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大谷翔平
mrcms.hatenablog.jp
昨日のエントリ、自分じゃすげえ良いことw書いたつもりなのに、まったく反応がなかったことに寝込むほどのショックを受けた。 なので端的に書き直す。 オレは魚が嫌いだった。それはオレの生まれ故郷の、漁師とか漁港がなんか下品で嫌だったからだ。しかし大人になって食ってみて魚がうまいものだと気付いた。美味いものだと思って食うようになってから、漁師や漁港の事を下品とか思うのも失礼な気がした。なぜなら食ってるからだ。 人の著作物とか勝手に使って編集したりミックスしたり二次創作物を創ったりするのは、100歩譲っておもしろけりゃいいや、と思えないこともないが、勝手に使う立場の人間が、でかい態度で「別にかまわねえだろ」って開き直って言うのは失礼じゃないのか、と。見世物扱いしてバカにしてるのもどうなのか、と。物創る人間としては、漁師と同じ気分だ、と。食っておいて好き勝手言うなよ、と。人をき○がい扱いするなよ、と。
ふと思い立ち「リリイ・シュシュのすべて」を見始めたが、どうにもこうにも居心地が悪く、途中で留めてしまった。以前一度見たことがあるので結果とか内容は知っている。その時も何処か居心地の悪さと後味の悪さを思ったわけだが、その理由がなんなのか、残忍さを執拗に描いてるからなのか、いやしかし、それだけで、こんな違和感を感じるだろうか。そんな、以前感じた疑問を今回払拭したいと思ったのだ。 そんで今回気づいたのは、音楽というものの有効性をありえないくらい信じていること。つまり、観ながらツイッターに書いたメモ「なにか音楽を特別なものにでっち上げようとしてる作為が見え見えで、というか、そんな時代の臭さふんぷんで、あー嫌な時代だったな、と。」のとおりである。ここに出てくるリリイ・シュシュなる架空のアーティストにしても、サティやドビュッシーにしても、音楽そのものではなく、その醸し出すイメージ、時にはねつ造とも言え
オレが長いことプロデュースしてる女性のレコーディングが昨日久々にあった。この方の場合ちょっと関係が特殊で、他の子のようになかなかスムーズには事が運ばない。何故なら、この方は自己存在証明のために歌を歌っているからだ。もちろん他の子もそうなのだけど、昨日の方の場合、それがもっと繊細で複雑、というか、自分の中でのイメージと、実際の完成度との違いに「これでいいのだろうか?」とものすごく悩む人なのだった。 そんなわけで彼女とはよく喧嘩になるのだが、昨日はその頂点だったとも言えた。休憩中にたまたま観たビデオで流れた、某アニメ声優さんの歌がきっかけだった。 「なにこれ?ちょっと声が良いからってなにこれ?」 「修正しまくりで、それでもこうやって売ってるわけだ」 「こんなこと自分がされても意味ない、そんなの私じゃないっ」 「こんなんでいいんだったら、さっさと他の子探してくれば?」 「私は初音ミクじゃないっ!
ああ6月か。 はてな市民になるくらいまでは書かないとな。特に意味はないけども。 仕事の関係で地方にお邪魔することが多くなった。深く掘り下げたわけでなく、あくまで第一印象であるが、感じたこと、そこで話題に出たことなどをちょっと書いてみることにした。 バリアフリー的都会。 けっこう他人に冷たいのでびっくりした。>地方都市。旅行者には親切だけどネイティヴには…。簡単に切り捨てられそうで怖い。東京って意外に暖かく進んでるんだなと少し見直した。 しかし、あんな大量の階段とかも地方にはない東京だけのものだろうな。そう考えると、あんなに歩き回ってるんだから東京に肥満の人なんて居ない気がするんだけど、実際は居るんだよなあ…。それ以上に食ってるってことでしょう?健康に良いわけないな。車社会の地方も同じようなもんかな。 地方の価値観。 これ総攻撃くらいそうだが、東京と20年くらいずれてる気がした。例えば。九州
自分が音楽をやっている身でこんなことを言うのは甚だ失礼だと思うのだが、特定のアーティストなりバンドの熱烈なマニア(ファンではない)というのは、つまりその事実だけで、どこか人間的欠陥がある人だと思っている*1。 彼らは、自分がその対象の一番の理解者で全てを知っていると誤解し、日々の言動もその信念を元に行なう。ほとんどの場合、誰に指摘されても、自説はまったくと言っていいほど曲げない。なので、ファン同士、マニア同士で諍いが頻繁に起こる。こうなると宗教だよな。 これが一般人だと「まぁしょうがないねえ」で済むが、こういうマニアというのは熱が講じて、その世界の一人者になってしまうことがままあるので、そうなると実害を撒き散らすことになり、始末に終えない。 たとえば、そういう方々の出版するアーティスト研究本などというものに顕著である。マニアとしては一流だからそのデータは確かに素晴らしいものであるが、人間的
