サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
kotaro-kanwa.hateblo.jp
40代の女性が、人工透析を拒否した結果亡くなった、という 話が話題になっています。要点をまとめると、 1.透析を止めると2週間くらいで亡くなるという話を聞いたが この時点では強い意思で拒否。同意書にもサインしている。 2.症状が苦しくなり、夫には透析再開しようかな、という気持ち の変化を伝え、外科医も理解していた。 3.しかし、結果として透析は行われず、女性は亡くなった。 女性が亡くなる前に、夫に宛てて「たすけて」と書こうとした と思われるメールも公開されています。 世の中の反応は、「女性の気持ちが変わったのに透析を しないなんて、なんてひどい医者だ」というものが多い ようです。ただ、私は本当に、「患者の心変わりを、 主治医が許さなかった」というような問題なのだろうか、 という疑問があります。 毎日新聞の記事のひとつに、このような記載がありました。 外科医は「するなら『したい』と言ってくだ
ここ最近、以前と比べて安楽死の議論がさかんになって来た ように思います。写真家幡野広志さんのブログやTwitterの 影響も少なからずあるのではないかと思います。 緩和ケアには、「鎮静」という治療が以前からありました。 患者さんの苦痛を取り除くために薬を使い、意識を落とす 治療を言います。 この鎮静は、ガイドライン等において安楽死と以下の点で 異なると明記されています。 1.目的が違う…鎮静は患者さんの耐え難い痛みを取るのが目的 2.使用する薬剤が異なる…鎮静で用いられるのは睡眠薬や 抗精神病薬・抗痙攣薬であり、患者さんの命を終わらせる 「致死量の毒物」ではない。 3.成功した場合の結果が違う。鎮静のゴールは「患者さんの 死」ではなく、苦痛の緩和である。 この他に、「相応性」として、 1.耐え難い苦痛がある 2.苦痛は主治医単独ではなく医療チームにより治療抵抗性 と判断されている。 3.原
この「幸せの最大公倍数」という言葉、本日お話する 内容からは大袈裟かもしれませんが、Twitterで褒め られたので、気を良くして記事のタイトルにして みました(笑)。私は訪問診療を始める前からひとつ、 常に意識していることがあります。それは、 誰かのために、誰かが犠牲になることは、 なるべく少なくしたい ということです。 私達医療者、そして介護に携わる皆さんは、サービスを 提供する相手が病気で苦しむ患者さんであり、介護を 要する人々です。すると、私達が「犠牲」となり、 「奉仕」することが美徳という意識が多くの方の中に あるのではないかと思います。私はこれは間違って いるとは思いません。 ただ、一方で医療者・介護者も人間であり、弱く 助けを必要としているという事実は軽視されている ように思うのです。 反対される方もいらっしゃるかもしれませんが、この、 「尽くすべき」「やって当然」という精神
先日Twitterでお世話になっている方からお聞きし、 考えさせられたことがありましたので、皆さんにも 共有したいと思い記事にさせて頂きます。 貸家で殺人事件や自殺があると、そこは事故物件 として扱われ、当然ながら入居希望者が減り、 家賃をかなり下げる必要が出て来ます。これは アパートやマンションを貸す側からすれば大きな 損失です。 では、患者さんが病気や自然死で家族に看取られた 場合はどうでしょうか。ここまでは私も以前調べた ことがあり、「事故物件」の定義が曖昧なこと、 しかしサイトによっては「在宅看取りは事故物件 にならない」とはっきり書いてあるものが多く、 私も病死や自然死は事故ではない、当然だよな、 とこれ以上は深く考えないでおりました。 ところが、事態はそれ程簡単ではないようです。 この話をお聞きした時、同時に『大島てる』さんの 「事故物件公示サイト」の話も初めて知りました。 全
5年余り訪問診療を行って来て、先日初めて在宅でドルミカム を使った持続的な深い鎮静を行いました。対象は若い患者さん で、身の置き所のなさとせん妄があり、家族も眠れず心を 傷めている状況でした。「眠っても良いから楽にして欲しい」 と御本人もおっしゃり、せん妄に踏み切り、ご自宅で安らか な最期を迎えられました。 日本の緩和ケアの歴史のはじまりをどこと考えるのかは異論が あるかもしれませんが、少なく見積もって聖隷三方原病院の 独立型ホスピス開設としても既に我が国には35年以上の緩和 ケアの歴史があることになります。しかし、未だに緩和ケアが 何かということは、下手をすると医療者すらその本質を理解 していない部分があります。なかでも、この「鎮静」という 緩和医療については、実施出来る医療者も少なく、多くの 患者さんは希望しようにもその選択肢すら知らないということ が多いように思います。 鎮静(セデー
