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拙著『いじめと現代社会』(双風舎、2007年)pp.114-119 (初出 『図書新聞』2006年5月20日) 全体主義としての教育の論理 1991年7月28日、瀬戸内海の小佐木島にある「風の子学園」で、坂井幸夫園長が、少年と少女を手錠でつないでコンテナに監禁し、熱中症で死亡させた。「風の子学園」は坂井が「スパルタ教育」で不登校や情緒障害児を直すと称して設立した教育施設だった。 2006年4月18日、ひきこもり更正施設のNPO法人アイ・メンタルスクールで、入寮者の男性が外傷性ショックにより死亡し、杉浦昌子代表理事とグループ数人が逮捕監禁致死容疑で逮捕され、書類送検された。報道によればアイ・メンタルスクールは母親の要請により、何も知らされずに寝ていた男性を強制的にワゴン車に乗せ、社内で手足に手錠をかけて施設に監禁した。殺された男性は10人の大部屋で共同生活をすることを強いられ、おむつを着け
10年前に『読売新聞』に書いた文章(2003年7月4日)。 掲載可能なように、担当者と何回もメールでやりとりをして、激しい表現を丸くした作業がなつかしい。 激しい語彙を使わなくても十分表現できるということは、目から鱗だった。 執筆でも講演でも、媒体の担当者とやりとりしながら相手側の許容範囲内に修正することで、表現の幅を広げることができるのは楽しみだ。多くの人が思い込んでいるのとちがって、私は以外と柔軟なのだ。 表現は軟らかくても、内容は相変わらず強烈。これがいい。 そして、 10年前の文が未だに古びないのは、なんともなさけない。 「論点」 “風通しいい”学校目指せ 子どもの学力低下が取りざたされている。しかしこの問題が浮上するまでは、子どもたちは「ゆとり」を奪われて押し潰(つぶ)されている、という世論が優勢だった。「ゆとりが必要」という考えは間違っていなかった。では、なぜこうなったのか。
月刊『教職研修』(2002年12月号、通巻第364号、教育開発研究所)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。『検証 少年犯罪』について、辛口の書評を寄せています。 ******************* 日本弁護士連合会編『検証 少年犯罪』書評 日弁連「人権」派による少年犯罪ついての見解の集大成ともいうべき、400ページ強の大著である。本書の主目的は、少年犯罪厳罰化に対する反対運動である。前半部では、(ケース分析ではもっぱら殺人などの重罪犯をとりあげて)犯罪少年は家庭的に不遇なことが多いということが確認される。そして不遇な家庭環境が犯罪の原因として主張される。後半部では、福祉切り捨て、労働強化、男女不平等、新自由主義の展開、競争主義などの現代社会の矛盾(とされるもの)が列挙網羅され、それらが少年犯罪の原因とされる。そしてこの原因としての家庭的不遇やさまざまな社会的矛盾、および逆境にある少年の
9月に寄稿した記事「『原子力ムラ』と仲間うちの論理」(『図書新聞』第3029号)を紹介する。 さまざまな方々がビラにつかってくださればと思って執筆した。 今、子どもたちを被曝で殺そうとしているエリートたちが、最も言われたくないと思うはずのことに狙いを定めて書いた。この論理を活用していただければと思う。 「原子力ムラ」と仲間うちの論理 内藤朝雄 『図書新聞』3029号、2011年9月10日 福島第一原子力発電所が事故を起こし、大量の放射性物質が飛散した。事故直後から、政府の放射性物質の拡散予測システムが働いており、風向きや地形により放射性物質が濃厚に飛散すると予測される地域では、避難させずに放置しておけば多くの人々が被曝し確率的に殺される(確率的殺害については後半で説明する)ことがわかっていた。しかし役人たちは、ひどい被曝が予想される地域の人々に何も知らせず隠蔽した。そのことによって、これか
わたしは、これまでの日本政府の一部の動きに対して、統計的に死亡率の差が出ないようにして福島原発事故の責任を逃れるために、瓦礫や肥料を全国にばらまく一億総被曝政策で子どもをまんべんなく殺害する意図を疑ってきた。細野豪志らの瓦礫拡散政策や農林水産省役人たちの汚染肥料拡散政策は、文字通り殺人政策ではないかと疑ってきた。 もしこの意図が立証されれば、大臣や役人や関連する者たちには死刑が適用されるだろう。 最近、わたしだけでなくクリストファー・バスビー博士もその政策の意図を主張した。 その翻訳を入手した。 http://vogelgarten.blogspot.com/2011/09/blog-post_25.html http://megalodon.jp/2011-0926-0750-35/vogelgarten.blogspot.com/2011/09/blog-post_25.html 重要
