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大谷翔平
musique2013.hatenablog.com
1965年6月中旬、ザ・ビートルズはアルバム『Help!』のレコーディングを終えるとそのままスペイン、フランス、イタリアなどをまわるヨーロッパツアーを開始、ついでイギリスのブラックプールでのコンサート、そして8月にはアメリカやカナダなどをまわる北米ツアー、と超多忙な日々を送っていた。 9月にイギリスに戻ったビートルズは、今度は1965年のクリスマスに先駆けてリリースするアルバムの制作に取り掛からなければならなかった。 与えられた時間はわずか1か月。 そして1965年12月3日、『Rubber Soul』がリリースされる。 このアルバムでは、前作『Help!』までとは異なる楽器を取り入れていることが大きな特徴の一つである。 ここではジョージ・ハリスンとポール・マッカートニーが使用していた楽器とその演奏についてみてゆきたい。 【ビートルズとフェンダー・ストラト】 ジョージはこのアルバムで、ソニ
ボブ・ディランの最高傑作(の一つ)と言われる『Blood on the Tracks(血の轍)』は1975年1月20日にリリースされた。 スタジオアルバムとしては1年ぶり、ディラン15枚目のスタジオアルバムとなる。 ちょうど一年前の1974年1月にはザ・バンドとのアルバム『Planet Waves』がリリースされており、リリース後にはジョイントでツアーも行っている。 このツアーの模様はライヴ・アルバム『Before the Flood』として1974年6月にリリースされた。 このツアーの途中でディランはニューヨークに数週間滞在し、美術教室に通っていたらしい。 ディランはそこで絵を教えていた画家ノーマン・リーベンにより、「時間」についての認識方法を新たに学んだという。 無意識に感じていることを意識的に行う、というものの見方をリーベンに教わった。 この方法で最初に作ったのが『Blood on
訃報のニュースが入ってからすでに数日たっているが、未だに実感がわかず、正直言って何を書いていいか分からない。 今の私が特に思い出すのは、ジャズを演奏しているときのチャーリーがストーンズのときとはまた別の意味で生き生きとしていたということだった。ここでは自分のルーツについて率直に語っているチャーリーに耳を傾けることをもって、このブログでの追悼としたいと思う。 (現在ストーンズの公式ウェブサイト「rollingstones.com」にアクセスするとこのチャーリーの写真だけが出てきて、他のコンテンツにはアクセスできない。サイトのタイトルも「Charlie Watts」になっている) 最近でこそチャーリー・ワッツは他の3人と同じく頻繁にインタビューに答えているが、昔は単独でインタビューを受けることはあまりなかったらしい。彼が積極的にしゃべるようになったのはジャズマンとしてソロ活動を始めた1980年
レッド・ツェッペリンは1975年2月24日、通算6枚目のスタジオ・アルバム『フィジカル・グラフィティ』をリリースした。 それからちょうど40年後の2015年2月24日に、リマスター盤がリリースされる。 このアルバムは、レッド・ツェッペリンのスタジオ・アルバムのうち唯一の二枚組であり、前作『聖なる館』(1973年3月リリース)以降に作られた新曲のみならず、『レッド・ツェッペリンⅢ』以降のアウトテイクも含めた、全15曲・82分間に及ぶ大作である。 【レッド・ツェッペリンの最も短い曲】 『フィジカル・グラフィティ』の収録曲はバラエティに富んでいるが、それぞれの曲の長さもまたバラエティに富んでいる。 その結果というべきか、このアルバムにはレッド・ツェッペリンのスタジオ・アルバムの中で最も短い曲と、最も長い曲が収められているのである。 最も短い曲は2分6秒の「Bron-Yr-Aur」。 1970年リ
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