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衆院選
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徳光 みく / Miku Tokumitsu 1990年、神奈川県生まれ。学生時代、セクシュアリティや人間関係から生じる、言語化できない生きづらさを感じる。大学院在学中にトランスジェンダー女性(MTF)であることを自覚。現在は、LUSH(ラッシュジャパン合同会社)の製造部門に勤めている。 06好きだった彼女 かわいい男子が好きと言われて 高校2年生のとき、同学年の女子から告白されて、お付き合いすることになった。 「知り合ってからお互いに気になっていて、2か月後に告白されました」 私は、相手のふわふわした雰囲気や、おいしそうに食べるところが好きだった。 「相手は、容姿や雰囲気がかわいい男の子が好きだって言ってました。私もかわいい男子だと認めてもらえたんだと思います(笑)」 「絵を描くこともお互いに好きだったので、絵を見せ合ったりもしてましたね」 高校生活では、私と彼女を含む4人グループで過ご
結婚してから「実は自分はシスジェンダーではない」とパートナーに告白した、というような話ってセクマイ界隈ではわりによく聞く。それに対して「結婚後に実は自分は女/男じゃないとか言い出すなんて、詐欺じゃないか」という心無い言葉をぶつける人を、SNS上でしばしば見かける。このことについて、「既婚者のノンバイナリー当事者」の目線から考えてみたい。 「ノンバイナリー」という単語を極力使わずカミングアウトをした理由 ノンバイナリー・パンセクシュアルであるぼくは、シス男性のパートナーと現在婚姻関係にある。夫はそもそもはヘテロセクシュアルで、ぼくの前に交際していた恋人は全員シス女性だったらしい。そしてぼく自身は物心ついたときから自認していたので、結婚前にカミングアウトはしていたのだけど、蓋を開けてみたらそれは不十分なものだった。 「ノンバイナリー」にピンと来ていなかった夫 LGBTに関する知識をほぼ持たない
Xジェンダーやノンバイナリー、トランスジェンダー、クロスドレッサーなど、すべてのクィアが抱えている幼いころからの悩みの種のひとつとして、「自分をなんと呼んだらいいか」問題が挙げられるんじゃないか。わたし自身、幼少期から一人称についてずっとモヤモヤし続けてきた。 この息苦しさは、いったいどこから来るのだろう。なぜ自分のことを呼ぶ言葉すら、わたしたちは自由に選択できないのだろう。 一人称を訂正する大人たち 生まれたときの身体のかたちによって、性別は自ずと割り振られてしまう。わたしは自分のことを「女」だなんて一言も言ったことがないのに、周囲の大人たちはわたしを「女」として扱う。わたし自身のことなのに、わたしに決める権利はどうやらないらしい。 女の子なんだから 大人たちはわたしが少しでも「女の子」の規範から外れると、もっともらしく叱ってきた。「女の子」なんだから足を閉じなさい、「女の子」なんだから
あなたがバイセクシュアル女性で、マッチングアプリを使っていたとする。マッチしたある女性と何度かデートへ行けば、特別な感情が芽生えることも考えられる。そんな時、気になる相手から彼氏がいることを打ち明けられ、彼とのセックスに誘われたという話を聞いたら、あなたはどう思うだろうか。 Unicorn hunting(ユニコーンハンティング)とは、異性カップルによるバイセクシュアル女性のモノ化である。これは仮説でなくリアルに存在する話だ。まだまだ問題視されないことに焦りを感じたため、日本社会にユニコーンハンティングについての知見を広めることを決意した。 バイセクシュアル女性が犠牲に。ユニコーンハンティングとは ユニコーンハンティングとは、異性愛のカップルが関係をオープンにし、彼らの性的関係に加わる相手を「バイセクシュアル女性」のみに絞って探すことである。 ユニコーンハンターの大半が、シスジェンダーのス