警察が平和的なタイプのデモに対して暴力をふるうようになった。 どう考えても、デモをしているひとたちは、非合法活動を指向する「反社会的集団」ではなく「素人」だ。 日本はついに政治的自由に関して中東諸国や中国やミャンマーと同レベルに転落してしまった。 この情報を世界に広める必要がある。世界のメディア・ジャーナリストにすぐに情報提供を。国連の人権機関にも、アムネスティ/インターナショナルにも、世界中の人権関連機関にすぐに通報を。この画像を世界のトップニュースに。 アドレスをクリックして以下の写真を見ていただきたい。 http://bmkimages.photoshelter.com/gallery-image/9-11-Anti-Nuclear-Protest/G0000Ngv_w1kzWQw/I0000hDGInHoQ32A http://bmkimages.photoshelter.com/
これによって日本中の人が大きく被曝(内部被曝)することになるはずなのに、なぜかほとんど報道されていない。農林水産省は、日本中の人に平等に内部被曝をさせ、子どもを中心に多くの人々を癌で殺そうとしているとしか思えない 東日本大震災:膨大な汚泥肥料、使用基準を公表−−農水省 農林水産省は24日、放射性物質を含む汚泥を原料とする汚泥肥料の取り扱い基準を発表した。公共下水道の汚泥の肥料は、汚泥の放射性セシウム濃度が1キロ当たり200ベクレル以下であれば使用を認めるとした。地域内だけに流通する、集落排水からの汚泥肥料については▽使用する農地の土壌より汚泥のセシウムの濃度が低い▽濃度が1キロ当たり1000ベクレル以下−−の2条件を満たせば、特例措置として13年3月まで認める。【佐藤浩】 毎日新聞 2011年6月25日 東京朝刊 http://mainichi.jp/select/jiken/news/2
何ヶ月か前、荻上チキさんとの共著『いじめの直し方』を朝日新聞出版から出しました。 いじめの直し方 作者: 内藤朝雄,荻上チキ出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2010/03/19メディア: 単行本購入: 40人 クリック: 800回この商品を含むブログ (20件) を見る この本は絵本になっています。ページをめくりながら、絵が目に飛び込んでくるようになっています。 わたしがこういう絵を描いてほしいと送った線画がすてきなプロの絵になっていました。 わたしが考え、しゃべったことが、チキさんによってすてきな文章になっていました。 そして、中学生にも読める本ができあがりました。 7月にTBSラジオDIGでしゃべりました。 サイトのポッドキャストで聞くことができます。 http://www.tbsradio.jp/dig/2010/07/post-216.html そのなかで、ある思考実験の
いじめを隠蔽した学校関係者を厳しく処分する懲戒規定を、全国の学校で制度として敷くことを提案する。 いじめの隠蔽をしたり、隠蔽を指示した教員や教育行政の職員は、公金横領や物理的セクハラ同様、懲戒免職を標準とするべきだ。 まず、今回の事件では、マスメディアは、隠蔽があったのかどうかを力をいれて取材すべきだ。また、マスメディアの報道によるいじめ被害者の連鎖自殺を防ぎ、本当にいじめ加害をやりにくくするために、「被害者かわいそう」よりも「加害者わるい」の方に重点をおく必要がある。 連鎖自殺がおきるかもしれないから、いじめについての報道を控えるのではない。そうすると、いじめの問題化がしぼみ、加害者は行為をやりやすくなってしまう。「被害者かわいそう」に焦点をあてることを避けながら、大々的に報道すべきである。 いじめ加害者の悪に焦点を当て、いじめ加害者の責任に焦点を当てる報道をする必要がある。また、いじめ
内藤さんに、いじめ研究に役立つオススメ書籍を選んでいただきました。以下、内藤さんのコメント付きリストです。 ********************** 1)『いじめの社会理論』柏書房(学術的な本。講談社学術とかちくま学芸とかのムズかしい本を読む習慣のある人は、読んでください) 2)『いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』講談社現代新書(大学入学試験に合格する程度の人であれば、ちんと読めば読める。一般向けの決定版) 3)『〈いじめ学〉の時代』柏書房(理屈なしの感覚で読める。やさしい)。3→2→1の順序で読んでくださればありがたいです。また、内藤以外のものとしては、 4)中井久夫『アリアドネからの糸』(みすず書房)所収の「いじめの政治学」は必読。すばらしい。 5)菅野盾樹『いじめ--学級の人間学』新曜社(中井久夫以外に、学識が深い著者による完成度が高い本はこれ) 6)荻上チキ『ネットいじめ