訪問診療で看取りを前提にしている場合、もし患者さんが 呼吸をしていないと分かった場合は訪問医(私)にまず 連絡をするように、と伝えています。搬送になると運ばれた先 の病院では診断書が書けないという理由で、警察が呼ばれる のが普通です。呼ばれたからには警察は事件性の有無を確認 しなければならず、多くは御家族が容疑を掛けられているかの ような質問責めにあい、御遺体も服を脱がせられ写真を撮られる ことになります。場合によっては、なんと警察が自宅まで来て 介護をしていた環境を確認するとかで自宅の写真まで撮ります。 患者さんが亡くなったことで非常に悲しい想いをしている ところに、警察の介入はとても堪えると思います。 警察の方と話したことがありますが、これはやはり捜査であり 形式だけ、という訳にもいかないようです。御家族が患者さん を殺害する、ということは稀ですが、虐待などは時々遭遇する らしく、手を
がんの末期に限ったことではありませんが、介護している家族 に向かって「あなたも大変だと思うけれど、御本人の方が辛いの ですよ」等と声がかかることがあります。これは間違っていると 思います。もちろん、痛みや呼吸苦、嘔気などの身体的な苦痛を 感じているのは御本人です。しかし、家族は家族で別の種類の 苦しみがあり、他人が簡単に比較出来るものではないからです。 実際、ホスピス等で身内を看取った経験のある終末期の患者さんは その時のことを振り返り、「私は看取る側の方がずっと大変 だった」等と表現される方が、特に女性はめずらしくありません。 家族は家族で、通院や何度もトイレにいく患者さんの介助、 せん妄・混乱した患者さんへの身体介助、不眠などの身体的な 負担はもちろん、御本人の苛立ちを受け止め(時には言い返して しまい自己嫌悪になったり)、時には逃げ出したいほどの不安や 責任感に耐え、そして愛する家族
本日は『いまいホームケアクリニック』さんのこちらの記事 から。 imai-hcc.com 書いてある内容は、私個人は全く賛成です。 ただ、少し自分の意見を加え、書かせて頂こうと思います。 少しずつ衰弱された患者さんが、口から水分を摂れなく なった場合、多く余命は数日~1週間程度です。 点滴は簡単に言えば水の中に糖と塩が入っているような もので、殆ど栄養はありませんが、水分を補うことで 上述の余命数日が、数週間くらいには延ばすことが出来ます。 問題は経験上、延びた数日が患者さんにとって『辛い時間に なってしまうことが割と多い』ことです。 今井先生は、輸液によって浮腫や胸腹水、気道分泌物の増加 を挙げておられます。その他トイレに行ける方にとっては 往復の負担が増加することも私は大きなマイナスだと思います。 次に挙げられている「精神的な理由」もとても大切な内容 です。医師にとっても、患者さんにと
最近テレビで丸山ワクチンについての放送があったようで 末期がんの患者さんからワクチンについての質問・問い合わせ がありました。丸山ワクチンについて聞かれるといつも独特な 気持ちになります。「手伝って」と言われれば期待に沿いたい と思いますが、「どう思いますか?」と聞かれるとさすがに 「効きます」とは言えません。 ワクチンについて、ホスピス勤務時代の経験を過去のブログで 書いています。ワクチンを受けたい方は具体的な方法も書き ましたので参考になると思います。 blog.goo.ne.jp 昔務めたホスピスは、「皮下注射なら手伝う」という方針でしたので、 私もワクチンを行っている方を複数担当する機会がありました。 もともと医師でありながら(今でも)何処かに代替治療に対する期待・ 興味があり、丸山ワクチンも丸山先生の経歴や効いたという報告を みるとなんだか期待出来るのではないか、と考えたりもしま
平成30年4月の診療報酬改定に向けて話し合いが行われて います。この中で訪問診療ではどのような変更がありそう でしょうか。まず、全体的な見通しですが前回までの、 特に施設(特医総管)の大幅な削減がたたり、在宅支援 診療所の数は緩やかに減少しています。「病床を減らし、 在宅(地域)へ」という国の方針が変わるとは思えず、 ひとまず今回は訪問診療部門の大幅な変更はないと考えて います。 一方、施設の「本当は通える」軽症者に対する訪問が問題に なっています。きちんとしたルールを作り止めさせることは 出来ると思います。ただ、これを完全に止めてしまうと、特に 仕事を持つ家族やギリギリの人数でやっている介護施設に 定期受診や救急外来受診の大きな負担がかかり混乱すること、 軽症患者の時間外の受診や救急搬送は病院の負担も増える ことも予想され、完全にやめることは出来ないのではないかと 思っています。考えられ
