ■財務省から釜石市へ 飯田 早速ですが、嶋田さんだけでなく陸前高田市副市長の久保田祟さん、大船渡市副市長の角田陽介さんなど、他の地域から来られて被災地の行政にたずさわっている人は多いですね。 嶋田さんは、生まれ育ちも大学も東京ですよね。財務省理論研修で担当した嶋田さんが釜石の嶋田さんだということにはじめ気づきませんでした。何か釜石市に入られた理由があるのでしょうか? 嶋田 いえ、被災地のどこかに行きたいとお願いをしたら、人事が釜石市を探し出してくれたんです。だから人事から話があったときに、スマートフォンでwikipediaを見て、そういえば
下村健一氏インタビュー【広報室審議官編】 震災、原発、首相交代 ―― 霞ヶ関広報の変化の芽を、過去形にしたくない 難波美帆 学生時代からの旧知、菅直人の要請を受け、「国民と政権の間のパイプの詰まりを取ろう」と飛び込んだ内閣広報室。攻めの広報をやるつもりが、菅さんまでが守りの広報。着任1ヶ月でマインド・リセットを余儀なくされた下村氏。半年も経たない2011年3月11日に史上稀に見る大地震が起き、前例のない緊急時広報を経験することに。津波災害、原発事故への対応、被災地支援、首相の隣で国の中枢の決断と情報を国民に伝えるという大役を引き受けることになった。菅首相退陣から野田総理の新エネルギー政策決定まで、戦後最大の国難の時期を広報審議官として過ごした下村さんがふりかえる、「できたこと・できなかったこと・これから伝えたいこと」。(難波美帆) ■守りの広報 ―― コツコツと“前例”を積み上げ 難波
■自らの加害者性と被害者性を知る 大野 ギャップを埋めるために双方向のコミュニケーションが必要とされているんですね。これは筒井さんがされているお仕事、ボランティアコーディネートと近いもののように思います。そもそもボランティアコーディネーションとはなにか、筒井さんからお話いただけますでしょうか。 筒井 ボランティアコーディネーションという言葉は、阪神淡路大震災以降、一般的に知られるようになりました。しかし、その役割がどこまで理解されているかというと、少し狭められて捉えられているように思います。ボランティアコーディネーションは、ニーズを繋いでいくことが主な活動です。しかし、ただ繋いで終わってしまってはいけないと思います。 私は、80年代に7年ほど市民活動団体の事務局スタッフ(ボランティアコーディネーター)として働いていました。そのころは、いまのような介護保険制度や障害者自立支援法などはありませ
大野 東日本大震災から16ヶ月がたちました。ニュースでは日々、原発問題がホットな話題として扱われていますが、実際にその原発がある福島で暮らしている人たちが、どのように暮らし、いまなにを考えているのかは、あまり知られていないように思います。 第3部のテーマは「福島に寄り添うとはなにか」です。今日は、様々な分野の方にご登壇いただき、この16ヶ月間それぞれがなにをされてきたのか、なにができなかったのか、今後なにを目指していくのかをお話いただきます。福島に寄り添うことについて、改めて考えることができればと思います。 ■「論点整理」による相対的な弱者の弱者化 大野 まずは皆さんの簡単な紹介をさせていただきます。最初に開沼博さんです。開沼さんは2011年6月に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』を出版されました。開沼さんは現在も毎週、福島県に通われて研究を続けていますね。 開沼 まず今日ま
荻上 「復興アリーナ」では、東日本大震災や復興に関して、様々な活動を複数の視点から検証し、いずれ起こる次の災害に参照できる教訓を残したいと思っています。今日は、震災から現在までの被災地の状況について、現場取材を続ける記者の視点から伺いたいと思いまして、朝日新聞社南相馬支局の佐々木達也記者に、取材をお受けいただきました。 ■被災地から東京への問いかけ 荻上 さっそくお聞きしたいのですが、佐々木さんは震災以前、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。 佐々木 1984年に朝日新聞社に入社しました。初任地は山形県です。地域を数カ所勤務したのちに、東京本社の社会部に所属し、その後、福岡にある西部本社の文化部で、映画や演劇を担当していました。震災の1年半前に東京本社の文化事業部に移り、記者職から離れていました。 荻上 南相馬支局に着任されることになったいきさつをお教えください。 佐々木 50歳を過