北朝鮮が核実験を行ったと報じられた。北朝鮮に対する対処が大きな問題になるだろう。わたしは、『いじめと現代社会』(双風舎)で、論点抱き合わせセットという概念を提出した。北朝鮮に対処するときに、従来の右と左の論点抱き合わせセットに影響されて動くと、致命的な失敗をもたらしかねない。『いじめと現代社会』66ページと112ページに、論点抱き合わせセットの基本図を示した。このブログの過去の記事にも載せたので、ぜひ見ていただきたい。 http://d.hatena.ne.jp/izime/20080321 本書の第二章で述べたように、わが国では冷戦崩壊後数十年たったいまでも、特殊日本的な右派と左派の対立図式が続いている。右派と左派は様々なトピックを問題化し、それらを争点として対立する。トピックAに右派が賛成で左派が反対というふうに、右派と左派のあいだでいったん問題の縄張りが敷かれると、「知識人」たちはそ
『いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を刊行しました。 本書では、モデル現象としての学校のいじめに焦点を当て、人間が人間にとって怪物になるメカニズムを明らかにし、そこから生じる苦しみを減らすための具体的な政策を提言した。このような内容をレベルを落とさず、しかも誰でも読めるような平易な言葉で書き示すのは、理想ではあるが、大変な注文である。思えば講談社現代新書から依頼を受けたのが二〇〇五年一月。それから担当者が何人も入れ替わり、焦燥感だけがつもった。書けないのである。泥沼の消耗戦ともいうべき月日が流れた。 そして、二〇〇九年二月、この課題をクリアーした。 どうか手にとってご一読ください。 はじめに(3〜5ページ) 逃げることができない出口なしの世界は、恐怖である。そこでは、誰かが誰かの運命を容易に左右し、暗転させることができる。立場の弱い者は、「何をされるか」と過剰に警戒
『月刊少年育成』という雑誌から、「いまどきの『むなしさ』」というお題をふられて書いた文章。『「ニート」って言うな!』第二部では、酒鬼薔薇聖斗あたりから話を進めたが、それ以前の流れについて書いた。これをあわせて、戦後の流れの、ジグゾーパズルのピースがそろう。十代や二〇代の人には、「三無主義」とか「新人類」とか、言葉の意味がわからないだろうと思われるので、解説をつけておこう。 (デジタル大辞泉より) アプレゲール: 戦後派。特に第二次大戦後、従来の思想・道徳に拘束されずに行動する若い人々。 太陽族: 昭和30年(1955)石原慎太郎の小説「太陽の季節」から生まれた流行語。既成の秩序を無視して、無軌道な行動をする若者たちをいった。 三無主義: 無気力・無関心・無責任の若者気質をさした後。昭和45年(1970)ごろから使われた。 新人類: 従来なかった考え方や感じ方をする若い世代を、新しく現れた人
イエスの方舟の人々に対する迫害を、原罪として記憶にとどめるべきだ。最近も、同じあやまちが繰り返された。 最近繰り返されたあやまちとは・・・? まず、下記の拙稿を読む前に言い当ててほしい。 いったい、どれほどの人が、言い当てることができるだろうか。 「日本社会の実態を暴く『嘆き』の書」日本は、自由と民主主義、人間の尊厳、人権、法の支配、こういった先進国の「基本セット」で骨組みができているはずである。ところが、である。昭和天皇が死去したとき、「自粛」に従わない者や、「不敬」と受け止められる意志表明を行った者は、それだけのことで、包囲され、追跡され、迫害された。法治国家の「はず」の日本で、それが野放しにされた。このことが、日本という社会の「基本セット」が液状化しており、なにかの拍子に、もろくも崩れ去りかねないことを示している。 しかし、天皇というおおっぴらな「象徴」よりも、もっとあいまいで、存在
劇団俳優座『春立ちぬ』(ふたくちつよし作・亀井光子演出)の公演パンフレットに文章を依頼された。劇の公演パンフレットに文章を書くのは生まれてはじめての体験。そして十数年ぶりの観劇。 「痛みの記憶から制度を変える」 『春立ちぬ』は、いじめに焦点を当てた劇でありながら、いじめのシーンが出てこない。そのかわり、ひとりひとりがいじめに苦しめられた痕跡が家族の会話に滲み出るさまを、ていねいに描いている。劇中の家族は、いじめという汚染物質をとりこみ、苦しみを受け、消化し、分解しようとしている。それは、ナマコやミミズが、人間によってまき散らされた汚染物質を飲み込み、同化しながら分解して、海や土に返そうとのたうちまわる姿に似ている。 ここから、家族というシステムと、学校や職場などの外部のシステムとの関係を考えることができる。そして、外部のシステムが、家族システムをさまざまな矛盾の廃棄処理場にしていることが見