以前もお書きしたように、自分自身に糖質制限を試し効果が あったので関連書籍やネットでの情報収集をするようになる と、あちこちで『分子栄養学』に出会うようになりました。 分子栄養学は『分子生物学』を土台とした栄養学で、その 土台の部分で糖質制限を重要視している場合が多いからです。 現在の分子栄養学はもともと海外ではライナス=ポーリングや エイブラム=ホッファーら、国内では三石巌などに端を発し ます。彼らの考え方は現在あまり不足するとは考えられて いない、むしろ過剰が心配されている栄養を、必須アミノ酸、 必須脂肪酸、各種ビタミン、ミネラルと詳しく見ていった時、 実は不足する栄養素があり、健康に悪影響が出ていること、 それを補うことで疾患の治療が出来るのではないか、という 考え方です。もちろんその後色々な先生方の考え方が取り入れ られ、また考えの相違が生まれ、少々混沌とした感じになって いるのが
10月23日より、韓国の一部の医療機関で「尊厳死」を選ぶことが 出来るようになりました。試験期間を経て、来年2月から本格的 に法が施行されるとのことです。 私は尊厳死法は賛成です。過剰な治療により苦しみ続ける患者さん、 そして介護者(家族)を本当に本当にたくさんみて来たからです。 そんな中今朝、文筆家の平川さんのツイートが流れて来ました。 私が思ったことを書かせて頂こうと思いますが、死生観なので なにが正しい、間違っているとはなかなか言い切れない問題 だと思います。なので、平川さんと異なる立場ではありますが、 また文章にすると言葉はきつくなってしまうかもしれませんが 非難する気持ちは全くないことを初めにお断りしておきます。 日経新聞から、尊厳死に関する取材をうける。「尊厳死」という言葉自体が、いかがわしい。死に尊厳もくそもない。病気で死のうが、戦争で死のうが同じだ。「尊厳死」はかならず、「
訪問診療をやっていると、表題のような質問を受けることが 時々あります。そもそも訪問診療というものが分かっていない 方が大部分だと思いますので少し説明をします。 在宅療養支援診療所(在支診)が制定され、今の形の訪問診療が 始まったのが2006年です。訪問診療は10年以上の歴史があります が、利用されるのは一部の患者さんだけなので、多くの方に とっては未だに馴染みのない医療なのだと思います。 患者さんからは「先生は訪問看護をやっているのですか」 と聞かれることがよくあります。私がやっているのは訪問診療 なのですが、患者さんにとっては看護と診療の区別すらついて いないのでしょう。当然だと思ってはいますが。 実際、医師が患者さんの家に行き診察をすれば「訪問診療」には 違いないのですが、私達が「訪問診療」と言うと国が定めた サービスの「仕組み」を指すことが多いです。訪問診療は、 1.予め立てた計画に
非常に面白い本だったので御紹介します。 うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった (光文社新書) 作者: 藤川徳美出版社/メーカー: 光文社発売日: 2017/07/19メディア: 新書この商品を含むブログを見る 私がいつも勉強させて頂いているひらやま脳神経外科 のブログでも度々糖質制限や鉄不足の話題が出ていま したので以前から興味を持つ分野ではありました。特に 糖質制限は、7月初めから私自身も始めています。 さて、本の紹介に移ります。 精神科医として研究・臨床を熱心にやって来られた 藤川先生が、御自身の採血結果に異常があった事が切っ掛け で糖質制限に興味を持ち、その効果の大きさから、 「分子栄養学」を学ぶようになったそうです。その中で 少しずつ鉄・蛋白の欠乏とうつ病、パニック障害、 また最近社会的に問題にされて来た発達障害等の治療 にも、栄養学的なアプローチが必要で効果も高いという 事に気
がん全体の5年生存率は上がっており、50%になると言われ ますが、依然がんは死の病のイメージが強く診断後自殺して しまう方が多いと問題視されています。 まず、私の過去の記事を御紹介します。 blog.goo.ne.jp こちらで私はニューイングランドジャーナルオブメディスン という雑誌で2012年に発表されたスウェーデン人を対象と する報告を紹介させて頂きました。がん診断後1週間の自殺 率が12倍以上になるという強いインパクトのある報告でした。 その後、日本でも同様の調査があります。国立がん研究センター が1990年から20年間にわたって行った調査では、「がんと診断され、 告知から1年以内に自殺した人の割合は健常者の約20倍」という 更に深刻な結果でした。国民性が関係しているのでしょうか。 1年が経過した「その後」は、自殺者の割合は2倍程度になります が、それでも多い数字です。 がん告知の