ラジオ福島特別番組「ホールボディーカウンター~調べてわかった被ばくの現状」(2012年7月21・28日放送) 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県民は絶えず「放射線への不安」を抱えながら生きてゆくことを余儀なくされました。そして、事故から1年4ヵ月。様々な調査がなされ、少しずつ被ばくの現状が見えてきました。データから読み解く被ばくの現状と福島で暮らす上でのヒントや注意点などを、3人のスペシャリストに伺いました。(ラジオ福島HPより http://www.rfc.co.jp/program/details.php?id=128 ) ■自己紹介 ――去年の3月に東京電力福島第一原子力発電所で事故が発生しました。あの瞬間から、福島県民は放射線、放射能と共存して生きていかなくてはいけなくなりました。そのためにも私たちは放射線や放射能についてきっちり理解して、これからを考えていかなくてはいけ
安積女子(現安積黎明)高校の、合唱部で歌っていました。お正月の三が日とお盆以外は、毎朝5時に起き、45分ほどかけてメーク(ヘアスタイルは金髪に近い茶髪のアフロ)。銀色のメタリックなスニーカーを履き、校則に違反する黒いタイツと改造した制服を装着して、家を出ました。生意気なヒッピー気取り。 「黒いタイツは履くな」と生徒指導の先生に怒鳴られると、「先生。いかなる理屈でもって、白い靴下のほうが黒いタイツよりすぐれていると判断できるのでしょうか」と平然と返す、嫌味な生徒でした。 安女ヒッピーとして「努力不足」だと非難されることは癪だったので、部活と学業は必死でやりました。お父さんが最寄りの駅まで車で送ってくれて、時刻表が1時間に1本しかない、ディーゼルエンジンの在来線の始発に乗りました。 郡山駅に着くと、「さくら通り」を延々と30分ほど歩きます。ミスド、三万石、ビューホテルアネックス、ホテルハマツ、
荻上 本日は、陸前高田の仮設住宅に住んでおられる、子どもを持つ女性のお三方にお集まりいただきました。みなさんは、震災から今日に至るまでの約一年半、様々な環境の変化を体験されていらっしゃるかと思います。今日は、被災直後から現在までの生活の変化や、支援で助かったこと、困ったことなどを座談会形式でお話いただければと思っております。 色々と話は尽きないかと思いますが、今回特に伺いたいのは、被災者女性特有のご苦労についてです。たとえば避難所や仮設住宅では、男性がリーダーに選ばれることが多いため、場所によっては、生理用品であったり、更衣室であったりと、女性への配慮が行き届かなかった場面もあると耳にします。 今回の避難・仮設生活から、どんな教訓を残せるだろうか。それを考えるために必要な視点、ヒントを、みなさんからいただけたらと思っております。それでは、最初に簡単な自己紹介をお願いできますでしょうか。 石
東日本大震災が起きたとき、災害救援のNPOであるレスキューストックヤードのスタッフであったわたしがついた任務は、日本財団ROADプロジェクトの「足湯ボランティア」のコーディネートであった。 足湯とは、それを受ける人がたらいに張った湯に足を浸け、体を温め、手をさすられながらボランティアと一対一で一つの空間を共有し、10分程度過ごすものである。その間、自然と会話が生まれる。足湯の間に発せられた言葉は「つぶやき」と呼ばれ、ボランティアはメモを取る。その記録には被災者一人ひとりから発せられる生の声、生の叫びが多く含まれている。もともと、神戸で活動していたボランティアが始めたこの活動は、数々の被災地で受け入れられてきた。 足湯ボランティアの活動成果や報告については、震災がつなぐ全国ネットワークが発行した報告書に詳しい。また、ROADプロジェクトの足湯ボランティアは2012年度も継続して被災地に派遣を
飯田 「復興アリーナ」ローンチシンポジウム第二部では、第一産業の復興と東北の課題について考えていきたいと思います。 重被災地である岩手、宮城、福島の三県は、他県に比べて第一次産業の産業シェアが高い県として知られています。東日本大震災では、このような日本全体の食料供給基地のひとつが甚大な被害を受けてしまいました。 当該地域では、第一次産業には分類されないものの、第一次産業と密接に関わりのある食品加工業や流通業も大きな地位を占めています。第一次産業の復興を考えるとき、第一次産業そのものの復興だけでなく、こうした周辺にある産業についても同時に考えなくてはいけません。 さらに、特に沿岸部では、第一次産業での活動がコミュニティを形成の核であった点にも注目する必要があります。経済・社会双方の核になっている第一次産業をどのように立ち上げ、それによって裾野である加工業、さらにはコミュニティを立ち上げていく
■復興の時間 --〈順向〉と〈逆向〉 災害からの復興について考えていると、時が進む方向について考えさせられることが多い。 筆者は、長年お付き合いのある阪神・淡路大震災の被災者の方(同一人物)が、「何もかもあの日で終わりました」という言葉と、「すべて地震から始まりました」という言葉、この両方を口にされるのを聞いたことがある。 一方に、「もし…しておけば」、「仮に…ならば」と、どこまでも時を〈逆向〉して、あの日の出来事を回避しえた可能性を追求せずにはおられない気持ちがある。他方に、それでもなお、次から次に押し寄せてくる被災後のきびしい現実に向き合いながら、時の流れに〈順向〉して生きていかねばならない現実がある。この両者を無理矢理にでも折りあわせねばならない事情が、字義だけをとらえれば矛盾するかに見えるこれら2つの言葉には込められている。東日本大震災の被災地においても、同様であろう。 被災者は、
