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大谷翔平
herako.hatenablog.com
あの記事をこう読んだ人は、私以外にもいるのではないか。 私は、父親と母親がある時を境にパッタリと口をきかなくなった、その家族の中にいた子供である。 ことあるごとに何かしら小さな喧嘩を繰り返しては、それでもでこぼこと楽しくやってきていた家庭はあるとき唐突に終わりを迎えた。母は昔から気分の波が激しい人で子供に対しては過保護、父親はマイペースで拘りが強く子供に対しては放任主義の人であった。どこが合ったのか今となっては知りえないが、小さな頃はよく家族で旅行にも行った。父がくだらない冗談を言えば母がツッコミ、時に無茶をしそうになる父を母が止め、母が怒れば怒りすぎだよと父は笑ってとりなしてくれた。二人とも、しかし思ったことは素直に言う人間だった。 初めはいつもの喧嘩だと思った。 高校にあがってすぐの頃、両親は大きな喧嘩をした。らしい。 私はそこにはいなかった。と、思う。忘れてしまった。その喧嘩はいつも
センター試験が終わったら死のうと思っている人たちへ。 私がそうでした。つまりいつも通り、私による私のためのブログです。 高校3年の秋にうつ病になり、高校に通うどころか引き篭もりになり、外にも出られずに一年浪人した。 予備校に通わせてもらいながら、次の受験を目指すことになったのだ。だが当然のことながら、まともに予備校になど通えはしなかった。 進学校に通っていたのに。私は勉強ができる人間なのに。そのはずだったのに。 文字の上を目が滑り、覚えたと思った単語はさっぱり記憶になく、計算の公式すら出てこなくてやっと思い出した公式に当てはめる数字が読み取れずに、机の前で時間だけが過ぎた。 予備校に通う体で家を出て、ひたすらゲームセンターのソファでぼうっとしていたこともある。そもそも家から出られなくて、それなら家で勉強しようとして、椅子に座っていきなり涙が出てきたこともある。まともに勉強などできる状況では
内々定がやっと出たと思ったら取り消された。簡単な話だ、うつ病という病気に注目され、面倒な人材は要らないと切り捨てられた。 一ヶ月二ヶ月ほど前か、某信用金庫の説明会を受け、履歴書を提出し筆記試験を受けた。ぜひ面接に来てくれと言われ、グループディスカッションを経て面接を二回受け、どれも好感触。一般職で応募したが、何度も総合職で来ないかと打診された。断ったが。 さて、トントンと話が進んで最終面接の次の日に電話が来た。ぜひうちに来てくれと。二つ返事で了承したが、その前に他の選考をすべて終わらせてほしいというようなことを言われた。 「私どもとしてはぜひ来ていただきたいが、本当に来てくれるかわからないので、他の選考が全て終わってから内々定をお出しします」 その日、選考が進んでいた2社を蹴った。すぐに電話をかけ直し、内々定を出してもらったのだった。 一週間後、内々定受諾の誓約書とともに届いたのは、健康報
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