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安田浩一 Koichi Yasuda ジャーナリスト 1964年静岡県生まれ。週刊誌、月刊誌記者などを経て2001年よりフリーに。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館)ほか。主著『ネットと愛国』(小社刊)で2012年度講談社ノンフィクション賞、JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞
山野車輪 Syarin Yamano 漫画家 1971年生まれ。漫画家。2005年に『マンガ嫌韓流』を発表、物議を醸す。著書に『在日の地図』『韓国のなかの日本』『「若者奴隷」時代』『なる☆まん』、共著に『終戦の昭和天皇』ほか 安田浩一 Koichi Yasuda ジャーナリスト 1964年生まれ。事件・労働問題を中心に執筆活動を行う。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』『ネットと愛国』、共著に『安倍政権のネット戦略』『ヘイトスピーチとネット右翼』ほか 安田浩一 Koichi Yasuda ジャーナリスト 1964年生まれ。事件・労働問題を中心に執筆活動を行う。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』『ネットと愛国』、共著に『安倍政権のネット戦略』『ヘイトスピーチとネット右翼』ほか
「在日が怖いですか?」 —最後にうかがいます。こうした時代の空気のなかで、在日の多くは非常に苦しい立場へと追い込まれていると思う。僕の取材に対して「在日が怖い」と言う人は少なくないけれど、常識的に考えたら、怖い思いをしているのは在日の側でしょう。 「そうでしょうか。在日という存在が、日本社会にある種の恐怖を植え付けてきたことは事実だと思います。終戦直後に暴れまわったこと、朝鮮学校の生徒が日本人に喧嘩を吹っかけたことなどは多くの日本人が知っています。『嫌韓流』1巻を出したとき、僕も正直、怖くてしかたなかったんです。ビビってましたよ、本当に。なにをされるのかわからないという恐怖がありました。在日が集団で行政に圧力かけるような事件も過去にあったわけじゃないですか」 —いまは、そんなのないですよ。そもそも「真実」として書いた以上、書いた内容に責任を負うのは表現者としてある意味当然では? 「記者さん
2013年の流行語大賞トップテンに「ヘイトスピーチ」が選ばれた。差別扇動を意味する言葉が“流行”として消費されていくことを思うと、なんだかやるせない。 この数年間、ヘイトスピーチの現場を、ひたすら追いかけてきた。振り返れば、殺伐とした風景ばかりが甦る。昨年は特にひどかった。ヘイトスピーチが飛び交う“差別デモ”が全国各地で繰り返された。 「朝鮮人をガス室に送れ!」「クソチョンコを八つ裂きにして家を焼き払うぞ」「朝鮮人は二足歩行するな」「朝鮮人に酸素はもったいない!」「消えてなくなれ朝鮮人!」 下劣な言葉を連呼しながら、デモ隊が街頭を練り歩く。 思い出すたびに気持ちが萎える。軟泥に引き込まれるかのような重苦しさが襲ってくる。 在特会(在日特権を許さない市民の会)などが主催するこれら差別デモのキーワードは「嫌韓」である。韓国に対する様々な悪感情が爆発し、それが在日コリアンへと向けられた。 しかも
小林篤 Atsushi Kobayashi 1954年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2年間の広告会社勤務後、雑誌のフリーライターとなる。主に講談社の『月刊現代』(2009年休刊)記者として、さまざまなテーマで取材執筆を行う。著書に『足利事件〜冤罪を証明した一冊のこの本』(講談社文庫)