数日前、Twitterでこんな写真入りのツイートを見ました。 介護施設で、認知症の患者さんに旧日本軍が使用していた 三八式歩兵銃のモデルガンを渡したところ、今まで座って ばかりだった人が立ち上がって歩き出した、という記事 でした。昔の戦争の記憶が脳を活性化させる、という テロップが見てとれますが、軍隊を経験した男性にとって この銃が、国のため、家族のために戦った誇りの象徴なの ではないかと思います。この記事をリツイートしたところ、 軍隊での階級を、挨拶の時に尋ねる医師がいる、シャキッ とする方もいらっしゃる、という返信を下さった方も おられました。コウノメソッドの河野先生は戦闘機や武器の マニアで、患者さんとの雑談に意図的に戦争の話をする ということを書いておられました。 もちろん、戦争が思い出したくもない嫌な記憶として残る 方も多く、注意する必要があります。当然ながら私は何も、 戦争の話
小林 麻央さんの旅立ちがニュースになっていました。 私は芸能界に疎いのですが御夫婦の姿をネットで度々 拝見し、子を持つ親としても穏やかで優しい時間が 過ごせることを願わずにはいられませんでした。 海老蔵さんは麻央さんが亡くなる瞬間に 立ち会えたそうですね。「愛している」と言って 旅立った、と書いてありましたから。 実際の臨終で、お別れの時にはっきりとした会話が 出来ることはとても少ないと思います。患者さんは 眠っている事が多く、また精神的にも夢の中のよう な状態で、混乱気味のことが多いからです。 そういう意味で、麻央さんの最期が良くて、眠った まま亡くなる方の最期が良くない、等とは全く思い ませんが、ドラマチックな最期であったことは確か だと思います。 そもそも病院では御家族が余程覚悟して付き添う ことがない限り、亡くなる瞬間に立ち会えないこと も少なくはありません。 亡くなる瞬間に家族が
初めにお断りしますが、本日のエントリーはかなり 主観が入ります。終末期の医療に対する、私の個人的 な考えと御承知の上、お読み頂ければと思っています。 ここ数日、末期がんの患者さんの看取り前の体調変化と 輸液についてお話をして来ました。正確な予測は無理でも、 目の前の患者さんの残された時間がどれくらいなのか、 予想外の急変を除いて月の単位か、週の単位か、あるいは 日の単位なのかは、割合正確に予測が出来ます。 そしてがんの患者さんが徐々に衰弱され、食事が殆ど摂取 出来なくなると、飲水が難しくなると、いよいよ最期の時 が迫っていると考えられます。 この時に輸液をしないことが「餓死させる」ことになるか、 という内容は昨日お書きしました。個々の考え方や感情 にもよると思いますが、もしそれを餓死と呼ぶなら、 全ての生物の病死・自然死は餓死であり、点滴をしても やはり最後は餓死なのではないかと私は思いま
昨日は、残された時間のがん患者さんに現れる身体的 な変化について簡単にお話しました。患者さんの食事 や移動能力、眠る時間等がどれくらいの速度で変化して いるか。また時にはがんがCT等でどれくらいの速さで 大きくなっているか、採血の結果はどうか等も参考にして、 私達は患者さんの残された時間を推測します。 この他に、がん患者さんの予後を客観的に予測する ためのツールもいくつか報告されています。 有名なところではPPI(Palliative Prognostic Index) やPaPスコア(Palliative Prognosis Score)等が あります。 www.kango-roo.com こういった知識を持つと、がんの患者さんが少しずつ衰弱 され「食べ物を受け付けなくなった時、あとどれくらいの 時間が残っているか」という事が分かって来ます。 「口から物を食べられないようになると早い」と
先週末、私がTwitterで取り上げた話題です。 多くの方に知って頂いた方が良い内容なのでブログでも お話させて頂こうと思います。 まず、6月15日の記事にも書きましたが、終末期医療は 患者さんの苦痛を取り除くために行う医療には保険適応 外のものが多く、多くの訪問診療医が苦労しているという 現実があります。 kotaro-kanwa.hateblo.jp 本日の話題、在宅酸素もそのひとつです。 特にがんの末期では呼吸困難を伴うことがあります。 特に問題になるのは肺がんですが、その他でも胸水 やその他の合併症を伴うと息苦しさを伴うように なる事があります。 在宅で療養されている患者さんに重篤な呼吸困難は 多くはないのですが、やはり時々いらっしゃいます。 そんな時、在宅酸素で呼吸苦が緩和され、自宅療養が 継続出来る場合が実際にあるのです。 しかし、終末期の在宅酸素は厳密には保険で認められて い