まずは以下の記事を読んでいただきたい。 性的欲求? 自分の存在誇示? 児童狙う事件に識者は‥‥ 女児が裸で倒れていた千葉県東金市の資材置き場付近を捜索する捜査員ら。女児は死亡が確認された=21日、午後、千葉県東金市(小野淳一撮影) 幼い児童や園児が狙われる凶悪事件が後を絶たない。千葉県東金市で21日、市内の保育園、成田幸満ちゃんが全裸で倒れ、死亡しているのが見つかった。3日前には福岡市で小1男児が殺害される事件が起こったばかり。なぜ子供が狙われるのか。識者に聞いた。 元警視庁捜査1課長の田宮栄一氏(75)は「子供を狙った犯罪は、まず幼児性愛者による可能性がある」と指摘。そのうえで「大人とうまく付きあうことができない若者が、自分の欲望を満たそうと子供に向かうのではないか」と話す。 さらに「複雑な社会にうまく適応できない若者が不満を抱え、自分より弱い者に刃を向けるケースも考えられる」とも述べた
八王子で模倣犯と思われる通り魔が人を殺した。2008年6月9日のメッセージ(http://d.hatena.ne.jp/izime/20080609)で予言した通りの事態が進行している。このままでは、あと数人は殺されてしまう。 朝日新聞2008年7月24日より、菅野昭一容疑者(33)の発言「大きな事件でも起こせば自分の名前がマスコミに出るだろうと思ってやった」 菅野容疑者が、秋葉原の事件報道に、どのように自分を重ねたてファンタジーにふけったかの供述が出次第、殺された女性の遺族は、メディア各社を訴えて当然だと思う。また、メディア批判がわき起こるだろう。 歪んだ人間が犯人に自分の「こころ」を重ねてファンタジーをふくらませやすいタイプの報道を避けるための、メディア業界のルールをつくるべきだ。自殺の連鎖を起こさないための自殺報道のルールのように、考え抜かれた犯罪報道のルールをつくる必要がある。 秋
秋葉原で通り魔事件が起きた。 マス・メディアは、模倣犯が起きないように配慮して報道するべきだ。 一部のみじめな者たちが、殺人を実存的な美学としてイメージし、語り合う、流行のきっかけにならないようにしなければならない。 犯人を、ただの犯罪者以上でも以下でもなく、報道すること。 マレーシアとインドネシアで、アモックという「人生一発逆転気分の殺しまくり」が流行して、どうしようもなかったことがある。 そのとき、政府が淡々と犯人を死刑にし、ドブネズミの死骸のように、即物的に扱ったことによって、流行が収まったという。 犯人を、ひとかけらも、承認してはならない。 祝祭的なムードを一切かもしだすことなく、害獣の処理をするような、淡々とした態度が、政府や報道には必要だ。 しかし、マス・メディアは、祝祭的なムードで刺激を売って視聴率をあげ、紙を売る。 このさもしい商売が、模倣犯による被害者を生む。 大手メディ
************** 中国政府がチベットを侵略し、長年にわたって組織的な虐待と殺害を繰り返してきたことに強く抗議します。これは日本政府が満州で行ったこととまったく同じ行為です。人間の尊厳を守りたいと願う人々は、このような中国政府の国威発揚イベントとしてのオリンピックに協力すべきではありません。 まず、オリンピックに協力しないよう、企業に働きかけましょう。 オリンピックに協力する企業のリストをつくりましょう。そのリストを参考に、ひとりひとりが買う買わないを決めることができます。 チベットについての報道が少なく、オリンピックを宣伝するような報道が多いメディアについて、その取り上げ方についての記録をつくって公開しましょう。また、もし中国と政界財界のコネクションがマスメディアのチベット報道を抑制するルートがあるとすれば、それを厳しく告発する必要があります。 また、政治化やマスメディアの芸人
1996年、『東大新聞』 (1996年 10月 1日)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。「いじめ」の根幹に関わる「みんな」の「ノリ」について分析しています。 ******************* 「シリーズ・研究最先端<第一部> いじめ」 内藤 朝雄 「いじめ」の事例を通じて、学校に収容された子供たちの小社会を見てみると、彼ら「なりの」の体験の構造や社会秩序が自生しているのがわかる。「よい」とは、集合的な生命ともいうべき「みんなの全能感ノリ」にかなっていることだ。「いじめ」は「よい」。「結果として人が死んじゃうぐらいのこと」はそんなに「わるい」ことではない。「あそんだだけ」。最も「わるい」ことは、「みんな」が共振し合うなめらかな空間に、個を析出させたり普遍性を隆起させたりして、罅をいれることだ。彼らは人権やヒューマニズムを生理的に嫌悪する。彼らの世界を覗き込もうとする「いじめ」研究者た