01 ハーフというだけで目立ってしまう 02 ニュージーランドの多様性 03 社会や政治に対する関心 04 ポリアモリーとの出会い 05 日本の空気に馴染めない ==================(後編)======================== 06 “クィア” が一番しっくりくる 07 ふさぎ込んで、自分を見失って 08 アメリカを旅して 09 自分を偽らずに生きる 10 私みたいな人間だって、ちゃんと存在してるんだ 01ハーフというだけで目立ってしまう ニュージーランドと日本のハーフ スコットランド系ニュージーランド人の父と日本人の母のもと、いわゆる “ハーフ” として生まれた。 「仁希」とは「両親2人の希望」という意味で、欧米でも通用する名前だ。 「 “ニコラ” や “ニコール” の愛称で、“ニッキー(Nikki)” っていうのは海外でもよくあるんです。名前自体が “Nik
ある研究者は「ジェンダーは衣服のように脱ぎ着できるわけではない」と語っています。確かに、医療的、法的な面からみれば、紙面上の性を変えることはできるでしょう。ですが、元々縛り付けられていた社会的、文化的に構築された性である、ジェンダー、そして性別移行した際に期待される別のジェンダーというものは、どのような形であれ、常に残ります。 しかし、「服」そのものあるいはもっと広く「ファッション」についてはどうでしょうか? もちろん、ファッションもジェンダーの規範から自由なものではありません。ですが、ちょっとした「抜け道」はあるように思うのです。今回は、ファッションと性の関係性から、私たちが性的存在として社会を生きるための生存戦略を少し考えてみたいと思います。 ファッションとジェンダー規範のひねり 私たちは、日々、意識的にも、無意識的にも「女性らしさ」や「男性らしさ」という「ジェンダー規範」を社会から課
石田 有里梨さん 性別移行は遅かったかもしれないけれど、人生の先輩として誰かの役に立てるはず【前編】 Written by Hikari Katano / Photo by Yasuko Fujisawa / 2024/10/09/Wed 奈良県生まれの石田有里梨さん。結婚後、子どもが成長していく姿を見守るなかで性別違和に向き合い始め、職場に在籍しながら医療的な性別移行を行う。2021年に「島根のちょっこしLGBTQ相談室」を立ち上げた。
MTFの女子プロレスラーとして、伝えられることがあるのなら【前編】 すらりとした長身に意志の強そうな瞳。年齢を聞かなければとても19歳には思えない、落ち着いた語り口に、大人っぽい、しっかりとした考え方をする朱崇花さん。実は2年前の夏、16歳で “性同一性障害” を公表してデビューした、れっきとした女子プロレスラーだ。キャリア14年のベテラン選手を相手に、結果は完敗だったが、ここからが、選手としても、女性としても本当のスタートとなった。若いけれど、ぎっしりと中身の詰まった朱崇花さんのこれまでと、これからとは。 2017/12/13/Wed 朱崇花 / Asuka 1998年、宮城県生まれ。小学3年生から父の影響でレスリング、日本拳法を始め、小学6年生の時にレスリング全国3位の成績を収める。レスリング推薦で入学した仙台育英高校を自主退学し、プロレスの道へ。2015年8月、トランスジェンダーであ
私は、私――。性分化疾患で揺らいだ性の認識と、自分が何者か分からない苦悩を経て【前編】 ずっと、何の疑いもなく「女の子」として生きてきた。そう、あの日までは――。「子宮も卵巣もない」という突然の宣告を受け、自分が女性なのか、男性なのか、何者か分からないまま、荒れて夜の世界へ飛び込んで一度は男性として生きようとしたこともあった。しかし主治医の力強い言葉、同じ性分化疾患を持つ人たちとの出会い、再構築した家族関係、様々な環境に支えられ、ようやくここまで来られた。次は私が、みんなからもらった恩を誰かに送る番――。同じように孤独な当事者に、「ここで私も、生きてるよ」と伝えたい。 2017/01/18/Wed 小池 知香子 / Chikako Koike 1986年、千葉県生まれ。胎児として母体で成育する間、様々な要因で典型的な男女の性に分化せず発達、誕生する、「性分化疾患(インターセックス)」と呼ば
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