日経メディカルに昨日、西先生の『「あとどれくらい生きられ ますか」への答え方』という記事が出ていました。 http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/nishi/201706/551414.html 実は私は、患者さんから直接「あとどれくらい生きられるか」 と質問された事はあまりありません。訪問診療では担当する 患者さんの容態があまり良くないですし、高齢な方が多いの も理由のひとつではないかと思っていますが、ホスピス時代 にさかのぼっても、この質問を受けたことはとても少ない です。 患者さんが医師に直接「余命」を聞くのは、かなり勇気がいる と思います。シビアな数字が返って来る可能性があるわけです から。看護師さんやホスピスのチャプレンに聞く時は、傾聴 して貰いたい意味合いが強いのと対照的だと思っています。 病気と向き合いたい、残された
昨日は、近年ギア・チェンジという言葉が使われなくなった という話と、しかし実際は殆どの患者さんがギア・チェンジ を経験しているという事実があるというお話をさせて頂き ました。 本日はギア・チェンジに関する話題で、 緩和ケア医として有名な有賀先生のブログから。 blog.goo.ne.jp がんの治療が継続不可能と考えられる場面で、主治医が ホスピスを紹介する時に、「体調が良くなったらまた治療を する事もあります」と付け加えることがあります。 しかし、これに対して有賀先生はこうおっしゃいます。 そうではなく、きちんと難しいことは難しいと説明し、 その難しさを受け止めるためのサポートやケアを しっかりするのが、本当の優しさなはずです。 そうすることで、 そのエネルギーを生活や ご家族など、人生そのものを考えるために 使っていただくことができるのです。 皆さんはこの、がん治療医の言葉と有賀先生の
我が国に「Palliative Care」の概念が入って来た時に、 「ホスピス」という「建物」や、ホスピスに 入院する時期である「終末期」という点が強調され 過ぎてしまいました。そこで、「Palliative Care」 は何もホスピスという場に限ったことではない、 また終末期に限ったことではない、という「軌道修正」 が試みられて来ました。それまで使われていた、 『ターミナルケア』という言葉は使われなくなり、 『緩和ケア』という言葉に置き換えられました。 ホスピスという言葉はまだ使われていますが、今では 『緩和ケア病棟』という言葉の方がより使われています。 そして同時に、緩和ケアは「がんという診断がついた時」 から行うべきだ、と言われるようになりました。自覚症状 がない段階でも、病状悪化や死を予期した不安だけでなく、 金銭面の問題や仕事の問題など患者さんは様々な不安が あります。もちろん全
昨日、高齢者の認知症とうつ病の鑑別が困難な場合 がある事に触れましたので、その見分け方について お話をさせて頂きます。医療者には当たり前過ぎる 内容かもしれません。 まず、区別と言っても認知症の患者さんにうつ病が 発症する場合もある訳ですから、判断が難しい場合 は当然あります。昨日の和田先生の本ではないですが、 うつ病は著しく回復し得ること、またうつ病は自死 の恐れがある事を考えると出来る限り鑑別を試みる べきです(つまり、まずはうつ病なのかそれ以外 なのか、という視点が重要だと思います)。 さて、基本事項としては、うつ病と認知症スクリーニング として用いられるお決まりの質問があります。 https://mainichi.jp/premier/health/articles/20170424/med/00m/010/001000c 「うつ病と認知症を見出す魔法の質問」とありますが、 魔法で
老人性うつ (PHP新書) 作者: 和田秀樹出版社/メーカー: PHP研究所発売日: 2012/03/15メディア: 新書 クリック: 1回この商品を含むブログを見る 老年精神科医、和田秀樹先生の著書。 なんと言ったら良いのだろう…。 一言で言うと、この先生は大丈夫だろうか、 という印象が拭えません。 たとえば、「今や認知症そのものが250万人」 という記載があります。この本が書かれたのは 2014年ですが、厚生省の統計では2012年に既に 認知症の患者さんは460万(下記リンク)と言われ ており、なんと倍の開きがあります。認知症の 専門家がこれで良いのでしょうか。 http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000065682.