荻上 傾聴ボランティアの活動も話題になっています。被災地地域で、孤立死を出さないように、あるいは思い出や苦しみを共有するために、一軒一軒訪ねて話を聞き、加えてニーズを探すといったアイデアです。 震災以降、様々なNPOが、様々なアイデアを練り、ニーズに応じられる方法を模索してきました。駒崎さんは、内閣府の非常勤研究委員として、NPOをバックアップする体制づくりにも関わられていますが、こうしたNPOの横の動き、仕組み上の問題について、どのような印象を持たれていますか。 駒崎 私は半年間、内閣府で非常勤をやっていました。今回特筆すべきなのは、アメリカでは回転ドアと呼ばれるような、民間と官の人材交流があったことです。これまでですと、官の世界と市民セクターが分断されていたため、国でいい補助金制度をつくっても、誰もそれを知らなくて困ることもよくありました。今回、民間で活動していた人が、復興庁の官僚にな
荻上 「復興アリーナ」では、東日本大震災での各メディアのさまざまな取材・活動などを検証したうえで、あれこれダメだったと叩くのではなく、「次の災害」の際に参照できる教訓を残していければと思っております。ウェブロンザとのコラボ企画ではありますが、新聞社の垣根は無視して、様々な記者の方にお話を伺っていきたいと思っております。 今回の震災では、毎日新聞社ももちろん、被災地ならびに原発事故の周辺区域などで取材を行い、発信をしてきました。そこで、小川一記者にお話を伺います。 ■原発事故報道におけるジレンマ 荻上 最初に伺いたいのは、今回の震災の際に、毎日新聞社、および小川記者ご自身が、どのような活動をどのようなタイミングで試み、その活動をどのように評価しているのかという点です。 小川 このような企画にお声がけいただき、嬉しく思います。まず全体的なことをお話しましょう。毎日新聞社は、震災後はすぐに対策本
電力会社は原発再稼働に熱心だが、なぜ熱心なのだろうか。原発で利益が上がるからだと多くの人は答えるだろうが、それは「政府がコストに利益を乗せて電力料金を決めてくれる総括原価主義」を採用してくれている限り、利益が必ず上がるからである。原発と利益とは本来は関係がない。 電力会社は、あれだけの大事故を起こした割には大した責任を取らなくても良いようだが、それにしても経営者はクビになり(どこか目立たないところで面倒を見てもらっているのかもしれないが)、従業員の賃金は下がり、福利厚生費も削られた。関連会社への天下りも減り、企業年金も削られるだろう。 普通に考える限り、原発は企業(その経営者と従業員)にとって割が合わない。現に、総括原価主義がなく、電力市場も競争的なアメリカでは、1996年以降、原発は建設されていない。 もちろん、この夏を乗り切るために原発の再稼働が必要だというのは分かる。また、来年の夏も
チャップアップの育毛効果を実感してみようと提案。次は、育毛剤です。 永久返金保証は、確かに育毛されています。成分はすべて天然由来、さらに香料や防腐剤といった添加物も不使用で、逆にかゆみを起こしています。 その時の抜け毛に比べて、抜け毛を止めて、朝の時間が忙しくなって、明らかに抜け毛が減ったと言っているだけ。 3ヶ月目以降は「あー分かる分かる。」と、見た目にも、男性機能増進や、チャップアップに感謝しましたね。 3ヶ月を経過して1日2回に30プッシュだと自分に言い聞かせています。 やっぱり目に効果を感じることなく、不安におびえる毎日が続きました。 使いすぎをしてもらえるので、返金保証は、髪の毛がどんどん抜けてしまうことができました。 ただ、1回の使用で、逆にかゆみを起こしていません。あまり時間をかけたくないので、いちおう返金保証書はとっておきます。 髪は、枕元に落ちていることを実感したのより少
福島第一原子力発電所の事故以来、「放射能を測る」という言葉をテレビや新聞、雑誌などで頻繁に見かけるようになりました。 しかし、そもそも、「放射能を測る」とはどういう意味なのでしょうか? まずはここから考えてみましょう。 ■放射能と放射線 放射能とは放射線を出す能力のことです。焚火や暖炉の火によく例えられます。火は、近くにいる時には暖かいけれど、距離が遠ざかるほどに暖かくなくなっていきます。このとき、火が熱を発する能力が「放射能」に、発せられる熱が「放射線」に当たります。 放射能の単位は「ベクレル(Bq)」、放射線の量の単位は「シーベルト(Sv)」と言います。どちらも、よく耳にする単位となりました。 「ベクレル」とは、どれくらい放射線を出す能力を持っているかを表す単位です。放射性物質の原子核は壊れる時に放射線を出します。1秒間に何個の原子の原子核が壊れて放射線を出すかという数を表すのがベクレ