安田浩一 Koichi Yasuda ジャーナリスト 1964年静岡県生まれ。週刊誌、月刊誌記者などを経て2001年よりフリーに。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館)ほか。新刊『ネットと愛国』(小社刊)で2012年度講談社ノンフィクション賞、JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞
受給者を疑う「密告電話」 電話が鳴る。受話器を取ると怒気を含んだ男の声が耳に響いた。 「あんたら、人様の税金を無駄遣いしてるんだろう」 ああ、またか。担当者はそう思いながらも努めて冷静に、そして穏やかに答える。 「どういうことでしょうか?」 男はさらに声を張り上げた。 「怠け者なんかに金を出すなってことだよ!」 電話はそこで切れた。 東京都内の福祉事務所―。生活保護業務を受け持つ40代男性のケースワーカーが溜め息混じりに話す。 「あれ以来、この手の電話が急激に増えました」 人々の怒りの熱源は、いわゆる「河本騒動」にある。 人気お笑い芸人の母親が生活保護を受給していると女性週刊誌がスッパ抜いたのは、今年春のこと。後にその芸人が「次長課長」の河本準一であることが明かされ、世間は騒然となった。 十分な年収があるにもかかわらず、母親に生活保護を受給させるとはなにごとか。不正受給じゃないか。そんな非
その日会場にいたのは、流通量100億円を誇る日本最大級のASP[注4]「インフォトップ」の創業者、菅野一勢とその一門衆、川島とは大学の頃からつきあいのあるネットオークション出品者向け情報配信サービス「セリングコンテンツ」代表取締役の加藤賢、数々の情報商材の仕掛人でインターネットマーケティング会社「Catch the Web」の組織化に成功した横山直広、アンソニー・ロビンズ直伝NO.1コーチ(こう書いても読者には何の職業かさっぱりわからないだろうが……)井口晃など。 今にして思うとインターネット業界のスーパースターたちが勢揃いしていた。 彼らの特徴は、みな異様に若く見えること(服装もルックスも)と仲が良いこと、偉そうな奴、威圧的な人間が皆無なこと。とどのつまりは、「年齢不詳、職業不明」な第一印象である。 そしてこの日、集まったメンバーに共通していたことは、「ある商品」をとんでもなく売る能力=
遅れて来たホリエモン? 与沢の部屋の一面はすべて窓になっており、そこから僕のベンチャー企業経営者時代を綴った『幸福の商社、不幸のデパート』の表紙とそっくりな、東京で一番贅沢な景色が広がっている。 東京タワーやヒルズが目の前に迫るこの眺望も220万円の家賃の一部に含まれているのだろうか。「金で買えないものはない」と嘯いたのはホリエモンだが、確かに東京のごく一部には、景色も美食も、美女もすべてが金に換算されている世界は存在している。 中学で暴走族ライフを送っていたほどのクルマ好きでもある与沢は、月10万円の駐車場を3台分も借りてフェラーリ、ベントレー、ベンツを所有していた(取材当時。現在は7000万円のロールス・ロイスと、フェラーリが愛車である)。 こういった派手派手しいライフスタイルやサイトのセールスレターに掲載されている「夜の帝王」っぽい写真とは雰囲気が異なり、目の前の与沢本人は物腰も丁寧
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、ノンフィクション作家となる。主な著書は『サラリーマン政商 宮内義彦の光と影』(講談社)、『黒い看護婦』『ヤメ検』(新潮社)、『許永中 日本の闇を背負い続けた男』『同和と銀行』(講談社+α文庫)など。最新刊は『腐った翼』(幻冬舎) 父母と叔父の仕事 父親は橋下が小学二年の時に亡くなったという。従って近所の住人や母親の証言は、だいたい計算が合う。だが、父親の仕事となると、今一つ明確ではない。地元八尾市の府議に聞くと、「知事の父親は実弟といっしょに土木、水道工事の仕事をしていたはずだ」と話す。その弟が問題の博焏叔父のことだ。博焏叔父は兄に劣らぬ強面で、地元建設業界 では、スキンヘッドで押し出しが強いともっぱらの評判である。 その博焏叔父が社長になり、一九七四年八月に『丸万土木』という土建会社を設立。地元の府議によれば、それを兄である橋下の父親がバッ