ブログを始めて2ヵ月が経ちました。 なかなか長続きせず、油断すると更新しなくなって しまうタチなので、今回は敢えてはてなProという 有料のブログに挑戦しています。 さすがにこの週末から数日間は多忙で書けなかった ものの、有料がプレッシャーになり更新頻度が 上がっているように思います(笑)。 いつも訪問して下さっている方、本当に有難うございます。 やはりアクセスがあるのは、張り合いが出ます。感謝です。 私のブログは緩和ケア、認知症、看取りといった話題が 多く、一般の方々には馴染みがなく景気の良くない話題 であまり面白いものではないという事は分かっています。 ただ、「末期がん」「認知症」「独居」「老々介護」 などは私も皆さんも決して無縁のものではなく、いつか 自分自身や大切な御家族が直面する可能性が高い問題 でもあります。 「その時に考えれば良い」という考えで過ごして来た方 が大多数ではあり
文春オンラインより。 bunshun.jp 2010年、自然に任せて穏やかな最期を迎える「平穏死」 を提言してから6年が経ちました。その間、終末期医療の 現場は大きく変わりました。中でも特筆すべきは、胃ろう で栄養補給をしている認知症高齢者が、56万人から20万人 に激減したことでしょう。 『「平穏死」のすすめ』で有名な 石飛 幸三先生の書かれた 記事です。本はこれです↓ 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫) 作者: 石飛幸三出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/02/15メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 1回この商品を含むブログ (5件) を見る 胃瘻造設の診療報酬は平成26年度改訂より大幅に削減 されていました。更に胃瘻を年間50件以上造設する 施設は、厳しい基準を満たさないと更に80%に減額 される事になっていました。 この診療報
本日は書籍の紹介です。 治さなくてよい認知症 作者: 上田諭出版社/メーカー: 日本評論社発売日: 2014/04/28メディア: 単行本この商品を含むブログを見る 老年期精神医学の専門家である著者が、今の認知症医療 の問題点、疑問点を取り上げた一般向けに書かれた本。 「認知症は治らない」という大前提に立ち、 ・早期発見、早期治療の無意味さ、それを煽るメディア の態度を疑問視。 ・本人がいないかのように介護者と医療者で話をし治療 を進めている現在の認知症医療に対する批判 ・治そうとするのではなく理解しありのままを支える ことで患者さんも自信を回復し幸せな時間を過ごせる ・間違いを指摘しない、叱らない と言った内容を繰り返し述べています。 書いてあることは正しいと思います。ほぼ異論は ありません。が、本当に介護に困った方が読んで 気持ちが楽になるのかは疑問に思いました。 確かに、御本人の気持
救急ドラマの患者さんは殆ど元気になりますが、 現実とのギャップがあり過ぎです。 心肺蘇生を受けた患者さんで一ヶ月後に生きていたのは8%、 社会復帰したのは3%。これでも多いと感じるのが医療者の 感覚です。メディアで奇跡ばかりをとりあげれば、それは 医療に幻想を抱いても無理はありません。 これは3年前に私がTwitterでつぶやいたものですが、 1000人以上の方々にリツイートして頂きましたので 興味を持って下さった方が多くおられたのだと思いました。 実はこれは2012年のウォール・ストリート・ジャーナル の記事から引用した数字です。 jp.wsj.com この記事のタイトルは、『終末医療―医師と一般人はなぜ 選択が異なるのか』というもので、「医療者と一般の方の 医療行為への認識の違い」の一例として挙げられたもの です。医療者は日々の診療の中で、医学・医療の限界を 知っています。しかし、一般
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Not doing but being』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く