「その1」「その2」に続き、インタビュー完結です。「その3」では、「いじめ」実践的な提案と政治哲学的なバックボーンについてお話いただきました。 ******************* ■休憩中。朝日新聞の特集や伊吹大臣からの手紙を見ながら〜 荻上:朝日新聞のこの手の特集には、魅力を感じてますねー。私がいじめられっ子だった頃、日本広告機構がボクサーの辰吉丈一郎さんやサッカー選手の前園真聖さんのメッセージをテレビCMで流していました。前園さんの「いじめ、カッコ悪い」というスローガンは、『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』なんかでネタにされてたりしていましたが、個人的にはこのCMに感謝しているんです。当時自分をいじめていた層には、サッカー部員男子が多かったんですよね。そのロールモデルがいじめを否定するというのは重要だったし、それなりに効果があったように思うんです。 朝日新聞の特集で
「その1」の続きです。「その2」では、内藤さんの「いじめ」分析の骨子が分かりやすくまとめられています。 ******************* ■秩序の生態学的研究 荻上:そろそろ『いじめと現代社会』の内容に繋げて、話をしていこうかと思います。今回のインタビューでは、内藤さんのいじめ論の骨子を、それこそ根幹となる3つくらいのポイントを整理する、くらいにわかりやすくまとめてみたいと思っています。まず重要なのは「いじめを」生態学的なモデルで観察したという点ですよね。そこから整理していきましょう。 内藤:うん。生き物の分布や栄枯盛衰というか、色んな生き物がいると、足を引っ張る奴、餌になる奴などがさまざまに絡まり合って、それぞれの生き物はその絡まり合いのなかに位置を占めている。生き物のありかたは、そういった生態学的な環境によって変わる。この場合の環境というのは、物理的な環境だけでなくて、他の生き物
みなさま、大変お待たせいたしました。当ブログオリジナルのコンテンツである、内藤朝雄さんのロングインタビューがいよいよ公開です。インタビューでは、『いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――』の骨子や、昨今のいじめ報道についてお話を伺いました。「その1」では、内藤さんがなぜいじめ問題に関心を持ち始めたのかをお話いただきました。 ******************* ■いじめ問題に関心を持つまで 荻上チキ(BLOG管理人。以下、荻上):2007年2月、双風舎より内藤朝雄さんの著書『いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――』が発売になりました。その本を出来る限り多くの人に読んでいただきたい、内藤さんのいじめ研究の内容を出来る限り多くの人に知ってもらい、いじめ問題に対する有効なアプローチを検討・実行していただきたいという趣旨で、本書の内容、およびいじめ研究の
1999年、『季刊 家計経済研究』第44号(家計経済研究所編)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。ジンメルやノージックの議論を参照しつつ、「いじめ」問題に取り組むための設計主義的アプローチについて考察しています。 ******************* 自由な社会のための生態学的設計主義 −−「いじめ」の秩序を退縮させるジンメル・ノージック的条件を手がかりにして−− 1・「いじめ」研究の射程 「いじめ」は80年代半ばから、市井、政界、ジャーナリズム、アカデミズムといったさまざまな領域で問題として扱われてきた。だが現在にいたるまで実践的に有効な対策は講じられていない。また「いじめ」は、「脳死」(医療社会学や臨床的倫理学)や「女性」(フェミニズムあるいはジェンダー・スタディ)といった同じ社会問題起源の主題にくらべ、学問化の歩みが遅れている。 「いじめ」は、多くの人びとの生活を苦痛と不安に満ちた
1997年、『マスコミ市民』(11月号、マスコミ情報センター)に掲載された、内藤朝雄さんとノンフィクションライターの藤井誠二さんとの対談です。「神戸連続児童殺傷事件」や管理教育の問題について語っています。 ******************* 「神戸少年事件から 学校の市民社会化を考える(上)」 愛知県の“管理教育”を受けた共通の体験から 藤井 「『Ronza』の97年9月10月合併号にお書きになった、酒鬼薔薇事件についての論稿「14歳の凶悪犯罪は驚愕すべきことか−−少年を市民社会の論理の中へ」という論文をめぐって、お話をしていただきたいと思います。 まず、ぼくと内藤朝雄さんの関係というか、共通になるバックボーンというか、そういうものからお話をしたいと思っているんです。ぼくも内藤さんも愛知県出身で、ぼくが入った東海中・高校というのは、6カ年一環教育で、中学校は「暴力管理主義」なんだけど、