ES細胞との出会いと帰国 山中さんの新たなボスとなったトムは、度量の大きい人だった。トムは、ある遺伝子が動脈硬化の症状をやわらげるという仮説を立て、トランスジェニックマウスを使った実験を山中さんに命じた。ところがその仮説は外れる。 ある朝、マウスの世話係の女性が、「シンヤ、あなたのマウスが妊娠している」と騒ぎ立てた。早速、開腹してみると、肝臓に巨大な腫瘍ができていた。仮説が外れたのだから、落ち込むのが普通かもしれないが、山中さんは興奮した。どうして腫瘍ができるんや? ボスも同じだった。循環器の研究所なので本来なら腫瘍の研究は畑違い。しかし、ボスは山中さんが腫瘍の研究に取り組むことを認め、応援してくれたのだった。 マウスの肝臓に巨大な腫瘍を作った遺伝子の研究から、山中さんはNAT1という未知の遺伝子を発見。NAT1の性質を探求するうち、この遺伝子がES細胞に深いつながりを持っていることを突き
そこは0.3%の世界――。 ベンチャー企業家、中卒のフリーター、大手企業のエリート。 彼らはいかにして一夜で数百万円を稼ぐようになったのか? ネットビジネスの最前線を初めて解き明かす、 元・起業家にして現・作家の本格ルポルタージュ。 1 家賃200万円のレジデンスに住む「ネオヒルズ族」 あの東日本大震災の約1年後の2012年3月23日金曜日。 僕は講談社の井上さん、取材アシスタントのA子と一緒に東京ミッドタウンの高級賃貸「ミッドタウン・レジデンシィズ」の玄関にいた。 距離的にいえば六本木ヒルズとは1km。ちょうどライブドアショックの直後にあたる2007年3月開業ということもあり、東京の新しい富の象徴ともいえる極めて記号的な施設である[注1]。 この日のターゲットはこのミッドタウン・レジデンシィズの最上階、家賃220万円の部屋に住んでいる与沢翼(29歳)。元ベンチャー企業経営者で、現
沖縄の愛国者たち 那覇の中心街である国際通りで、やはりネットの告知によって集まった約100人のデモ隊が気勢を上げていた。 「フジテレビ解体!」「韓流反対!」 聞きなれたシュプレヒコールは、しかし、わずかに叫ばれただけである。さすがに東京から遠く離れた那覇でキー局に抗議してもインパクトがないと判断したのか、この日のデモは「反メディアデモ」と銘打たれていた。 参加者の一人は次のように話す。 「全国各地でおこなわれた反フジテレビの流れに沿って那覇でも開催されたのですが、さすがにそれでは沖縄県民はピンとこない。我々県民にとってはむしろ、“左翼メディア”である沖縄タイムスと琉球新報にがっちりと押さえ込まれてしまった地元メディア界の現状を訴えることにしたんです」 反基地デモには慣れっことなっている那覇市民も、次のようなシュプレヒコールには度肝を抜かれたはずだ。 「米軍基地反対は県民の総意ではないぞ!」
安田浩一 Koichi Yasuda ジャーナリスト 1964年静岡県生まれ。週刊誌、月刊誌記者などを経て2001年よりフリーに。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続けている。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館)ほか。Twitter ID: @yasudakoichi
愛国をビジネスにした男 東京都内の雑居ビル。その男性はスーツ姿で私の前に現れた。西田省人(37歳)。ウェブサイトの製作などを請け負うIT企業の経営者だ。 その西田にはもうひとつの肩書きがある。登録会員数6万人を誇る日本最大の保守系SNS(ソーシャルネットワークサービス)、「my日本」の代表だ。一部では「保守世論をつくりだす男」とも呼ばれている。 my日本は政治団体でも運動組織でもない。れっきとした株式会社だ。そして同社が運営するSNSにおいて、保守を自任する会員たちが熱心に情報交換や交流をおこなっているのだ。 フジテレビやロート製薬に対する抗議デモの参加者のなかには、このmy日本の情報によって「立ち上がった」者が少なくない。「2ちゃんねる」などに掲載される情報も、my日本が源流にあることが多いのだ。 「日本の危機に気づいた人、日本を貶める敵を発見した人、そして運動への参加を求める人、国のた