わたしは、1984年に福島県で生まれました。上京して大学院生になったばかりの2008年、難病を発症しました。今は東京で、病や社会のさまざまな「モンスター」と悪戦苦闘しながら暮らしています。 「作家」を名乗り、原稿を書いて生活の糧を得ています。ことばを生業にする者として、3月11日から今日まで「福島について語ること」を戒めてきました。 その理由は、いくつかあります。まず第一に、作家として情けなくも「福島」ということばから、逃げました。「福島で生きる人たちに顔向けできない」と、苦虫を噛み潰すことしかしてきませんでした。 「できなかった」のではありません。「しなかった」のです。わたしは、自分がかわいかったのです。自分が大事だったのです。自分が生き残りたかったのです。不誠実で、ずるかった。 「フクシマ」は、イギリスの片田舎のパブでも、ミャンマーの路上のコーヒー屋さんでも、誰もが「世間話」の話題にす
マスメディアによる情報は、多くの人達の目に触れ、情報源として重要な位置を占めています。特にテレビからの情報は、震災の前後に関わらず各年齢層ともに主要な情報源となっています。 (参考:東日本大震災を契機とした情報行動の変化に関する調査結果 http://www.soumu.go.jp/iicp/chousakenkyu/data/research/survey/telecom/2012/megaquake311-a.pdf ) ここでは、制作者側の意図が強く反映された「ドキュメンタリー番組」により事実が歪められて伝えられた事例について取り上げます。1つは日本で放送されたNHKの番組、もう1つはフランスで放送された番組です。どちらも同じ様な改竄の手口が使われていることが発覚しました。 ■ドキュメンタリー番組の罠 【その1.NHKで放送された「追跡!真相ファイル 低線量被ばく・揺らぐ国際基準」で
前回の記事 http://fukkou-arena.jp/academic/?p=378/ で、今までの復興政策では、漁業は衰退する一方だということを示した。では、水産業に金を入れるのがそもそも無駄なのか。というと、そうではない。従来の予算の使い方が未来につながっていないと言うだけの話だ。 では、何を目指すべきだろうか。漁村が中長期的に生き残るために何よりも重要なことは、漁業の生産性を、新規参入できる水準まで改善することだ。同じ北海道の遠隔地である猿払村を例に、未来につながる漁業復興について考えてみよう。猿払村は、北海道の北端に位置する。 猿払組合のサイトはここにある。 http://hotatebin.net/modules/pico/index.php/content0001.html 魚家数が187戸で、売り上げが6,228百万円だから、一戸当たり3300万円の水揚げだ。これなら、跡
1993年の北海道南西沖地震とそれに続く津波によって、奥尻島は甚大な被害を受けた。東日本大震災をきっかけに、奥尻島の復興について触れられる機会が増えてきた。奥尻の復興については、意見が分かれている。農林中金(農協系金融機関)や朝日新聞は、復興をポジティブにとらえているが、北海道新聞をはじめとする地方紙は、地域の衰退を問題視している。 ●農林中金 http://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n1108jo1.pdf 「水産業の復興が順調に進んだ要因として,①漁協による漁業者への対応,②漁船の共同利用,について述べる。」 ●朝日新聞 http://www.asahi.com/edu/news/HOK201202120002.html 「防災教育旅行を積極受け入れ 津波から復興果たした奥尻町」 問題点を指摘しているのは、岩手日報、河北新報、北海道新聞などの地方紙。 ●
「ふくしまの話をきこう」第2部 安東量子氏講演 ——2012年4月28日東京・新宿歴史博物館(主催:福島おうえん勉強会) ※文中画像はすべて「福島のエートス実現へ向けて(PDF)」より 安東 福島県内で本当に小さなささやかなものですけれども、「エートス」という住民主体の放射線防護活動をさせていただいております。最初にまずエートスが始まった経緯について説明をさせてもらいます。 最初の契機は去年の9月24日なんですけれども、私の住んでいるいわき市の中山間地域は原発からの距離が60キロありまして、その地域で勉強会を開催したのが最初だったんです。そのときのアプローチ方法としては、やっぱり「正しい知識をみんなで知ろう」というようなところから始まっているわけですが、そのときに上がった「専門家の先生の言っていることは、よくわからない」という住民の声がきっかけですね。 そのときの私の近隣地域の様子だと、知
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『チャップアップの評判!効果と口コミまとめ』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く