1997年、『少年補導』(12月号、大阪少年補導協会)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。「浮浪者襲撃事件」の事例に触れつつ、「秩序の生態学」モデルについて丁寧に解説しています。 ******************* 秩序の生態学 1・希薄と濃密 「いじめ」をめぐって、多くのことが論じられてきた。そのなかで、相互に矛盾し合う次の2つの紋切り型が支配的になっている。(1)子どもたちの人間関係が「希薄」になった。(2)子どもたちは「濃密」な集団主義を生きている。そして、だから「いじめ」が起こるとか、「いじめ」はこのことを表しているとか、多くの論者は主張する。だが、何をもって「希薄」とか「濃密」とか言っているのだろうか。事例を見てみよう。 あるジャーナリストが中学校で浮浪者襲撃事件について講演をした。大人たちが「人を殺したという現実感が希薄になっている」といったことを話しているとき、中学生たち
1998年、『心と社会』 (日本精神衛生会)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。「全能感筋書モデル」や「生態学的設計主義」などについて解説されています。(※ネット上では図は入れていません) ******************* 「いじめ」のミクロ・メゾ・マクロ統合理論 0・【はじめに】 「いじめ」は、(1)内的過程深部の奇妙な体験構造が露出する側面と、(2)権力・利害・倫理・祝祭の集団構造が露出する側面とが、わかちがたく象られて現れる現象である。ビヤホール談義の水準を超えて「いじめ」を理解し説明するためには、Intrapsychicなミクロ過程とInterpersonalなメゾ過程とがリンクする形式を明らかにする必要がある。これによって、制度的なマクロ制御を有効な仕方で要所要所に敷くことが可能になる。全体の構図については全体図を参照。当論考前半の詳細については[内藤,1996]を参照。
1996年、『ライブラリ相関社会科学3 “資本”から人間の経済へ―20世紀を考える〈3〉』(鬼塚雄丞・丸山真人・森政稔編、新世社)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。「「いじめ」の社会関係論 前半」の続きに当たります。 ******************* 5・投影同一化と容器:癒しとしての「いじめ」 ここでは、「いじめ」られた者が執拗に「いじめ」をおこなう場合の体験構造に、投影同一化[Klein,M.1946=1985; Goldstein,W.N.1991]および容器-内容の機制が認められることを指摘しよう。 投影同一化とは、自分の一部を相手に投影し、その投影された部分を相手を支配することで支配しようとすることである。投影同一化は、自分にとって耐えがたい体験の様式になってしまった内的表象構造を、他者を利用してより快適なものへと加工しようとする営為である。すなわち、投影される耐えがたい
1996年、『ライブラリ相関社会科学3 “資本”から人間の経済へ―20世紀を考える〈3〉』(鬼塚雄丞・丸山真人・森政稔編、新世社)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。この文章は加筆・修正されたうえで『いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体』の二章部分にも収められ、「社会秩序群の生態学的布置連関モデル」や「IPS(inter-intra-personal spiral system)」概念など、内藤さんの「いじめ」論の骨子にあたる議論が読めます。 ******************* 「いじめ」の社会関係論 0・はじめに 群れであることの構造的な「いきがたさ」を、人々がリアルな体験を生きることそのこととその人たち「なりの」社会秩序の存在様式とが分かち難く結合した相において、明らかにしたい。これが筆者の問題関心である。この「いきがたさ」は人類の宿痾の病とも言うべき普遍的なものであり、
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