第三章 戦争を知らない日本人 本稿の冒頭で、若者たちの間で戦争体験が風化していると書いた。しかし若者に限らず日本人は、実はそもそも戦争についてあまり興味のない可能性がある。 みんな真珠湾攻撃の日を知らない 二〇〇〇年にNHKが実施した嫌らしい世論調査がある。一六歳以上の男女にアジア・太平洋戦争において「最も長く戦った相手国」「同盟関係にあった国」「真珠湾攻撃の日」「終戦を迎えた日」を答えてもらったのだ(『放送研究と調査』二〇〇〇年九月号)。 結果、一九五九年生まれ以降の「戦無派」では六九%が「最も長く戦った相手国」を知らず、五三%が「同盟関係にあった国」を知らず、七八%が「真珠湾攻撃の日」を知らず、「終戦を迎えた日」を知らない人も一六%いた。全問正解した人はわずか一〇%だった。 ここまではまあいいだろう。「戦争を知らない若者(と中年)」ということで理解可能だ。しかし一九三九年から一九五八年
明治初期、広島県内で大規模な農民一揆が起きた。そこで首謀者として名を残したのが森脇武一郎という農民である。森脇はその責任を問われ、明治新政府によって処刑された。 「僕が尊敬する人物なんです」 28歳の広島在住の青年は静かに訴えた。 「森脇は民衆の側に立って権力と闘いました。そんな人間になりたいと思っていたんです」 だから―青年は昨年まで「森脇武一郎」の名をハンドルネームとして用い、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)広島支部の運営担当を務めていた。 高校生の頃に政治への関心を深めた。「貧困」や「格差」の存在が許せなかったのだという。高卒後、大学の通信課程で学びながら「社会を変革させるための仲間」を探した。一時期は革マル派などの左翼党派にも出入りし、勧められてクロカン(黒田寛一)の著作も読んだ。だが革マル派をはじめとする左翼党派は、運動体としての魅力には乏しかった。「党」の存続だけに力点
『G2』に掲載された「在特会」記事は、公開直後からネット上で話題を呼んだ。過激な在日排斥運動と、ネット右翼は今、どうなっているのか。4月18日に『ネットと愛国』(講談社)を上梓したジャーナリスト・安田浩一氏に聞いた。 編集部 『ネットと愛国』は「在特会」というネット右翼を入り口にして、ネット情報の欺瞞性、ネットが媒介する人間関係の脆弱性、無思想性が著者の“泥臭い取材”で次々と暴露されていきます。その過程は見ていて胸がすく思いでした。そもそも、この組織を取材しようと思ったきっかけは、何だったんでしょうか? 安田 そうですね。実は僕、ネットって全く興味なかったんです。僕がパソコンを使ってできることと言えば、検索すること、メールを送ること、原稿を書くことだけ。これ以外の用途を、僕ほとんど使っていなかったんですね。ですから今回タイトルに「ネット」と入っていることに、少々忸怩たるものがあって。だから
5名の選考委員による選考会は7月20日(金)にホテルニューオータニにて行い、受賞作を決定します。 『G2』vol.11(9月20日発売予定)に各選考委員の選評を掲載したうえ、選考会の審議の模様を一部誌上採録する予定です。なお、贈呈式・祝賀会は9月21日(金)に丸の内・東京會舘で行われます。 講談社ノンフィクション賞 賞状・記念品及び副賞100万円 選考委員(五十音順)/重松 清・高村薫・立花 隆・中沢新一・野村 進(敬称略) 過去の受賞者一覧 http://www.kodansha.co.jp/award/archive/nonfiction.html
なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか 見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間 森功 講談社 1,575円(税込) 当事者の証言をもとに“双葉病院事件”を追及し、 『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか』 を上梓した森功氏に、医師の松永正訓氏が取材を敢行する! インタビューにあたって こんなひどい話があるだろうかと私は信じがたい気持ちだった。テレビ・新聞が、原発直下の大熊町双葉病院で医師が重症患者を置き去りにしたと報じた時の胸の内だ。福島原発事故から六日目の三月十七日のことである。置き去りの結果、死に至った患者が十四人。いくら自身の命に危険が迫っているとはいえ、医の倫理はどこにいったのだと病院長に対する怒りがわいた。この頃のテレビ・新聞の報道は原発事故一色だったので、このニュースを知らない日本人はほとんどいないだろう。そののち、続報に接することなく私たちの記憶の底に、「双葉病院=患
約20年ぶりのフルマラソンだった。昨秋、10月30日に開催された大阪マラソン2011。京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんは参加者約2万9000人中、半分ほどの順位でゴールした。タイムは4時間29分53秒。最後に42・195キロを走った研修医時代とほとんど変わらない記録だ。 現在49歳。ラグビー部のフォワードとして日々、練習に汗を流した大学時代に比べれば、格段に体力は衰えている。しかし久しぶりのフルマラソンに向け、トレーニングを欠かさなかった。平日は研究所近くの鴨川、休日は自宅近くの大阪城、東京に出張するときは皇居の周りを走った。 ミーティングなど外せない用事が入らない限り、大会後の今も毎日30分程度をランニングに費やす。走る最中にアイデアが浮かぶという人もいる。だが、山中さんは頭をできるだけ真っ白にして、景色を楽しみながら走る。私も時々ランニングをするが、歩くときとちがって走行中は
佐藤健。二二歳。職業、俳優。 たぶん、この一文で日本の半数以上の人は「ああ、あのガムのCMの人でしょ?」とか、「今度、実写版『るろうに剣心』で緋村剣心役をするんだよね」とか、すぐに彼のことをイメージできると思う。だけど、この雑誌を読んでいる人は残りの半数である可能性が非常に高いので、もう少し情報を付け加えておく。 埼玉県出身の彼は、二〇〇七年にドラマ『仮面ライダー電王』で主演を務めブレイクする。その後も『ROOKIES』『ブラッディ・マンデイ』など、数々のドラマで重要な役を務める。二〇一〇年の大河ドラマ『龍馬伝』では岡田以蔵役を演じ、俳優としての評価を高めた。ありきたりな表現を使えば「押しも押されもせぬ人気俳優」ってやつだ。 そんな彼と対談することになった。ていうか、こちらからお願いした。僕は社会学者を名乗っていて、若者研究なるものをしているのだけど、「佐藤健」という若者の言動がすごく興味
叔父からの政治献金問題 その父方の叔父問題が浮上したのは、〇九年十二月の府議会での質問だった。 「知事は政治資金パーティを含め、企業・団体献金を一切受けませんとおっしゃっていますね。だが、大阪府の公共工事を受けている企業役員から百万円の寄付を受けている。これは知事の叔父さんですから」 日本共産党府議の宮原威によるこの質問により、スター知事が窮地に立たされる。父親の実弟である橋下博焏(ひろとし)からの政治献金問題だ。 〇八年六月十六日、中之島にある「リーガロイヤルホテル大阪・光琳の間」で「橋下徹知事と府政改革を考える会」というパーティが開かれ た。叔父の博焏がそのパーティ券を購入していた事実が発覚する。叔父による政治献金は、トータル千八百十三万円のパーティ券代のうち、百万円分だった。 橋下は議会での質問に対し「知事の就任祝い」だと弁明する。だが、問題はこの叔父が大阪府発注の建設工事にかかわっ