「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 - くだらない踊り方 最初に書いておきますが当エントリは初投稿されてから今回まで、タイトル含め3度書き直しました。当初は延髄反射の小汚い罵詈雑言に終始、その後、冷静に大人の文章を書きました。しかしそれでも私の気持ちを充分伝え切っていないような気がします。 現時点で彼のブクマ数は500を越えており、翻って私のブクマは僅か2個。どちらが受け入れられたか明らかです。 私の担当は製作であり、どちらかというとアーティスト側です。想像ですが彼はその部署ではない気がします。おそらく現実的であることを常に求められる現場なのでしょう。その時点で私たちは水と油です。私は常に「コップにはまだ水が半分ある」と考える人間です。 私が一番ショックだったのは彼が評論家的であったこと、もっと言うと夢も希望もない展開のままエントリを書き終えていることです。そこに配慮
長いことメディアを見続けて、なおかつ言葉を紡ぐような仕事に携わっていると、言葉の裏や奥にある本音を、自ずと求めるようになってくる。 勝手な自論だが、80年代中盤以降産まれの若者は、自分を一番魅力的に見せられる「決めフレーズ」に長けている気がするな、と思っている。生まれたときからビデオカメラが身近にあったので、動画の被写体として撮られ慣れているからだろう、と理由を勝手に想像している。 ビートたけしはツービートで、それまでのメディアや世間の「お約束」というやつを片っ端から破壊した。刑事ドラマも青春ドラマもすべてパロディやお笑いのネタになり、真面目に捉えられなくなった。しかし、80年代中盤のバブル文化で、また別なスタイルの「お約束」が生まれてしまった。クリスマスには彼女とホテルで、とかそういうやつだな。 現在の文化は基本的にその流れの延長上にあり、誰もが知らずのうちにその「お約束」の下で生きてい
mrcms.hatenablog.com
目一杯仕事をやっていると、世間のことはどうでもよくなってくるんだよな。以前のブログに比べて、時事ネタを取り上げることがめっきり少ないのもそれが理由だ。 何らかの現象が表に出る場合、いきなり露になることは少なく、その準備段階として潜伏期間みたいなものがあると思う。視聴者を含む受け取り側は、最終的にメディアで披露される姿で知るしかないから、突然物事が起こったかのように感じるが、実際はその準備は2年くらい前から行なわれていることも多い。 今のこのひどい状態も、来年までは続かないだろうな、と、まったく個人的感触だけど、思っている。世代交代は驚くほど早く、くだらない人脈も淘汰され、あっという間に入れ替わる。今業界を仕切ってる世代がどれほどひどいか、感覚で判る自分としては、あいつ等消えればあとは持ち直すさ、と楽観視してる。 「ミクTBS事件」も「おにいちゃんは悪くない」ももちろんウォッチングしてるし*
音楽配信メモ 生方則孝氏の住友生命のサウンドロゴ裁判和解報告記事と著作権保護期間延長問題について 先日のスミセイ関連でこちらの素晴らしい記事を紹介したい。 この記事を読んで思い出したのが、自分がかつて書いたこれらの過去ログである。 サイトの書籍化の話 Dazed Days Bootleg: ログの書籍化 2 Dazed Days Bootleg: ログの書籍化 3 皆さんは電車男事件、そして、それに関連した掲示板ログの書籍化問題というのがあったのを覚えているだろうか? 2ちゃんねるの、ある掲示板に書き込まれた多数のログが、投稿者の了解を得ないまま出版社によって書籍化され、それに便乗し他のログも各社による書籍化の動きとなり、住人の一部が激しく抵抗、管理人ひろゆき氏を巻き込む論争となり、結果、書き込み時の投稿確認文言が変更されるという事態になった。この辺の成り行きは、上記過去ログで散々取り上げ
オレの父は家庭内では理不尽な絶対的権威を振りかざしており、子供の頃からオレは全否定され続けてきた。両親の間で争いは絶えず、オレはどちらかの味方になることを常に強要された。そんなことから、ありのままの自分を全肯定されて受け入れられたい、と常に願うようになり、人の顔色を窺うことなく自由に自分の意志のみで行動したい、という望みを持っていた。 自分は天才なのだからいつかきっと、と無理矢理自分に言い聞かせたが、それでも常に劣等感に苛まれ、自分が最低の人間であるという思いもなかなか消えず、辛い学生時代を送った。 成人した頃、まったく幸運であったが、ありのままの自分を受け入れてくれる存在と出会った。この上なく幸せな気分であった。人生の中で生まれて初めて自分が認められ思い通りになったのだ。オレは有頂天になり調子に乗り徐々に傲慢になり、やがて慢心し、気づくとすべての仲間は去り、習得した技術も衰え、感覚も鈍り
もう9月か。今年も終わりだなw ここ最近の一連の出来事を振り返って思ったのは、なんだかリアルでの環境とネットがリンクしてるような気がするなあ、ってことだった。 オレは長年の中央生活から離れて、とある地方都市に2年前赴任した。そこで経験した旧態然とした前時代的価値観と、ネットでの搾取の横暴振りが、不思議と自分の中ではリンクしてる。要するに「こいつら同じじゃん…」。 性善説で生きてきたオレは昔から良くつけこまれた。こう書くと被害者みたいだが、実は自分もそういう癖を持っていて他人に同じような事をしてたこともある。つまり、誰かがオレから搾取→オレがまた誰かから搾取。という、まあイジメッコ・ヒエラルキーみたいな図になってたわけだな。いじめっこというものは、実は別な場所、例えば家庭内とかでのいじめられっこだったりするわけで、要はただの連鎖なんである。まあそんなわけで、オレはよく付込まれたが、その反動で
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