クーデターを決意させた映画 「よーめん」(注1)という名前の人気ブロガーとは都内にあるホテルのロビーで会った。人懐っこい笑顔が印象的な男だった。Iという本名は「伏せてほしい」というのが彼の要望だった。 組織として活動をしているわけでもなく、本名も素顔もあまり知られてはいないが、ネット右翼の世界ではかなりの有名人である。ネット右翼勢力を糾合し、武装した親衛隊員を募り、将来的には日本でクーデターを目指そうと訴える彼のブログは一部に熱狂的なファンを持つ。 連れだって入ったラウンジで、彼はさしてあらたまった様子もなく、飄々とした感じで次のように訴えた。 「もう、日本を救うにはクーデターしかないと思いますよ。現政権を転覆させて、極右による軍事政権をつくるんです」 まるで街の活性化計画を打ち明ける商店主のような口調だった。 40代半ばだという「よーめん」は独身。高校卒業後、建設会社勤務を経て現在は健康
その金友は、子どものころから右翼に憧れていたという。同じ年代の子どもたちが、画用紙にパトカーや救急車の絵を描いていたころ、金友は町で見かけた右翼の街宣車に興味を覚え、黒いクレヨンで画用紙を塗りつぶした。単純にカッコイイと感じたからだそうだ。本格的に右翼思想に触れるのは高校生になってからで、野村秋介(注1)など右翼活動家の本を読み漁った。大学は迷わず国士舘へ進んだ。国士舘に行けば本物の右翼と出会えると思ったからである。 ところが―。 「入学してみたら、あまりに普通の大学だったもんで、がっかりしたんですよ。周囲はシナの留学生ばかりですし、そのおかげで入学式には日の丸と並んで五星紅旗が掲げられているし。もう、とんでもない大学に入ってしまったものだと後悔しました」 金友は必死になって「国士舘らしさ」を探し求めた。ようやく見つけたのが、いまや国士舘でも圧倒的少数派の右翼集団「皇国史観研究会」である。
矢幡洋 Yo Yahata 臨床心理士 1958年東京生まれ。京都大学文学部心理学科卒業。臨床心理士、西武文理大学講師。『パーソナリティ障害』(講談社)、『もしかして自閉症?』(PHP新書)など著書多数。テレビなどでのコメンテーター活動も多い。ウェブで連載する「自閉症のエリ」は、本誌Vol.4に掲載された作品を一部訂正した。この原稿に大幅に加筆した最新刊『数字と踊るエリ 娘の自閉症をこえて』(講談社)が、現在好評発売中。
かなしろにゃんこ。 Kanashiro Nyanko. 漫画家 千葉県生まれ、漫画家。1996年に「なかよし」でデビュー。代表作に「ムーぽん」ほか。『大人も知らない「本当の友だち」のつくり方』『11歳の身の上相談』(ともに講談社)などにもイラストや漫画を寄稿している。発達障害のある息子との日々を描いたコミックエッセイ『うちの子はADHD』(講談社)が好評発売中。
「反日勢力の反撃が始まった。講談社などの底辺左翼、ルンペン左翼、ろくでなしのクズ左翼が必死に在特会を追っている。少しでもアラを探して、何とかして我々を潰そうとしている!」 今年1月、東京・池袋の豊島区民センターで開催された「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の全国大会。集まった約170人の会員を前に、同会会長の桜井誠(本名・高田誠・39歳・注1)は壇上から声を張り上げた。 “年頭教書演説”と仰々しく銘打たれたこのスピーチで、さらに桜井はこうまくしたてた。 「バカが私の個人情報を流してくれたものだから、もはや脅迫だけじゃ済まない状況になっている。しかし、私がいなくなっても、後に続く者が必ずいる!」 彼が何かに脅え、焦り、苛ついていることだけは十分に理解できた。いつもならば緩急自在な桜井の話法も、この日ばかりは怒鳴り上げるばかりの一本調子である。まるで余裕がない。 本誌『G2』第6号(20
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